ごきげんようチャンネル

鳥倦飛而知還 鳥 飛ぶに倦みて 還るを知る


陶淵明・歸去來兮辭


”I” は「話し手」という概念であって、肉体ではない

”I” 、自己、話し手、語り手。

 

これらは難物である。分けてみよう。

 

 

語り手とは、肉体としての話し手という概念だとしよう。

 

話し手とは、そのときの言語世界をつくっている主体である。概念としての話し手という概念は、話し手の意識のなかから自己が選択する。

 

自己とは、話し手から分かれでて、話し手の意識を対象に精神労働をする力である。自己は年齢とともに成熟し、年齢に応じた社会的平均的レベルも想定できる。自己は話し手の影にかくれており、それじたいは姿を現さない。労働者の労働力が、それじたいは独自の姿をもたないのと同じである。

 

”I”とは、概念としての話し手という概念を自己が呼ぶ英語の表現体である。

 

 

じっさいには、肉体としての話し手という概念(語り手)=概念としての話し手という概念(話し手)=”I” であることが多い。だからわれわれは、これらを区別しないで日常を送っている。多くの場合、語り手は概念としてだけでなく、肉体としても現実世界に存在するので、自分が現実世界のことを話していると思いやすい。

 

ところが、She said, "I'm sleepy."  という文は、語り手"she" も、話し手 ”I” も現実に存在しなくても、言語として成立している。言語世界においては、語り手も話し手も概念にすぎない。概念による言語世界は、”I”という表現体で現実世界とつながっているだけである。

 

概念で認識が伝達できるのは、肉体としての人間たちがあらかじめそれぞれの自己をもち、自己がもちいる規範たる概念群を共有しているからである。

 

日常的には、”I”は肉体としての語り手を呼ぶことが多い。だから、”I”とは概念にすぎないことがわかれば、かえって言語が話し手の意識、つまり観念の世界を対象にしていることがわかりやすくなるのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
認識・表現・意味、そして概念をトランスに配置する

トランスは、図にすれば ▽ という簡単な形式であるが、▽の頂点や辺どうしの関係が重要になる。

 

たとえば言語のトランスでは、認識・表現・意味、そして概念という四つの概念の関係は、次のようになる。

 

 

 

 

                  表現

 

      表現体               話し手の意識

                 

                                                ↑

         ↘           概念        ↗   

                 ↙    ↘    

                        意味                                              認識

                                         ↘                ↗

              

              話し手の自分(自己)

 

 

 

 

出発点が「話し手の自分(自己)」となっているのは、現実世界にいる語り手の自己が、話し手の自分の土台になっているが、この自己の姿は、人形芝居の演者のように話し手の自分の下に隠れることを表す。

 

図の中心にある「概念」は、認識したり表現したり意味を受け取ったりするときの規範として作用する。一般に共有されている概念は、整理された道具箱のような体系をなしている。この体系を洞察することは、言語を研究する者の役割のひとつである。日本語でいうと、「こそあど」とか動詞の活用表とか五十音図は、研究によって発見された概念(の表象)の体系の例である。

 

意味は、表現体を認識対象とする受け手が、どのような概念・規範をもっているかによってバリエーションが生じる。一般的に発生するバリエーションは有限で、言語のこの側面を研究する分野が意味論である。

 

なお、話し手の自分ばかりでなく、聞き手も意味を受け取る。聞き手はもうひとつ別の、これと鏡像関係にあるトランスを構成するが、ここでは描いてない。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 11:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
現実実在性は、概念かどうかとは無関係

「お化けなんて、いないよ」

 

だが、それが物質的に実在しようがしまいが、かつて実在したことがあろうがあるまいが、それが概念であるかどうかに影響はない。

 

現実世界に実在するかどうか、かつて実在したことがあるかどうかは、真偽の判断には関係するが、それが概念であるかどうかには関係がない。

 

だから「ドラえもん」という概念は立派に成り立つ。「お化け」は、物質的には不在かもしれないが、概念としては成立する。

 

だから、現実実在性の疑わしいものについても、概念をつくり、観念世界を自由につくることができる。

 

こうして、観念世界は現実世界から自立する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
自己はいつも「話し手」の裏に隠れている

言語の話し手が、<話し手にとっての話し手>である場合もある。 

 

 

She said, "I have a cold."

 

 

この文の ”I” は、"she" である。

 

この "she" や ”I” が現実の世界に実在するか否かは、言語の世界では問われない。言語の世界は、現実の世界から独立している。だから小説家(話し手)は、  ”I'm tired.”  と登場人物に語らせることができる。

 

とはいえ、たいていの場合、”I”とは、現実の世界にいる話し手自身を指す。

 

 

現実の話し手 ≒ ”I”

 

 

ほとんどの人は、この等式の背後に、現実の話し手を ”I”と認定している主体つまり自己が存在することに気づかない。自己からみれば、現実の話し手は、「話し手」という概念が適用できる一例にすぎないのだが。

 

生まれたときからの他者との交流によって、はじめ個人的にすぎなかった自分は、社会的な自己をつくり、自分を客観視できるようになる。思春期になると、社会的な自己が力を増し、自分とのバランスが不安定になるので、親に反抗したり他人の視線に恐怖を感じたりする。

 

こうして自分が成長させた自己は、「隠れんぼ」の永遠の鬼のようなもので、日常言語でつかまえるのはむずかしくなる。「話し手」という概念を表す「自分」「私」「われ」という表現体の背後に、自己はほとんどいつも隠れてしまうからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語は映画である

労働力を発揮するから、人は労働者と呼ばれる。自己を発揮するから、人は自分になれる。

 

資本主義の時代になり、人身が自由化されて、労働力の価値が全社会的に賃金のかたちをとると、労働力の存在は目に見えやすくなった。

 

同様に、資本主義は身分を溶解させ「個人」を析出したから、自分がもつ自己の存在も見えやすくなった。だが、自己には賃金のような共通の尺度が見えにくいので、あいかわらず言語学は、自己の存在に気づいていない(ちなみに、観念の共通尺度は、自己が運用する概念である)。

 

自己は、目に見えない移動カメラのようなものだと思えば、わかりやすいかもしれない。自己は、概念という規範を参照しながら、移動カメラのように自分の認識をいくつもの位置で写しとり、人の目にみえるように表現している。

 

自己は、太古から時空を超越して言語を創造してきた。それはちょうど、移動カメラを駆使する映画に似ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
トランス・グラマーは自己がつかう英語の規範の体系

英語の規範(概念)の体系=「トランス・グラマー/TransGrammar(TG)」を開発してきた。

 

主要部分が整理できたので、全体の仕組みを掲載する。

 

 

 

 

 慎 想 感

 統 準 関

 個 動 状

 構 立 連

 

 

 

 

これが英語の規範体系=トランス・グラマーである。

 

英語の概念は、このようなマトリックス(スマホの文字入力画面のような配列)に整理できる。

 

自己は、このマトリックスを操作して、自分の認識を英語の表現へと転態させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
観念世界は、自己が自分を対象にしたとき自立する

言語のトランスを図にしてみた。

 

<自己ー自分ー表現>というトランスの成立=言語表現の発生が、観念世界の現実世界からの自立の瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

            言語のトランス

 

 

 

 

言語表現/表現素材 ← ||||| ← 自分(認識)/肉体

            

             ↑

               

      ↘        概念/表象           

                                          

       

                        ↘       ↗

        

                      自己(言語労働力)/身体  

 

 

 

 

 

どの要素も、属性/基体という二重性=矛盾をもつがゆえに、運動潜在性=実体性をもっている。

 

中央の概念/表象は、認識・表現の規範となり、洗練の客体となる。

 

人は、はじめ他者を認識の対象にし、「自己」すなわち人間という概念を知る。

 

これをくりかえすうちに、人はこの図のような<自己→自分→表現>というトランスの形式を獲得する。これが、観念的転倒という人間存在の成立の瞬間である。

 

なお、自己は、たいてい自分を言語表現の話し手とみなす。だが、自己は自分の認識のなかに、自分以外の話し手を見出すこともできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
三浦つとむを超えるには、『資本論』の研究が必要だった 

次のような文をみると、三浦つとむ(1911-1989)の言語論の背景に、マルクスの『資本論』があったことは明らかである。

 

 

 

「商品の価値は、人間労働力一般の支出の・すなわち抽象的労働の・対象化において成立する。同じように、言語の内容も、対象の一般化あるいは普遍性の認識の・すなわち抽象的な概念の・対象化において成立する。」(三浦つとむ『言語過程説の展開』勁草書房、1983年、404頁)

 

 

 

この文の意味を理解するには、『資本論』を理解する必要がある。

 

言語学をやるために『資本論』を勉強するという発想は、尋常ではない。だが、私は『資本論』のなかに、なにかがあると感じた。

 

幸い、第一巻の難所として知られる価値形態論について、日本には分厚い研究史があるし、最近も新しい成果がでていた。

 

そういう研究を手がかりにしながら、私は『資本論』のロジックを言語学に活かそうとした。そして、価値形態論は言語生成のロジックそのものであることを発見した。

 

三浦つとむが推進した言語過程説も、価値形態論のまっとうな解釈も、日本で発達したものである。そうした成果を読むことができたのは幸運だった。

 

三浦つとむがあまり理解されなかったのと同様、私がまとめようとしている言語論(英語の概念体系)も、なかなか理解されないだろう。

 

だが、理解されないのは、学問上での話である。

 

私の言語論がほんとうに価値があるかどうか。それを判定するのは、学者たちではない。それは、じつは一般の人たちなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
意味とは、表現の普遍的意味と個別的意味の合体

絵画や音楽、言語のような表現労働には、普遍的な面と個別的な面がある。

 

普遍的表現労働は、社会的に共有された規範に沿って表現し、意味が広く理解される面をつくる労働である。それが何を描いた絵かわかるようにするとか、わかりやすい語彙を使って話すのは、普遍的表現労働の面である。

 

個別的表現労働は、個人的な認識を表現する側面である。その場や相手にふさわしい表現を独自に工夫するとか、声色などで個人の喜怒哀楽を付加するのは、個別的表現労働の面である。

 

表現を受け止める側は、普遍的表現労働の面によって普遍的意味を受け取り、個別的表現労働の面によって個別的意味を受け取る。

 

無名の画家の作品は、投資目的の人には普遍的意味も個別的意味もないかもしれないが、その絵が好きな人にとっては個別的意味がある。離婚を決意した女性にとって、「好きだよ」という夫のしらじらしい言葉は、普遍的意味と個別的意味が大きく乖離している。

 

表現の普遍的意味と個別的意味をあわせたものが、表現の「意味」である

 

辞書に載っている語義は、語の普遍的意味を分類したものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語は首飾りである

自己による言語労働(認識・表現)の結果、われわれは<現実世界の自分>と、<自己による観念世界>というふたつの世界をもつことになる。

 

認識は、自分がいる現実世界での私的な出来事だが、概念を用いた言語表現は、社会的に共有される観念世界をつくる。

 

<現実世界の自分>が生身の身体だとすれば、<自己による観念世界>は、首にかけた首飾りである。

 

音声・文字の連なりによる表現体すなわち言語は、多種多数の貨幣(一般的等価物)を集めて作った首飾りである。

 

聞き手・読み手は、話し手の首にかかった貨幣の種類とそのつなぎ方、すなわち首飾りがかなでる音、見せている形を観察して、その意味の伝達を受ける。

 

他者や自分が首にかけた飾りを見て、われわれは他者や自分の身なりをチェックする。

 

それと同じように、言語が作る観念世界を鏡にして、われわれは自分がいる現実世界を知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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