ごきげんようチャンネル

あなたがたは、終わりの時にいるのに、なお宝をたくわえている。
        ヤコブの手紙 5:3    

英語の「代名詞」にみる音象徴 
英語の代名詞の発音には、いわゆる<音象徴 sound symbolism>を思わせるような特徴がある。


◯ 人を表す「代名詞」は、母音で終わる。Iweyouheshethey, who.  このうち、he sheは摩擦音系の音をペアにしたもの。


◯ 特定している物事を表す「代名詞」は、[t]または[ð]の音を含むものが多い。 thisthatitthey, there, then.


◯ 話者との不特定関係を表す「代名詞」は、[h]音で始まる。 whowhatwhichwherewhenhowwhy.


◯ 遠近を表す「代名詞」のうち、近いほうは閉音系の母音[i]を含む。this, these, here. 逆に遠いものは開音系の母音[æ] [o] [e]を含む。that, those, there.


◯ 場所をあらわす「代名詞」は、[ɚ音で終わる。here, there, where. 


◯ 時間をあらわす「代名詞」には、[n]音が多く現れる。now, then, since, when.





| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の語源、つづり、発音を総合する | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「我流の発音でいこう」は、一流の人をめざすということである おわり
現状の最大の問題は、発音の基準について<選択>の意識のない教師が、「なんとなく」教えているところにある。

先述の『英語教育』の記事は、英語発音の「『我流』を編み出してもよい時期に至っている」というのが最近の議論だと指摘している。67頁

個性とは、文化的に価値のある「我流」のことである。

イギリス的、アメリカ的、オーストラリア的、シンガポール的、インド的、フィリピン的…どの発音体系を選ぼうと、それが体系外の個人による規範の追体験である以上、「我流」の一種になる。

外国にある発音体系はどれも基準にしないというのも論理的には選択できる。それならそれで、日本語を基盤にして、<私のように立派な我流ができる>ことを生徒に示せばよい。

その教師の選択と成果が本当に立派であるかどうか。生徒はちゃんと判断している。

問題は、<どれを英語発音の標準にすべきか>をナショナルなレベルで決めることではない。

<私を参考にして、みんな自分の我流をつくれ>

と教室でいい、指導するのが、教師の役割である。









(おわり)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の語源、つづり、発音を総合する | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「我流の発音でいこう」は、一流の人をめざすということである その4
解決は、案外と簡単だと思う。

「日本では」ではなく、それぞれの教師が「私の教室では」という範囲で発音の基準を選択すればよい。

生徒はそれぞれの教師が選択した基準にそって研修することになる。

そのさい大事なのは、それぞれの教師が、発音の選択について自覚的になることである。

「私はアメリカ英語を基準にします」とか、「私はオーストラリア風とフィリピン風のミックスでいきます」とか、「私は日本語流でいきます」とか、自覚的に選択し、指導する。

すると、A先生とB先生では発音の基準がちがうといった状態になるだろう。

それでは不都合だというのは、いわば教育委員会的「余計なお世話」である。

世界にいろいろな英語があるように、英語の教師にもいろいろな発音がある。生徒はそれぞれの教師にあわせて聞き取り、話す練習をする。

これぞ学校がグローバル世界になるということである。








(つづく)










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「我流の発音でいこう」は、一流の人をめざすということである その2
私が思うに、こういう百家争鳴的な状況では、議論を混乱させないために問題の構造をつねに確認しておく必要がある。

次の点では、一般にそう異論はないはずである。

① <書いたときの英語>の文法や語彙、表現については、本来の英語話者(いわゆるネイティブ)が使っているものが基礎になること。

問題は、そのなかのどれを<国際英語>に必要な要素として習得対象にするかという、<選択>の側面にある。

<書く>ときはアルファベットで、かつコンピュータ上ですませることも多いので、形態上の変異や技能習得はそう問題にならない。


② <話すときの英語>の文法や語彙、表現でも、本来の英語話者(いわゆるネイティブ)が使っているものが基礎になること。

ここでも問題は、そのなかのどの発音体系を<国際英語>にふさわしいとして選択するか(または既存の発音体系のどれも基準としないと決める)という、<選択>の側面にある。

<話す>ときは、どの発音体系を基準にしても習得が難しいこともあり、どの形態的変異を基準として選ぶかが、文化的な優劣の意識もからんで、そうとうな問題になる。




以上のように確認してみると、どのような<英語>が世界で話されているかという<事実>のレベルと、そのなかのどのタイプを基準として教えるかという<選択>のレベルがあることがわかる。

<事実>と<選択>は密接に関連しているが、相対的にはそれぞれ独立した問題である。








(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の語源、つづり、発音を総合する | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「我流の発音でいこう」は、一流の人をめざすということである その3
問題は、どれを<選択>するかであるが、これも交通整理しておいたほうがよさそうだ。

ひとつは、「日本では」どうすべきか、「日本では」どれかひとつを選択すべきか、「日本では」どれかひとつでなくてもいいのではないか、といったナショナルな意識で考えることの問題性である。

「日本」にはいろいろな考えの人がいるから、どの説をとろうと、それに同意しない人に強制するのは、現実的にも理念的にも不可能である。

そもそも国際英語論などの諸説は、現実に話されている多様な英語を容認しようという意図からはじまっている。そこから出発しながら、他方でどれかの英語を標準として選ぼうとするのは、自己矛盾である。










(つづく)









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「我流の発音でいこう」は、一流の人をめざすということである その1
少し前の『英語教育』(2012年12月)に、英語の発音について最近の議論を整理した記事が載っている(執筆は小菅和也氏)。

この記事によると、英語で旅行やビジネスなどの用を足す人が増えるにつれて、英語の発音指導をどうすべきかについて、日本発の「国際英語 English as an International Language, EIL)論、Crystal(1997)の Engish as a Global Language(EGL)論、Kachruの World Englishes(WE)論といった議論が登場している。66頁

この分野の礎石的研究は、Jennifer Jenkins, Phonology of English as an International Language(2000)で、これは English as a Lingua Franca (ELF)の条件をさぐった労作である。66頁

いろいろなタイプの発音が実際に用いられているなかで、教室ではどのタイプの発音を教えるべきか。

そこが議論になっているわけである。









(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の語源、つづり、発音を総合する | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語の前置詞の語源について その1
主な前置詞の語源についてメモするシリーズをはじめたい(断続的に掲載)。



英語の基本文は実体(→名詞→主語・目的語・補語)を三つまで収納できる(格関係)。

それぞれの基本文にもうひとつ実体を加えて表現に具体性(その場にとってのふさわしさ)を加えたいとき、前置詞を用いる。

以下、基本文中のある実体を<実体1>と呼び、付加される実体を<実体2>と呼ぶことにすると、

前置詞は<実体1>と<実体2>のあいだの客観的関係を表現する語彙である。

と定義できる。

なお、<実体2>は目的格の語彙形式をとるので、前置詞の「目的語」と呼ばれることがある。

ここで検討する<実体1>と<実体2>の関係は、次の三つである。

① <実体1>と<実体2>が接触している関係。実体を◯で表現すると、ふたつの◯が上下に接触して、ちょうど☃(雪だるま)のようなイメージになる。これが on である。

② <実体1>が<実体2>に包摂されている関係。ちょうど二重の◯、つまり◎のようなイメージになる。これが in である。

③ <実体1>と<実体2>が接触し、それを<実体3>が包摂している関係。すなわち①と②の合成型で、◯(実体3)のなかに☃(実体2と接触している実体1)が入っているイメージになる。ただし<実体3>は潜在的な概念なので表現されない。これが at である。

前置詞はニュアンスが豊富なので原義が把握しにくい。

このシリーズでは、上記の三つの原型を確認していく試みである。






(つづく)








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