ごきげんようチャンネル


みにつもる ことばのつみも あらはれて こころすみぬる 三重(みかさね)のたき

   『山家集』1118

"die on Mexican soil " 「地」になぜ the はいらないか
英語のニュースにときどき出てくるのが soil (地)というやや文語調の単語。

物質名詞の「土」という意味では無冠詞、水域に対する「大地」という意味では the が先行するが、

die on foreign soil(異国の土となる)

on Japanese soil(日本の地で)

のように、「地」の意味では無冠詞が多い。

特定の場所なのだから the が必要のようにも思えるのにどうしてか。

これは soil が「人の生活する土地」を意味するからである。

英語では行政単位としての地域には the をつかっても(the United States of America)人が日常生活を送る場所の名前には威圧感のある the を避ける傾向がある(America)。

住民の生活環境の一部である公園(Central Park)や通り(Fifith Avenue)やローカルな地名(Pearl Harbor)が無冠詞になるのも同じ原理である。

soil は「椅子」「席」を意味するsoliumというラテン語からきた語で、まさしく「人が生きていくところ」を指す(ジーニアス英和大辞典)。

このあいだも麻薬関係のニュースで"die on Mexican soil"という表現を耳にした。

生活的・個人的なものほど冠詞theとは無縁になる。

個人・社会・国家をそれぞれ区別する基本感覚がこうしたところにあらわれている。










(おわり)








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名詞の単複は認識の運動の表現形式である

英語の名詞は単数と複数をつかいわけるが、複数形のものを単数扱いしたり単数形のものを複数扱いする場合もある。

これは実体にかんする判断(認識内容を築く基底)に<一般・特殊・普遍>の区別があり、これをつかいわけているからである。

―弦臺数…複数の個物を複数扱いする。もっとも普通のケース。

These computers often freeze.

computers は個体の一般的存在をのべる<一般>の判断(文全体は<特殊>の判断)。


⊇弦臙運堯鎚数の個物なのでかたちは複数だが、全体をひとまとめにして単数扱いするケース。

Twenty years is a long time.

Twenty years は,汎瑛諭祕貳漫笋糧獣如isはTwenty years を一括した<特殊>の判断の表現(文全体は<普遍>の判断)。


G枴複数…△箸狼佞法△たちは単数だが内実は個物の集まりなので複数扱いするケース。いわゆる集合名詞のひとつのタイプ(組織名詞)。

The Douglas family are all gamblers.

The Douglas family は<特殊>の判断。areはfamilyのひとりひとり=<個別>についての判断(文全体は<特殊>の判断)。


で枴単数…同種の複数のものをとりあげ、そのなかのひとつを中心に描くケース。

Elephants have a long nose.

Elephants は<一般>の判断。 a long noseはelephantsのひとつひとつ=<個別>についての判断(文全体は<普遍>の判断)。




このように人間の認識(この場合は実体についての<一般・特殊・普遍>の判断)は文の背後でめまぐるしく運動している。英語における名詞の単数・複数とその組合せは、こうした認識の運動を表現する形式である。

これまで言語の教育(かなりの程度、研究も)は表現の形式の提示や分類に終始してきた。

上記のようなめまぐるしい認識の運動をどう学習者に提示し習熟させるか。

それが今後の問題だと思う。














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実体をめぐる超高速の認識の運動 その2

名詞の複数の表現にいくつかあるのはなぜかという問題を考えるとき、糸口になるのは④の配分単数のケースである。

じつは配分単数は日本語の「は」と「が」の関係に似ている。

たとえば日本語で

「ゾウは鼻が長い」

という文は、一般的に「ゾウ」というものすなわち複数の「ゾウ」をとりあげたあと、どの一頭のゾウをとっても「鼻が長い」という特徴があることを述べている。

同様に英語で

Elephants have a long nose.

と言ったときも、一般的に「ゾウelephants」と複数でとりあげたあと、どの一頭のゾウをとっても「長い鼻 a long nose」をもつと述べている文で、日本語によく似た構造をしている。

「ゾウは鼻が長い」は文法的に説明がむずかしい文として知られるものだが、これに似た構造の文は英語にもあることがわかる。









(つづく)












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実体をめぐる超高速の認識の運動 その1

英語の名詞による複数の表現には次のような場合がある(参考・宮川幸久ほか編著『アルファ英文法』(研究社、2010年、109‐110頁)。

①集合複数…複数の個物を複数扱いする。もっとも普通のケース。

These computers often freeze.


②集合単数…複数の個物なのでかたちは複数だが、全体をひとまとめにして単数扱いするケース。

Twenty years is a long time.


③配分複数…②とは逆に、かたちは単数だが内実は個物の集まりなので複数扱いするケース。いわゆる集合名詞のひとつのタイプ(私は「組織名詞」と呼んでいる)。

The Douglas family are all gamblers.


配分単数…同種の複数のものをとりあげ、そのなかのひとつを中心に描くケース。

Not all of us have an ear for music.




実体が複数ある場合について、どうしてこのようないくつかのタイプの表現が生まれるのか。

ここには案外と深い認識の型があらわれているような気がしている。










(つづく)









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「配分単数」にみる視点の移動 おわり

最後に、おもしろい例を。

Elephants make a big poop.

まずゾウが何頭もいる場面 elephants を写したあと話者は一頭のゾウにズームインして、大きなフンがひとつお尻からポロリと落ちるところを目前に見ている。

これが

Elephants make big poops.

とすると、たくさんのゾウがたくさんのフンを落とす場面が出てきて、あまりかわいくない。

<単数か複数か>という英語の基本感覚は正確さだけでなく表現としてのおもしろ味を選ぶのにも役立っている。









(おわり)










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「配分単数」にみる視点の移動 その5

ひとつの場面に同種のものや行為が複数あるとき、複数形にするか配分単数にするか選ぶことになる。

こうした場面は意外に多い。

新幹線の英語アナウンスに、こういうのがあった。

Please refrain from smoking on the train including areas at either end of the cars.

スペースareas や車両 cars は複数形なのに、車両の端についてはeither end (どちらの端でも)と単数になっている。車両の端はふたつあるのだから、both ends (両方の端で)でもよさそうだが、そうはしていない。

これはスモーカーを一人想定しているからである。

新幹線のなかでスモーカーは複数想定できるしスペースや車両も複数あるが、一人が一度に喫煙する場所はどこか一か所に限られる。both ends (両方の端で)というと、一人の人間が一度に二か所で喫煙するように聞こえかねないから、either end (どちらの端でも)と言うのが適切である。ここでも配分単数(場面には同種のものースモーカーーが複数いても表現はひとつだけに絞る)の発想が生きている。

同じ新幹線の座席の前の注意書きに

For your safety do not ruch for your train.

Please switch your mobile phone to silent mode.

とyourが多数出てくるのも、多数ある座席のなかでこの座席にいるあなた=単数を対象にした表現であることを明確にするためで、一種の配分単数の発想が背後にある。

この場合、英語のyour は相手が複数でも単数でも同形なので、yourの一言で場面全体(複数の乗客=you)を指定すると同時にこの座席に座っている「あなた」(単数の乗客=you)を表現対象にするという離れ業が可能になっている。

西洋語も日本語も二人称代名詞が単数・複数で同形になることが多いのは、このように配分単数の表現のさいに便利だからかもしれない。









(つづく)








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「配分単数」にみる視点の移動 その4

最初の例文にかえると、

 We smell with our noses.

では、話者はカメラを引いたまま we がnoses で匂いをかいでいる場面を認識している。

We smell with our nose.

では、話者はいったんweという全体を撮影したあと、一人の人間の鼻 nose が匂いをかいでいるシーンへとズームインしている。

このような話者の視点の位置とその移動(認識)の法則性を文法にとりいれなければならない。

文としてあらわれた表現と話者の心内の認識の転換と連合は互いに相互浸透の関係にある。(相互浸透とはうまくいっている夫婦や交友関係のように異なるものどうしが互いの存在を媒介として自己を実現していく関係のこと)

表現と認識が相互に浸透しあう(相手の発展によって自分が実現する)プロセスとして言語を理解することが必要なのだ。









(つづく)











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「配分単数」にみる視点の移動 その3

他方で配分単数のほうが適切な場合もある。

江川同前書から例文をとると、

ァSome birds sing in order to attract a mate.

ΑAs long as we live, our heart never stops beating.

これは話者の視点が文中で移動している。

イ亙数の鳥 some birds に場面を設定したあと、そのなかの一羽の鳥が鳴いて相手をひきつけている場面 attract a mate へと絞り込んでいる。Δ呂泙困錣譴錣貎祐weに場面を設定したあと、そのなかの一人の心臓 heart が鼓動する様子へと絞り込んでいる。

異性をひきつけたり心臓が鼓動する様子は個別性が感じられるので、それぞれが単独でおこなう行為ととらえて配分単数にしている。

カメラワークでいえば、いったん全体を視野に入れたあと単独物にズームインしているのである。









(つづく)










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「配分単数」にみる視点の移動 その2

この例文をあげた文法書は、「一般的傾向としては 癖数形)が使われる」と述べている。(江川泰一郎『英文法解説』金子書房、1991年、16頁)

たしかに、次のような文では複数形が適切である。

 The boys turned their faces to the camera.

ぁThe children were flying their kites in the park.

boys や children は一人にひとつずつ顔や凧を持っているのだから、「配分単数」にして faceや kite にしてもよさそうだが、ここはfaces やkites のほうがいい。

その理由は、語と語の関係を平面的につなぐだけの従来の文法ではうまく説明できない。じっさい、以上の例文をあげた江川前掲書は、複数にしたり「配分単数」にしたりする理由をまったく説明していない。

これは話者の視点(→認識)のあり方と関係がある。

の文では話者は少年たちboys だけでなくthe camera も見える視点をとっている。カメラと少年たちはひとつの場面にいるのだから顔も複数で、 facesとなる。い任蕨端圓聾園全体を見渡す視点(in the park)をとっていて、そこには複数の子ども children がいるから凧も複数あるはずである。だからkitesと表現している。

カメラワークにたとえれば、やい肋賁未料澗里鮗未靴燭泙泪メラの視点が移動していない文である。









(つづく)











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「配分単数」にみる視点の移動 その1

「配分単数」と呼ばれる英語の現象があって、詳しい文法書には次のような例文が載っている。

 We smell with our noses.

We smell with our nose.

どちらもありうる文だが、どちらも問題がないわけではない。

,楼貎佑凌祐屬吠数の鼻があるような感じもするし、△發澆鵑覆念譴弔良,魘νしているようでもある。

まとまり(個体性)のあるものについて単数・複数を区別するタイプの言語にありがちなジレンマであるが、これは<文中での視点移動>という言語過程を示す例として考えれば非常におもしろい。








(つづく)














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