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"The United States as a country has interests, and those interests are not the interests we hear about on the campaign trail." Jeanne Zaino, Iona College
           
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 おわり
大拙の英語力の背景には、文語文で鍛えた文体力がある。

そう思えば、昨今流行の「英会話」や「英作文」のレベルを軽々と超える英文を大拙が大量に書けた理由も見えてくる気がする。

むろん、文語が書ければ必ず大拙のような英語が書けるわけではないし、英語は文語的な語法や骨格だけでできているわけでもない。

ただ、現代のわれわれにとって、もはや文語文は意識して学ばなければ書けない文体である。そのことは外国語たる英語に似ている。

そして、型にはまった文型感覚からくる文語文の文脈の明快性や、一語一語を客観的に置いていくようなリズム感は、われわれが英語で表現する際の「身体の構え」として参考になるのではないか。









(おわり)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 その7
さて、それでは大拙の英文の一例をあげてみる。

全体は口語的な柔らかみがあるが、よくみると文の流れに文語的な骨格があり、そのことが文に格調を生んでいることに注目されたい。


Zen is not necessarily against words, but it is well aware of the fact that they are always liable to detach themselves from realities and turn into conceptions. And this conceptualization is what Zen is against. Zen insists on handling the thing itself and not an empty abstraction.

(Daisetz T. Suzuki, ZEN and Japanese Culture, Princeton University Press, 1970, p.5)


試みに、大拙なら易々と書いたであろう文語調をつかってほぼ同主旨を述べてみると、


禅、これ言語を敵とするにあらず、されど言語たるもの、常に現実より遊離し空虚なる概念へと逃避するの嫌いあるをよく知れり。概念への逃避、これ実に禅の敵とするところなり。空虚なる抽象を離れ、事そのものをつかむべし。これ禅の要諦なり。


といったところであろうか。







(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 07:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 その6
以上は、文語と英語には語法上の共通点がいくつかあるということであるが、より大きくみても、文語の文体感覚は英語での表現に役立つところがある。

たとえば、文語は論理の脈が簡明でたどりやすいことが多い。おそらく、口語よりも限られた表現パターンから選択するからであろうが、この選択感覚は、外国語たる英語でわれわれが書くときの感覚に通じるものがある。

そして何より、文語で表現しようとすると、剣道で構えたときのように対象に距離をとった客観的な眼になる。

これは、まるでキャンバス上に絵を描くように対象を客観化する英語の感覚に似ている。







(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 07:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 その5
さらに、先の文の末尾、


「言語文字とは畢竟(ひっきょう)これ影の世界のまたその影にすぎざるなり」


という部分では、「言語文字とは」でテーマを示してから、「これ」でもう一度受け直している。

このように、文意に影響のない「これ」を挿入してリズムをとる方法は、


「学問の自由はこれを保障する」(日本国憲法23条)


のように、法令や演説などで今日も使われている。

これは英語の「代名詞」や「関係代名詞」に似たところがある。

上記の憲法23条なら、かなりぎこちないが、


Academic freedom, it is guaranteed.


あるいは、


What is called academic freedom is guaranteed.


というときの感覚に似ていなくもない。

似ている理由は、英語で代名詞とか関係代名詞と呼んでいるものは、文中の語を受けているようにみえて、じつは語が表す対象そのものを指しているからで、その点で日本語の「これ」と共通しているからである。

日本語の「これ」とか、英語の代名詞とか関係代名詞は、<月を指す指を指す指>ではなく、<月を指す指そのもの>だということである。

こうした共通性は、日本語の口語よりも文語のほうが見てとりやすい。







(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 その4
じつは、日本語の口語よりも文語のほうが英語に似ている。

たとえば先の引用文の冒頭、


「我かつて一再となく、黙然として独座せるとき」


という部分では、「我」という<主語>に「は」「が」といった助詞がない。

文語では「読書百遍、義おのずから現る」のように、文のテーマを提示する場合、助詞を省くことが多いし、省いて文意があいまいになることもない。

それどころか、助詞の類はないほうが文にリズムが出る。

これは、文語には目に見えない<文型>が潜在しており、文頭に助詞類なしの名詞を置くかたちは、文のテーマを提示するひとつの<文型>であるという了解があるからであろう。

文のテーマになる語のあとに助詞を置かず、一拍の空白を取ることが文語の<身体の構え>である。

これは英語の文型に似ている。

たとえば、誰かが

He...

と言いだせば、ただちに<身体の構え>が働いて、これは主語だと了解するのが英語である。もとより助詞らしき語はない。







(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 その3
『禅の第一義』から大拙の一文をあげてみよう。


我かつて一再となく、黙然として独座せるとき、この身の記号となれる文字(すなわちわが名)をわが心の中にくり返し念じたることありき、

そのとき我はけい然として[はるか遠くまで]「我」といへる有限の境界の外にいで、「無名」の域に入りぬ、…

「我」の桎梏をいでてより大なるものの生命に入れば、あたかも火花を日光に比するがごとし、わが生の小さきいわんかたなし、

言語文字の写しいだすべきかぎりにあらず、言語文字とは畢竟これ影の世界のまたその影にすぎざるなり。



(鈴木大拙『禅の第一義』平凡社ライブラリー、2011年復刊、初版1914年、80頁)



これは英国の詩人テニスンの詩の主旨を大拙が要約した部分で、大拙の所説そのものではないが、この書の他の部分もすべてこのような文語で書かれている。

こうした文語文の作文力と英語による著作力とは、どういう関係があるか。









(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 その2
大拙は1966年、95歳になるまで生きたから、戦後だけでも20年以上活動している。

ところが、1870年という彼の生年を基準にしてみると、ちょっと驚くようなことに気づく。

次のように、大拙は鴎外や漱石とほぼ同時代人なのである。

森鴎外(1862-1922)
夏目漱石(1867-1916)
鈴木大拙(1870-1966)

鴎外は、『舞姫』などで近代的文語調を駆使し、かつ『渋江抽斎』のように近代口語文をリードした。

漱石も『草枕』のようなやや文語調と『坊ちゃん』のような口語調を使い分けた。

そう思えば、大拙が『禅の第一義』のような文語文とその他の著作のような口語調を使い分けたのも、十分ありうることではある。

ただ、私が大拙の文語に衝撃を受けた大きな理由は、「ここに大拙の英語の秘密があるのではないか?」と直観したからである。








(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木大拙 驚異の英語力の秘密 その1
鈴木大拙の『禅の第一義』を開いたとき、私は衝撃をうけた。

1914年出版というから、大拙44歳のときのものであるが、なにが衝撃だったかというに、すべて文語だったからである。

それまで私が読んでいた大拙は口語的な文ばかりだったから、「このような口語文を書く人が英語で多数の著作をなしたのだ」と思っていた。

ところが、この本は見事な文語文である。

大拙は27歳から38歳までアメリカにいたから、この本は帰国後、学習院大で教えていたころに書いたのだろう。











(つづく)

















| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語は姿勢である おわり



ラテン語のグレゴリオ聖歌を記した初期のネウマ譜.

点や曲線を文字に直接あてる記譜法は日本のお経の
記譜法と共通する。

数学でいえば座標軸にあたる譜線や、座標点にあたる
四角音符が使われて、音の構造をより客観的に表現
するようになるのはこの後である.


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


現代英語にひきつがれたラテン文の修辞法のうち、目立つのは倒置、強調、省略、挿入、同格の五つであろう。

倒置、強調、省略、挿入、同格は、英文法書では「特殊構文」といった名称で解説されている。これらは平凡を破るという意味で「特殊」であるが、じつは現代の英文を理解するための必須知識でもある。

高度な英文は代名詞と五つの修辞法を自在に駆使して格調と明快を演出し、心地よいメロディーのような重層性とリズム感を実現している。

たとえば報道関係の英文ではラテン語に起源をもつこうした修辞法はなくてはならない技法である。

例として最近のTIMEの金正日死亡の記事をみると、挿入や同格によって長文化させながら、他方では省略によって簡潔化する技法を駆使している。

But the ridicule could not conceal that North Korean leader Kim Jong Il, who died at age 69 on Dec. 17, was able to maneuver his small, totalitarian nation into a force that compelled deep concern and even fear from among the world's powers. He did so at a great cost to his people, millions of whom died in famines in the 1990s and hundreds of thousands who are enslaved in prison camps. 

 http://www.time.com/time/world/article
われわれがきちんとした英文が書けない読めないとしたら、その原因のひとつはこのような伝統に裏打ちされた修辞法に習熟していないことにある。

「文体のないところに文化はなく、ヨーロッパの文化のエッセンスはラテン語の文体に凝縮されている」(逸身前掲書、v頁)

そうだとすれば、われらが日本語の文体はどうなのだろう。

おそらく和文と漢文と英語に代表される西洋語がミックスしたものなのだろう。

そしてラテン語がヨーロッパの精神の「姿勢」を整えたように、日本語の文体もわれわれの精神の「姿勢」をつくっていることになろう。

ならば英語を学ぶことの究極の意味は文法でも語彙でもなく、価値ある文体すなわち<もうひとつの精神の姿勢>を身につけるチャンスを与えられることにあるのだ。









(おわり)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語は姿勢である その2


バッハ(1685-1750)ミサ曲ロ短調自筆譜.
冒頭の格調の高さは感動的.
歌詞はラテン語.


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


著者は、ヨーロッパの言語たとえば「英語の文体そのものが常にラテン語を手本にして鍛えられてきた」という。9頁

英語はラテン語から、語彙のほかにどういう影響を受けたのか。

本書から例文をあげてみると、次はイギリスの貴族で政治家ロバート・セシル(1864-1958)の文章である。

Our national pride has been fed by histories of the glorious deeds of our fathers, when single-handed they defied the conqueror to whom every other European nation had been compelled to humble itself.

著者によると、「この文章は内容のみならず文体までもまさしくキケロ(前106-43)そのもの」だという。276頁。

今も英語にCiceronian(キケロ風)という語があるが、この種の息の長い文体がかもしだす「姿勢」はいかにも貴族的で、特殊のようにもみえる。

しかし、じつはこうした「姿勢」とそこに埋め込まれた技法は現代の英語の背骨をつくっている。







(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 現代Nohをつくれ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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