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         大鏡


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文字は言語のエッセンスである 吉本隆明『言語にとって美とは何か』から おわり

この本の論点はたくさんあるが、ここでは文字についての吉本氏の卓見を最後に見てみたい。

まず、文字を記した古代人の思いはなんだったか。

われわれは、たとえば簿記の数字のように文字で記憶を確かにしようとしたのではないかと思いがちだが、氏によればそうではない。

文字の起源は、

「語音をとどめ、保存しようとするよりも、言語の意味を表記しようとするにあった。表音的なカナ文字といえども、いったん表記されたうえは音字ではなく言語の意味の表記だ。」(第一巻、96頁)

なるほど、文字が語音を保存するためではないことは、たとえば象形文字を考えればわかる。文字とは表音である以前に意味を表記したものだ。

もっぱら表音のようにみえるカナ文字でさえもじつは意味の表記である。それは白黒フィルムの写真が見る者にとっては色彩を保存していることに似ている。

つぎに、文字によってようやく言語が「発見」されたことを氏は次のように説明する。

「たんなる謡いであり語りつたえであり対話であった言語が文字としてかきとめられるようになったとき、言語の音声が共通に抽出された音韻の意識にまで高められたことを意味した。同時に、その意味伝達の意識がはっきりと高度になったことを意味している。」(第一巻、97頁)

たしかに、歌であっても語りであっても同じ文字で表記できたとき、ひとつの言語をひとつの統一的な観点から把握できるようになったことになる。

文字とは音韻(→言語音の秩序)の把握であり、人間がみずからの言語を把握できるようになったことの証左なのだ。

そして最後に、文字によって言語は客観性=表現する者の意識から独立した性質を獲得する。

「言語は意識の表出であるが、言語表現が意識に還元できない要素は、文字によってはじめてほんとうの意味でうまれたのだ。文字にかかれることで言語の表出は、対象になった自己像がじぶんの内ばかりではなく外にじぶんと対話をはじめる二重のことができるようになる。」(第一巻、97頁)

つまり文字は

,發箸發醗嫐の表記である。→だから文字以外に発音記号が存在する。

言語の秩序の表現である。→だから外国語の習得には文字は貴重な手がかりとなる。

8生譴傍甸兩を与える。→だから人は文字を手がかりに言語を洗練させることができる。

かんたんにいえば、文字は言語の凝縮体(エッセンス)なのだ。



以上は本書のほんの一部をとりあげてみたもので、ほかにも貴重なヒントがあちこちにある気がする。

くりかえし読んでみようと思う。





(おわり)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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