ごきげんようチャンネル


"Obama got in, and he is the pawn of globalized interest." Naomi Wolf



マルクス「史的唯物論の定式」の読み方 結果と過程を混同しないで読む 

よく知られているように、マルクスの「史的唯物論の定式」には、次の言葉が含まれている。

 

 

 

「この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。」

 

 

 

この部分の理解について、いまだに定説といえるものがない。三浦つとむによると、

 

 

 

「それは、過程と結果を混同するためである。」

 

 

 

という。(津田道夫編集・解題『三浦つとむ 意志論集』績文堂、2013年、184頁)

 

 

上記のマルクスの文は、「その上に」とか「そびえ立ち」といった空間的表現からうかがえるように、ある過程が生んだ「結果」の叙述である。土台の上に上部構造が立っていて、それに対応した意識諸形態が存在するという、客観的な状態を述べている。

 

つまり、ここでのマルクスの叙述は、

 

 

 

<土台 → 上部構造 → 意識諸形態>

 

 

 

の順になっているのだが、これは実際に起こる順序(過程)とは異なる。過程から見れば、

 

 

 

<土台 → 意識諸形態 → 上部構造>

 

 

 

の順に規定されるのである。

 

 

 

三浦つとむは、このことをやや具体的に、

 

 

 

「過程としては、まず物質的な生活諸関係があり、そこから支配階級の要求が生まれ、国家意志に反映し、その維持を委託する権力が生まれる。」同上、184頁

 

 

 

と言い換えている。社会は<物質的基盤とその生産 → 支配階級の観念に基づく活動 → 国家権力の編成と活動>の順に規定される。過程から見れば、土台がまず規定するのは意識諸形態であって、上部構造ではないのである。

 

 

 

 

なるほど、三浦つとむがいうように考えた方が、歴史の見通しは良くなる。

 

 

これに付け加えれば、いったんこの構造が成立すると、今度は意識諸形態(政治思想など)が土台や上部構造のあり方を規定したり、上部構造(企業、政府など社会の組織)が土台や意識諸形態のあり方を規定したり、土台が直接上部構造と一体化したりする(たとえば、封建社会では土地の領主がそのまま政治支配層となる)ことにもなる。(下図)

 

 

 

 

 

 

 

上部構造

     ⇆

 ⇅      意識諸形態

     ⇆

土台

 

 

 

 

 

 

マルクス『資本論』で、私が以前から位置づけに迷っていたある部分も、こう考えるとその意味が見えてくる。

 

それは、<商品の生産 → 商品の交換の必要 → 交換の必要に規定された商品所有者の意志>という過程の必然性を述べた、次の部分である。

 

 

 

「商品たちは自分で市場に出かけて、自分で交換しあうことができない。... これらの物を商品としてたがいに関わらせるためには、商品の保護者たちが人格としてたがいに立ち向かいあわなくてはならない。... 一方は他方の同意を得てのみ、したがってどちらも両者の共同の意志行為に媒介されてのみ、自分の物を譲り渡すことで、他人の商品を手に入れるのである。だから彼らはたがいに私的所有者として承認しあわなくてはならない。この権利関係の形式は、法律として発展しているかどうかにかかわらず契約であり、経済的関係が反映している意志の関係である。この権利関係または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられる。」(『資本論』第一巻、第二章「交換過程」冒頭。訳文は筑摩書房マルクス・コレクションIV、129頁より。太字は引用者)

 

 

 

人の意識は、自分が所有している(と思っている)もの(個人的には私有物、地位、情報など。社会的には「土台」)に規定される。所有するものは、物質(体外)でも観念(体内)でも良い。所有に規定された意識が意識諸形態(行動や表現)となり、この意識諸形態が社会的に分有され止揚されて、上部構造(私的には会社組織、公的には法律や国家機構の編成など)を生成・変容させる。

 

 

上記の資本論の文は、主として土台=物質的生活過程の範囲での叙述であり、そこで生まれる意識(「意志」)が、「法律」のような上部構造の規範を規定する面は詳しく書かれていない。その意味でこれは断片的な叙述であるが、<物質(商品生産)→観念的物質(商品所有者としての意志の表現)→社会(商品所有者の相互承認を保護する法律、裁判所など上部構造の編成)>というマルクスの過程的把握が垣間見える例である。

 

 

 

こういう風に考えていくと、史的唯物論といっても、案外と常識的なものだという気もしてくる。

 

われわれ個人は、

 

 

 

<物質(身体) ⇆ 観念的物質(価値や意志や意味の表現体) ⇆ 社会関係 ⇆ 物質(身体)...>

 

 

 

という絶えざる循環のうちにある。身体という物質があって、その中で認識を作り、それを表現して、社会関係をとりむすび、そのなかで身体としての自分を再び制御しては認識を作り... という右回りの循環を繰り返している。この循環がうまく反復されるには、社会関係の表現を認識して自分の身体をコントロールする左回りの循環(フィードバック)も必要である。この絶えざる循環が、「生活」である。この見方は常識に近い。

 

そして、社会全体もまた、こうした循環のうちにある。社会にも個人と同様の循環があることを指摘したのが、「史的唯物論の定式」の真意であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
感動! 金魚は上から見るものだった!

先日、表紙を見ただけで感動した本があった。

 

 

『上から見る!』

 

 

というタイトル。金魚の絵が描いてある。

 

その瞬間、「そうか! 金魚は上から見るものなのか!」という感動がやってきた。

 

 

 

あとでちょっと調べたら、「上見」(うわみ)と言って、金魚は火鉢のような陶器に入れ、上から見て楽しむもの。これは通のあいだでは常識らしい。そういえば、ガラスの鉢がなかった昔は、金魚を横から見ることはまずなかっただろう。

 

 

 

<金魚は上見するもの>

 

 

 

それだけのことが、私にとっては衝撃だった。

 

 

ものには、それを見るのにもっとも適切な角度というものがある。どの角度が適切かは目的による。目的をしっかり意識して、それにふさわしい角度を探し出す。

 

それだけで、世界はぐっと面白くなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
地球人口70億超 脅威か、希望か

2011年10月31日。この日をもって、地球の人口は70億人に達したと推計されている。

 

アメリカCIAの当時の報告書に、70億の内訳が説明してある。

 

 

http://www.cnn.co.jp/fringe/30004414.html

 

 

その要点を紹介すると、

 

 

 

 

◇人口一位は中国の13億3700万人(以下概数)。二位がインドの11億8900万人。この二国だけで全人類の三分の一以上を占める。

 

…中国とインドの差はおおざっぱに1億5000万人。この差はほぼ日本の人口くらいである。

 

 

◇人口三位はアメリカの3億1300万人。四位インドネシア2億4600万人、五位ブラジル2億人、六位パキスタン1億8700万人、七位バングラデシュ1億5900万人、八位ナイジェリア1億5500万人、九位ロシア1億3900万人、そして十位が日本で1億2647万5664人。十一位メキシコ、十二位フィリピン(以上、2011年7月現在)。

 

 

…アメリカは人口大国でもある。ナイジェリアが八位に入っている。また、ロシア人は日本人とほぼ同じくらいの人口である。

 

 

 

調査対象は238カ国だそうだ。国連加盟国は200くらいだが、「英領トケアン諸島」(ここが人口最小で48人)のような島嶼を勘定に入れたものらしい。ちなみにバチカン市国の人口は832人。

 

 

 

 

 

 

 

 

「エコ」を語るとき、<人口一人当たりの消費エネルギー>を考えてみるのが最もコンパクトな方法だという話を聞いたことがある。その発想でいけば、人口増加は<消費エネルギーの増加→自然からのいっそうの収奪>であるから、脅威である。人類の最大の敵は人類ということだ。

 

ただ、別の可能性もある。人口増加の一方で人類の知恵もパワーも増すからだ。人類の希望は人類だということもできる。そのカギを握るのは教育・啓蒙・産業であろう。

 

人口増加を脅威ではなく希望にできるか。そこに人類の未来がかかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
核実験、ミサイル... 北朝鮮の愚行を利用する武器輸出大国・アメリカ

北朝鮮の核実験や、相次ぐミサイル発射。

 

トランプ政権が、武器輸出や国内での支持のつなぎとめのために、この問題を利用しようとしていると、テレビ朝日の記者が解説している。

 

 

 

http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000108015.html

 

 

 

 

以下、この記者の解説から、主要部分を引用しておく。

 

 

 

 

「...トランプ政権は、実はアメリカの武器輸出を大きなアメリカ経済のプラスにしようという考えを持っています。これまでにサウジアラビアなど、他の国にも大きな武器輸出の契約を取り付けました。ホワイトハウスは、アメリカにすごく雇用が生まれるとまで言っています。今回、イージス・ショアは迎撃ミサイルシステム「THAAD」より安いと日本政府は説明しているようですが、実はトランプ政権もTHAADを買ってほしいという本音があるようです。トランプ大統領を支持する軍事専門家などは、北朝鮮問題の話が出るたびに「とにかく日本は対応のため、THAADを買え」と言っていました。専門家がプッシュし、メーカーが潤うという戦略のようで、今後も武器を買えという圧力は続きそうです。...

 

 

トランプ大統領は夏休みを終えてワシントンに帰ってきます。そうなると人種差別問題や、それに伴って財界が「トランプ離れ」を起こし、国内政策で成果を出せる見通しがさらに小さくなります。なので、トランプ大統領は今後も北朝鮮を攻撃し、国内の支持や注目を集め、その結果、米朝間の緊張が再び高まる局面が何度も出てくると思います。」

 

 

 

 

なお、文中にあるTHAADについては、トランプ政権が韓国にも買わせようとしているという報道がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

     雲の破れ。天がこちらを覗きこんでいるような、

     こちらが天を覗きこめるような...

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
プラハの教会の地下室について 意志の表示が歴史を動かす

BBCのサイトを見ていたら、プラハにちょっと変わった教会があるという記事があった。

 

 

 

http://www.bbc.com/travel/story/20170831-a-prague-church-that-defied-nazi-rule

 

 

 

1941年の末。チェコはナチスの支配下にあった。二人のチェコ兵がイギリスで訓練され、落下傘で密かにチェコに降り立った。地元のチェコ兵5名と教会の協力を得て、残虐なナチス高官ハイドリッヒを暗殺するためであった。

 

計画どおり、ハイドリッヒの車がカーブでスピードを落としたところを、一人が道に出て機関銃で狙ったが、銃が不発。すかさず、もう一人が手榴弾を投げつけた。ハイドリッヒは負傷し、8日後に死亡した。暗殺は成功したのだ。

 

チェコ兵たちは、教会に隠れた。やがてナチスの捜査が及び、彼らは地下室にこもって抵抗。手を焼いたナチスは、地下室を消防ホースで水攻めに。兵たちは投降を望まず、地下室で自殺した。

 

今日、この Cathedral Church of Sts Cyril and Methodius の地下室には、彼らの棺が安置され、胸像が並んでいる。

 

 

 

 

この事件には、大きな歴史的意味があった。チェコの民衆がこぞってナチスを歓迎したわけではないことを、世界に示すことができたからである。もしも、この暗殺事件がなかったら、戦後のチェコの歴史はかなり違ったかもしれない。

 

 

 

 

This moving chapter in the nation’s history is of great importance to Czechs today, explained museum curator, Petr Hampl. “Czechs, primarily because of the Munich Agreement [an international treaty signed in 1938 that allowed Hitler to annex significant chunks of Czechoslovak territory], didn’t have the opportunity to fight against the Nazis directly, so it has a huge symbolic significance. It shows that we fought, despite the fact our country was occupied, and we never sided with the Nazis,” he said.

 

 

 

 

今日、民衆のデモが各地で行われる。そのほとんどは目に見える結果を生まないように見える。しかし、じつは、こうしたデモには、民衆の意志を歴史に残すという立派な意味がある。意志は人の身体によって表現されたとき、動かぬ現実となるのだ。

 

たった一人でも、ゼロとは違う。なにも変わらないようでも、行動したという事実は残る。

 

 

 

ハイドリッヒ暗殺事件は、ヨーロッパではかなり有名なのだろう。今もこの教会を訪れる観光客は年に6万人。この事件への報復のためにナチスが完全に破壊した村は、Lidice という女性の名前らしいが、その後、チェコ兵たちの勇気が永遠に記憶されるようにと、世界の数千の人々が自分の娘に Lidice という名前をつけたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
政府は民間の知恵を忘れる 学問は猿真似と内輪ぼめで暮らす

プロスキーヤーの三浦雄一郎さんの父親が、有名な八甲田山での遭難事件の原因は、マタギ(東北地方の猟師をこう呼ぶ)を一人も連れていかなかったからだ、と断言しているのをラジオで聞いたことがある。(八甲田山の遭難とは、1902年、ロシアとの戦争に備え、雪中行軍訓練に出発した青森第五連隊の約200名が道に迷い、全員凍死した事件)

地元のマタギは、山道に詳しいのはもちろん、冬山で生き延びる知恵をもっている。たとえば、ある種の木の皮は油脂を含んでいて、一晩中燃えつづけ、凍死をまぬがれることができる。こうした知恵を、西洋式の装備でかためた近代軍隊は無視してしまった。それが悲惨な結果を招いたというのだ。

この話ですぐに思い出したのが、古代の遣唐使のことだ。

 

遣唐使が頻繁に遭難したことはよく知られている。それについて司馬遼太郎氏は、当時の漁民は東シナ海を往来していたはずで、遣唐船が危険だったのは、風の変化や安全な船型を知っている九州の地元漁民の知恵を無視したからだとと書いていた。

空海(774-835)が遣唐船で唐に渡り、かつ帰ってくる可能性は、かなり低かった。それは、見ばえ重視の不安定な大型船を建造し、使節をすし詰めにして、危険な季節に船出してしまうなど、形式ばった発想にとらわれた国家権力が、庶民の知恵を無視してしまったからだ、ということになる。

ところで、こうした「形式かぶれ」の愚は、たんなる昔話なのだろうか。たとえば学問の研究や教育は、どうだろう。


西洋流の学問をやってこそ、日本の学問も国際性をもてるー この発想は、列強に伍するために武力はもっぱら近代的装備でなければならないし、唐とつきあうために遣唐船は立派でなければならないという発想に似ている。その必要を否定はしないが、それに気をとられているあいだに、多くの犠牲者が出ているのかもしれない。
 

 

ある出版社の編集部に長年勤めた人が、

 

 

 

「結局、日本の学問は猿真似と内輪ぼめの世界にすぎない」

 

 

 

と、どこかに書いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 14:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
国家と個人を区別せよ アメリカのイスラエル政策の根本矛盾

数年前、パレスチナ政権が国連加盟を申請した時、イスラエルのネタニアフ首相が国連でイスラエルの立場を熱弁したビデオを見たことがある。

 

彼の英語の流暢さには感心させられたが、流暢ゆえに、かえって彼の弁舌には毒が含まれていると感じた。これは彼がヘブライ語で演説しても同じことだろう。どういう言語で語るかよりも、本人の認識の当否によって、人の心を打つかどうかが決まる。

 

 

 

ところで、タイムの関連記事をのぞきこんだら、若い世代の在米ユダヤ人には、イスラエルの傲慢な行動に疑問をもつ人が増えているという。

 

その根拠を述べたなかに、27歳のユダヤ人学生の指摘があって、ハッとさせられた。

 

 

 

 

「アメリカ政府のイスラエル支持政策には、根本的な矛盾がある。それは人種や宗教を問わない個人の自由の尊重を口にしながら、同時にユダヤ国家としてのイスラエルを支持していることだ。

 

 

Benjamin Resnick, 27, is one of the rabbinical students who took the survey. In July, he published an op-ed pointing out the ideological inconsistencies between Zionism, which upholds the principle of Israel as a Jewish state, and American liberal democracy, which emphasizes individual rights regardless of race, ethnicity or religion. "The tragedy," Resnick says, is that the two worldviews may be "irreconcilable."  」
 


 http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2095505,00.html#ixzz1ZXjaqM3k

 

 

 

 

これは、アメリカ国家の矛盾を鋭く突いている。

 

この種の矛盾は、なにもアメリカ政府に限ったことではない。個人の人格の尊厳をうたう憲法をもち、国内ではそういう建前を口にしながら、同時に「中国人だから…」というようにもっぱら「国」によって個人を判断して平気な政治家もいる。

 

国家や民族や宗教を越える価値として、個人を見失わないこと。その実行に一歩でも近づくためには、まずこういう矛盾に気づく必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
私が奈良時代に関心をもつわけ

「奈良時代」とは、西暦700年代の約100年である。

私は、奈良時代が始まる西暦700年ころに「日本」史がはじまると考えている。

「日本」という国号、「天皇」という王号、中央集権的法制(官僚組織・軍事組織・地方組織・税制・刑法)、文字、詩文、貨幣、暦、年号、国教(神道+仏教)、歴史編纂(記紀)、本格的な都城建築、大規模な木造建築(平城京・東大寺)、肉体的特徴の確定(縄文系+弥生系+渡来系)、「国際」関係の樹立(対唐・対新羅)など、「国家」という場合にイメージされるものがそろったのが、このころだからだ。

それ以前は、「日本」成立にいたる序曲のようなものとイメージして大過ない。条里制の跡や字名、各地の寺社、旧国名など、現代の生活にも生きている歴史的遺産は、このころ以降のものが多い。

故土田直鎮氏(東大国史学科教授・国立歴史民俗博物館長)が、奈良時代には、現存する史料がそれ以前に比べて「圧倒的に多様かつ豊富」になると書いている。

 

たしかに、古事記、日本書紀、続日本紀、正倉院文書、木簡、漆紙文書、風土記など、奈良時代ころから文字史料が急増する。文字を駆使して支配する本格的な官僚制国家が、この頃に生まれたからである。しかも、日本では古代の文字史料の残存率が、比較的高い。たとえば、同時代の唐や新羅の律令には伝存しない条文がかなりあるのに対して、日本の律令はほぼ全体が伝存・復元されている。
 

日本書紀から、当時の記録の一例をあげてみよう。

 

 

 

夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘 大雨雷震

 

(夏四月(うづき)の癸卯(みづのとのう)の朔(ついたち)壬申(みづのえさるのひ)に、夜半之後(あかつき)に、法隆寺に災(ひつけ)り。一屋(ひとつのいへ)も余ること無し。大雨(はさめ)ふり雷震(いかづちな)る。日本書紀、巻二十七、天智天皇9(西暦670)年)

 

 

 

夜明けに、法隆寺が火災になり、すべて焼け落ちたという。放火も疑われる。大雨が降り、雷が鳴ったのは、その後のことであろうか。記述は簡潔だが、日付まで特定されており、古代の記録としては精度が高い。日本では、こうした記録が、奈良時代から多く残されていった。

 

 


「1200年以上も昔の世の中に関して、一貫してこれだけの高い密度をもって察することができるというのは、まったく珍しい例であろう。」(土田直鎮「時代解説」『遣唐使と正倉院』ぎょうせい、1986年、9頁)
 

 

 

こうした記録を残すだけの「国家」の背後にあったのは、班田などの農地制度と税制の整備であった。

 

激しい政争、建築熱、そして「天平文化」の華。これらは、「国家」創生の時代が放った、熱病的な息遣いだったのではないか。

 

そして、どうしてこの時期に、こうした大きな変動が起こったのかが、歴史研究の基本的課題になるはずだ。

 

 



 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
超巨大銀河「ミルコメダ」の話  地球の消滅と「思考する精神」の復活について

宇宙関連でひとつメモを。

 

数年前の『日経サイエンス』日本語版に、われわれのいる銀河系と隣のアンドロメダ銀河はいずれ衝突するという予測が載っている。

 

該当部分を引用しよう。

 

 

 

 

 

 

「天の川銀河に住む私たちは間もなく(といっても数十億年後)、隣の巨大渦巻銀河であるアンドロメダ銀河の突入という事態に突入する。

 

これら二つの銀河の中心にある高密度の領域は互いに衝突するか、共通重心を周回しはじめるだろう。

 

ミルキーウェイとアンドロメダの相互作用の結果、一つの超巨大銀河『ミルコメダ』が生まれる。」

 

(『日経サイエンス』日本語版、2012年6月号、37頁)

 

 

 

 

 

 

同記事によると、「ミルコメダ」が生まれるだけでなく、いまから十億年〜60億年のあいだに「太陽系の内惑星の軌道が不安定になる可能性がある。太陽が白色矮星になる」という。(同上、37頁)

 

つまり、地球は数十億年後には太陽の膨張・爆発によって消滅する。むろん、それ以前に地球は人間が住める環境でなくなるだろう。

 

地球上の生命の歴史が数億年、人類が誕生してから500万年というから、いまから数十億年という時間はそう短いわけではない。

 

しかし、たとえ人類が火星に移住できたとしても太陽の膨張をまぬがれることはできないから、太陽系の消滅すなわち人類の消滅は不可避である。

 

人間は、こうした超長期の予測をリアルに認識する能力をもっている。「知らぬが仏 Ignorance is bliss. 」とばかり、このことに知らんぷりを決め込むわけにもいかない。

 

 

ここはエンゲルスにしたがって、次のような認識で満足するほかないようだ。

 

 

 

 

「ある永遠の循環過程のなかで物質は運動している。それは、地球年を尺度としては十分に測りえないほどの長時間を経てようやく完結するような循環過程である。そこでは、有機的生命が存在する時間、生命と自己意識とが活動する空間はごく限られたものである。

 

ここでは、永遠に運動しつづけている物質と、その物質が運動し変化するさいに従う諸法則のほかには、なにも永遠ではない。

 

しかし、われわれは確信する。

 

物質は、地球上で最高の精華である思考する精神を絶滅させるのと同じ鉄の必然性をもって、この思考する精神を別の場所、別の時に再び生み出すにちがいない、と。」

 

(エンゲルス『自然の弁証法(抄)』新日本出版社版、30-31頁より要約)

 

 

 

 

 

 

 

 

The Hubble Space Telescope is completing its 22nd year in space

 

 

ハッブルがとらえた系外銀河.   通称UFO.

http://www.time.com/time/photogallery/0,29307,1984100_2344299,00.html

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
皇国史観が死滅しない理由 平泉澄論

戦前、力をもっていた皇国史観は、敗戦後に日本神話をどう説明したか。

 

日本の戦争を支えた神話的歴史観は、戦後、学校教育で否定されたから、さすがに猿田彦とか神武天皇を「史実」と言うわけにもいかなくなったはずである。

 

では、日本神話に依拠する自分たちの歴史観を、彼らはどう言いつくろったのだろうか。

 

そう思いながら、皇国史観の大御所・平泉澄(1895-1984)が戦後に書いた『物語日本史』(現在講談社学術文庫、1979年)を読んでいくと、なかなかの論法になっていて感心した。

 

じっさい、彼の論法はマイナスにもプラスにも応用できる諸刃の剣であり、しかも切れ味のいい逸品である。

 

 

 

日本神話について、平泉氏の見解が分かる部分を引用してみよう。

 

 

 

「神話を、そのままの姿で、今日の知識から批判すれば、どれもどれも荒唐無稽、つまりデタラメで、信用もできず、価値もないように思われるでしょうが、実はその中に、古代の宗教、哲学、歴史、道徳、風俗、習慣が、その影をうつしているのであって、その民族の世界観と人生観、その知性と徳性とを、これによってうかがうことができる、貴重な資料なのです。」(平泉澄『物語日本史』前掲、上巻、40頁)

 

 

 

神話が「貴重な資料」であるとしても、神話はその民族の世界観を「うかがうことができる」だけであって、その民族の唯一の世界観でもなければ永遠不変の世界観でもない。その点を留保すれば、上記の文はおおむね首肯できる内容である。

 

さて、平泉氏の筆は、ここからにわかに熱を帯びる。

 

 

 

「そこで我が国の伝えはどうなっているか、といいますと、天地の初め、すなわち世界創造の時に、最初に出現せられたのは…神であることは、すべての伝えに共通しています。これはすこぶる重要な点です。なぜかといえば、我々が動物から進化したとするか、または野蛮な人間から発達したとするか、いや発達ではなくて堕落してきたものとするか、それとも神から出たものとするか、その出発点の相違は、その民族の宗教に、道徳に、政治に、重大な影響があるからです。」(平泉同前書、40−41頁)

 

 

 

これはなんとなく納得できそうな文であるが、ここには、自分たちを「神から出たもの」としない民族がもしあれば、それは愚かな民族であるといいたげな口吻が感じられる。民族の起源を神に求めない歴史観など取るに足りない、という結論への伏線が敷かれているのである。

 

平泉氏はこう続ける。

 

 

 

「簡単に進化論をうけとる人は、人は猿から発達したようにいいやすいのですが、猿はいつまで経っても猿です。動物園の猿の子が、人になって生まれてきた例(ためし)がありますか。猿は猿、人は人、別のものです。それを誤解して、猿こそ我々の祖先であるとすれば、祖先崇拝は出てきますまい。先祖の恩徳を感謝する厳粛な祭は行われますまい。」(平泉同前書、41頁)

 

 

 

東大国史学科の学生が農民の歴史を調べたいと言ったとき、平泉澄教授は、「百姓に歴史がありますか、豚に歴史がありますか」「もし野蛮人に歴史ありとするならば、鳩にも雀にも歴史ありとしなければなるまい」などと言い放ったといわれる。(若井敏明『平泉澄』ミネルヴァ書房、2006年、100−102頁)

 

「百姓に歴史がありますか」などは、表現に誇張があるかもしれないが、上記の『物語日本史』からの引用文を読むと、主旨において平泉氏がこのような発言をしたことは事実だったのだろう。

 

このような発想の背後には、<わが民族の一員なら、誰もが祖先崇拝をすべきだ>という主張が先にあり、それに都合の悪い理論(たとえば進化論)や、皇室尊崇や祖先崇拝とは関係の薄い研究対象(たとえば農民史)を軽蔑し拒否することで、歴史から排除しようとする態度がある。

 

自分が欲しいものの根拠を歴史のなかに探し出し、それ以外のものは拒否することで、自分の欲しいものこそ事実の主流=歴史の本体なのだと主張する。皇国史観に限らず、多くの歴史観がおちいりがちな自家中毒的傾向である。

 

そこでは歴史観が空想化しているのだが、皇国史観はまわりくどい議論を排除し、はじめから強烈な価値を主張するので、独特の魅力がある。

 

 

 

 

平泉氏は、さすが事実に忠実たらんとする歴史家らしく、「神話をそのまま歴史的事実とは思われませんが…」「あとからしらべてみると、五百年ばかりの間違いが出ましたけれども…」など、神話の虚構性を認める表現をくりかえしている。54、38頁。

 

ところが氏は同じ本で、神武天皇の話は神話ではなく事実であったかのようにも書いているのである。

 

 

 

「神武天皇の国家建設は、今よりおよそ二千数百年前のことであったでしょう。しかしそれは日本民族が、神武天皇の御指導により、神武天皇を中心として、一致団結し、高い理想に向かって踏み出した時点であって、日本民族自体は以前から存在し、ことに神武天皇の御一家、つまり皇室の御先祖は、前々から光輝ある家柄として、徳を積まれていたに相違ありません。」(平泉前掲『物語日本史』39頁)

 

 

 

「民族の統一といい、国家の建設という。言えば簡単であり、容易であるようであって、実際は非常に困難な大事業でありますから、普通平凡の人にできることではありません。それをやりとげられたのでありますから、神武天皇始め御歴代天皇の御苦労は、非常なことであったでしょう。」(同上書、55頁)

 

 

 

ここで平泉氏は、神武天皇の国家建設は今から二千数百年前にあたるだろうと書いているが、実年代でいえば、二千数百年前は縄文時代末期から弥生時代の始めにあたる。卑弥呼より数百年以前であるが、平泉氏の文は、その時点で民族が統一されたとか国家が建設されたと主張しているように読める。

 

万が一、今後の研究でそれが事実だと証明されたとしても、その時点で「日本民族が…神武天皇を中心として、一致団結し、高い理想に向かって踏み出した」というのは、まったく空想的である。

 

まず、ここでいう「日本民族」とは、日本列島のどこに居住する、どういう人々のことを指しているのかが不明である。かりにそれが神武東征のルートや奈良盆地周辺の「日本民族」の話だとしても、その人々が太古の昔に「神武天皇」を中心にして「一致団結」したとか「高い理想の向かって踏み出した」などというのは、記紀の記述以外には根拠がなく、二重三重に空想を重ねるほかに納得のしようがない。

 

 

平泉氏の記述が空想的であること以上に問題なのは、上記の文は事実の主張ではなく、神話の解説のようにも読めることである。つまり、いずれも冒頭に、<古事記・日本書紀に書いてある神話を解説すると…>という但し書きがついているようにも読める。

 

このあいまいさをどう理解すべきか。

 

おそらく平泉氏は、記紀神話の虚構性を認めねば戦後の人々に受け入れてもらえないことを意識して、これは神話であると明記しつつ、しかしこうした神話は多くの民族がもっているのだから、建国事情に神話性がつきまとうのは日本だけではないと正当化した。そして、建国神話の内容の話になると彼の気分はおおいに高揚し、<神武天皇の偉大なる民族統一>のイメージに陶酔しないではおれなかった。

 

そのとき平泉氏の肉体は、神武天皇の民族統一がいつであったかとか、どれほどの史実性があるかというような問題よりも、国家建設の瞬間への感動で満たされていたのであろう。

 

 

ここで重要なことは、空想を空想する平泉氏の肉体は、疑いなく実在したということである。架空の国家建設イメージへの、現実の人体=平泉澄による陶酔と感動という「実在」から、皇国史観ははじまるのである。

 

<現実の人体による空想の実在化>という手法は、平泉氏本人にはじまり、歴史じたいの理解へと拡張される。

 

 

 

「我々日本民族は、その祖先は神であったと信じ、敬い、そして祭ってきたのです。」(平泉澄『物語日本史』前掲、上巻41頁)

 

 

 

短い文だが、この論理は見事である。

 

たとえ神話は架空であったとしても、その神話を信じた人々は多数実在した。この<人体の実在性>に依拠すれば、あらゆる観念は実在と化すことができる。

 

現代では、<人体による観念の実在化>は日常的におこなわれる。タレントを起用したテレビのコマーシャルでは、タレントの人体に商品を持たせることによって、たとえば<もっときれいになった自分>という観念が、われわれの身体において実在化する。

 

 

 

 

ちなみに、上記の平泉氏の文にある「日本民族は、その祖先は神であったと信じ…」という部分には、皇国史観のあいまいさが顔を出している。

 

天皇の家系は天孫降臨にはじまる「神」であるが、平泉氏は「日本民族それ自体は[神武天皇による国家建設の]以前から存在」していたとも書いている(平泉澄『物語日本史』上巻39頁)。つまり、神たる天皇と、それを崇敬する人民たる日本民族は、出自が同じではない。もちろん、「日本民族」は死んだ祖先を敬い祭ってきた。つまり日本民族も死ねば「神」となるのだが、それは天皇家という生まれながらの「神」とは性質がちがう。

 

日本神話によっても、神が人間を生んだという話はでてこないから、日本民族は天皇家とは血のつながりがない。したがって、どこまでいってもふたつの「神」が同一になることはないはずである。「日本民族は、その祖先は神であったと信じ…」というのは、ふたつのちがう「神」を混同させたような記述である。

 

おそらく平泉氏の頭脳のなかでは、神の世界でも「国家統一」が行われている。彼の神の国では、徳高き天皇家の神を、奉仕民たる日本民族の祖先神たちが敬っており、この感動的な構図を指して、「日本民族は、その祖先を神であったと信じ…」とあいまいに表現したのであろう。

 

 

 

 

こうしてみると、皇国史観は二段階の論理をとっていることになる。

 

民族性を個人の価値の中核とみなし、歴史のなかに民族固有の価値的概念をさがす。それは日本では、<天皇による建国と、その偉業に対する人民の賛仰と奉仕という体制が太古の昔に確立し、その後一度も断絶しなかったという人類史上類のない伝統>すなわち「国体」である。

 

,硫礎佑鯊慮修靴浸績や人物をさがしだす。たとえば<神武天皇による建国>がそれである。そして,鮨じて行動した◆覆燭箸┐佇神澄)が存在する以上、,蓮△燭鵑覆覲鞠阿任呂覆実在=史実となる。そこに歴史の感動がある。この感動をわがものとして生きるとき、歴史は個人の道徳の中核となる。

 

 

ここでは、「国家」「民族」という一般的かつ価値的な概念が「国体」すなわち日本固有の概念として特殊化されている。

 

,旅饌里箸いΣ礎佑砲弔い董∋房太の乏しさを理由に否定する者に対しては、△亮仝気垢覆錣噌饌里鯊膸に思い、それで行動した人物がいたという「史実」をもって反論できる。

 

「国体確立の史実はどうであろうと、それを信じて立派に行動した人が実在した」という論理によって、虚構の概念が、歴史の本体としてゆるがぬ地位を確立するのである。

 

観念を実在化するのは、人間の身体である。どんな空想であれ、それを信じた人がいれば、それはもはやたんなる空想ではなく実在である。皇国史観は、平泉氏本人をふくむ実在の人物を媒介として、日本神話の虚構性を史実性へと変換した。

 

世界の多くの人々の歴史感覚には、神話的な側面があると思われる。<事実はともかくとして、物語としては…>といいながら、じつは神話にある種の史実性を感じている。この<神話感覚>のなかに、今も皇国史観は生き延びる道を探している。

 

 

 

平泉澄(1895-1984)と同時代人で、皇国史観の対極的存在でもあった羽仁五郎(1901-1983)が、晩年、パーティーの挨拶で、

 

 

 

「諸君、歴史はアジテーションであります!」

 

 

 

と叫んだという話を、そこにいた人から聞いたことがある。

 

「歴史はアジテーションである」という観念については議論の余地があるとしても、「羽仁五郎がそう言った」というのは疑いのない事実である。

 

人は、ある観念の当否もさることながら、その観念を生きた実在の人物の重みを受けとめる。劇も、音楽も、言語も、あらゆる創造は肉体による観念の実在化のプロセスである。

 

皇国史観そのものは、<天皇による建国と、それに対する人民の賛仰=国体の確立と、その後も国体に断絶がないという人類史上類のない伝統>といった架空にはじまる観念である。

 

それがいかに歴史のなかで破綻した自民族中心主義であれ、<神話感覚>すなわち空想と混同をまじえた感動と陶酔を求める心情が我々の肉体にあるかぎり、この国で皇国史観の根が絶えることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 史的唯物論から史的連関論へ | 13:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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