ごきげんようチャンネル

"Life is too short to wake up with regrets." author unknown
           

英語のつづり” e ” は、なぜ「エ」と読まないか 

名古屋の大学の英語科で、週に一回、英語の文法や語彙や読解を教えている。

 

学生の多くは音読好きである。それはいいことだから、なるべく授業中にも音読してもらうようにしている。私が大学生のころに比べたら、発音のいい学生が多くなった。

 

そして、ここ数年、学生の音読を聞いていて、「こうしたらもっと発音がよくなる」といえる効果的なツボがあることがわかってきた。

 

そのひとつは、つづり "e" の読み方である。

 

アクセントのあるつづり "e" は、日本語の「エ」に近く読んでも、とくに違和感はない(厳密にいえば、発音記号でいうと英語は/ε/や/e/となり、「エ」とは少し違うが)。egg, pension, などがそうである。

 

ところが、なかなか気づかないことだが、英語では、religion, perfect(形容詞)のように、アクセントのないつづりの "e" は、原則として /I/ と読む。いわば、「ジョン」「ーフクト」に近いのが英語である。

 

これを「ジョン」「ーフクト」のように読むと、余計な母音がはさまれた感じがして、英語らしいリズムが崩れる。

 

私の学生の英語がもたもたして聞こえる大きな原因のひとつは、つづり "e" の読み方にある。じっさい、口に出してみると、「ジョン」「ーフクト」のほうがきびきびして言いやすいので、やってみてください。

 

ヨーロッパには、つづりの "e" を一貫して「エ」に近い音で読む言語も多い。ところが英語では、アクセントがなければすぐに「イ」に近くなってしまう。これは、英語の発音の要領が、全体に上寄り(舌根が上がる)に移行した「大母音推移」(1400~1600年ごろ)と関係があるのだろう。

 

 

 

...

 

 

 

ところで、ちょっと面白いのは、われわれ日本人が、つづりの "e" をすべて「エ」のように読もうとする原因である。

 

思い当たるのは、小学校で習うローマ字の影響。ローマ字は、日本語をローマ字で表記するために考案されたもので、いくつか系統があるが、ごく一般的な表記法を、以下に載せてみる。

 

 

 

 

(拗音)
a i u e o
ka ki ku ke ko kya kyu kyo
sa si su se so sya syu syo
ta ti tu te to tya tyu tyo
na ni nu ne no nya nyu nyo
ha hi hu he ho hya hyu hyo
ma mi mu me mo mya myu myo
ya (i) yu (e) yo
ra ri ru re ro rya ryu ryo
wa (i) (u) (e) (o)
ga gi gu ge go gya gyu gyo
za zi zu ze zo zya zyu zyo
da (zi) (zu) de do (zya) (zyu) (zyo)
ba bi bu be bo bya byu byo
pa pi pu pe po pya pyu pyo
 

 

 

 

 

この表で五十音の「え」の段をみると、e にはじまり、ke, se, te, ne, he, me, re, ge, ze, de, be, pe, とつづる。日本の子どもは、このつづりを見て、「え、け、せ、て、ね、へ、め、れ、げ、ぜ、で、べ、ぺ」と読む練習をするわけである。

 

ところが、これを英語のつづりと思って読むと、英語読みでも「エ」に近くなる可能性があるもの、英語なら「イ」に近く読みそうなもの、「エ」「イ」両方に読む可能性があるものと、三通りあって複雑である。なかには、he, me, be, のように、そのまま英語の単語になるものもあり、これらはいずれも、英語では「イ」に近く読む。

 

小学校で習い、交差点の掲示などにも使うローマ字は、日本語を表記する方法としては合理性がある。

 

しかし、日本でつかうローマ字は、日本語の読みを表記するためのもので、英語を読むためのものではない。それは誰もがわかっているのだが、英語のつづりも同じ文字を使っているために、われわれはついつい、英語までもローマ字読みしてしまう。

 

 

fitness は、フィ(ト)ス。

 

united は、ユナイテド。

 

 

アクセントのないつづりの "e" に注意して練習するだけで、英語の発音はぐっと本格的になる。ぜひやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 07:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
やっぱりrとlは難関 
しばらく前の新聞にアメリカ特派員の嘆き?が書いてあった。

シカゴの近くのMerrillville という町に行こうとして道をたずねたところ、発音のせいで通じなかったという。

「苦手なrとlがてんこ盛りだからである。大嫌いなvも入っている」

これは一例にすぎず、地名の発音で「何度泣かされたことか」と書いている。(『朝日新聞』2011年4月7日「特派員メモ」)

私もアメリカにいたころ squirrel(リス)の発音がむずかしくて現地の人に何度も発音を直してもらったことがある。教えてくれた彼は「ちょっと違うけど、まあそんなところだよ」とあきらめ顔だった。

vanilla(バニラ), thermos(魔法瓶)も発音が難しく、店員の前で緊張した。

いちばんひどいのはcamera(カメラ)が通じなかったことだった。そこは電気製品売り場で、見れば店員の目の前にカメラがあった。

名古屋の名門N大学のアメリカ史の教員と話したとき、彼はアメリカ留学時代にequilibrium(力の均衡)という国際政治の必須単語の発音に自信がもてず、ゼミでの発言に躊躇したことがあるとのことだった。

「通じないかもしれない」という不安は外国語を話すときの態度に根本的な影響を与える。

発音の問題を解明できた今ではそういう不安はなくなったが、英語を話そうとする以上、こういう根本的な問題は一日も早くみんながクリアできるようにしたいものだ。

















| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
発音のちがいはフォントのちがい 外国語にも日本人の美意識を活用したい

「書体は『声』だ」

ドイツ在住のフォントデザイナー・小林章さんの言葉が新聞に載っていた。小林さんは欧文書体のデザインで一流の仕事をしている。(朝日新聞、2010年7月24日土曜版Be)

小林さんによると、日本企業がせっかく欧米向けポスターやパンフレットをつくっても、書体がちぐはぐだったり引用符が間違っていたりすることがある。

「世界的企業なのに”書体”のせいで幼稚なイメージになって信用度が下がってしまうことがある」

これは外国語の発音にもいえることだ。

たとえ言っている文は正しくても、発音が下手だと幼稚に聞こえたり、ひどい場合は信用度が下がってしまうこともある。

発音にも文字にも、日本人らしい美意識をもちたい。










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ソシュールと中国語

ちょっと上海に行ってきた。

数日の観光だったけれど、中国語を少し話してみて思ったことが。

以前から中国語の「無気音」と「有気音」というのがよくわからなかった。

たとえば「現在」はわれわれの耳には

「シェンァィ」

のように聞こえるけれど、ある日本人の中国語教師は

「シェンィ」

のように言っており、それで完全に通じているので、不思議な感じがしたものだ。

おそらく、日本人が「ツァィ」というと有気音化しやすいので、この教師は「ザィ」と言う癖がついたのだろう。つまり、この教師は日本語の濁音/清音の区別(ズかツか)を、中国語の無気音/有気音(ピンインの[z]か[c]か)の区別に利用して、うまく処理しているらしかった。

しかし、日本語の<濁音/清音>と中国語の<無気音/有気音>がぴったり対応するわけがない。なのに、なぜ完全に通じるのだろうか。

これはピンインの[z]という無気音の正体はなにかという問題である。

そこでもう一度、むかし使った中国語の入門書を見てみた。すると次のように書いてある。

「b,d,g,j,zh,zは無気音と呼ばれ、じつは濁音ではありません(声帯をふるわせない)。破裂と同時に母音の発音に移ります。

p,t,k,q,ch,cは有気音と呼ばれ、無気音のそれそれに対応するもので、破裂後、母音との間に息だけが出る瞬間をとります。」

(榎本英雄『まるごと覚えよう NHKスタンダード40 中国語』NHK出版、2000年、15頁)

後半の有気音の説明は英語音声学から見てもよくわかる。有気音とは、子音と母音のあいだに[h]音が入るものだということである。これはたとえばbed とpetの違いに現れる。

わかりにくいのは前半のほうで、中国語の無気音は濁音ではなくて「破裂と同時に母音の発音に移る」という部分である。

これはおそらく、子音に[h]音を入れないようにすれば、中国語では無気音と認識されるということなのだろう。無気音は濁音と同じではないが、「シェンイ」でも[h]音は入らないから無気音として通じるのだ。

しかし、[h]音を入れたり入れなかったりする身体要領は案外とむずかしいし、理論的にもそれにどういう意味があるのかはわかりにくい。

そこで思い出したのがソシュールの指摘である。

「すべての音素は、内破と外破のかたちをとることができます。

[たとえば]単にpというだけでは、何か抽象的なものを手にしているだけです。

<p内破>と<p外破>を[それぞれ違う記号をつけて別々に]扱えば、具体的なものを手にできます。

各音について閉じた音と開いた音の記号が必要なのです。

音節の単位は根本的に内破と外破に依存するのです。」

(ソシュール『一般言語学講義』前掲訳書、79−81頁より要約。同趣旨の部分は小林秀夫訳では75頁以下。)

この部分を思い出して、ああ、そうか!と思った。

中国語の無気音は内破音で、有気音は外破音なのではないか?

英語では、母音が外破系、子音が内破系だが、子音のなかでも内破的と外破的の二種類があり、内破的な子音は[ng]、外破的な子音は[h]を基盤音として練習すると効果的だ。ひょっとすると中国語の子音も無気音は[ng]、有気音は[h]をもとに練習するといいのかもしれない。

これはまだ仮説にすぎないが、しばらくそのつもりで中国語を練習してみようと思う。

ついでながら、上記の榎本氏の中国語教科書には、とても共感できることが書いてある。

「中国の街には、自信のない中国語でも思わず口に出してみたくなる、そんな気安さがあふれています。そしてそんなひと言が通じたときのうれしさが、旅を何倍にも楽しくしてくれるのです。いつしかあなたは、この街にすっかり溶け込んでいる自分を見つけ出すことでしょう。中国への旅は、気取りのない普段着の旅なのです。」(榎本前掲書、2頁)

気安さ、普段着の良さは、今回私も感じた。

どこか敷居の高い英語よりも、気安く口にできる中国語のほうが、確実に早くうまくなるだろうとさえ思った。

そして榎本氏は、次のようにクギをさしている。

「中国語は、やややこしい文法の約束事はあまりなく、言葉のしくみは簡単です。発音のしくみさえ体にしみこめば、あとはなだらかな坂道なので、だれにでもやすやすと登っていける学びやすい言葉です。特に発音が大事です。」(同前書、2頁)

そしてその発音を大事にするには、ピンイン(発音記号)が役立つ。

「漢字はもともと表音文字ではありませんので、学習しないかぎり、読み方がわかりません。そこで登場したのが『ピンイン』です。」(同前書、10頁)

これはつづりと発音の関係が複雑な英語にもいえる。発音記号なしに英語はできない。

まずは発音。それが外国語の第一歩だ。











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"My wife is very short. "は "My life is weary 'n short. "である。

アメリカでは、どんな英語発音の教科書がよく使われているのかと調べてみると、

Lisa Mojsin, Mastering the American Accent, Barron's, 2009

などは評判がいいらしい。

さっそく取り寄せてみたが、多くの外国人の発音を直した著者の経験が生かしてあって、読んでおもしろい本になっている。

つづりのrに読み方が二通りあることに気づいていないなど、古い音声学そのままのところもあるが、ちょっとおもしろかったのが/w/の話。

なんと、外国人が発音すると/l/が/w/に、/w/が/v/に聞こえることがあるというのだ。

口を丸めて/l/を言うと/w/みたいだし、/w/を言ったつもりが上歯を下唇にあてて言うと/v/のように聞こえるから注意するように、という。

"Don't round your lips when you are saying the /l/sound. This will weaken it and make it sound more like a /w/.  "  p.50

"Many non-native speakers confuse the /v/ and the /w/ sound. To avoid this mistake, make sure your bottom lip is not touching your upper teeth when you are saying the /w/." p.56

すると、life といったつもりが wife に聞こえたり、very が weary に似て聞こえたりするということなのだろうか。

よくよく、外国語の発音にはご用心。


| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
文字とは「声の読書」である

文字というものは、何かの抜け殻のようでもある。

ワープロで打った文字などは、とくにそんな気がする。

でも、本当はそうではないのだろう。

たとえば手紙の文章、新聞の記事、歌の歌詞、劇の台本。

ワープロで打ってあっても、じつは我々は人の声を聞いている。

話したはずの人の声。そして書いた人の声。

ならば、人間はそこにいない人の声を文字を通して聞くことができる。

その声になりこみ、自分にとりいれている。

人間は文字を媒介として世界に浮遊する「声を読書」する。

外国語もそうで、文字というカプセルに入れられて異国の人の声が世界に浮遊している。我々は浮遊する文字をつかまえて、その声を読書する。

「声の読書」

声の読書は、話し手にとっても聞き手にとっても、自分の声を通した他人の声の体験である。それは他人の声を通した自分の声でもある。

文字はその合体のプロセスを支えてくれる媒体である。

たとえそれがたったひとつの音声でも、声を読書するとき、自分と自分でないものの小さなドラマが生まれる。














| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「毛沢東」は中国語か? 発音が決定的である理由

外国語をやりたければ発音が決定的に重要である。

それを説明するのは案外むずかしい。

「発音はだいたいでいい」「発音は最後でいい」

という発想が広まっているからだ。

たとえば、中国語と日本語で考えればいいかもしれない。

短くてわかりやすいのは人名である。

「毛沢東」を

「『もうたくとう』と言っても、それで中国語になる」

と言ったら、誰もが首をかしげるだろう。

字は同じでも、中国語をやるというなら中国語の発音で読まなければ中国語にはならない。中国語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も中国語が体験できる。

英語の場合もこれと同じである。

英語のつづりを見て、それを日本語風に読んだり自己流に読んでいたのでは英語にはならない。英語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も英語が体験できる。

日本語風や自己流で通じたとしたら、それは相手が優れているからであって、自分の実力ではない。











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 20:49 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
カタカナ流の英語発音は「訓読」である おわり

もうひとつ、本書には耳の痛いことが書かれている。

「中国語で書かれた詩や文章を読み下す、つまり訓読するために、日本人は長い時間をかけてその技に磨きをかけてきました。

日本人が中国語の音韻に通じることなく中国の古典が読めるのは驚くべきことです。しかし、中国語の詩文を性質のちがう文体で読み下そうとするために、原文のリズムが抜けおちてしまうのです。

ですから本格的に中国の詩文を学ぼうとする方は、やはり中国音で読んでほしいと思うのです。」(vi頁より要約)

日本人の英語もしかりである。

英語をカタカナ流で読むのは英語の「訓読」である。それでも英語が「読める」のは「驚くべき」技である。

しかし、それでは「原文のリズムが抜けおちてしまう」。

訓読した漢詩文は、もはや中国語ではない。だから日本人にも意味がわかる。

同様に、カタカナ流で「訓読」した英語は英語ではない。それが通じているようにみえるのは相手がすぐれているからであって、自分の力ではない。






(おわり)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
カタカナ流の英語発音は「訓読」である その1

大島正二『唐代の人は漢詩をどう読んだか 中国音韻学への誘い』(岩波書店、2009年6月)

巻末に有名な漢詩の現代中国語読みと唐代の読み方の比較表がついているが、ずいぶん違っているので驚く。

中国語の発音が時代によってそうとう変化したことは日本でも知られているが、本書によるとそれを本格的に明らかにしたのは中国人ではなかった。

ヨーロッパの近代言語学を学んだスェーデン人のベルンハルド・カールグレン(1889‐1978)である。

1910年中国大陸にいき、24か所で方言の調査をおこなったあとヨーロッパにもどったカールグレンは、1915年に『中国音韻学研究』をフランス語で著した。

中国の方言、日本・朝鮮・ベトナムの漢字音、そして中国の資料を比較し、中国語の古い発音を推定したこの本は、いまも不朽の名著とされている。

じつは清代には中国人による古い発音の研究もおこなわれていたのだが、「それは理論的にヨーロッパの近代的な言語学の方法にとても太刀打ちできるものでは」なかった。127頁

中国の学者たちは「自分たちの祖先が話していた言語の音が外国人によってそのベールをはがされた」ことに「たいへんなショックを受け」た。127頁。

彼らはカールグレンの著書を中国語に翻訳し、誤りを修正し、さらに原著のスェーデン式字母を国際音声字母(国際発音記号)に書き直して1940年(日中戦争のさなか)に出版した。

私がこの話に興味をもった理由はふたつある。

ひとつは、言語の研究は外国人のほうが有利である場合があること。母語は無意識部分が多いので言語過程を意識化するのがかえってむずかしいことがあるからである。

もうひとつは、研究者は自国で流行っている言語分析の手法にとらわれがちだが、そればかりでは気づかないうちに壁にぶつかっている場合があるということである。






(つづく)






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 23:20 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
腕の重さと腕の力 おわり

ひとつは、腕がすばやく動けば腕の重さは軽くなるということである。重さと動作は相関関係にあり、じっとしているより動作をおこなったほうが軽さを感じる。

ただし、動作はそのパフォーマンスの作法にそったものである必要がある。作法からはずれた動作は適度な緊張状態にほころびを生んでしまう。

もうひとつは、人体は次の動作を先取りすることで実は休息をとっており、休息があるからこそ、そこから生まれてくるエネルギーを爆発させることができるということである。(ジャオン・ファシナ前掲書、34頁)

以上のふたつが、人が緊張しながらもパフォーマンスを長時間つづけることができる理由であろう。

ひとつめの「動きで重さを軽減しつづけること」と、ふたつめの「先取りで休息して爆発を維持すること」は不可分で、両者があいまってパフォーマンスは維持できる。

外国語の発音にも同じことがいえる。

パフォーマンス中(外国語を話しているあいだ)は基本の身体の構えを解いてはいけない。

それは一種の緊張状態だが、じっさいには何時間でもつづけることができる。

つづけることができるのは、その外国語の作法にそった動作をおこない、かつ次の動作を先取りすることで休息し、そこから得たエネルギーを発散していくときである。

外国語はパフォーマンスである。

まずそれを自覚し、基本の身体の構えを解くことなく、外国語の発声を維持し、緊張のなかにも休息することで力を発揮する。

そういう身体要領を身につけることが外国語の基本である。







(おわり)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語の発音 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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