ごきげんようチャンネル


"Obama got in, and he is the pawn of globalized interest." Naomi Wolf



耳は発声器官である

音声学の古い本を読んでいたら、おもしろい言葉があった。

 



「音声の産出に関与する音声器官 speech organ を広義に解すれば、耳も加わる。しかし、耳の関与についての研究はあまり進んでいない。」(枡矢好弘『英語音声学』こびあん書房、1976年、32頁)

 

 


耳が発声器官!?? その理由は、自分の発話を自分で聞くことで、人はつねに自分の発話をチェックしている。つまり耳は発声に不可欠だから、発声器官のひとつである(53頁)。

なるほど。

普通の音声学の本には書かれていないが、ひょっとすると人間は耳の穴(耳腔)も使って喉頭原音を共鳴拡大させているのかもしれない。もしそうなら、耳はまさに発声器官である。

そもそも耳(聴覚)がなかったら、発話を覚えることができない。ろうあの人たちの大部分は、喉などに異常があるわけではなく、耳が聞こえないために発話ができないたちである。その意味でも、耳は発話に不可欠の「発声器官」のひとつなのだ。

そう考えると、耳だけではなく、肺だって、横隔膜だって、発声に不可欠だ。そして胃も腸も脳も、それがなければ生きることもできない以上、発声に不可欠ともいえる。

 

声を発するのは主に口腔周辺の器官だが、声を受けるのは耳である。口と耳、両方あって言語は可能になる。これは、ヘーゲル流に言えば、人は自己疎外(音声を発出)したあと、外界を媒介にして、自己帰還(音声を受容)しなければならないということの、生理的な一例ということになるのかもしれない。

 


というわけで、「発声器官」をもっぱら喉・口・鼻に限定している音声学の教科書は、おおいに反省すべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
音声と文字が千年前に溶け合った西洋大陸 ラテン語の吸収が遅れたがゆえに文法書を作ったイングランド

大黒俊一『声と文字 ヨーロッパの中世6』(岩波書店、2010年2月)

  

11世紀後半は、ヨーロッパの主要言語=英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語の転換点であった。この現象を「大分水嶺 the Great Divide」と呼んでよいと著者はいう。104頁。

 

 

 

英語…ノルマンの征服(1066年)以降、イングランドはラテン語・フランス語・英語という三重言語体制となった。それ以前、古英語はヨーロッパ言語のなかでもいち早く文字化され、豊かな文献とともに統一化の様相を見せていたのだが、ノルマンの征服以降、ふたたびいくつもの方言に分裂していった。英語が再び統一されるのは。14世紀であった。78頁。

 

 

 

ドイツ語…ゲルマン語は8世紀前半から文字化したが、しばらく文字化が途絶えた。そして1050年ごろふたたび文字化されるようになった。そのときにはずいぶん違う言葉に変貌していた。これ以降、ドイツ語は中世ドイツ文学の黄金期をむかえる。79頁。

 

 

 

フランス語…ストラスブールの誓約(842年、東西フランク王国の王がそれぞれロマンス語とゲルマン語という相手の言葉で、共通の敵・ロタールに対抗する同盟関係を誓った文書。25−26頁)のあとしばらく文字化されなかったが、1050年ごろに「聖アレクシス伝」や「聖女フォワの歌」といった作品が登場した。それ以降文字化がさかんになり、以後、傑作「ローランの歌」に代表される中世フランス文学の隆盛期をむかえる。79‐80頁。

 

 

 

スペイン語…イベリア半島におけるキリスト教徒によるレコンキスタ( Reconquista 国土回復運動)は8世紀から15世紀までつづくが、1085年にカスティーリャ王国のアルフォンソ六世がトレドを奪回したことは、この王国の言葉がイベリア半島において近代スペイン語に発展していく契機となった。以降、カスティーリャ語による「わがシッドの歌」など、スペイン中世文学がさかんになる。80頁。

 

 

 

こうして、11世紀後半、ドイツ、フランス、スペインではラテン語とは異なる独自の文字化がすすみ、それぞれの現地語による文学作品が花開いた。英語だけが分裂し、非文字化していった。これが「大分水嶺」の内容である。10頁。

 

とりわけ、「大分水嶺」は、声と文字の関係に重要な変化をもたらした。

 

 

 

 

「この時期以降、発話の背後にはテクストが存在し、口頭表現はつねに隠れた参照系としてのテクストにもとづいて行なわれるようになる。人はあたかも書かれたものがあるかのごとく、仮想のテクストにもとづいて語るようになる。こうして人は語るとき、つねに書き言葉に(ほとんど無意識に)規制されながら語るようになるのだ。」(111頁より要約)

 

 

 

 

著者の主張は、「声と文字の弁証法」という言葉にあらわれている。音声と文字は「対立でも反映でもなく、複雑な絡みあいである」と著者はいう。8−9頁。言語のふたつの形式が「大分水嶺」以降、たがいに独立しながら補いあい、溶け合うようになった。

 

音声と文字。言語の二大形式がヨーロッパでは中世に溶け合い、それが各言語のラテン語からの独立を助けた。

 

 

 

 

 

 

他方、同じ西暦1050年ころを境に、英語だけが、音声が文字化されない局面に入った。

 

ブリテン島の歴史で面白いのは、ドーバー海峡を挟み、大陸のラテン語文化から距離があったがゆえに、住民にとってラテン語を咀嚼するのはむずかしく、だからこそ文法書や表記の工夫が進んだことである。

 


イングランド島にラテン語がもちこまれたのは、紀元一世紀、イングランドがローマの属州になってからである。だが、ラテン語が住民に使われることはなかった。ラテン語が本格的にイングランドにやってきたのは、紀元600年ころからのキリスト教布教以降のことであった。アイルランドに、キリスト教とともにラテン語がもちこまれたのは、それから一世紀ほど遅れてのことである。

 

こうして大陸と同様、イングランドも現地語(古期英語・中期英語およびノルマンフレンチ)とラテン語の二重言語体制となったわけだが、大陸との大きな違いは、イングランドではラテン語が遅く導入されたために、ラテン語が「完全な外国語」として受けとめられたことである。この「完全な外国語」を咀嚼しようとして、史上初のラテン語「文法書」がイングランドで作られた。44頁。

 

それまでもラテン語文法的な書物はあったが、それを読むにはラテン語を知っている必要がある類のものであったし、内容も、ラテン語の性格を論じたようなものであった。格変化の一覧表が親切に書いてあるような、初歩者用の文法書は、イングランドで生まれたのである(「島の文法書」)。44頁。

 

もうひとつ、ラテン語が「完全な外国語」であったためにイングランドがなしえた貢献がある。それは、句読点、段落表示、そしてなにより単語ごとの「分かち書き separation」の手法を編み出したことである。これは、ラテン語という外国語を、ブリテン島の人々が読みこなすための工夫であった。これが「読みやすさの文法」として受け入れられ、やがて大陸に逆輸入され広まっていった。「”読みやすさの文法”は、異文化接触の最前線で生まれ」たのだ。49頁。

 

ラテン語のむずかしさを克服するために工夫を重ねたのは、ラテン語をわがものとして運用していた大陸の人々ではなく、「完全な外国語」として格闘したイングランド人たちであった。

 

 

 

 

イングランドにおけるラテン語との格闘の経緯は、日本人が英語を受容した経緯に似たところがある。

 

幕末以来、まったく異質の言語である英語を咀嚼しようとして、日本人は多大の関心と努力を傾けた。イギリス人が作った英語の文法書と漢文訓読の伝統にしたがい、大衆にも理解しやすい形式重視の「文法」と大量の訳語をつくって、教室や受験を通じて普及させた。それは同時に、日本語の近代化のプロセスと重なっていた。近代日本語は、英語を咀嚼する過程で成立したのである。

 

ただ、ラテン語は、近代ではもはや人々が語る言語ではなくなったが、逆に、英語は世界に広がり、ますます多くの人々が語る言語となっていった。ラテン語の咀嚼は、文法と辞書と忍耐があればできたかもしれないが、英語は、語るための訓練もしなければならなくなった。

 

こうして、日本人の英語との格闘は、歴史に先例のない、困難な局面を迎えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「ど忘れ」は ”a senior moment”

和英辞典では、一時的な「ボケ」とか「ど忘れ」を、

 
 


It's slipped my mind for the moment. 

It's on the tip of my tongue...
 

 


などとしているが、ちょっと長い。それこそ「ど忘れ」タイプの人には向かない。

いちばん使えそうなのは、
 

 


I'm having a senior moment.
 

 


senior moment で、「年のせいで起きるボケの瞬間、ど忘れ」のこと。seniorは「シニア」ではなく「シーニオ」の感じで。何度も起こることの「一回分」だから、aもつける。

若い人でも、おどけて使えるから、おすすめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ローマ字とアルファベット 似て非なるものからの出発

多くの日本人が、日本語をローマ字でも書ける。これは、明治時代にひらかなとアルファベットを対応させる工夫が行われ、それを学校で教えたからである。結果として、ローマ字とアルファベットは、同じ文字を使っている。

 

そのため、次のような誤解が生まれやすくなった。

 

 

 

<英語のアルファベットを、ローマ字風つまり日本語風に読めば、英語になる>

 

 

 

さすがに最近は、本気でこう思っている人は少ないだろう。しかし、アルファベットを見ながら、ついローマ字読みしてしまう癖から抜け出せない人は、とても多い。

 

たとえば、elite は、日本語で「エリート」に当たる語だが、これを「エリート」と発音したら、ローマ字読みになってしまう。在米20年の日本人が、 normal の自分の発音が通じないことを嘆いていたが、これもおそらく、「ノーマル」とローマ字読みするからだろう。

 

こうして、われわれに欠けているのは何かが見えてくる。それは、<アルファベットをローマ字風に読む>のをやめて、<アルファベットを英語読みする>技法である。

 

 

英語学習法としては、フォニックスがこれに近い。ただ、フォニックスは英語で育った子どもがアルファベットのつづりに馴染むためにできた方法なので、そもそも英語の発音ができない人にとっては完全な方法ではない。

 

 

 

けっきょく、二つのことが必要であることになる。

 

 

 

英語を発音する身体要領の習得

 

アルファベットを英語読みするルールの習得

 

 

 

´△領省に役立つのが、発音記号である。カナを使った独自の発音記号を工夫することも考えられるが、内外の辞書で発音記号が採用されていることを考えると、やはり発音記号を活用するのが賢明である。

 

 

 

ローマ字とアルファベットが同じ文字であることからくる誤解は、英語の習得の障害になりやすい。しかし、アルファベットは、英語習得の強い味方でもある。上記の´△あれば、英語は自分でどんどん上達できるからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 09:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「毛沢東」は中国語か? 発音が決定的である理由

外国語をやりたければ、発音は重要だ。「そうだよね」という人は多い。

 

だが、じっさいに外国語の発音を身につけるのは難しいし、発音が重要である理由をきちんと説明するのも、案外むずかしい。

 

そのせいか、

 


「発音はだいたいでいい」

「発音は最後でいい」

 


という発想もけっこう広まっている。

 

こういう発想が根強く残るひとつの原因は、文字があるからである。

 


たとえば、中国語と日本語なら、漢字という共通の文字がある。短くてわかりやすい例として、人名で考えてみると、

 

 


「毛沢東を、『もうたくとう』と発音しても、それで中国語になる」

 

 


と言ったら、そのおかしさに、誰もが気づくだろう。

字は同じでも、中国語をやるというなら中国語の発音で読まなければ中国語にはならない。中国語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も中国語が体験できるのだ。



英語の場合もこれと同じである。

 

 

 

「McDonald を『マクドナルド』と発音しても、それで英語になる」

 

 

 

もしそう思っている人がいるとしたら、それは McDonald という文字をローマ字風に読めば英語になるという思い込みがあるからかもしれない。じっさい、日本人のあいだでは「マクドナルド」で通じる。これは立派な日本語であり、本質的には英語ではない。

 

 

最近、kaki(柿)とか adzuki(小豆)が、フランス語や英語として認められるようになっているという。これも、アルファベットという文字が媒介になって、彼らの言葉として発音しているから、フランス語とか英語として理解できるのだ。

 

 

 

 

英語のつづりを見て、それを日本語風に読んだり自己流に読んでいたのでは、英語にはならない。英語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も英語が体験できるのだ。

日本語風や自己流で通じたとしたら、それは聞き取った相手が優れているからであって、自分の実力ではない。









 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 08:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
発音が、外国語の見えないバリアになっている

先日、人に聞いた話。

 

 

 

パリに行ったら、露店に柿があった。見ると、「kaki」と書いてある。

「カキは日本語ですよね」

 

そう売り子に言ったら、けげんな顔をして、

「kakiはフランス語だよ」

と答えた。
 

 



もう一つ、似た話を読んだ。

 

 

 

和菓子の老舗「虎屋」がパリとニューヨークに支店を出したときのこと。

 

和菓子は小豆(あずき)の餡(あん)を材料に使う。ところが、欧米では豆類に高級なイメージがなく、これをお菓子に使うことに抵抗があった。

そこで、店ではこれを固有名詞風に adzuki と呼び、とにかく客に食べてもらった。bean(豆)の一種であることは、そのあと口頭で説明した。

すると和菓子は次第に受け入れられていったという。(川島蓉子『虎屋ブランド物語』東洋経済新報社、41頁)
 


柿がkakiと呼ばれて受け入れられたのと同様、小豆はそのままadzukiと呼ぶことで違和感がなくなった。

 

 

 

 

 

柳父章『翻訳語成立事情』は、近代日本で英語のrightやsocietyのような基本語が「権利」「社会」という耳慣れない漢字語に翻訳され、この新語が流布した心理を分析している。

それによると、「権利」「社会」は、当時の人には意味(中身)がよくわからなかった。そして、わからないがゆえに深遠な感じがして、人々に受け入れられたのだという。

これを柳父氏は「カセット効果」と呼んでいる。ここでカセットcassetteとは、テープではなくて「小さな宝石箱」の意である。

外見が見慣れず中身も見えないが、だからこそいいものが入っていると思える。この「わからなさ」のゆえに、近代の新語を日本人はすすんで受け入れたのだ、と。(柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、1982年、36、83、86、116、189頁)

聞き慣れない単語のほうが、かえって受け入れられる。kakiや adzuki にも、そういう心理が働いたのだろう。

 

 

 

 

この話で、隠れた役割を果たしているのが、発音の問題である。

 

例えば、bananaを日本語風に発音した「バナナ」は、もはや英語ではない。その証拠に、日本語風に「バナナ」というとき、英語のように a や the をつけようとする人は、滅多にいないだろう。パリのkaki、ニューヨークのadzukiは、もはやフランス語であり、英語である。それは、フランス語、英語として聞こえる発音で言っているからである。

 

 

発音が変わることで、言語が変わる。言語の違いとは、発音の違いが第一である。

 

 

「発音には、そうこだわらなくていい」
「発音は最後でいい」

 


という人は、おどろくほど多い。

たしかに発音が完璧でなければ話してはいけないというものではない。しかし、だからといって「最後でいい」「こだわらなくていい」ということになるだろうか。スポーツでも芸事でも学問でも、基本的なことについて、「最後でいい」「こだわらなくていい」という人がいるだろうか。

英語もどきの日本語の音を、英語と思いこんできたとすれば、迂闊な話である。発音が日本語であれば、それはもはや日本語の一部になっているのだ。

 

 

発音軽視は、日本の英語教育の徒労と失敗の、最初にして最大の原因かもしれないと、私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「なるほど」は "That explains it. " 使える一口英語集 その2

前回のつづき。

 

リラックスした感じの口語英語が多いので、場面と相手に注意して使ってください。

 

 

 

 

さっさとやれ   Move it.

 

なるほど    That explains it (a lot) .

 

熱すぎないようにして    Make it nice and hot.

 

おしまいだな    You've had it.

 

あとで苦労するぞ    You'll sweat for it.

 

苦労   sweat, blood, and tears

 

シラを切れ    Bluff it out.

 

天秤にかけている   You're playing both sides.

 

スキがある    You asked for it.

 

確信している    I know that...

 

今のは言わなかったことに    I'll take it back.

 

聞かなかったことにします   I didn't hear that.

 

安物買いの銭失い    You get what you pay for.

 

やめられない    I just can't hold it.

 

お呼びでない   I don't belong here.

 

痛いな    It hurts.

 

なんとかしろ   Manage it.

 

それは誤解だ    You got that wrong.

 

うまくやれ     Do it right.

 

バレてる     They know it.

 

その辺でやめておけ    Leave it at that.

 

無理するな   Don't fight it.    Easy does it.

 

天寿全う   He lived well.

 

気になる    It bothers me.

 

ただそれだけ    Just that.

 

ど忘れした   It slipped my mind.

 

キリがない   You name it.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「やっぱり」は "I knew it." 使える一口英語集 その1

英語の一口表現をたくさん覚えると、実際の場面でずいぶん役立つし、英語の本当の感覚もわかってくる。

 

日本語からは想像しにくい、英語らしい表現を特集してみる。

 

出典は、松本道弘『"it"がわかれば英語がわかる』(光文社、2007年)。

 

 

 

...

 

 

 

ついに悟った   I saw the light.

 

どうってことない     Nothing to it.

 

そろそろだ     It's about time.

 

色気がある    She's got it.

 

もうしません   (It) won't happen again.

 

やっぱり    I knew it.

 

自業自得だ    You had it coming.

 

本音です    I meant it.

 

もういやだ    I can't take it.

 

受けて立とう    Bring it on.

 

今やってるところです    I'm on it.

 

逃げるな   Fight it out.

 

仲間だろ   We're in on it.

 

両立させる   have it both ways

 

割にあわない   It's not worth it.

 

あとで困るよ    You'll pay for it.

 

水に流す    put it behind        Let's bury it.

 

戦い抜く   battle it out

 

ムカつくなあ   I hate it when you say that.

 

言い過ぎ    That's too much.

 

最後まで聞け    (Just) hear me out.

 

思い切ってやれ    Risk it.

 

悪く思わないで    Don't take it personal.       Nothing personal.

 

一身上の都合により    for personal reasons

 

またの機会に    Some other time, perhaps.

 

うまい!     Well said.

 

おっしゃる通り   You can say that again.

 

わけがわからない    I just can't get it.

 

あなたらしくない    You're not yourself.      It's not like you.

 

仕方がない    No choice.

 

禁煙   Thank you for not smoking.

 

ホットでお願いします    I like it hot.

 

わかるだろ   You know it.

 

やってみろ   Go for it.       Take it.

 

お似合い    They deserve each other.

 

私なんて    I don't deserve it.

 

成り行きまかせ    let it go 

 

くどいぞ     Don't rub it in.

 

どうなった?    How did it go?

 

それがどうした?   What's it worth?

 

あいつはアカン    He's not worth it.

 

あいつなら大丈夫    He's worh the risk.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 20:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
柔道の嘉納治五郎は英語の専門家だった! 武道と外国語の深い関係 

嘉納治五郎(かのう・じごろう。1860 -1938)といえば、講道館柔道の創始者だが、じつは彼は英語教師でもあった。

樋口聡『身体教育の思想』(勁草書房、2005年、201-202頁)によると、嘉納は日本武道と西洋的教養(英語)つまり文武両道の人だった。

神戸の裕福な家に生まれ、私塾や官立外国語学校で英語を学んだあと、東京大学を卒業。日本美術の復興で有名なフェノロサの講義も受講。

1882(明治15)年、講道館創設と同じ年に、文館という英語学校を創設している。嘉納が柔術をはじめたのは18歳だったが、英語を学びはじめたのは12歳だった。

32歳で文部省官僚になり、教科書検定課長をつとめるかたわら熊本高等中学校、第一高等中学校、東京高等師範学校の校長も歴任。

文部省を退官したあと、67歳で英語協会発起人の会長に就任。

John Stuart MillのPrinciples of Political Economyのような原書を講義したというから、読解力は相当なものだったらしい。

なぜこんな話をするか? 

 

身体運動と外国語という、無関係に思われがちな二つのことが、嘉納治五郎の身体で合体していたはずだからだ。

身体と言語の関係を思わせる有名人は、けっこういる。

多数の英文著作で禅を世界に広めた鈴木大拙は、言葉以前に、手の平を動かしながら考えていたという。

かつてNHKの「プロフェッショナル」に出演したカーデザイナー・奥山清行氏も外国語を流暢に話すが、これは奥山氏が大量のデッサンを重ねたことと関係があると思う。

 

また、外国からきたお相撲さんは、日本語がうまい人が多い。


そして今回紹介した、嘉納治五郎。

外国語がうまくなりたかったら、身体を動かすことが役立つ!

 

... のかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「it は答えである」 英語の達人・松本道弘氏の眼力

日本が生んだ英語の達人・松本道弘(1940 -  )。

 

日本語と英語をつなぐココロを探求しつづけ、100冊以上の著書と啓蒙活動、ジャーナリスト活動を通じて、英語に関心をもつ人々に大きな影響を与えてきた。

 

その松本氏が、70歳を越えて快著を完成させた。

 

 

 

『難訳・和英口語辞典』(さくら舎、2017年4月)

 

 

 

はじめから読んでいくと、氏の到達点がとてつもない深みと広さをもっていることが感じられる。

 

はじめのほうにある、深い指摘。

 

赤ちゃんが生まれたとき、男の子なら、”It’s a boy.”   なぜ he ではなく、it なのか。高校生のころ、文法書をみても理解できず、氏は頭をひねったものだという。

 

こうした疑問が晴れてきたのは、「60歳を越えてから」であった。

 

 

 

「見えないものは it、見たいものも it 。itは、求めるべき解答なのだ。」7頁

 

 

 

赤ちゃんが男の子か女の子か。答えは男の子だった。それが答えだから、it 。

 

 

...

 

 

氏にそう言われただけで、われわれが英語について抱く疑問がいくつも氷解していく。

 

たとえば、"It is clear that... " のような it は「形式主語」で、とくに意味はないといった説明が流布しているが、「とくに意味はない」ことを、人間は口にするだろうか。これは説明に困った末のごまかしなのだ。

 

じつは話し手にとって、求めた末の「答え」だから、it なのだ。その内容は、that 以下で聞き手に説明する手はずになっている。この形が慣用化したのだ。「答えは clear。なにが clearかというと...」というのが、この英文のココロである。

 

"What's this? "  という問いに対する答えに、”This is a pen.” はどことなくぎこちなく、"It's a pen." のほうが自然に聞こえるのはなぜか。"What's this? " という問いにたいして、自分が探しだした「答え」なのだから、"it" なのだ。 「私の答えは、 a pen だ」ということ。

 

マイケル・ジャクソンが最後に企画していた世界ツアーのタイトル。そのココロも、it にこめられていた。

 

”This is IT. ”  「これこそ、求めていた答えだ」

 

 

 

...

 

 

 

英語をここまで深く理解した日本人がいて、日本語で説明してくれている。普通の人にはとうてい到達できない深みだ。

 

われわれは、浅薄な学校英文法にしがみつくのはやめて、英語のココロの探求に生涯をかけた松本氏の成果を、積極的にひきついでいきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 20:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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