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「毛沢東」は中国語か? 発音が決定的である理由

外国語をやりたければ、発音は重要だ。「そうだよね」という人は多い。

 

だが、じっさいに外国語の発音を身につけるのは難しいし、発音が重要である理由をきちんと説明するのも、案外むずかしい。

 

そのせいか、

 


「発音はだいたいでいい」

「発音は最後でいい」

 


という発想もけっこう広まっている。

 

こういう発想が根強く残るひとつの原因は、文字があるからである。

 


たとえば、中国語と日本語なら、漢字という共通の文字がある。短くてわかりやすい例として、人名で考えてみると、

 

 


「毛沢東を、『もうたくとう』と発音しても、それで中国語になる」

 

 


と言ったら、そのおかしさに、誰もが気づくだろう。

字は同じでも、中国語をやるというなら中国語の発音で読まなければ中国語にはならない。中国語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も中国語が体験できるのだ。



英語の場合もこれと同じである。

 

 

 

「McDonald を『マクドナルド』と発音しても、それで英語になる」

 

 

 

もしそう思っている人がいるとしたら、それは McDonald という文字をローマ字風に読めば英語になるという思い込みがあるからかもしれない。じっさい、日本人のあいだでは「マクドナルド」で通じる。これは立派な日本語であり、本質的には英語ではない。

 

 

最近、kaki(柿)とか adzuki(小豆)が、フランス語や英語として認められるようになっているという。これも、アルファベットという文字が媒介になって、彼らの言葉として発音しているから、フランス語とか英語として理解できるのだ。

 

 

 

 

英語のつづりを見て、それを日本語風に読んだり自己流に読んでいたのでは、英語にはならない。英語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も英語が体験できるのだ。

日本語風や自己流で通じたとしたら、それは聞き取った相手が優れているからであって、自分の実力ではない。









 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 08:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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