2008.12.27 Saturday
子どもの人権はどこへ行った? 「コミュニケーション能力」というゴマカシ その2
「コミュニケーション能力 communicative competence」という概念が登場したのは、約30年前、1970年代のはじめのHymesやSavignonの著作にはじまる。
日本起源ではなくアメリカの学界から来た言葉である。
「コミュニケーション能力」とは、語彙や文法などの狭い意味での言語能力だけでなく、特定の社会状況において言語を適切に使う知識・能力のこととされる。
それまで外国語教育といえば訳読法(Grammar-Translation Method)、直接法(Direct Method)、オーディオリンガル法(Audio-lingual Method)といった変化があった。これは読む、聞く、話すの順に、次第に言語習得のメディアを広げていく過程であった。
そして言葉の習得にはさらに広く社会的文脈を考慮すべきだという思潮が生まれ、1970年代に「コミュニケーション」という概念が注目されるようになった。
はじめ「コミュニケーション」という概念は外国語学習のために提案されたものではなかったが、この語の便利さが注目され、1980年代から外国語教育の分野で盛んに使われるようになった。
(以上、窪田光男『第二言語習得とアイデンティティ』ひつじ書房、2005年、第二章による)
日本の学習指導要領の外国語教育の章に「コミュニケーション」という語がはじめて現れたのは1989年である。
こうした経緯で、外国語教育の目標は「コミュニケーション(能力)」にあるという表現が一般化した。
「コミュニケーション能力という概念の出現以来、言語の教師は社会的に適切な言語行動を指導するというこれまでになかった役割を担うようになった。」(窪田前掲書、29−30頁)
これは一見、当然のことのようにも聞こえる。
しかし「コミュニケーション能力」なる概念は、誰からも文句が出ないが、そのぶん空虚な語感がある。
コミュニケーションが「分かりあうことto share」といえば素晴らしいことのようだが、どこかむなしい。
それは「何を分かりあうのか」という視点が欠けているからである。
(つづく)
日本起源ではなくアメリカの学界から来た言葉である。
「コミュニケーション能力」とは、語彙や文法などの狭い意味での言語能力だけでなく、特定の社会状況において言語を適切に使う知識・能力のこととされる。
それまで外国語教育といえば訳読法(Grammar-Translation Method)、直接法(Direct Method)、オーディオリンガル法(Audio-lingual Method)といった変化があった。これは読む、聞く、話すの順に、次第に言語習得のメディアを広げていく過程であった。
そして言葉の習得にはさらに広く社会的文脈を考慮すべきだという思潮が生まれ、1970年代に「コミュニケーション」という概念が注目されるようになった。
はじめ「コミュニケーション」という概念は外国語学習のために提案されたものではなかったが、この語の便利さが注目され、1980年代から外国語教育の分野で盛んに使われるようになった。
(以上、窪田光男『第二言語習得とアイデンティティ』ひつじ書房、2005年、第二章による)
日本の学習指導要領の外国語教育の章に「コミュニケーション」という語がはじめて現れたのは1989年である。
こうした経緯で、外国語教育の目標は「コミュニケーション(能力)」にあるという表現が一般化した。
「コミュニケーション能力という概念の出現以来、言語の教師は社会的に適切な言語行動を指導するというこれまでになかった役割を担うようになった。」(窪田前掲書、29−30頁)
これは一見、当然のことのようにも聞こえる。
しかし「コミュニケーション能力」なる概念は、誰からも文句が出ないが、そのぶん空虚な語感がある。
コミュニケーションが「分かりあうことto share」といえば素晴らしいことのようだが、どこかむなしい。
それは「何を分かりあうのか」という視点が欠けているからである。
(つづく)




