ごきげんようチャンネル




そらになる心は春の霞にて よにあらじとも 思ひたつかな

西行



『坂の上の雲』を空からみる 司馬史観を越えた暗殺者

安重根(アン・ジュングン 1879‐1910)といえば、「韓国の義兵中将」を名乗り、ハルビン駅で伊藤博文を「軍事行動」として暗殺した男。朝鮮独立史を語るには欠かせない人物である。

その安重根が、処刑される直前まで執筆していた「東洋平和論」という文章に、おもしろいことが書いてある。

日本が日露戦争に勝利できたのは、「韓清両国人民」が「日本軍を歓迎」し支援したからだというのである。


日本は、「東洋平和の維持と大韓国独立の強化」を開戦理由にした。そして日露の開戦は、黄色人種と白色人種の競争ともいえる。だから東洋人民は日本を支持し、「以前の日本に対する敵愾心は一気に消滅」した。

ところが日本は、ロシアに勝利すると韓国から外交権を奪い、満州南部まで利権をのばした。そのため、「日本の偉大な名声や絶大な勲功は一朝にして失われ」たのだった。

 

では、日露戦争に勝利した日本は、どうすればよいのか。

 

安重根によると、まず日本は旅順を中国に返還し、旅順を永世中立地帯とすべきである。そこに韓中日が共同で管理する軍港を作り、三国代表による常設委員会を設置し、東洋平和会議を組織する。

 

そして三国人民を会員として会費を集め、共同銀行を設置し、共同貨幣を発行し、共同軍団を創設し、互いの言語を学習し、日本の指導によって商工業を発展させる。三国皇帝は、ローマ教皇を訪問し協力を誓いあい、王冠を受ける。

「そうすれば世界は日本の英断に驚き、日本を称賛し、信頼を置き、韓日中は永遠の平和と幸福がえられる」

 

というのである。(以上、勝村誠「安重根の東洋平和論」『歴史地理教育』2010年1月号、67頁より)

 

理想論のようだが、安重根の構想の根底にあるのは、日本の命運をにぎるのはアジアの民衆であり、げんにアジアの民衆の支持を得ることで、日本はロシアに勝てたのだし、これから韓中日が共同で栄えることもできるのだ、という見方である。

 


英雄的人物に光をあて、日露戦争を近代日本の栄光ととらえる司馬史観とはちがう歴史観が、ここにある。

安重根は「坂の上の雲」の上から、日本をふくむ東アジアを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
真実が現れるフィクション 浄土三部経について

浄土三部経を読みながら、クリアに実感した。

 

ここに書かれた内容は、フィクションである。

 

ブッダが弟子に説法するという仏典の定型を踏襲しているが、歴史上のブッダが阿弥陀の浄土を説いたという事実は、まずありそうにない。

 

阿弥陀の極楽浄土は豪華絢爛だとあるが、これは瞑想体験にもとづいた空想であろう。

 

肝心の四十八願も、法蔵菩薩も、フィクションである。

 

頭を冷やして考えてみれば、以上は明白なことである。

 

観無量寿経以外は、歴史上のブッダの入滅から数百年たって、紀元前後にインドで書かれたらしい。すべて想像の産物であろう。


 

 

偽経(ぎきょう)という言葉がある。

 

偽経とは、「西域や中国・日本などで、俗信や、正統仏教とは別の思想を取り入れて偽作された経典」(大辞泉)のこと。浄土三部経は起源がインドにあるようだから、偽経ではない。しかし、後世の想像の産物であるのに、ブッダが説いたかのような形式をとっているところはフィクションであり、内容も歴史的事実ではない。

 

 

 

小説やおとぎ話は、自他ともに認めるフィクションである。では、寺院の教義を支える経典は、小説やおとぎ話とどこがちがうのか。

 

二点が重要だ。

 

ひとつは、経典は、寺院、僧侶、信者といった歴史ある組織や実績によって真実性が担保されていること。宗教の教えのために生命を犠牲にした人がたくさんいる。小説を守る?ために死んだ信者とか、おとぎ話を教義にした寺院・僧侶というのは、聞いたことがない。(神社なら、桃太郎神社のような例があるが)

 

もうひとつは、経典は生老病死のような、人間の力を超える現実への直接的な処方箋であること。こうした問題は、観念上で解決するしかない。観念上の解決は観念の産物によるほかはない。経典はフィクションたるべく運命づけられている。そしてフィクションたる経典から寺院、僧侶、信者、そして勇敢な行為といった現実が生まれ、そうした現実ゆえに経典の真実性は増す。

 

 

 

宗教の要諦は、教義の内容が歴史上の事実に合致しているかどうかではなく、現実を超越できる力を、人々に与えることができるかどうかである。

 

フィクションだからこそ生まれる真実性、つまり人の心にとっての実在性。それが大事なのだ。

 

経典はフィクションではないかと言われたら、

 

「しかり。だがフィクションゆえにこそ、現れる真実がある。その真実に生き、死んだ人たちもいる。真実なるがゆえに、我信ず」

 

そう斬り返す気概が、宗教の真骨頂だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
近代の合意と現代の紛糾

われわれが生きている近現代という時代 the modern era の特徴。

 

それは、たいていのことについてすでに人類的な合意ができているということである。

 

 

 

戦争は基本的に違法である(国連憲章)。

 

核兵器は廃絶されるべきである。原子力の利用は破滅的危険がともなうので、廃止が望ましい。

 

軍事費・武器を削減し、公共の富は人の福祉に活用すべきである。

 

より富裕な者がより多くの社会的負担を負うことは、全員にとっての正義である。

 

病気・貧困・暴力は、撲滅されるべきである。

 

国家の運営は、民主主義によるべきである。国家単位の民主主義には、三権が分立した統治形態が望ましい。

 

個人の自由、国家の独立、民族の自決は尊ばれるべきである。

 

不平等とは、性別、人種、国籍、言語など、本人に責任のないことによって不利な扱いを受けることであり、それは不正義である。

 

人が人たるには、教育制度が不可欠である。スポーツ・外国語教育・芸術は、地域・民族・国家を超えて互いを理解する力になる。

 

神々に優劣はなく、宗教は個人の内面の問題である。特定の宗教組織が政治を直接つかさどることは、宗教弾圧や思想抑圧につながるため、望ましくない。

 

歴史は抹殺したり歪曲するのではなく、人類の鏡として、ありのままに認識さるべきである。

 

自然破壊は人類の自滅行為である。

 

 

 

これらは広くは1500年ころにはじまる「近代」の成果として、とくにここ数十年で、全人類が到達した合意といっていいだろう。

 

問題は、こうした合意を現実にするための<プロセスについての合意>が、なかなか得られないことにある。現代の紛糾の多くは、<プロセスについての合意>を求めるプロセスである。

 

とにかく、すでにこれだけの観念上の合意があるということは、人間にとって大きな財産だ。

 

これらの合意こそ、人類の財産といっていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 09:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
空海の書はマントラである 

大岡信氏は、空海の書に「妖気」がただよっているという。あれは「おまじないの字」であり、ときに「不気味」だと言っている(大岡信『あなたに語る日本文学史』新書館、72、74頁)

 

私は、空海の書を展覧会で見たことがあるが、大岡氏に同感だ。

 

そもそも呪文とか祈祷は神秘的な力を信じる行為で、それが「日本の土着」だとも、大岡氏はいう。(同上書、73頁)

 

日本仏教の基礎となった般若経系の仏典も、読経や善行がブッダ(覚者)への道だという神秘的観念のうえに成り立っている。(佐々木閑『集中講義 大乗仏教』NHK出版、2017年、50-51頁)

 

この国には古来、神秘への信頼がただよっていることになる。

 

 

 

 

 

 

                 空海 益田池碑銘

 

 

 

 

 

空海の書の対極にあるのが、最澄の楷行書だろう。これは理知的で、端麗の極みだ。

 

 

 

 

 

「最澄 山家」の画像検索結果

 

            最澄 山家学生式

 

 

 

 

仏法とは理屈を超えた神秘だとしたのが空海で、逆に仏法は論理に貫かれているという信念をもっていたのが最澄なのかもしれない。

 

 

最澄の流れは仏教の教学の面で受け継がれ、空海の流れは、仏教の実践面を代表するのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"学校は若い人の集団" でいいのだろうか

大学には、60代の教員がたくさんいる。70代の教員もいる。20代の教員は少ない。

 

他方、小中高の教員は60歳あたりで定年になる。<20代で一人前、50代で退職>という仕組みになっている。

 

たしかに、小学校や中学校では、60代が直接教えるには体力も意欲も適していないかもしれない。だが高校なら、60代が教えてもよさそうな気もする。

 

また、いくつかの教科では、20代は実力不足だろうと思う。社会科のように多くの知識が必要な科目では、とくにそうだろう。

 

小中高の教科内容を改善するにはどうしたらいいか、という問題もある。教科内容の革新を提案できるのは、経験を積んで、現状の欠陥も知っている<古い教員>なのではないか。

 

大学の教員のアドバイスも、もっと必要だろう。

 

教員の年齢編成を柔軟にする仕組みや、教育内容の改善を着実に実行する仕組みが、この社会に欠けていると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
略奪の海 海南島の鉄鉱石船

歴史の論文の描写には、名文がふくまれることがある。

 

次の例はどうだろう。

 

日中戦争期、中国南部の海南島を占領した日本軍は、内地(日本本国)から技術者を呼び、島の鉱山を開発し、じっさいに掘り出す。

 

そして、

 

 

「海南島の開発、とくに石祿や田独鉄鉱山の開発、鉄鉱石積出しのための八所や楡林の築港がすすみ、[19]44年3月には鉄鉱石船が内地に向かった。」

 

(藤原彰「海南島における日本海軍の『三光作戦』」同著『天皇の軍隊と日中戦争』大月書店、所収、150頁)

 

 

鉄鉱山の開発、築港、そして鉄鉱石を満載して出航する船。すべてのものが、戦争という略奪を象徴している。

 

船が「内地に向かった」とだけあるのも、想像をかきたてる。船が内地に着いたかどうかはわからない。途中の海で攻撃されて沈んだのかもしれない。

 

深海へと、黒々と落ちていく鉄鉱石。なんの役に立つこともなく、ただ消耗された資源。

 

重厚な映画の一場面のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 05:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
パルミラ遺跡の修復 ISIS による破壊も歴史の一部

シリアで歴史遺跡の保存修復をしている組織のスタッフが来日し、大学で彼らの話を聞いた。

 

そこで、ひとつ感心したことがある。

 

イスラム過激派の ISIS が、有名なパルミラの遺跡をひどく破壊した。その修復をどうするか、いまシリアで議論が行われている。

 

その議論のなかで、

 

 

「破壊も歴史の一部だ。破壊以前にもどすことだけが修復ではない」

 

 

という主張がある、というのだ。

 

なるほど、これはひとつの見識である。

 

遺跡をすべて ISIS による破壊以前にもどしてしまうと、破壊がなかったかのように見え、そのぶん歴史認識が空想的になりかねない。

 

過去の遺物は、われわれの歴史認識を空想的にしないために不可欠な、物質的存在である。そして、それが破壊されたり盗掘されたことじたい、歴史の物質的な痕跡である。

 

しかし同時に、遺跡をすべてISIS 以前にもどすことも、ひとつの見識である。

 

第二次大戦中、連合国軍による空襲で倒壊したドレスデンの聖母教会は、2005年に再建・修復が終わった。それはかつての敵どうしの和解の象徴としての再建であったという。

 

シリアの場合、ISIS の蛮行を完全に否定するわれわれの意志の表れとして、パルミラ遺跡を全面的に修復するという選択肢もあるだろう。

 

 

歴史とは、ある時代をリアルに認識することだけではない。その時代が終わったあと、その認識や痕跡を、われわれがどのように扱うかも、歴史の重要な局面になる。

 

遺跡の修復とは、そして歴史の認識とは、現在の人間の意志の表れなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 03:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人間は、問題の解決方法をすでに知っている

三大(あるいは四大)宗教という言葉がある。

 

三大(あるいは四大)宗教は、文明の基盤となった実績をもち、宗祖以来の原型を変形させながら伝承され、いまも多くの人々の規範になっている。

 

 

 

ヨーロッパ・南北アメリカ  キリスト教

アラブ・東南アジア     イスラム教

東アジア          仏教 (儒教・道教)

(インド          ヒンズー教)

 

 

 

これにより、たとえば生死のような人間の力を超えた運命、たとえば隣人関係などの生活倫理、そういうものをどう考えるかという基本問題は、すでに解決済みである(なかなか実行できないが)。

 

さらに、個々人の生存を確保する、生命をまっとうするという課題は、生産力の発達と、国家という社会的発明によっていちおう解決方法が見出された(じっさいには解決していないが)。

 

つまり人類は、重要問題についてはすでに解決方法を知っている。だが、こうした解決方法を実践するなかで、あらたな問題を抱えることにもなった。

 

いったん確立した解決方法ー宗教、生産、国家ーは、人間の規範にすでに深く埋め込まれているので、捨て去ることができない。それらは打破の対象ではなく、問題解決の前提となる。

 

ところが、宗教、生産、国家は、問題をつくった当のものでもある。原因を前提にしていたのでは、根本解決にはならない。

 

おそらく人間は、生死とか社会統合といった問題を、全面的に解決することはできない。

 

解決をめざす個々の努力。それが歴史ということだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「意味」とは、仮構と現実の関係認識である

以前聴いた講演で、奈良の有名神社の宮司さんが、

 

「神々の世界は人智を越えた世界です」

 

と言っていた。神々の気持ちを人間が察するのは難しい。だから、どうお祀りしたらいいか、なかなかわからないものだと。

 

もちろん、神々の世界は人間の想像力がつくったものではあるが、いったん立ち上がった神々はたがいに関係をつくり、人間の世界とは別の、独自の世界をつくる。ギリシャ神話しかり、キリスト教の三位一体しかり。

 

小説も、絵画も、映画も、そういう独立した観念世界をつくることである。

 

 

人間は仮構の世界を作ってやまない。それはなぜだろう。

 

それは、仮構によって現実の世界を照らし出し、この世の意味を知るためである。

 

 

人間が交換しあう力の本質には、価値・意志・意味の三種類がある。仮構によって現実の世界を認識させる力の本質が、意味である。

 

 

仮構は現実から独立するが、現実からの反射もうける。この循環のなかで、すぐれた仮構が選び出される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人類は自然の一呼吸にすぎない

国木田独歩の「空知川の岸辺」(1902年)という紀行文は、開拓時代の北海道を旅した記録だが、あけっぴろげな人情と、冷え冷えとした光景が描写してある。

 

そして宇宙のなかの人間の意味について、ああそうだな、と思わせるところがある。

 

 

 

 

 林が暗くなつたかと思ふと、高い枝の上を時雨がサラ/\と降つて来た。来たかと思ふと間もなく止んでしんとして林は静まりかへつた。


 余は暫くジツとして林の奥の暗くなつて居る処を見て居た。


 社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。此場所に於て、此時に於て、人はたゞ「生存」其者そのものの、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである。

 

 露国の詩人は曾て森林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言つたが、実にさうである。又た曰く「人類の最後の一人が此の地球上より消滅する時、木の葉の一片も其為にそよがざるなり」と。


 死の如く静なる、冷やかなる、暗き、深き森林の中に坐して、此の如きの威迫を受けないものは誰も無からう。

 

 

 

 

このような自然の「威迫」を、われわれが感じる機会はめっきり減った。いや、このごろ自然は、季節から外れたり暴風のように荒れるばかりで、底深い威迫を感じさせる力を減退させているようだ。

 

地球は衰滅する。

 

ほかに残された道はないような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 06:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
#誰が書いてるの?
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック