ごきげんようチャンネル



春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける


西行

物品(土台)と組織(上部構造) なぜ、どこがちがうか

政治を学問的に理解する難しさは、経済学と比べると浮き彫りになる。

 

経済学では、人間と自然の関係が基礎になり、生産された「物」として現象するものを直接、対象にできるから、数学的な処理に適する内容も多い。また、経済的な事象は、権力による規制・干渉なしで展開しうる。

 

ところが政治学は、人間が内面にもつ規範とそれにもとづく行動が対象となるから、観念が直接の問題となる。また、政治的な事象は、条件次第で政治的事象へと転化しうる社会的事象や社会的権力のあり方にまで対象を拡大しなければ理解できない。つまり政治は、独立した事象として扱いにくい性質のものである。

 

政治学が経済学よりも古い学問であるにもかかわらず、これまで「ごくごく凡庸」な理論しか生まれなかった原因は、政治のこうした扱いにくさにある(滝村隆一『国家論大綱』第一巻上、54-57頁)。

 

経済的事象は「他の社会的事象と実体的に明瞭に区別される、独立的な事象」(同上書、56頁)であって、国家権力とは理論的に別次元のものとして扱えるという滝村隆一の指摘は、重要である。

 

ここに、資本と国家の区別と統一の根本的必要性が示唆されている。

 

 

以上のことを拡張していうと、政治学だけでなく、これまでの人文社会科学は、人間の観念を扱うための理論と方法を知らなかったということである。

 

このことの影響は、心理学や言語学の現状に現れているし、歴史学でもほぼ同様であろう。哲学も、まさに人間の観念を対象にしながら、確実な基礎がつかめず手探りしているうちに、いまや無用の長物化しつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
神社仏閣は、宇宙のご機嫌をとるためのおもてなしサロン

神仏は、人間のほうをふりむく理由を持たない。

 

そこで人間は、宇宙のなかから人間に優しい神仏を探しだし、ご機嫌をとるためのサロンを常設するようになった。

 

それが神社仏閣である。

 

 

宇宙の運行の真実を人間社会に適用し、古代の人間(作者をふくむ)にもわかるように比喩的に述べたのが、大乗仏教の経典である。

 

いいかえると、古代の創作である大乗経典は、観念世界の構築によって現実を超越するためのファンタジーである。

 

生きた人間であったブッダを宇宙の運行の真理そのものとする超越的ロジックは、ファンタジーを創造するうえで便利であった。

 

 

神社仏閣は、人間が神仏をもてなし、現実を超越するための場として、今も生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「物狂い」が限界を突破する

音楽の演奏家には、二種類あるようだ。

 

ひとつは、正確に、きれいに演奏できる人。これは秀才型。

 

もうひとつは、物狂い。こちらは天才型。

 

「物狂い」とは、正気でない人、神がかった人(大辞泉)。

 

 

楽器を改良したり、高度なテクニックをこなすのは、秀才型。秀才によってテクニックの最前線が広がっていく。

 

他にないリズム感や音質をもっているのは、天才型。こちらは、とりつかれたように限界を突破してしまう。

 

 

秀才がいないと、音楽に堅固な基礎が与えられないし、新技術も開発できない。だが、秀才だけだと面白くない。

 

天才にも何種類かあると思うが、これからどんな天才が現れるかは予測できない。予測できないから天才なのだ。

 

 

誰もが天才を発揮できれば、素晴らしい。

 

それには、秀才になる訓練をしつつ、天才をめざすことだ。

 

地味な訓練をしながら、物狂いになってしまうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
統合とは分業することである

統合するとは、分業するということである。

 

分業ということは、関係しあうということ。

 

トランスは、分業しているから統合している。トランスの要素は、すべて分業しあう関係にある。

 

社会の変化も、分業の仕方を編成替えして、統合しなおすということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
権力とは、成員を選定し、その行動規範を決定して社会を統合する指導力

権力とは何か、ということについて、政治学の滝村隆一氏は、

 

「規範にもとづく支配力」(『国家論大綱』第一巻上、302頁)

 

だと規定している。機能や制度や人格のレベルで権力を理解せず、観念的な規範のレベルでとらえたところが優れている。権力は、本質的には観念的な事象だからである。

 

だが、もともと規範とは、観念的支配力として作動する観念である。権力とは何かという問いにたいする答えとして、「規範にもとづいた観念的な支配力」だというのは、権力の特性を十分とらえていないという印象が残る。

 

権力の定義は、むしろ

 

「組織成員を選別し、成員の行動規範を決定して、社会を統合する指導力」 

 

というほうが明確ではないかと思う。

 

権力は、成員の離脱や加入を判断する権限を握っている。国家権力とほかの権力とのちがいは、その組織である国家からの離脱や他の国家への加入が、個人の自由意志ではそうとうに困難であり、ときに個人の意志をまったく認めないところにある。

 

また、権力は個々の成員が抱く規範よりも上位の規範である。すなわち、一人一人がどんな規範をもっていようが、否応なしに行動させる<規範の規範>(社則、法律、方針、目標など)を決定し、それによって成員の行動を指導し組織できる力である。指導力を裏づける手段として、権力は賞罰権ももっている。

 

ここでのポイントは、権力が作動する組織では、直接には行動が問題にされるということである。私的な会話などは、個人の精神レベルの事象(意識形態)である。むろん、こうした私的な意識形態を、組織の指導力にかかわる行動の一種と権力がとらえることはありうる。

 

成員の行動規範の決定に、なるだけ多くの成員を形式的にせよ参加させて「手続き的正義」を確保し、権力の指導力を増す。これが会議や選挙などの民主主義的手段の意味である。

 

 

 

歴史は権力現象に満ちているから、権力の概念はトランス・ヒストリーにとっても根幹的である。

 

権力とはなにか。その概念内容は、こうしたところがおさえどころのように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
意志はしぼるほどよい 意味は拡散するからおもしろい

「城郭の本質は、軍事的な防御施設である」(中川均『城館調査の手引き』山川出版、2016年、8頁)

 

この場合、「本質」を「意志」といいかえることができる。

 

「城郭は、軍事的防御という意志を表す生産物である」

 

生産物や組織が表す社会的な意志は、明快なほうがアピール力も鋭くなる。

 

 

他方で、城郭は、人にさまざまな意味も伝える。

 

切岸、竪堀、曲輪のような、山城をめぐる概念を多く知るほど、多様な意味が引き出せる。外国の例と比較することも、山城の概念を豊かにし、意味を多様にする契機になる。

 

山城に、土木技術の観点から現代的意味を汲み取ったり、「荒城の月」ならぬ詩的な感慨を読み取ることもできる。観光地にしたらいくらの収入になるかという価値の観点から、地元にとっての意味を引き出すことも可能である。

 

 

これらの意味は、軍事的防御という意志の下に統合されて、ひとつの山城を構成している。

 

意味は拡散するほど豊かになり、意志はしぼられるほど明確になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
価値形態論の理解には二つのトランスが必要になる

下図のように、労働主体(労働力)は労働対象を商品すなわち相対的価値形態へと転態させる。

 

 

 

 

   商品(相対的価値形態)                 労働対象

   ▽

              

                労働力

 

 

 

上記の右辺は労働力の生産的消費(労働)。上辺は商品の消費的生産(生産)である。

 

 

左辺の交換のプロセスで価値が発現し、ここがマルクスのいう価値形態論になる。そのトランスは、上のトランスとは別の主体たる買い手の価値概念が出発点になり、次のようになる。

 

 

               

 

              

               価値

 

 

   ▷  相対的価値形態

              

 

               買い手の価値概念

 

 

 

等価形態は、このトランスの中心、規範の位置にある。

 

マルクス『資本論』の価値形態論の I ~ IV の諸段階は、特定の商品が一般的等価形態すなわち全社会一律の価値基準となり、買い手が価値という概念を身につけるプロセスの叙述である(これは特定の表象をもつ概念が、社会的規範として成熟するプロセスとパラレルである)。

 

資本主義以前の時代では、地方によっていろいろな物品が貨幣の役割を果たした。また、権力からみた貨幣的物品と、生活者からみた貨幣的物品が異なることもあった。

 

江戸時代には、権力からみれば、貨幣とならんで米が物品の等価形態であり、他方で武士や庶民の生活面では、貨幣や米以外の物品もしばしば等価形態として用いたようだ。日本では価値形態 II あるいは III の時代が長くつづいたのだ。

 

商品の価値が一元的に一般的等価形態すなわち貨幣によって表示される価値形態 IV の段階。あらゆる人間が労働対象になるだけでなく労働力商品になり、「価値」を測られる段階。それは、一般的等価形態すなわちあらゆるものの価値を測る規範たる統一貨幣が確立する明治以降である。

 

その意味で、価値形態論の行論は、歴史の象徴的叙述でもある。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
価値・意志・意味は、受け手の能力による転体

聞き手が表現の意味を受け取るプロセスを、次のようなトランスとして図示してみる。

 

 

 

                                          表現体

 

 意味(一般的・特殊的)

            

             聞き手の認識力

 

 

 

この図を下から反時計回りに追うと、聞き手が認識力をもって表現体に投射し、そこから意味という転体をつくり、その意味からの反射を受ける(表現体の意味を了解する)。

 

この図には描いていないが、この◁の真ん中では、認識主体が抱いている観念(感覚・感情・概念)がこのトランスの規範として作動している。

 

意味には、社会一般に共有された概念を規範とする一般的な意味と、その認識主体に特有の観念(「あの人はこういう人だから」「これはこういう場面での表現だ」といった特殊的認識)を規範とする特殊的な意味がある。

 

こうして、聞き手の認識力(自己)は、観念に依拠しつつ表現体を意味へと転態させる。

 

このロジックは、買い手の価値認識能力が、労働対象の生産に費やされた労働力の量に依拠しつつ、労働対象を他の商品や貨幣と交換して価値を実現させるという、マルクス『資本論』の価値形態論とパラレルである。

 

 

人間社会ではもうひとつ、組織に接する人の行動力が、観念的に理解された組織の内容である組織態に投射し、この組織態が規範に依拠して転態して、社会的意志(支配されたいという意志を含む)という転体が生まれるトランスがある。これは別項とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
マルクス生誕200年 風貌と学説の説得力について 

今年はマルクス(1818ー1883)生誕200年ということで、生地のトリーアでは展覧会が開かれたり、中国寄贈の銅像が披露されているという。

 

マルクスについては、彼の主著『資本論』初版の発行が1867年、つまり日本の江戸時代最後の年(慶応3年)であることを覚えておくと役立つと思う。『資本論』は、日本の近代150年と同い年である。

 

ところで、Al Jazeera がトリーアを取材した動画を見ていて、ひとつ気がついたことがある。

 

 

https://www.aljazeera.com/news/2018/05/karl-marx-sells-200-years-birth-180505123401189.html

 

 

それは、マルクスの風貌が、彼のカリスマ性に少なからず影響を与えているということである。

 

彼の写真を見ると、眼光はするどいが、ヒゲモジャで、お腹の出たおじさんである。2歳年下の盟友エンゲルス(1820-1895)が痩せ型であるのと比べると、信頼感と親しみがもてる。

 

はじめ、ほぼ同世代のブラームス(1833-1897)に似ているな、と思ったが、「そうか、マルクスもブラームスも、サンタクロース体型なんだ」と気がついた。

 

マルクスが、サンタクロース風の「お父さん」といった風貌でなかったら、おそらく彼の学説の影響力もちがっていたのではないか。

 

いま、トリーアの街では、マルクスのマスコット人形が売られているという(写真下)。やはり、お腹の出たヒゲモジャおじさんである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「共産主義の父」カール・マルクス、生誕200年を記念した0ユーロ紙幣が大人気(BUSINESS INSIDER JAPAN)

 

 

https://geeek.jp/shadomatome/article/47170

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「じつは一年前に勝負はついていた」 無印良品・松井忠三氏の"歴史観"

無印良品を立て直したリーダーとして知られる松井忠三(まつい・ただみつ)氏の著書『覚悟さえ決めれば、たいていのことはできる』(サンマーク出版、2015年)。

 

仕事や問題の「本質」をみきわめて、これをやると決めたら、成果が出るまで工夫を重ね、徹底して実行する。そういう強い意志と行動が組織の命だという。

 

読んでみると、ありがちな発想をひっくり返す見方が、随所に書いてある。これは名著だろう。

 

この本の終わりに、歴史観につながる一言がある。

 

商品開発でも販売手法の変更でも、新しいことをはじめてからその成果が出るには、だいたい一年かかる。ということは、

 

 

「今出ている数字は一年前の仕事の結果であり、実は一年前に勝負がついているということです」(188頁。太字は引用者)

 

 

これは、ついつい今だけを見てしまう発想をひっくり返している。

 

歴史の事件は、実はそれ以前に発生が決まっている。いま何をするかで、将来起こることはすでに決まっている。

 

歴史観とは、そういう見方を鍛えることである。

 

 

 

同じことは、われわれの人生にもいえる。今病気になったのは、過去に自分がしたことの結果である。一年後を決めるのは、今なにをするかである。

 

 

「つまり、今少しでも始めることで、来年の自分を変えていくことができる」188頁

 

 

いま生きているということは、過去を引き受け、未来を決めるということである。

 

その覚悟があると、すべてがちがってくる。

 

なるほど、「覚悟さえ決めれば、たいていのことはできる」のだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
#誰が書いてるの?
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック