ごきげんようチャンネル

科学とは、正確に驚くことである。 Y.M.
           

この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る おわり
大学の英語教科書として、本書はレベルも質も高いほうであろう。

私自身、いくつかの大学で、もっと低質の英語教科書を見たこともある。

この東大の『教養英語読本』は広く市販されており、値段も1900円とまずまずなので、「ひとつ、買って読んでみようか」と思う人がいるかもしれない。

しかし、一般の人がこの煩雑な英文集を興味深く読み通せるとは思えない。

たとえ買っても、本棚の飾り以上の価値はないだろう。






そもそも、「教科書」という形式じたい、押しつけがましさ、うっとおしさを感じさせる何かがある。

教科書づくりというのは、よくよくむずかしいものだと思う。

「教科書」という形式じたいをなくせれば、それがいちばん賢明なのだろう。










(おわり)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | この本は買うな!見かけ倒し本を切る | 05:11 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る その6
さて、「まえがき」のあと、本書には十編の英文エッセイが集められている。

学生はこれを順次読まされるわけだが、こちらにも私は不安を感じる。

もちろん、これらの英文の内容については、人によって評価が分かれるだろうし、じっさいの授業では英文に合致したビデオも併用するらしいので、教科書としての価値はかんたんには判断できない。

ただ、「ほんとうにこれは大学生の英語教科書にふさわしいか?」と考えたとき、私は次のような点に不安を感じる。




◯ 英文の筆者が英米圏に偏っているようにみえる。日本のことがテーマになっている文はない。


◯ 紙面のイメージが良くない。行間が狭くてせせこましく、活字にも魅力が不足しているように感じる。


◯ カラー写真や図表やイラストが豊富なのは良いが、いずれもサイズが小さく、息苦しい感じもある。


◯ 右ページに編者が注釈をつけているが、半端な感じで、「教養」としての魅力を感じにくい。このような細かい注釈が必要であることじたい、本文が特殊でわずらわしい内容であることを示唆しているように感じる。


◯ 文中に、人名をはじめとして、読み方がわかりにくい多数の固有名詞が出てくる。現実の英文にもこういうことは多いが、教室でみんなで読むのだから、「発音はいいかげんでよい」と勧めるかのような素材は、あまり良くないと思う。


◯ ざっと見たところ、雰囲気があって透明なエッセイというより、ゴタゴタした描写、わずらわしい内容のものが多いように感じる。文体に香りがなく、真似して書いてみたくなるような魅力に乏しい。


◯ 詩がひとつもない。歌詞もない。








総じて、ページを開いた瞬間に消耗感が立ち上る感じがある。


「こんなものを読まされるの? これをわざわざ英語で読む価値があるの?」


といった徒労感である。

教科書なので、疑問を抱かずにとにかく読むとしても、この本に、ある種のうっとおしさを感じる学生はかなりいるのではないか。











(つづく)














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この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る その5
実際には、外国語が読める人は、読みながら「直訳」したりはしない。

辞書を引くことはあるが、たとえば英和辞典で日本語を通して単語の概念がわかったら、その概念によって原語の意味をとらえる。

概念とは、特定の音声や文字で表現する以前の、抽象的な認識内容のことであって、何語で表現するかとは別次元のものである。

概念は何語で表現するかとは別次元である。だからこそ、同じ概念を英語でも日本語でも表現できるのである。

日本語と英語をむすびつけるのではなく、概念と英語をむすびつけること。

その訓練によって、いちいち日本語を介することなく、外国語をつくり、外国語を理解できるようになる。

それが外国語を習得するということであって、現にこの教科書の編者たちも、自分自身はそうしているはずである。



<表現以前の概念をとらえよ>



そう指導するかわりに、外国語たる英語を、いきなり混沌とした「日本語」の世界へと変換してしまう。

そういう「直訳」法が外国語理解の王道であるかのような解説を教科書の「まえがき」に書く。

それはなぜなのか。

ひょっとしたらこの編者は、自分自身がいまだに「直訳」法の世界にいるのだろうか。










(つづく)









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この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る その4
「直訳」法に欠けているのは、外国語が成立する過程の体験である。




外国語は、日本語とは異なる過程を経て、それぞれの表現に至る。

ところが、英文をみながら単語をひとつずつ直訳するとき、すでに読者は、混沌とした日本語の世界にひたっている。

その混沌を整理し、通じる日本語へと修正するプロセスで、たしかに、ある意味がひらめくことがある。

そのとき、読者の目は英文を見ているし、頭では習った文法を駆使してもいるだろう。結果として、英文が意味するところを正しく理解している場合も多いだろう。

それでも、ここには問題がある。

直訳の混沌から「意味がわかった」というのは、英文の意味が直接「わかった」のではない、ということである。

直訳からはじめるというのは、意味不明瞭の日本語(直訳)を「解釈」の対象にして、その結果、「意味がわかった」のであるから、直接には日本語が「わかった」のである。






私は、「ぜったい直訳をしてはいけない」と言っているのではない。そうではなく、「直訳とは何かを理解しておく必要がある」と言っているのだ。


「まず、直訳すると、こうなるね。」


授業のなかで、教師がそういう説明をしたくなるのは理解できるし、これはときに有効な説明方法でもあろう。

しかし、直訳からはじめる読解は、じつは英文が直接わかったのではない。それは直訳、すなわち一種の日本語がわかったのである。

それは、外国語のプロセスを体験したのではなく、混沌とした日本語が、整序された日本語へと修正される、そのプロセスを体験したのである。













(つづく)











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この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る その3
直訳から出発して、それを修正する。

このプロセスによって、「外国語リーディングの精髄」が体験できると、本書の編者代表はいう。




「最初に眺めたときには混沌として無意味な単語の集合体でしかないが、そこに突如として一条の理解の光が射し、文章全体が秩序を持った一つの塊として見えてくる。

そんな発見の喜びを学習者に味わわせ、それが独自の力でできるように訓練し、そのことによって知的レベルを引き上げることこそが、英語に限らず、外国語リーディングの精髄であり、存在意義である。」vii 頁。




たしかに、こうした体験をもつ人は多いであろう。

この体験が「喜び」であることは間違いないし、わかったという喜びが「外国語リーディングの精髄」でもあるだろう。

ただ、ここで考えたいのは、直訳からはじめる「べき」vii頁 という発想の裏で、すっぽりと見落とされた部分である。











(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | この本は買うな!見かけ倒し本を切る | 07:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る その2
まず、気になるのは本書の「まえがき」の内容である。


「学習者の視点から眺めた外国語のリーディング体験とは、ほぼ次のようなプロセスをたどるべきものと言えよう」vii 頁



と述べたあと、編者代表の山本氏は、次のように書いている。



「1.  あるセンテンスを前にして、単語の意味を調べ、文法をたよりにいちおうの『直訳』を頭の中に描く。

2. この『直訳』をもとの英語と照らし合わせながら、筆者がどんな『意味』をつたえようとしているのかを考える。

3. センテンスの大まかな意味が推測できたところで、それが前後の文脈にどのようにはまるのか考え、『意味』を修正する。

4. このプロセスを積み重ねて、段落が全体として何を言おうとしているのか、何が段落の要点であるかを理解する。」vii 頁。(ゴチックは三浦)




この文のキーワードは、「直訳」と「意味」であろう。

「外国語のリーディング体験」は「直訳」ではじまる「べき」ものという観察または主張と読めるが、これに疑問を感じない人も多いであろう。



<直訳からはじめるのは当然のこと。ほかにどんな方法があるのか?>



と。









(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | この本は買うな!見かけ倒し本を切る | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る その1

(お断り:この記事は二日前に掲載したあと、上記のようにタイトルを変更しました。)


東京大学教養学部英語部会編『東京大学 教養英語読本 I』(東京大学出版会、2013年2月、1900円)をのぞきこんでみた。

まえがきによると、東京大学では、1993年に教養課程の英語を大改革(「ビッグバン」v頁)し、今年で20年になる。

本の内容は、文系・理系を問わず、若者の教養のための英文エッセイを集めた「読本」である。

これを教科書として、ビデオで視覚性・聴覚性も高めつつ、100人以上のクラスで英語の授業を成立させているという。

この本は、日本の英語教育の微妙な歪みをよく示しているので、少し紹介してみる。








(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | この本は買うな!見かけ倒し本を切る | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
この本は買うな 『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』
ときめき 以前から読もうかなと思っていた本を読んでみた。

宮崎里司『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか あなたに役立つ「ことばの習得」のコツ』(明治書院、2001年3月、1300円

「外国人力士はなぜ日本語がうまいのか」。ツカミはOKだ。みんなの疑問をうまく表現している。しかし、そのあとがいただけない。

外国人力士は、来日するとおかみさん、親方、兄弟子、番付表、床山さん、付き人、タニマチ、近所の人、ファンに囲まれて「24時間日本語学習モード」になっている。つまり、最近の外国語習得法でいう「イマージョン(外国語漬け)プログラム」そのものの生活であり、「非常に理想的な環境」にあるからだ、というのが結論(178頁)。

正直いって、感想は、「…………」だ。

日本にきた外国人力士が「日本語漬け」になるというのは誰でもわかることにすぎず、それが「外国語上達のコツ」だと言われても、拍子抜けである。

「だから、われわれ日本人が外国語に上達したかったら、自分で工夫して外国語漬けにしましょう」というのがこの本の「提案」なのだが、そんなことができるなら、はじめから苦労なんかしない。

著者は早稲田大の日本語教師だが、この本には、外国人力士が日本語に上達する真因の追求もなければ、言語に関する新しい洞察もない。

ただひとつ、ちょっとおもしろかったのは、「番付が上がるとつきあいが豊富になるので、外国人力士の日本語はますます上達する」=「番付と日本語能力は比例する」という指摘だ(35、197頁)。だが、これも考えてみれば、至極当然のことを言ったにすぎない。

なぜアメリカに留学した日本人の英語は、日本に来た外国人力士の日本語ほど流暢にならないのか。それは「イマージョン(外国語漬け)」の程度の違いだけなのか。

なぜ、力士の稽古という問答無用の肉体運動と、「もっとおっつけろ!」「引くな!押せ!といった厳しい指導の日本語音声との密接な関連といった、力士に特有の要因を追求しようとしないのか。

言語を研究しているというなら、もっと本気でやったらどうだ。くもり

※この本は買わないこと。



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