ごきげんようチャンネル

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"Summer Snow"


資本主義は他人の労働力の支配、言語は自己の駆使

言語をはじめとする「心」のはたらきの仕組みを考えるとき、なかなかつかめないのが、自分(観念/身体)から分離する自己の存在である。

 

自分から別れ出てはたらく自己は、労働者が発揮する労働力にあたる。

 

資本主義は、丸ごと人間を囲い込むという非効率な奴隷方式ではなく、労働者のもつ労働力を賃金で買い、資本家はこの買い取った労働力だけを駆使する。そこでは、資本家がいるから労働者がおり、労働者がいるから資本家がいる。だが、互いに「自由」である。

 

ところが人間は、資本主義のはるか以前から、自分の体内ではたらく「労働力」すなわち自己を分離し、これを駆使することで言語を生産してきた。自分があるから自己があり、自己があるから自分がある。だが、自分と自己はお互いに「自由」である。

 

言語が用いてきた、この自己駆使=労働力雇用型の生産方式は、全社会的規模で可能である! 資本主義は、そのことの、近代の発見である。

 

資本という観念の運動は、人間社会の現実を照らしだす。いや、そこでは、資本という観念こそが現実そのものであるかのようである。

 

既存の言語学や人文・社会系の学問は、自己という社会的能力の存在と成長、そして自己がつくる観念世界の現実超越性・現実照出性に十分気づいていない。

 

それは資本という観念こそ現実であるかのように感じられる現代社会に対応した、ある意味で当然の帰結である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
個人も<土台・意識諸形態・上部構造>でトランスする

社会だけでなく個人にも、<土台・上部構造・意識諸形態>というべきものがある。

 

<肉体と精神>という言葉もあるから、土台(肉体)と意識諸形態(精神)が最初にペアになりそうだが、そうではない。

 

個人の土台(肉体)がみずからの矛盾(肉体ではないもの)として抱えるのは、上部構造(社会的立場。年齢、性別、国籍、職業、人間関係、現在の位置、その場での役割など)である。

 

<肉体/社会的立場>

 

これが個人という矛盾体(身体)のあり方である。

 

個人の肉体は、社会的立場という属性を止揚(役割を果たす、役割を否定する、役割から逃げる...)しようとして、あらゆるもの(みずからの身体を含む)に連関(トランス)する。その結果、対象を変換させたり、みずからを転体させる。

 

この連関のさい、概念などを規範(図の中心部分)として心に取り入れた対象を表現したもの(たとえば日々の発言や行動)が、意識諸形態である。

 

生きているということは、このトランス(自己超越)を絶えずおこなうということである。

 

 

 

 

 

                 <個人のトランス>

 

 

 

 

     意識諸形態(表現体、人間)←||||||||||||||| ←  心にとりいれた対象

 

 

             ↘      価値・意味・意志             ↗

                法律、道徳、概念、労働規範

               ↗           ↘

                  

                 ↘        ↗

 

                個人(社会的立場/肉体)

 

 

 

 

 

心にとりいれる対象や規範を変更すると、意識諸形態(言動)が変化する。「朱に交われば赤くなる」と「三つ子の魂百までも」は矛盾しているが、両方とも真実である。

 

上の図の → をおこなう力を、自己と呼ぶ。適切な社会的立場をとり、すぐれた規範を育て、心にとりいれる対象を適切に選び、意識諸形態を洗練させて自己を鍛えれば、個人は正常に成長する。

 

ところで、上の図は、いわゆる心身問題(肉体がどうして精神をもてるか、精神はいかにして肉体を動かしているか)への解答になっている。肉体は、 → で示された自己の運動とともに存在する。これが肉体と精神の関係である。デカルト以来、心身問題が難問に思えた原因は、この図のようなトランス(連関、超越)の構造に気づかなかったからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
穢土荘厳 観念世界から現実世界を見るコツ

人間はまず観念の世界をつくり、そこから現実の世界を見ている。

 

実際には、現実の世界にいる自分が観念の世界をつくりあげているのだが、観念は物質的制約から自由だから、いったん観念の世界をもてるようになった者は、まず観念の世界をつくってから、現実の世界に対処しようとする。

 

たとえば、旅に出ようという観念をもてば、人は現実にそのための準備をしようとする。すると、現実の世界が、旅の準備のためにあるように見えてくる。

 

神仏は、現実の世界を丸ごと観念の世界からみるための、人間の発明である。

 

この世もあの世も、神仏からのプレゼントだと思えば、現実がうれしく思えてくる。

 

「穢土荘厳(えどしょうごん)」という言葉があるが、神仏はそのためにある。

 

学問は、神仏に頼らずに日常意識を超える訓練であり、いわば神仏のない宗教である。

 

宗教も学問も、観念世界から現実世界を見るためのコツである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語と商品の対応表  概念は価値、自己は労働力、認識・表現は労働

言語と、経済学で使う概念の対応関係は、次のように整理できる。

 

左の斜字体が言語の諸要素、右が、それに対応する経済学的な諸概念である。

 

 

 

心内の表現対象   原材料・労働対象

 

認識     原材料調達労働(具体的有用労働)

表現     デザイン・加工・出荷・陳列労働(具体的有用労働)

 

自己(自分が発揮する言語能力)    労働力(労働者が発揮する能力)

 

概念    価値(抽象的人間労働の対象化)

 

言語規範   市場法則、製品仕様、労働規範

 

 

音声・文字の組み合わせによる表現体=言語   商品(具体的/抽象的労働による生産物。物象)

 

音声・文字の体系   貨幣体系(価値表示のための単位表象からなる観念体系)

 

意味         伝達される概念としては交換価値、伝達される認識としては使用価値

 

伝達      商品流通・生産物の分配

 

意味の受容   消費

 

 

 

 

太字にした部分はとくに注意を要する。

 

 

自己とは、自分(観念/身体)によって発揮される言語にかんする能力で、概念運用力と物質的表現力からなる。これは商品生産において労働者が発揮する労働力にあたる。

 

 

概念とは、人間がおこなう言語労働の、抽象的人間労働の面を生む規範である。

 

 

 

「商品の価値は、人間労働力一般の支出の・すなわち抽象的労働の・対象化において成立する。同じように、言語の内容も、対象の一般化あるいは普遍性の認識の・すなわち抽象的な概念の・対象化において成立する。」(三浦つとむ『言語過程説の展開』勁草書房、1983年、404頁)

 

 

 

そして意味には、社会的な概念性(交換価値)と、個人的な認識性(使用価値)が含まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
社会のトランス 個人のトランス 図にすると...

社会という大規模なものがトランスするロジックを、おおまかな図にしてみた。

 

主体たる土台(社会の存続に必要な、物質的価値を生む仕組み)の属性が、それぞれの上部構造(人間がつくる組織。現代では国家が代表的)である。

 

個々人や各種の組織がもつ価値・意味・意志。それを規範として作られる意識諸形態が、人々の未来への表象を生み、それにもとづいて人々が活動することで、土台と上部構造からなる今日の社会は、次の日の社会へと転態していく。

 

戦争、侵略、災害、経済的浮沈、技術革新のような、内部的・外部的事情の積み重ねによって人々の規範が変わり、社会の意識諸形態(人間や組織の見解や行動)が変化すると、このトランス全体が質的な変化をとげる。これが革命である。

 

ここに描いた社会のロジックは、ひとつの国家や帝国だけでなく、世界の編成と変化のロジックでもある。

 

人類の歴史は、おおまかには、いくつかの土台の種類と、それに対応する多様な上部構造の種類の変遷である。

 

「史的唯物論」と呼ばれるものの形式面すなわちロジックは、このような社会のトランスの仕組みとして再編できる。

 

 

(以下、スマホ版では、技術的理由により、図が崩れてしまいました。すみませんが、PC版でご覧ください)

 

 

 

 

 

 

                   <社会のトランス>

 

 

 

 

 

   明日の社会(上部構造/土台)←  ||||||||||||||| ←     未来についての表象

 

 

           ↘                    ↗

                   価値・意味・意志

                  /意識諸形態

                ↗          ↘

 

                  ↘      ↗

 

 

                 今日の社会(上部構造/土台)

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の<社会のトランス>の中央、すなわち規範とそれにもとづいた行動とは、つまるところ個々人の「生活」(ドイツ・イデオロギー)である。「生活」すなわち人々の意識諸形態が、社会の存続と変革の源泉である。

 

 

 

 

 

 

 

                 <個人のトランス>

 

 

 

 

     意識諸形態(表現体、人間)←||||||||||||||| ←  心にとりいれた対象

 

 

          ↘      価値・意味・意志            ↗

                法律、道徳、概念、労働規範

               ↗           ↘

                  

                 ↘       ↗

 

                個人(社会的立場/肉体)

 

 

 

 

 

 

個人がもつ「社会的立場」は、個人が、自分がもっていると主観的に思っているものである。自分がいじけていれば、必要以上に自分の社会的立場を低くみてしまう。自分がうぬぼれていれば、実態以上に自分の社会的立場を高くみてしまう。人は、現在の社会的立場よりも高い立場をめざそうとするだけで、心にとりいれる対象が異なってくるし、したがって自分がつくる意識諸形態(言葉、態度、行動、身なりなど)もちがってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 13:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語のトランス 商品のトランス 図にすると...

言語のトランスを図にしてみた。全体を左回りのプロセスとして描いてある。

 

「言語」とは、広い意味ではこのトランス全体のことであり、狭い意味では、この図にある「表現体」(音声・文字)のことである。狭い意味での「言語」が音声・文字のことであるのは、「絵画」「音楽」が、描像や音響すなわち物質的な表現体のことであるのと同じである。

 

 

(以下、スマホ版では、技術的理由により、図が崩れてしまいました。すみませんが、PC版でご覧ください)

 

 

 

 

 

 

           <言語のトランス>

 

 

 

      表現体 ← |||||| ← 認識

 

        ↘     概念      ↗

            ↗(内容・表象) 

           

                                  ↘   ↗

               

            自分(観念/身体)

 

 

 

 

 

自分が認識する対象は、自分の身体がもつ観念(意識、認識、概念)である。言語のトランスでは、対象は物質ではなく、すべて自分の観念だから物質的制約を受けず、目前にないものでも空想でも虚偽でも、なんでも対象にできる。

 

概念は、内容とそれに対応する表象からなり、自分が認識に投射(心のなかで対象化)するさいの規範としてはたらく。また、表現体が自分や他者に反射する(自分や他者が表現体を受容する)とき、概念は豊富化し、淘汰と洗練をうける。

 

図の  ||||  は、認識にたいする投射の連続によって、認識が表現体へと変換されるプロセスを表す。優れた表現体をつくるためには、洗練された身体技法(発声、書字)が必要になる。

 

図にいくつもある → は、自分から分かれ出る自己(商品生産労働でいう労働力)の働きを表す。自己は、観念レベルのトランスを可能にする社会的平均的な言語能力+その個人的な増減である。自己は、上記の表現体をつくる身体技法もリードする。

 

表現体は、観念化された物質(音声・文字)であるから、他者による認識の対象ともなる。このときの認識内容が、意味である。意味は受け手によって異なるが、そのバリエーションは有限である。意味=他者による表現体の認識は、他者による新たなトランスを生む。他者によるトランスは、自分→他者の表現体→認識(意味)という、この図の鏡像の三角形となるが、ここでは省略してある。

 

このプロセス全体を「トランス」(超越)と呼ぶ理由は、自分(観念/身体)が、認識と表現体を媒介として、自分を超越する仕組みだからである。

 

なお、言語は観念レベルのトランスであるから、肉体(物質)は言語のトランスに直接入らない。図にある「身体」は、精神によって観念化された肉体である。人体器官(肉体)としての脳の生理的機能は、言語のトランスを物質的に支えるが、言語のトランスとは次元が異なる生理的トランスを構成している。

 

 

 

 

 

参考として、商品のトランスを図にしておく。これもトランスであるから、言語のトランスと同形である。商品のトランスを可能にしている力は、生産者(経営者・従業員)が発揮する労働力(言語のトランスにおける自己)である。図中の → が、労働力の働きを表す。商品が他者に購買されるプロセス(言語における意味のトランス)は、別のトランスとなる。

 

 

 

 

 

 

           <商品のトランス>

 

 

 

      商品  ← |||||| ←  素材

 

            市場法則

        ↘   労働規律     ↗

             ↗    ↘

           

                                  ↘    ↗

               

          生産者(観念/身体)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 12:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
究極のロジック「トランス」 その原型を図にすると...

私が「トランス trans」(造語)と呼ぶ、世界の発展の根幹となるロジックがある。

 

主体が主体である限り、この世の主体は自己超越(トランス)しつづける。

 

これは運動の形式であり、あらゆるものがこの形式において運動する。

 

トランスの思想は、ヘーゲルの弁証法、その洗練であるマルクスの「連関 sich verhalten 」のロジックを下敷きにしている。

 

この世のすべてをこのロジックにおいて見ることが、あるべき世界観であり、どん詰まりの哲学だと、私は思う。

 

世界は、トランスする。

 

 

(以下、スマホ版では、技術的理由により、図が崩れてしまいました。すみませんが、PC版でご覧ください)

 

 

 

 

 

 

           <トランスの原型>

 

 

                                        転態

 

      転体  ← |||||| ←  客体

 

            

        ↘      規範       ↗

     反射         ↗    ↘    投射

           

                                  ↘   ↗

               

            主体(属性/実体)

 

 

 

 

 

<注>

 

 

主体は、おおまかに、無生物、生物、人間の三種に分類できる。

 

トランスには、主体のあり方によって、物質的、化学的、生理的、観念的といったレベルの別がある。トランスするとき、主体は客体を自分と同じレベルの存在とみなす(つまり、主体は客体をみずからと同じレベルの存在としてしか扱わない)。だから主体は、みずからを含むあらゆるものを客体にしうるのである。

 

主体は、転体を得るまで、客体への投射をつづける(図の |||| )。客体は転態の最後に転体となり、転体のあり方は主体に反射する。トランスは、内部的・外部的事情によって中断したり、予期せぬ転体を生むことがある。トランス全体が破壊されることもある。

 

規範はトランスを重ねるなかで豊富化し、淘汰され、洗練されていく。このプロセスが物質の変化、生物の進化、人間の進歩をもたらす。

 

物質では、物性がトランスの規範となる。生物では、習性がトランスの規範となる。人間では、概念がトランスの規範となる。

 

非物質的トランスは、物質的トランスのあり方を照らし出す。だから非物質的トランスができる生物にとっては、世界は観念的に転倒して見える。神の概念は、人間にとって世界の究極の転倒をもたらす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他者の表現を利用すれば、どんな想念でも生き延びる 

他の人がそう言っている、そうしている。

 

その人の考えが正しいどうか、私は知らないし、知ることもできない。しかし、その人がそう言っている、そうしていることは事実だ、という論法は、どんなときでも成り立つ。

 

この論法をつかえば、たとえその内容が間違いであっても伝達され、拡散する。

 

 

 

自白の引用。翻訳。能や経典の「如是我聞」形式。歴史記述における史料引用。靖国神社の遺書利用。牧師・神父の聖書引用。法廷での法律引用。災害時のデマ。統計数字の操作。

 

 

 

ある言説や行動が存在すれば、それに投射して転体をつくる(「その言説、行動が存在することは事実だ」と述べる)ことで、他者を納得させ、自分は現状を脱する。

 

これは連関(トランス)の論理である。

 

 

良き伝統を引き継ぐのも、トランスの論理による。古くからの弊害がなくならないのも、トランスの論理による。

 

 

連関(トランス)という形式は、悪用の危険もあるほどに普遍的である。

 

 

 

 

 

 

          伊吹山 初冬  この神の山は、この角度からの姿が良い   2017年12月

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人はなにごとも<価値・意味・意志>の角度から見ている

<価値・意味・意志>は、概念を媒介にして個人が認識する、この世の三大パワーである。

 

価値は物質的に、意味は観念的に、意志は社会的に、個人の認識→行動を喚起する力を持っている。

 

三つのうち、どれかひとつのパワーが感じられれば、さしあたり行動は喚起される。

 

だが、いちばんいいのは、この三つが相関的・持続的に創造されている状態である。

 

それには、個人では足りず、そういう組織をつくる必要がある。

 

すべての組織には、土台と上部構造があり、それを発展させる意識諸形態がある。

 

土台・上部構造・意識諸形態の連関が生む転体が、社会の人々にあたえるパワー。それが<価値・意味・意志>である。

 

<価値・意味・意志>の三大パワーは、個人が生み個人が認識するものである。そして<価値・意味・意志>は、有限のバリエーションをもって社会的に流通する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
地平からでも雲海は見下ろせる 三枚の写真 

ここにおいた写真は、まるで自分が雲上にいるようにも感じられる。

 

対象の見え方には、自分の立ち位置の認識が含まれている。

 

これも連関の論理による現象である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 07:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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