ごきげんようチャンネル


たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう.

               嘆異抄

TPP問題が見えて来る視点
名古屋で開かれたTPP問題についての集まりに参加して、コメンテーターのようなことをしてきた。

今の時点で、「これは記憶しておいてよいことでは?」と思うことをメモしておく。



◯ この問題でも、日本政府・自民党・財界のアメリカへの従属ぶりは目に余る。しかし、彼らはアメリカの圧力によっていやいやTPPに参加しているのではない。

彼ら自身、TPP参加にメリットを見出しているのである。

TPPは、日本の市場をアメリカ資本に提供すると同時に、自分たちが他国の市場を蚕食するチャンスともとらえている。




◯ しかし、彼らがそう思っていることは、彼らの思惑が<正しい>ことを意味するわけではない。

世界中を荒廃させるグローバル資本の運動は、けっきょくは自分たちの市場自身を荒廃させ、資本もろとも、世界を自滅に向かわせる。

TPP反対運動は、日本の支配層とグローバル資本に、自分の愚かさを自覚させる運動でもある。




◯ TPPの実施がどういう結果を生むか。それを知るには、アメリカの現状を見ればよい。




◯ 今年の参議院選挙で自民党は勝利し、TPPは一気に加速する。おそらく、TPPは遠からず現実となる。

しかし、いまのうちからTPPの問題点を広く世間に啓発しておくことが、TPPの弊害を少しでも減らし、将来、撤廃にもちこむための力となる。












| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
government of the people, by the people, for the people - ゲティスバーグ演説の意味について おわり
日本国憲法の前文に、次の文がある。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、①その権威は国民に由来し、②その権力は国民の代表者がこれを行使し、③その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」

上記の①〜③は、さきにあげたゲティスバーグ演説の最終フレーズそのものといってよい。

すなわち、

①「その権威は国民に由来し」= government of the people

② 「その権力は国民の代表者がこれを行使し」= government by the people

③ 「その福利は国民がこれを享受する」= government for the people

「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」= shall not perish from the earth.


日本国憲法のこの部分はゲティスバーグ演説を参考にしたのではないかとさえ思えてくる。

こうして、日本の歴史のなかにアメリカ流の「人類普遍の原理」=イデオロギー型の正当化論理が導入されたのである。






(おわり)




ちなみに、日本国憲法の英文版をみると、前置詞がゲティスバーグ演説とはだいぶ違っていて面白い。

Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people,  The powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this constitution is founded. 

ゲティスバーグ演説全文

Abraham Lincoln - The Gettysburg Address(Nov. 19, 1863)

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate -- we can not consecrate -- we can not hallow -- this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.


なお、この演説の英語については次のサイトになかなか行き届いた解説がある。


http://www.where-are-we-going.com/beyond_exams/paperback_reader/2009/03/the-gettysburg-address/








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 01:57 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
government of the people, by the people, for the people - ゲティスバーグ演説の意味について その5
さて、ゲティスバーグ演説の

… ① government of the people, ② by the people, ③ for the people, shall not perish from the earth.

という有名な最終フレーズの意味に移ろう。

①〜③の部分は前置詞が効果的に使い分けられている。

① government of the people  … ofの前に動詞由来の名詞(ここでは government)がある場合、ofのあとの名詞(the people )は先の動詞由来の名詞(government)の主語か目的語の関係となることが多い。だとすればこの場合、the people governs(SVの関係) あるいは  govern the people (VOの関係)が考えられることになるが、the people governs と理解すれば次の②の意味と重複するし、govern the people(人民を支配する)と理解するのは演説の主旨からいって不自然である。

この場合、ofは<所属>を表し、「統治は元来人民のものである」といった意味にとるのが自然である。

② [government] by the people … これは「統治権力を行使するのは人民である」という意味にとれる。

③ [government] for the people … このforは「受益者」を表し、「人民の利益のための統治」ということである。


すなわち、①のof(所属)の意味を、②by(行使者)と③for(受益者)に分割して述べたものといえる。

すると上記の文の意味は、

「統治権力は元来人民のものであり、それは人民が行使するし、その恩恵も人民が享受する。この原理は地上から消え去ることはない。」

といったことになる。

さて、この文章はどこかでみたことがあるような気がする。

そう、日本国憲法に、これとそっくりの文があるのだ。









(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 01:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
government of the people, by the people, for the people - ゲティスバーグ演説の意味について その4
日本国憲法について「押しつけ」などの違和感がいまも根強いのも、こうした重層的な歴史感覚が一因になっている。

日本人は軍隊・戦争による覇権の交替を正常・正当と感じる王朝交替史観的・覇権地域移動史的な歴史感覚をもっているから、日本に対してアメリカが覇権を握ることを容認する。

そうした古典的な歴史感覚からすると、日本国憲法のように人類的理念(イデオロギー)によって自国を正当化する現代的歴史感覚には、なかなかなじめない。

アメリカによる実力型の覇権交替(軍事占領)の最中に、イデオロギー型の現行憲法が制定された。この矛盾が今も日本人の歴史感覚をかく乱しつづけている。

ゲティスバーグ演説の格調高さは認めるが、やはり他国の話だと感じやすい背景には、われわれの歴史感覚の複雑さがある。







(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
government of the people, by the people, for the people - ゲティスバーグ演説の意味について その3
ある地域のなかで異なる出自の政権がそれぞれの正当性をもって次々に交替したという中国型の歴史観を<通時的(タテの)歴史観>を呼んでみる。

他方で、異なる地域のあいだでの争いがあって、その結果、覇権を握る地域(政権)が次々に移動するという地中海型の歴史観を<共時的(ヨコの)歴史観>と呼ぶことにする。

すると、たいていの歴史はタテとヨコの両方の歴史観が交錯してなりたっていることになる。

日本の場合、おおざっぱにいえば、

・建国神話は神武による東征(ヨコ)とヤマト平定(タテ)の混合。

・貴族政権から武士政権への移行については、半ば王朝交替(タテ)、半ば地域移動(ヨコ)の混合。

・明治政府の成立は「王政復古」「東京遷都」というように、王朝復活と半ば地域移動の混合。

・敗戦後の占領は短期間の王朝交替と地域移動の混合。

・戦後改革で歴史を「切り捨て」たあとは、反共随米主義(自民党)と社会主義的国際主義(社会党など)というふたつのイデオロギーの混合。

といった<混合>の連続によって、国家体制が正当化されてきた。

こうして日本は(他の多くの国と同様)、政権の存立の大義=正当化の方法が複数あるという、複雑な歴史感覚をもつ国となった。








(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
government of the people, by the people, for the people - ゲティスバーグ演説の意味について その2
岡田英弘『世界史の誕生』(ちくまライブラリー、1992年)に、「時間に対する人間の態度は文化」25頁 であって、地域ごとに特徴があるという話がでてくる。

過去によって現在や未来を正当化する「歴史」という文化が自生したのは、地中海と中国であった。

その他の地域は、地域対決史タイプ(空間的対決)の地中海型か、王朝交替史タイプ(時間的対決)の中国型か、どちらかの歴史観を対抗的にコピーしたのだという。

そして現代になって、冷戦時代の二大国・米国とソ連は、歴史観を「切り捨てた」タイプとして登場した。


「アメリカ合衆国は、十八世紀の当初から、歴史を切り捨てて、民主主義のイデオロギーに基づいて建国した国家である。…ロシア革命で歴史を切り捨てて、[マルクス主義の]イデオロギーに置き換えた国家がソ連であった。」35ー36頁。


先にみたリンカーンのゲティスバーグ演説は、アメリカ国家のアイデンティティがまさしく「民主主義のイデオロギー」によるものであることを強調している。

このように、イデオロギーで自らを正当化した大国という意味で、米ソはオリジナリティをもっている。そして米ソ型の<イデオロギーによる正当化>をコピーした国家も多数にのぼった。

さて、それなら日本はどのように自らを正当化してきた国なのか。

中国型の王朝交替史観あるいは地中海型の地域対決史観、すなわち「歴史」によって正当化しているのか? それとも米ソのようなイデオロギーによって正当化しているのか?

正解はもちろん、これらの自己正当化のすべてを駆使してきた。

それが戦後の日本であった。









(つづく)












| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
government of the people, by the people, for the people - ゲティスバーグ演説の意味について その1
ゲティスバーグ(ペンシルバニア州)は南北戦争が北軍優勢へと転換したとされる戦場で、そこでリンカーン大統領は短い追悼演説をした。

1863年11月19日。日本で言えば幕末、坂本龍馬がいたころの古いものだが、今日読んでも感動的だ。

<この戦場で人々はアメリカの建国の理念のために生命を捧げた。いま、死者を弔うことと同様に重要なのは、生きているわれわれがその理念を引き継ぐことなのだ。>

そういう主旨になっている。

リンカーンがいうアメリカの理念とは何か。演説の最後の文が見事に要約しているので有名である。

... we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.


government of the people... 以下の意味についてはあとで考えることにして、ここではまず、この文に表れた歴史観について思うことを述べてみたい。







(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 07:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
安保は憲法のどこに抵触しているか

日本国憲法と日米安保条約は、どこが矛盾するか。

これについての学生の回答例。

■米軍基地

平和のうちに生存する権利(前文)

健康で文化的な最低限度の生活(25条)

財産権(29条)

■自衛隊

戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否認(9条)

■米兵に対する警察権・裁判権の制限

法の下の平等(14条)

■戦時動員

職業選択の自由(22条)

教育を受ける権利(26条)

婚姻の自由(24条)

奴隷的拘束および苦役からの自由(18条)

■安保条約の存在

最高法規(98条)



ほかにも多数の条文が関連すると思われるが、ちょっとおもしろいところがあるのでメモした。







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
天皇制と戦力放棄は日本の主権の二大特徴
むかし読んだ本に、おもしろい部分があったのでメモしておく。

憲法の第1章(天皇)と第2章(九条)は、日本の主権のあり方の特徴を規定したものだというのである。なるほど、うまいまとめになっている。

「日本国憲法の第1章は「天皇」、第2章は「戦争放棄」の規定である。

両者は一見別個のことを定めているように見えるが、実は「主権」の体内的側面と対外的側面をそれぞれ定めているという点で深い関係がある。

第1章では主権が、国内では国民(people)にあり、天皇制度はその国民の総意に基づいて設置されることが、第2章では、そのようにして国民を主権者に形成される日本国の意思の対外的実現を、戦争及び武力行使・威嚇という方法で行わないこと、そのために一切の戦力を保持しないことが、それぞれ定められている。第2章(第9条)が「日本国民は……放棄する」と規定しているのはゆえないことではない。

第1章は君主制から共和制への歴史的進歩の流れからすれば、なお後進性を残している。前文では明確に国民(people)主権を定めながら、第1章は旧天皇主権から転換しきれていない。

これに対し第2章は、戦争違法化に進む長い歴史的進歩の流れを先取りした先駆的内容になっている。

同じ主権規定でありながら、こうしたズレが生まれたのは、制定過程で両規定がいわば取引対象とされたからであった。天皇制度の存続は、徹底した戦争・戦力の放棄なしではありえなかったのである。

侵略戦争の最高責任者をなお「象徴」として存続させる日本とは、考えてみれば狂信的宗教団体が犯罪を侵してもなお教祖を崇拝しているのと同じであって、侵略の被害者には不気味な存在であったろう。」

浦部法穂・大久保史郎・森英樹『現代憲法講義 1〔講義編〕』法律文化社、1997年、87頁(森秀樹氏執筆部分)。



| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
オバマ大統領と憲法九条
オバマ就任演説には憲法九条の精神が書かれている。

ファシズムや共産主義との対決をふりかえった部分で、オバマ氏は次のように述べている。

「それはたんにミサイルや戦車だけで達成されたのではない。そこには強固な国際連携と永続する信念があった。

Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions.

力だけで防衛はできない。力があるからといって、好き勝手に行使してよいわけでもない。力は慎重に行使することで増大する。

すなわち国の安全は、大義の正当性と行為の立派さと謙虚・抑制による融和力から生まれる。

They understood that our power alone cannot protect us, nor does it entitle us to do as we please. Instead, they knew that our power grows through its prudent use; our security emanates from the justness of our cause, the force of our example, the tempering qualities of humility and restraint.」

もちろんオバマ氏のアメリカは強大な軍事力を維持し米軍基地を日本に置きつづけることを前提としている。彼がいう「大義」や「行為の立派さ」には<軍事力を背景にした>という前提がある。

そういう意味では、憲法九条を敵視する勢力からみても上の言葉は納得できるものであろう。

しかし別の読み方もできる。

日本がみずから軍縮を実行し、その「行為の立派さ the force of our example」がもたらす権威によって他国を軍縮へとまきこみ、「永続する信念 enduring convictions」によって世界を恒久平和に近づけること。

それはまさしく憲法九条の精神だからだ。






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 憲法改正 | 13:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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