ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


概念は人間にとって実在する

概念とはどういうものか。

 

それをイメージするひとつの方法は、数学である。

 

2x - 1= x + 3

 

という式があったとして、この x や数字や等号が表しているものは色も形もないが、思考の対象にできるし、移動もできる。

 

y= x - 1

 

という関数なら、x も y も変化しながら相互に関係しあっている様子が思考できる。 

 

移動でき、変化し、関係しあうもの。それは人間の思考にとって実在するものである。

 

ハイゼンベルクは、

 

「ミクロの世界では、物質は数学的対象のようなものになる」

 

と着想して、量子力学を切り開いた。

 

彼は、運動するミクロの物質を、確率的な波動、つまり数学的対象としてとらえたのであった(小島寛之『算数の発想』NHK出版、2006年、21-22頁)。

 

記号やミクロの物質を、人間は数学的概念としてとりあつかうことができる。

 

同様に、生物イヌを、人間は概念「イヌ」としてとりあつかうことができる。概念「イヌ」は、数のように移動でき、変化し、他と関係しあう。

 

概念は、人間の思考にとって実在する。

 

このことを若いうちから理解しておけば、人間を理解することに役立たないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ドラえもんの実在性について 観念世界の結合性と自立性

現実世界に実在するかどうか、かつて実在したことがあるかどうかは、真偽の判断には関係するが、それが概念であるかどうかには関係がない。

 

現実実在性の疑わしいものについても、概念をつくり、観念世界をつくることができる。

 

だから「ドラえもん」という概念は立派に成り立ち、マンガも映画もつくれる。「お化け」は、物質的には不在かもしれないが、概念としては成立するから、お化け屋敷がつくれる。

 

いったん成立した観念世界(概念)は、人間の行動をとおして現実世界を構成する。

 

そのとき、概念は強力な実在性を帯びる。

 

観念世界は、現実世界と結びつきつつ、自立している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
世界は名前で躍動する ヘレン・ケラー自伝から

家庭教師のサリバン先生は、井戸水を彼女の手のひらに流し、W・A・T・E・R と指で伝えた。

有名な"WATER! "の場面だ。ヘレンケラー自伝から抜粋してみる。
 

 


「そのときです。体中に電流が走りました。私は今、手に触れている冷たいものが WATER というものであり、ものにはみな名前があることを知ったのでした。

人形にも、お菓子にも、イヌにも、すべてには、そのものにしかない名前がある。そう知ったとき、ひとつひとつのものがなんといとおしく感じたことでしょう。

この時から、私の周りの世界は息を吹き返し、躍動しはじめました。

私の手を通して感じる世界は、あたたかな光の世界へと変わったのです。… 太陽は私の中にありました。」



ものにはすべて「名前」がある。「名前」によって、現実の世界とは別に、観念の世界が自立する。


ヘレンが最初にそれに気づいたのが WATER であり、それが名詞であったのは、偶然ではない。言語は実体(表現して「名詞」)を足場にして、現実の世界から自立した世界をつくるからである。

 

ヘレンは、WATER という名前が躍動する観念の世界が、自分の心に広がるのを感じたのだろう。


健常者には見えにくい、言語の光が出現した瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
表象は概念の感性的規範

概念は、対象の種類の超感性的な認識である。

 

白いイヌ、黒いイヌ、足の長いイヌ、足の短いイヌ…  概念は、個々の対象(われわれの観念のなかの存在)の特殊な側面=「種」と、対象に共通する側面=「類」をとらえている。

 

人間は、物理的な対象を見ているときでも、対象の種類という抽象的内容=概念において対象を認識している。

 

表象は、概念の感性的な規範である。

 

対象の種類としての認識は、音声・文字という表象の組み合わせの種類として表現される。言語の音声や文字は、音波や描線の、人工の種類としての側面=表象による概念の表現である。音声・文字の細部に違いがあっても、種類として同一と認識されれば同じ音・同じ字とみなされる。これが、発音や文字にたくさんのバリエーションが許容される理由である。

 

音声と文字は元来別々の表象体系だが、このふたつが対応していると便利なので、歴史のなかで次第に対応関係が整理されていった。例:表音文字化(漢字に形声あり)、変体がなの整理、言文一致体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
空になる 認識の消失点に永遠がある

西行の作に、こういうのがある。

 

 

空(そら)になる心は春の霞(かすみ)にて 世にあらじとも 思ひたつかな

 

 

「空になる心」の一言で、われわれの心は空いっぱいに広がる。そして空になった心は、ただちに「春の霞」という具体性が与えられる。

 

後半では一転して、「世にあらじ」という歌い手の心境が吐露される。その思いは、やがて春の霞のように空に溶け込む。

 

 

三好達治の作に、

 

 

春の岬 旅のをはりの鴎(かもめ)どり 浮きつつ遠くなりにけるかも 

 

 

とある。「春の岬」という広がりのなかを、彼方へと「浮きつつ遠く」なる鴎。その姿とともに、旅を終えたわれわれの心は水平線へと消えていく。これで本当に旅は終わったのだ。

 

 

 

「春の霞」や「春の岬」で広がったわれわれの心は、空と海に消えてしまうことで永遠へとつれていかれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語は物を人格化し、人格を物化する

人間は、言語によってあらゆる物を人格化する(個性ある人間のようにみなす)。

 

たとえば美しい景色がわれわれの五感によって認識され、この認識が言語化されるプロセスで、景色(物)は人格化する。素粒子やタンパク質が認識の対象となり言語化されると、素粒子もタンパク質も個性的存在として了解される。

 

言語とは、世界の人格化である。人格化するから、世界は人間にとって意味あるものとなる。

 

言語によって世界が人格化するということは、言語によって人格が物化するということでもある。言語の音声・文字には、話し手の人格が物化して凝結している。

 

 

マルクスは、商品生産における<物の人格化/人格の物化>を考察した。上記のように、言語表現においても、<物の人格化/人格の物化>がおこなわれる。

 

三浦つとむの「自己分裂」は、話し手の認識力によって<物の人格化/人格の物化>がおこなわれることの言い換えである。

 

 

 

 

✴<物の人格化/人格の物化>については、マルクス(森田茂也訳)『資本論第一部 草稿』光文社古典新訳文庫、2016年、413頁以下の訳者解説を参照。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語の一般構造 マルクスの「価値」からわかること

「言葉とはなにか」に答えることが言語学の第一歩だとすれば、言語学は、あらゆる言語に共通する一般構造を指摘しなければならない。

 

『資本論』の第一章を読み直して、私は思った。これはやはり言語学の書でもある、と。

 

『資本論』は、こういう例からはじまる。ある量の小麦は、ある量の絹とか鉄のように、さまざまなものと交換可能である。

 

 

 

ある量の絹=ある量の小麦

 

ある量の鉄=ある量の小麦

 

ある量の牛皮=ある量の小麦 

 

 

 

この等式のリストは、そこに「同じ大きさの、ある共通のものが現実に存在している」ことを示している。(以下、『資本論』からの引用は、ちくま版マルクスコレクションIV、『資本論』第一巻上、58頁および60頁から)

 

これを言語に引きつけていうと、たとえば、ありがとうというひとつの認識を、さまざまな言語で表現できる。

 

 

 

言語Aによる表現 =「ありがとう」という認識

 

言語Bによる表現=「ありがとう」という認識

 

言語Cによる表現=「ありがとう」という認識

 

 

 

等式の左辺と右辺をつなぐ「ある共通のもの」。それが商品では使用価値のちがいを超えて存在する「価値」であり、言語では上記のリストでわかるように、表現のちがいを超えて共通する個々人の、その場での認識である。

 

だが、個々人のその場での認識にはふぞろいなところがある。それに共通性を与えるものが、認識の社会的平均的規範たる「概念」である。

 

言語を言語たらしめているものは、個人によって異なる個々の認識力ではなく、社会を構成する人間に共通の、平均的な認識力であり、その規範としての社会的平均的概念である。

 

認識力の認識対象は、自分の「心」である。認識力は、自分の心から分裂し、自分の心を客体として作動する主体である。

 

 

以上の関係は、次のようなトランス図で描ける。

 

 

 

 

     表現体          認識対象(心) 

  ▽

      

           認識力

 

 

 

 

人間は、認識力によって自分の心を認識し、それを表現体にする。この表現体が、それぞれの言語である。

 

概念の体系つまり言語規範が、この ▽ のまんなかにくる。認識力は、対象を認識するときは概念形成規範、認識を表現するときは表現規範、表現体を認識するときは意味規範に依拠する。

 

概念じたいは無色透明であり、言語によって異なる音声・文字という表象をともなって、社会の成員に共有されている。

 

この▽ が、言語の一般構造である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語世界では主体が自己を否定して自己展開する

ヘーゲルの思想は、言語の仕組みを言い換えたものだ。

 

 

 

「ヘーゲルのいう主体は、... 自己を否定してみずから他者となるとともに、その他者のなかで自己を回復する運動として、自己同一性を保持するもの、すなわち、自己否定的に自己を展開する主体にほかならない」(『ヘーゲル用語事典』平凡社、1991年、122頁。執筆・岩佐茂)

 

 

 

これは、文のことである。

 

言語の名詞(私のいう体ーたいー)は、話し手が対象を実体としてとらえ、文の主体にすえることができる概念である。文の主体にすえられた概念は話し手から独立し、「自己否定的に自己を展開する主体」になる。その展開の軌跡が文である。

 

たとえば  "I love you." は、”I” が " love" へと自己展開し、"you"  という「他者となる」ことで、「自己否定的に自己を展開」したものである。

 

ヘーゲルは、ドイツ語思考した。だから、世界は「自己否定的に自己を展開する」のだと考えた。

 

それゆえ、彼の思想は観念論になった。

 

 

 

 

後記:長谷川宏『ヘーゲルを読む』(河出書房新社、1995年)に、ヘーゲルとことばについて語った文がある。



「日本のヘーゲル学者は『揚棄』とか『思弁的』とか『即自』とか、ヘーゲルの言葉に日常語とはかけ離れた特別の訳語をあてるが、ヘーゲルの言語意識にこれほどそぐわぬやりかたはない。ハイデガーなどと違って、日常語とは別次元の語を創成する気はヘーゲルにはまったくなかった。

ヘーゲルのことばとの悪戦苦闘ぶりはすさまじいものがあるが、ヘーゲルはその悪戦苦闘をことばとの悪戦苦闘ではなく、自然や人間や社会や歴史との悪戦苦闘だと考えていた。」(228−230頁より要約)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英文法なんか誰も興味はない!

英文法の体系といっても、興味のある人はほとんどゼロだろう。

 

私が整序した英語の運動規範=トランス・グラマーは、むしろ人間思考の原理である。

 

思考は現実から独立しつつ、現実を反映しているから、トランス・グラマーは現実世界に浸透できるはずだ。

 

たとえば、次のように、トランス・グラマーの<体・態・解>の展開を社会に適用してみる。

 

 

体...  物質体・組織体・表現体

態...  土台・上部構造・意識諸形態

解...  資本・国家・国語

 

規範... 物質・人間・観念

 

 

体・態・解の三者は、ひとつのトランスをなしている。そして三者それぞれが、内部にトランスをもつ。

 

これらの基盤に、気(感覚・感情・気分)がある。「組織体」は、変態しながら全体を束ねる変成動態の役割をしている。

 

すべてにおいて、集団的規範が本質である。

 

こういう風に、トランス・グラマーをトランス・ヒストリーへと浸透させていく。

 

やがてトランス・ヒストリーをトランス・グラマーに浸透させるときが来るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
三浦つとむに欠けていたもの 道半ばだった『資本論』の言語への適用

言語学の三浦つとむ(1911-1989)の功績のひとつは、「自己分裂」という人の心の根本機構を、ずばり指摘したことにあった(三浦つとむ『日本語とはどういう言語か』講談社学術文庫)。

 

三浦つとむの影響を受けて「言語過程説」を名のった人たちもいた。しかし「自己分裂」の論理を受け継いだ人はいないようである。言語過程説の鋭い論客であった英語学の宮下慎二(1947-1982)でさえ、自己分裂の論理を活用しなかった。

 

その原因はなにか。

 

「自己分裂」は、日常的な心的事実として誰もが思い当たるものの、この一見奇矯なロジックを、三浦つとむが言語学の基礎としてきちんと根拠づけなかったからであろう。

 

三浦つとむが自覚していたかどうかはわからないが、じつは自己分裂の論理は、「社会的平均的労働力」の発揮が抽象的人間労働であるというマルクスの論理を、言語に応用したものである。

 

労働力の発揮たる労働が人間社会の基礎であるのと同様に、認識力の発揮たる認識が、人間の思考の基礎をなす。

 

このように、労働と認識が同じロジックを共有していることを指摘すれば、自己分裂はきちんと根拠づけることができたのである。

 

言語のような観念活動の本質は、

 

<社会の成員は認識力を分有的に共有しており、この認識力が物理的現実を超えて作動して個々人の意識を認識し、その認識を物質的に表現する。だから人間は社会をつくれる>

 

ということである。

 

 

もうひとつ、三浦つとむの言語学に欠けていたことがある。

 

それは、なぜ認識から言語という表現体が生まれるか、表現体がなぜ意味となるかについて、まとまった説明をしなかったことである。<認識→表現→意味>についての三浦つとむの説明は、論壇への対応に忙しかったせいか、舌足らずに終わった。

 

これも、労働の生産物が他の商品や貨幣と交換=等置されるプロセスによって価値に変換されるというマルクス『資本論』の価値形態論を応用すれば、表現体が聞き手の労働力と交換されるプロセスによって意味に変換されるというロジックが見えてくる。

 

 

 

三浦つとむは、『資本論』をはじめとするマルクスの論理を言語学に応用できた、唯一の言語学者であったと思われる。

 

言語過程説は衰退したが、それは三浦つとむがマルクスの論理をとりいれようとしたからではない。逆に、マルクスの論理を正面から活用せず、言語のロジックをきちんと根拠づけなかったことが、言語過程説の衰退を招いたのである。

 

言語のような心的現象をあつかうには、堅固な論理を基礎にしなければならない。三浦つとむが始めた試みは、終わったのではなく、これから本格化すべきものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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