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そらになる心は春の霞にて よにあらじとも 思ひたつかな

西行



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言語はいかにして現実から独立したか 言語と映画 その3
なぜ人間は、不連続の映像を自然に受け入れるのか。

著者によれば、もともと人間は不連続に生きているからである。

その典型が夢である。

夢は断片的で突飛な映像に満ちている。映画は夢に近いとよく言われるが、それはたんなる比ゆではない。事実なのだ。78頁。

いや、不連続の映像とは、石器時代以来、暗い闇のなかで炎を見ながら他人の物語を聞いてきた体験にも近い。186、189頁。

ちらちらと姿を変える不連続な炎こそ、物語を聞く明かりにふさわしい。

げんに映画は、夢のように、炎のように、暗い空間で見るではないか。

そして人は、昼間でも不連続に生きている。

著者によると、誰もがする瞬(まばた)きは、人が現実に不連続性を与える手段である。瞬きによって現実に不連続性を与えてはじめて、われわれは世界を理解することができるのだ。84−85頁。

たとえば会話において、人は本題に入るとき、結論に入るとき、内容を理解したとき、あきらめて理解を放棄したとき、つまり話の節目で瞬きをする。84頁。

「人は日常生活の中で、新たな思考とそれまでの思考を分離するために瞬きをしているのである。同じように、映画ではひとつのショットがひとつの思考に相当し、それを分離させ区別させるためのカットが『瞬き』に相当する。」84頁。

人は呼吸や消化や循環によって対内リズムを作っている。同様に、人は瞬きによって外界を小さくカットし、リズムをつけて事態を理解しようとする。

これはまさしく言語にもあてはまる。

言語は脳の内外の「現実」を何種類かの概念に分類して小さくカットし、それを編集した表現である。まさに言語において人間は「瞬き」しながら世界を理解し、「瞬き」を利用して現実を編集し表現しているのだ。

英語のように単語を分かち書きし、かつ格関係をパターン化した文型が存在する言語では、「瞬き」の瞬間がとくにわかりやすい。

言語の「瞬き」は、言語過程説でいえば認識はあるが表現がない「ゼロ記号」に相当するだろう。

英語の文型は、撮影した一連の画像(認識)をカットして編集し、言語として表現するための「瞬きのパターン」である。






(つづく)



| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 映画の英語 | 09:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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