ごきげんようチャンネル

 魚、水を行くに、行けども際なし  道元『正法眼蔵』



社会の富とは、<物象・表現・組織>によって<価値・意味・意志>を生産・交通・消費する人の生活のあり方である

社会を「物」の生成加工消費の編成のあり方および「人」の生老病死の編成のあり方と見るのが、土台の思想である。

 

人の労働力が加わった物が物象であり、人の労働力が加わった人が人間である(土台の思想から見れば、物象は広義の人間であり、人間は広義の物象であるともいえる)。あらゆる社会は、物象と人間を媒介とする物質的富の生産・交通・消費の上に存立している。土台とは、社会を、物質的富の生産・交通・消費の客観的な仕組みとみなす思想である。主体たる人からみれば、土台とは、物質連関からみた社会である。

 

史的唯物論では、奴隷制・農奴制・賃金制といった労働力編成のあり方を、「生産関係」と呼んできた。たしかに、労働力編成の方式は物質的富の生産・交通・消費の要をなす制度であり規範である。直接の労働力編成のあり方たる「生産関係」を含む土台の質的構造的な面の全体は、「生産様式」と呼べる。土台の量的機能的な面が「生産力」である。

 

 

意識諸形態とは、社会を、意味的富たる表現の生産・交通・消費の客観的な仕組みとみなす思想である。意識諸形態のあり方は、土台のあり方を根源としている。主体たる人からみれば、社会とは、観念連関による意識諸形態(表現)の運動である。

 

 

上部構造とは、社会を、意志的富たる組織の生産・交通・消費の客観的な仕組みとみなす思想である。個人の意志の表現としての意識諸形態は、組織の端緒であり内容となるが、社会全体からみれば、組織の意志が社会の意志的富とみなせる。組織の代表は、全社会を覆う組織たる国家機構である。主体たる人からみれば、上部構造とは、組織連関からみた社会である。

 

 

 

人の生活とは、物象・表現・組織の生産・交通・消費の過程である。

 

物質連関・観念連関・組織連関は、この生活の主体的内容に着目した概念である。

 

連関の実体=連関力は、<価値・意味・意志>である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
奴隷と年季奉公人の違いは、希望の違い 

ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子『大航海時代の日本人奴隷 アジア・新大陸・ヨーロッパ』(中公叢書、2017年4月)

 

本書は、奴隷の売買という形をとった、船による労働力の国際移動が400年以上前に存在したことを証明している。

 

人間の場所的移動は、労働力そのものの移動であり、人間社会の土台の変動の一部として、古来存在した。各地を回る商人・芸人、出稼ぎ、旅行、遊学、嫁入り、戦争による軍隊の移動、人の捕獲、移民、植民。

 

国際奴隷もまた、そうした労働力移動の一種である。イスラエル人のバビロン捕囚(紀元前600年ごろ)のように、推計1万人を超える人々が遠方に移送され、約半世紀の間、労働に従事させられた国際奴隷の例もある。

 

本書にあげられた奴隷は、ひとつのエスニックグループにつき、多くて数百人である。これらの奴隷は、貿易都市や船上で、貿易商人の家内労働者として個人的に奉仕する点的な存在で、農場や軍隊で集団的に使役されたのではなかった。子孫をつくる存在でもなかったようだ。

 

のちにアメリカに連れて行かれた黒人奴隷は、農場で集団労働したり、家族をもつこともあったから、同じ「奴隷」といっても、労働形態に相当な違いがある。本書が実証した国際奴隷の存在は、経済的にはそれほど重要であったわけではないようだが、人類史の埋もれた事実として、記憶する価値がある。

 

 

いくつかメモしておきたい。

 

 

○ 奴隷は、遠方へと転売を重ねるほど値段が上がった。自ら志願して奴隷になり、海外に渡った例もあるという。

 

 

○ 幼少の奴隷をもつことは、キリスト教徒とっては、憐れみの行為とみなされた。

 

 

○ キリスト教に改宗したユダヤ人に対する猜疑心と、厳しい追及ぶりが描かれている。彼らは実際には改宗していないのではないかと疑われており、監視され、怪しい行動が密告されると宗教裁判にかけられ、財産を没収された。これはけっきょく、ユダヤ人の財産がねらわれていたということではないか。

 

 

○ 本書には、奴隷が逃亡した例が紹介されていない。老齢、病気...。奴隷は、解放された後のほうが悲惨ということもあった。人は共同体を離れて生きられないということの証明か。

 

 

○ 本書を読みながら、ハタと気づかされたのは、奉公と奴隷の違いが、案外と微妙なことである。奴隷に年季が設けられることもあったらしい。購買者は奴隷として買ったつもりが、本人は年季奉公人になったつもりであったという皮肉な例もあるらしい。

 

年季奉公と奴隷の違いは、報酬の有無ということもあるが、意識の差つまり希望の有無も大きい。技術を習得し、ゆくゆくは独立した生計を立てられるという目的と希望があれば、労働の内容も自ずから高度になる。たとえ単純労働でも、いずれ年季が明けると思えば、労働の質が違ってくるだろう。

 

外見上は同じ労役でも、使役する方、使役される方が、それぞれどう思っているか。人間の歴史では、そこが重要になる。

 

希望とは、内面の問題であることに注意したい。希望があるかないか。その違いは、人間の歴史において、客観的にも大きな違いを生んできたはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
土台は生存条件、上部構造は活動条件 マルクス「ブリュメール18日」より

マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」に、土台と上部構造の関係についての思考例がある。いわゆる史的唯物論の「公式」(経済学批判序説)とあわせて参考にすべき部分である。

 

 

 

 

 

「正統王朝派とオルレアン派... これら二分派を分けていたのは、いわゆる原理ではなく、両者の物質的な生存条件、つまり二つの異なる所有様式だった。古くからの都市と田舎の対立、資本と土地所有との対抗関係だったのである。

 

同時にまた、古い思い出、個人的な反目、不安や期待、偏見や思い違い、共感や反感、信念や信条や原理などが、彼らをどちらかの王家に結びつけたことも否定できまい。

 

所有の、社会的生存条件の、さまざまな形態の上に、さまざまな、独特に形成された感情や、思い違いや、考え方や、人生観から成る一大上部構造がそびえている。

 

一階級全体が、これら [上部構造の構成要素] を、自らの物質的な基盤と、この基盤に対応する社会的境遇からつくりだし、形成するのだ。

 

これら [上部構造の構成要素] は伝統や教育を通じて個々人に流れこんでいくので、個々人は、これら [上部構造の構成要素] が自分の行動を決める本当の動機であり、その起点であると思い込むのである。...

 

私生活では、ある人が自分のことをどう考えどう言うかと、その人が実際どのような人で何をするのかが区別されるのだから、歴史的な闘争ではなおさらのこと、政党のうたい文句や思い込みを。それの実際の体質や実際の利害と区別し、それのイメージを、実態と区別しなくてはならない。...

 

イギリスのトーリー党が長いこと、王制や、教会や、古いイギリスの制度の美点に心酔していると思いこんでいたところ、いざ危なくなると、自分たちが心酔していたのは地代にすぎなかったことを白状せざるをえなかったのと同じである。」

 

 

 

(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」、筑摩書房マルクスコレクションIII、38-39頁。太字は引用者)

 

 

 

 

 

ここでマルクスは、土台を「社会的生存条件」「物質的な生存条件」「自らの物質的な基盤」と呼んでいる。土台に根を持つ個々人の感情、意識を、ここでは「上部構造」とも呼んでいるが、以下ではむしろ経済学批判序説の用語にならって、政治的法律的に規定された全社会的な編成の具体的形態(国家や憲法など)を、「上部構造」と呼ぶことにしよう(すると、個々人の感情、意識の表れは、上部構造というより「意識諸形態」と呼ぶべきであろう)。

 

土台は人間の物質的生存条件であり、上部構造は人間の非物質的活動条件、すなわち両者は個人の生活の前提である。生存条件が確保できないと活動条件が満たされないし、活動条件があってはじめて生存条件が確保できる。

 

個人は、単独でこれらの条件を無視したり破壊したり修正することはできない。人は組織によって、新しい土台や上部構造、すなわち新しい生存条件や活動条件を作る。

 

土台と上部構造は、個人・組織・階級にとって投射の対象であり、投射の主体でもある。土台と上部構造は、人間社会が所有する属性(条件)である。だからこそ、土台と上部構造は、人間社会を制約する実体ともなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        湯島聖堂  東京

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ラスベガス銃乱射事件 その意味は?

ラスベガスでの銃乱射事件は、死者が60人近くになったようだ。

 

トランプがツイッターにこう書いたらしい。「アメリカ国民は、事件の意味を理解しようと模索している。...they are "searching for some kind of meaning."」

 

これはなかなか適切な表現だ。

 

人は、自分が個人として認識した対象を、社会に通用している(と思われる)概念に照らして、思ったり話したり聞いたりする。「意味 meaning」とは、そのとき感じる、自分と社会にとってのメッセージである。

 

「意味を模索している」というのは、事件の内容は認識できても、それを意味づける適切な概念が見つからないということである。銃規制の不足が悪いのか、異常な人間がまた一人いたというだけなのか、社会全体に問題があるのか、犠牲になった人々の家族は.. といった疑問が渦巻き、人々は事態をうまく理解できないでいる。

 

時間の経過とともに、それぞれの人がそれぞれに、事件の「意味」を見出していくだろう。そして悲しいことに、銃が蔓延する社会に利権の根を張っている連中の下で、また庶民が犠牲になるだろう。

 

 

 

 

...

 

 

 

'Unspeakable,' 'Incomparable.' Why Words Fail to Describe the Las Vegas Shooting

Time, Oct.03, 2017

 

... Trump described the event by its indescribable nature too, saying we "cannot fathom" the feelings of the 59 families who lost a parent, a child, a brother or a sister; calling the shower of bullets that rained down from a 32nd-floor hotel room "senseless"; telling the American people that he knows they are "searching for some kind of meaning."

 

http://time.com/4965881/unspeakable-tragedy-terrorism-las-vegas/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 03:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人はパン以外のことをするからパンが得られる

「人はパンのみにて生くるにあらず。 Man shall not live by bread alone.」(マタイ4:4、ルカ4:4)

 

 

ひもじいなら、おまえが神の子なら、その石をパンに変えてみろ。そう挑発する悪魔に向かって、断食中のイエスが返した名文句だ。

 

そう。人はパンのみにて生きる存在ではない。ただ、そのためにはパンを必要とする

 

 

 

資本主義では、労働者が作ったパンを資本家が所有するから、労働者はいつもパンを探さねばならない。これでは、人は能力を全面的に発達させることができない。マルクスの資本主義批判は、そこにあった。

 

これをもっと一般的に言うと、人間社会の仕組みは次のようになっている。

 

 

 

人はパンを必要とする。みんながパンを得るためには、パン以外のものでパンを表現する局面が必要である。

 

 

 

人は、生きるために物を作る。それを配分するには、値段という社会的表現を付加して、市場に出す必要がある。つまり、みんながパンを得るには、いったんパン以外のものでパンを表現しなければならない。

 

言語も、人々が認識を共有するために、いったん認識以外のもの(音声・文字)に変換したもの、いわば値段である。

 

国家機構も、いったんパンから離れることによって、みんながパンを得るための、大掛かりな仕組みである。

 

 

人間社会のあらゆるものは、パン以外のものでパンを表現しているのではないかと考えてみると、面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
マルクス「史的唯物論の定式」の読み方 結果と過程を混同しないで読む 

よく知られているように、マルクスの「史的唯物論の定式」には、次の言葉が含まれている。

 

 

 

「この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。」

 

 

 

この部分の理解について、いまだに定説といえるものがない。三浦つとむによると、

 

 

 

「それは、過程と結果を混同するためである。」

 

 

 

という。(津田道夫編集・解題『三浦つとむ 意志論集』績文堂、2013年、184頁)

 

 

上記のマルクスの文は、「その上に」とか「そびえ立ち」といった空間的表現からうかがえるように、ある過程が生んだ「結果」の叙述である。土台の上に上部構造が立っていて、それらに対応した意識諸形態が存在するという、客観的な状態を述べている。

 

つまり、ここでのマルクスの叙述は、

 

 

 

<土台 → 上部構造 → 意識諸形態>

 

 

 

の順になっているのだが、これは実際に起こる順序(過程)とは異なる。過程から見れば、

 

 

 

<土台 → 意識諸形態 → 上部構造>

 

 

 

の順に規定されるのである。

 

 

 

三浦つとむは、このことをやや具体的に、

 

 

 

「過程としては、まず物質的な生活諸関係があり、そこから支配階級の要求が生まれ、国家意志に反映し、その維持を委託する権力が生まれる。」同上、184頁

 

 

 

と言い換えている。社会は<物質的基盤とその生産 → 支配階級の観念に基づく活動 → 国家権力の編成と活動>の順に規定される。過程から見れば、土台がまず規定するのは意識諸形態であって、上部構造ではないのである。

 

 

 

 

なるほど、三浦つとむがいうように考えた方が、歴史の見通しは良くなる。

 

 

これに付け加えれば、いったんこの構造が成立すると、今度は意識諸形態(政治思想など)が土台や上部構造のあり方を規定したり、上部構造(企業、政府など社会の組織)が土台や意識諸形態のあり方を規定したり、土台が直接上部構造と一体化したりする(たとえば、封建社会では土地の領主がそのまま政治支配層となる)ことにもなる。(下図)

 

 

 

 

 

 

 

上部構造

     ⇆

 ⇅      意識諸形態

     ⇆

土台

 

 

 

 

 

 

マルクス『資本論』で、私が以前から位置づけに迷っていたある部分も、こう考えるとその意味が見えてくる。

 

それは、<商品の生産 → 商品の交換の必要 → 交換の必要に規定された商品所有者の意志>という過程の必然性を述べた、次の部分である。

 

 

 

「商品たちは自分で市場に出かけて、自分で交換しあうことができない。... これらの物を商品としてたがいに関わらせるためには、商品の保護者たちが人格としてたがいに立ち向かいあわなくてはならない。... 一方は他方の同意を得てのみ、したがってどちらも両者の共同の意志行為に媒介されてのみ、自分の物を譲り渡すことで、他人の商品を手に入れるのである。だから彼らはたがいに私的所有者として承認しあわなくてはならない。この権利関係の形式は、法律として発展しているかどうかにかかわらず契約であり、経済的関係が反映している意志の関係である。この権利関係または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられる。」(『資本論』第一巻、第二章「交換過程」冒頭。訳文は筑摩書房マルクス・コレクションIV、129頁より。太字は引用者)

 

 

 

人の意識は、自分が所有している(と思っている)もの(個人的には私有物、地位、情報など。社会的には「土台」)に規定される。所有するものは、物質(体外)でも観念(体内)でも良い。所有に規定された意識が意識諸形態(行動や表現)となり、この意識諸形態が社会的に分有され止揚されて、上部構造(私的には会社組織、公的には法律や国家機構の編成など)を生成・変容させる。

 

 

上記の資本論の文は、主として土台=物質的生活過程の範囲での叙述であり、そこで生まれる意識(「意志」)が、「法律」のような上部構造の規範を規定する面は詳しく書かれていない。その意味でこれは断片的な叙述であるが、<物質(商品生産)→観念的物質(商品所有者としての意志の表現)→社会(商品所有者の相互承認を保護する法律、裁判所など上部構造の編成)>というマルクスの過程的把握が垣間見える例である。

 

 

 

こういう風に考えていくと、史的唯物論といっても、案外と常識的なものだという気もしてくる。

 

われわれ個人は、

 

 

 

<物質(身体) ⇆ 観念的物質(価値や意志や意味の表現体) ⇆ 社会関係 ⇆ 物質(身体)...>

 

 

 

という絶えざる循環のうちにある。身体という物質があって、その中で認識を作り、それを観念的物質で表現して、社会関係をとりむすぶ中で、身体としての自分を再び制御しては認識を作り、それを表現して... という右回りの循環を繰り返している。この循環がうまく反復されるには、他者の身体や社会関係を認識して自分の身体をコントロールする左回りの循環(フィードバック)も必要である。この絶えざる両方向の循環が、「生活」である。この見方は常識に近い。

 

そして、社会全体もまた、こうした循環のうちにある。社会にも個人と同様の循環があることを指摘したのが、「史的唯物論の定式」の真意であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
感動! 金魚は上から見るものだった!

先日、表紙を見ただけで感動した本があった。

 

 

『上から見る!』

 

 

というタイトル。金魚の絵が描いてある。

 

その瞬間、「そうか! 金魚は上から見るものなのか!」という感動がやってきた。

 

 

 

あとでちょっと調べたら、「上見」(うわみ)と言って、金魚は火鉢のような陶器に入れ、上から見て楽しむもの。これは通のあいだでは常識らしい。そういえば、ガラスの鉢がなかった昔は、金魚を横から見ることはまずなかっただろう。

 

 

 

<金魚は上見するもの>

 

 

 

それだけのことが、私にとっては衝撃だった。

 

 

ものには、それを見るのにもっとも適切な角度というものがある。どの角度が適切かは目的による。目的をしっかり意識して、それにふさわしい角度を探し出す。

 

それだけで、世界はぐっと面白くなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
地球人口70億超 脅威か、希望か

2011年10月31日。この日をもって、地球の人口は70億人に達したと推計されている。

 

アメリカCIAの当時の報告書に、70億の内訳が説明してある。

 

 

http://www.cnn.co.jp/fringe/30004414.html

 

 

その要点を紹介すると、

 

 

 

 

◇人口一位は中国の13億3700万人(以下概数)。二位がインドの11億8900万人。この二国だけで全人類の三分の一以上を占める。

 

…中国とインドの差はおおざっぱに1億5000万人。この差はほぼ日本の人口くらいである。

 

 

◇人口三位はアメリカの3億1300万人。四位インドネシア2億4600万人、五位ブラジル2億人、六位パキスタン1億8700万人、七位バングラデシュ1億5900万人、八位ナイジェリア1億5500万人、九位ロシア1億3900万人、そして十位が日本で1億2647万5664人。十一位メキシコ、十二位フィリピン(以上、2011年7月現在)。

 

 

…アメリカは人口大国でもある。ナイジェリアが八位に入っている。また、ロシア人は日本人とほぼ同じくらいの人口である。

 

 

 

調査対象は238カ国だそうだ。国連加盟国は200くらいだが、「英領トケアン諸島」(ここが人口最小で48人)のような島嶼を勘定に入れたものらしい。ちなみにバチカン市国の人口は832人。

 

 

 

 

 

 

 

 

「エコ」を語るとき、<人口一人当たりの消費エネルギー>を考えてみるのが最もコンパクトな方法だという話を聞いたことがある。その発想でいけば、人口増加は<消費エネルギーの増加→自然からのいっそうの収奪>であるから、脅威である。人類の最大の敵は人類ということだ。

 

ただ、別の可能性もある。人口増加の一方で人類の知恵もパワーも増すからだ。人類の希望は人類だということもできる。そのカギを握るのは教育・啓蒙・産業であろう。

 

人口増加を脅威ではなく希望にできるか。そこに人類の未来がかかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
核実験、ミサイル... 北朝鮮の愚行を利用する武器輸出大国・アメリカ

北朝鮮の核実験や、相次ぐミサイル発射。

 

トランプ政権が、武器輸出や国内での支持のつなぎとめのために、この問題を利用しようとしていると、テレビ朝日の記者が解説している。

 

 

 

http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000108015.html

 

 

 

 

以下、この記者の解説から、主要部分を引用しておく。

 

 

 

 

「...トランプ政権は、実はアメリカの武器輸出を大きなアメリカ経済のプラスにしようという考えを持っています。これまでにサウジアラビアなど、他の国にも大きな武器輸出の契約を取り付けました。ホワイトハウスは、アメリカにすごく雇用が生まれるとまで言っています。今回、イージス・ショアは迎撃ミサイルシステム「THAAD」より安いと日本政府は説明しているようですが、実はトランプ政権もTHAADを買ってほしいという本音があるようです。トランプ大統領を支持する軍事専門家などは、北朝鮮問題の話が出るたびに「とにかく日本は対応のため、THAADを買え」と言っていました。専門家がプッシュし、メーカーが潤うという戦略のようで、今後も武器を買えという圧力は続きそうです。...

 

 

トランプ大統領は夏休みを終えてワシントンに帰ってきます。そうなると人種差別問題や、それに伴って財界が「トランプ離れ」を起こし、国内政策で成果を出せる見通しがさらに小さくなります。なので、トランプ大統領は今後も北朝鮮を攻撃し、国内の支持や注目を集め、その結果、米朝間の緊張が再び高まる局面が何度も出てくると思います。」

 

 

 

 

なお、文中にあるTHAADについては、トランプ政権が韓国にも買わせようとしているという報道がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

     雲の破れ。天がこちらを覗きこんでいるような、

     こちらが天を覗きこめるような...

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
プラハの教会の地下室について 意志の表示が歴史を動かす

BBCのサイトを見ていたら、プラハにちょっと変わった教会があるという記事があった。

 

 

 

http://www.bbc.com/travel/story/20170831-a-prague-church-that-defied-nazi-rule

 

 

 

1941年の末。チェコはナチスの支配下にあった。二人のチェコ兵がイギリスで訓練され、落下傘で密かにチェコに降り立った。地元のチェコ兵5名と教会の協力を得て、残虐なナチス高官ハイドリッヒを暗殺するためであった。

 

計画どおり、ハイドリッヒの車がカーブでスピードを落としたところを、一人が道に出て機関銃で狙ったが、銃が不発。すかさず、もう一人が手榴弾を投げつけた。ハイドリッヒは負傷し、8日後に死亡した。暗殺は成功したのだ。

 

チェコ兵たちは、教会に隠れた。やがてナチスの捜査が及び、彼らは地下室にこもって抵抗。手を焼いたナチスは、地下室を消防ホースで水攻めに。兵たちは投降を望まず、地下室で自殺した。

 

今日、この Cathedral Church of Sts Cyril and Methodius の地下室には、彼らの棺が安置され、胸像が並んでいる。

 

 

 

 

この事件には、大きな歴史的意味があった。チェコの民衆がこぞってナチスを歓迎したわけではないことを、世界に示すことができたからである。もしも、この暗殺事件がなかったら、戦後のチェコの歴史はかなり違ったかもしれない。

 

 

 

 

This moving chapter in the nation’s history is of great importance to Czechs today, explained museum curator, Petr Hampl. “Czechs, primarily because of the Munich Agreement [an international treaty signed in 1938 that allowed Hitler to annex significant chunks of Czechoslovak territory], didn’t have the opportunity to fight against the Nazis directly, so it has a huge symbolic significance. It shows that we fought, despite the fact our country was occupied, and we never sided with the Nazis,” he said.

 

 

 

 

今日、民衆のデモが各地で行われる。そのほとんどは目に見える結果を生まないように見える。しかし、じつは、こうしたデモには、民衆の意志を歴史に残すという立派な意味がある。意志は人の身体によって表現されたとき、動かぬ現実となるのだ。

 

たった一人でも、ゼロとは違う。なにも変わらないようでも、行動したという事実は残る。

 

 

 

ハイドリッヒ暗殺事件は、ヨーロッパではかなり有名なのだろう。今もこの教会を訪れる観光客は年に6万人。この事件への報復のためにナチスが完全に破壊した村は、Lidice という女性の名前らしいが、その後、チェコ兵たちの勇気が永遠に記憶されるようにと、世界の数千の人々が自分の娘に Lidice という名前をつけたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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