ごきげんようチャンネル

"The United States as a country has interests, and those interests are not the interests we hear about on the campaign trail." Jeanne Zaino, Iona College
           
<厳しい戦い>と思っているだけでパワーは上がる シューカツ面接術 その1
伊東明『ハイレベル面接術』(ダイヤモンド社、2010年)

難関企業への就職をめざす学生向けの本。

ここ数年、ほんとうに学生は「シューカツ」に苦労している。

印象に残ったところをメモしておく。




「この人を自分の部下にしたいか?」というのが人事担当者の最終的な基準。94頁。


「できるだけシンプルに考える」と、自分のいいところが出る。72頁。


「バイト先の上司に対するのと同じような気持ち」で面接にのぞむとちょうど良い。それなりの礼儀、それなりの敬語がうまく使える。93頁。


語尾を上げるクセがあるなど、些細なことで評価が下がることがある。しかし、これを逆にいえば、些細なことを改善するだけで印象はずっと良くなるということである。119頁。


「突出している」となぜ得か? それは、なにかの点で突出していれば、「なぜこの人を採用したのか?」と文句がでたときに、人事部は理由をあげて言い訳ができるから。50頁。


面接では、自分に触らないこと。膝をさする、アゴを触る、ネクタイを引っ張るなどは、自信がなさそうに見えて不利。207頁。












(つづく)












| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
絶望した者にだけ真の活路が見える
<これではダメだ、自分にはできないのではないか>


そう思いながらも、あきらめられないことがある。

そこで、思い切ってやめてしまうこともひとつの方法である。

が、やめるわけにもいかない場合は、どうするか。

おそらく、そのまま同じ努力をつづける人が多いのではないか。



そういうとき、回りを見渡して、多くの人が同じように努力してもできないとすれば、



<ひょっとすると、みんな目標が間違っているのではないか?

または、このやり方が間違っているのではないか?>



と疑ってみるべきだと私は考える。

私のみるところ、たとえば、学校の教科の多くがそういう状態にある。大きくみれば、軍隊や原発のようなものも、根本的に疑ってみる必要がある。

しかし、今ある目標と方法を疑ったとしても、替わりの目標と方法を生みだすには、たいへんな努力と工夫が必要になる。

その努力と工夫を可能にするものはなにか。

それは、すでに費やされた犠牲への反省であり、このままではどうやっても先がないという絶望ではないか。



<この目標と方法を、私はあきらめる。絶望する。>



という断定。

そこからわずかな希望がみえるとき、絶望というマイナスが希望というプラスに変換される。

時代を前に動かす。

そのためには、いつまでも古い目標、古い方法にしがみつかないことだ。



闇は深いほど、小さな灯りが目に入る。













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 18:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「仕事ができる」とは、仕事を溜めないことである

「仕事が速い」とは、待たせないこと。

当たり前のことのようだが、これについておもしろい話を読んだ。




AさんもBさんも、依頼を受けた順に一日一件のスピードで仕事を済ませると仮定する。

Aさんの手元にはいつも二件の仕事がたまっている。この場合、今日頼まれた仕事を彼が済ませるのは、三日後である。

他方、Bさんは手元にたまった仕事がない。だから今日頼まれた仕事は今日済む。

この場合、二人の能力は同じだが、依頼した側から見れば、Bさんのほうが三倍も仕事が速い。


これを、


工数ベースでは同じだが、リードタイムベースでは三倍のスピードがある


と表現するのだという。



仕事の処理スピードを上げるより、仕事を溜めないようにする−


これが「仕事のできる人」になるコツなのだ。


(以上、小野桂之助「三つの『時間』概念」『ARENA』2010(vol.9)、359頁より。)


この記事によると、仕事を溜めない人の机はスッキリしているという。

そういえば、その日の用事を全部すませたとき、私の机はスッキリしている。(そうでないことのほうが多いが…)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 05:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
何度でも!のスピリットに感動する
 


2011年9月2日、新聞各社掲載の広告 宝島社







「いい国つくろう、何度でも。」



3.11 事件から半年後に出て話題になった広告コピー。

さっき福島県飯館村の村長さんが、ラジオの講演で引用していた。

それで思い出したのだが、私が大学院生のころ、現代史の指導教授が、


「またか、と思われようと、歴史で重要なことは何度でも言わねばならない」


と言われたとき、筋金入りとはこういうものかと思った。

似た表現だが、高校生のころ、ニーチェやエリアーデの「永劫回帰」という言葉を見たときは、どうにも理解しがたい外国の観念という感じがした。

しかし、ここで広告が「何度でも」というのは、下腹のほうから上がってくるような感動がある。

頭ではなくて腹で、胸でわかるのが<思想>だ。

思想は、一度ではなく、何度でも再建することで鍛えられる。筋金入りになる。

またか、と思われてもいい。

必要なこと大事なことは、言わねばならない。しなければならない。

何度でも。













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
国際問題こそ<私的>な自覚から<社会的>な拡張へ おわり
もちろん、中東問題について議論に参加しにくい言語圏は、日本語圏だけではない。

たとえばアルジャジーラのこのコーナーには、ドイツ語やフランス語やスペイン語の言語話者は登場しないし、中国語話者も登場しない。そうした人々がこの問題について英語で語るのは、当事者性の観点からも言語のうえからも、そう容易ではない。

さらにいえば、そもそも日本人など当事者性の薄い立場の人間は、この種の議論に参加する必要も要望もないのかもしれない。




いずれにせよ、ここで確認したいことは次のことだ。

言語をはじめとする人間の表現活動は、われわれの内心の私的な認識を社会的な形にして発表することである。

ここで<私的>というのは、国内では<個人的>ということだが、国際的な場面では、自分の母語や母国という要素も前景に出てくる。

日本語が通じない相手に対しては、<日本出身の日本語話者である>ことが、<私>という個人の<私的な認識>の背景に据えられることになる。

だから国内ではあまり意識しない<日本文化とはなにか>といったことが、海外では<私的>で切実な問題として感じられる。

国際的議論では、母語や母国は発言の基礎となる私的な背景である。

これは日本人だけでなく誰についてもいえる。

もしも中東問題に日本人が参加して議論するとすれば、<日本出身の日本語話者である>という私的な背景を自覚し、常にその立場をふまえて発言するのが正しい。

そのうえで、よりユニバーサルな価値、たとえば母であること、男性であること、三十代であること、サラリーマンであること、といった面に言及するのがよい。

表現の基本は、<まず私的であれ、そして次に社会的であれ>ということである。









(おわり)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 07:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
国際問題こそ<私的>な自覚から<社会的>な拡張へ その1
アルジャジーラのサイトに、イランへの経済制裁について数人が議論しているコーナーがある。



http://www.youtube.com/watch?v=ZiJtl9pJY64&feature=player_embedded



番組の最中に視聴者からの質問や意見をメールで受け付け、アメリカ留学中のイラン人の談話など、あらかじめ編集された短い動画も紹介しながら、ゲストが賛否両論をたたかわす。

このコーナーでは、言語はすべて英語である。

これを見ていると、いくつか感想が浮かんでくる。


① こういうテーマの議論に、われわれ日本人が関わるのはむずかしいようにみえる。

参加がむずかしいようにみえる大きな理由は、テーマの疎遠感である。

日本からみるとイランは遠い場所のように感じるし、イランの核開発がどれほど切迫感があるのかも実感しにくい。

そういうわれわれが、こういう議論に積極的に参加しているという構図は、イメージしにくい。


② もうひとつは、言語の面で、この種の議論に参加するのがむずかしいようにみえるという問題である。

これは「日本人の英語力」という問題もさることながら、①に書いた<テーマの疎遠感>と深い関係があると思う。

一般に、外国語を使って複雑な議論をし、説得しあいながら解決しなければならないような問題が存在しない環境では、どうしても外国語で自己を表現する鍛錬は弱くなる。

言語そのものよりも、<日本>という環境が重要なファクターになっているように思える。










(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 07:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あらゆる思想は人体によって実在となる その2
日本神話について、平泉氏の見解が分かる部分を引用してみよう。


「神話を、そのままの姿で、今日の知識から批判すれば、どれもどれも荒唐無稽、つまりデタラメで、信用もできず、価値もないように思われるでしょうが、実はその中に、古代の宗教、哲学、歴史、道徳、風俗、習慣が、その影をうつしているのであって、その民族の世界観と人生観、その知性と徳性とを、これによってうかがうことができる、貴重な資料なのです。」(平泉澄『物語日本史』前掲、上巻、40頁)


神話が「貴重な資料」であるとしても、神話はその民族の世界観などを「うかがうことができる」だけであって、その民族の唯一の世界観でもなければ永遠不変の世界観でもない。

その点を留保すれば、上記の文はおおむね首肯できる内容である。

さて、平泉氏の筆はここからにわかに熱を帯びる。



「そこで我が国の伝えはどうなっているか、といいますと、天地の初め、すなわち世界創造の時に、最初に出現せられたのは…神であることは、すべての伝えに共通しています。

これはすこぶる重要な点です。

なぜかといえば、我々が動物から進化したとするか、または野蛮な人間から発達したとするか、いや発達ではなくて堕落してきたものとするか、それとも神から出たものとするか、その出発点の相違は、その民族の宗教に、道徳に、政治に、重大な影響があるからです。」(平泉同前書、40−41頁)



これはなんとなく納得できそうな文であるが、ここには、みずから「神から出たもの」としない民族がもしあれば、それは愚かな民族であるといいたげな口吻が感じられる。

民族の起源を神に求めない歴史観など取るに足りない、という結論への伏線が敷かれているのである。









(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
福島原発犯罪と「日本人論」  
国会の委嘱で設置された福島原発事故調査についての委員会が報告書を完成させた。

省庁系の官僚作文とちがって、東電や内閣を明確に批判していて注目される。

http://www.slideshare.net/naiic/naiic-youyaku-13550588

ところで、この委員会の委員長をつとめた黒川清氏のコメントが TIME に掲載されていた。


「残念だが、この事故は一種のメイド・イン・ジャパンである。日本文化にしみこんだ因習。服従を当然とし、権威を疑おうとせず、いったん立てた計画に固執する集団主義、島国根性。」


どういう場での発言または文章なのか記述がないが、今回の事故についてこのように感じる人は黒川氏だけではないと思われる。

この観察に直接異論があるわけではないが、この種の「日本人論」的な理解の仕方には、前提が必要ではないかと思う。

私がいう「前提」とは、黒川コメントに出てくる「服従」「固執」「集団主義」「島国根性」といったものは、じつは人類全体が共有する傾向だということである。

原子力の安全を研究しているハーバード大のバン教授は、今回の日本の国会の報告書について、

「たしかに日本の文化的要因がこの事故と関連していると思うが、規制する側と規制される側の癒着、天下りなどの問題は、原子力に限らず多くの産業で起こっているし、どの国でもやっかいな問題である」

とコメントしている。


MATTHEW BUNN: Well, I think the report is correct in saying that there are aspects of Japanese culture that were a problem here.

But I think they may be in a sense hitting themselves too hard, in the sense that, while there are aspects unique to Japan that probably made the collusion between the regulators and the operators worse, the reality is, all over the world -- and not just in the nuclear industry, but in many industries -- you have often a cozy relationship develop between regulators who get much of their information, maybe their future job opportunities and so on, from the industry they're regulating, and the industry itself.

So figuring out how to build in a new safety culture and a new level of independence and toughness for the regulators is a hard problem, not just for Japan, but for countries all over the world. One of the things that this accident tells us is that, globally, our system for finding and fixing the safety problems is not as strong as it ought to be.

http://www.pbs.org/newshour/bb/world/july-dec12/fukushima_07-05.html



だからといって、黒川コメントが間違っているわけではない。日本において作用するのは、当然「日本文化にしみついた因習」であって、他国の因習ではないからである。

ここに示唆されているのは、<人間社会に共通する集団苦>を自覚する必要性である。

人間の社会は、戦争、災害、貧困、差別などの集団苦をまぬがれることはできないかもしれない。しかし、人間はそれを緩和し回避する知恵もまた発達させてきた。

原子力に関しては、

<非常に危険な自然力、人間の力では制御しきれないことがわかっているこの力に、どんな理由があっても手をつけてはならない。>

という知恵が人類に共有される必要がある。












【以下、上記の黒川氏のコメント記事】



“What must be admitted, very painfully, is that this was a disaster ‘Made in Japan.' Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with the program;’ our groupism; and our insularity.”

-KIYOSHI KUROKAWA, the chair of the Fukushima Nuclear Accident Independent Investigation Commission, which released a report today on the causes of the nuclear meltdown that followed the tsunami on March 11, 2011. The commission concluded that the accident was a preventable one, and could have been mitigated by quicker action by the Tokyo Electric Power Company (Tepco), which owned and operated the Fukushima Daiichi plant. Tepco has claimed that the accident and subsequent meltdown was due to a “once-in-a-millennium” tsunami, but the commission report suggests that the initial earthquake may have caused severe damage to the plant even before the wave hit. The commission describes a breakdown in communication between the office of then Prime Minister Naoto Kan and Tepco that diverted time and attention from emergency work on the plant. Most of all, though, the report blames the culture of collusion between the company, the government and tame regulators that “betrayed the nation’s right to safety from nuclear accidents.” The problem isn’t just with Tepco or one prime minister, but with the way Japan itself is run―the suppression of dissent in favor of group harmony, no matter the cost. And as Fukushima showed, the cost can be very high.



Read more: http://ecocentric.blogs.time.com/2012/07/05/independent-commission-releases-report-on-fukushima-meltdown-blames-japanese-culture/?iid=ec-article-mostpop1#ixzz1zt4PxI7f







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 09:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"Don't Repeat Yourself." くり返しながら脱皮するという人間と歴史の真実 おわり
歴史や社会や個人は「くり返す」。

(むろん、「くり返す」のは運動の形式面であって、内容面ではまったく同じことがくり返されるわけではないが)

そして歴史も社会も個人も、同じようなことをくり返しながら("It repeats itself.")、いつのまにか次の段階へと移行する("It grows.")

最近感心したエッセイに、次のような言葉があった。



「少年はたえず少年というループを反復・循環しており、あるとき、ふと青年というループに移り、青年はずっと青年というループを反復・循環して、そしてあるとき、壮年のループへ。…

そこに新しい生命の誕生を付加すれば、反復・循環は、また往復でもある。」

(前田富士男「生成という空間」、前田富士男・宮下誠『パウル・クレー 絵画のたくらみ』とんぼの本、2007年所収、70頁)



仏教はここでいう「往復」つまり輪廻を念頭におくが、人間の一生に関する「生老病死」という伝統的な概念では、前田氏のいう小さな「反復・循環」の側面があまり明確でないように思う。

歴史も社会も個人も、くり返す。これが客観的なあり方であり、ものごとの習性だ("Things repeat themselves.")。

しかし自覚的存在たる人間は、未熟や過ちをくり返しながらも、 "Don't repeat yourself!" と自分に言い聞かせ("Challenge yourself.")、主体的に次の段階へと賢明に脱皮する("You grow.")能力をもっているはずだ。









(おわり)







補遺: 英語では、"question yourself"(自分の能力を疑う)という表現もある。するとさしずめ、”Don't question yourself.  Always challenge yourself instead."  というのが人生の知恵ということだろう。




| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"Don't Repeat Yourself." くり返しながら脱皮するという人間と歴史の真実 その1
Nora Ephron というアメリカのエッセイスト・脚本家が亡くなった(71歳)。

追悼報道によると、彼女はあるインタビューで、”... or else you just repeat yourself.” という表現をつかっている。


GWEN IFILL: A year later, in the Charlie Rose interview, Ephron said she never stopped challenging herself.

NORA EPHRON: I think that keeping yourself fresh is a difficult thing in the aging process, and finding things that are hard for you is something that you have to do, or else you just repeat yourself.

CHARLIE ROSE: Or else you don't grow.

NORA EPHRON: Yes.

http://www.pbs.org/newshour/bb/remember/jan-june12/ephron_06-27.html



"History repeats itself. "という言葉に似た "You repeat yourself. " という表現は、個人も同じことをくり返してしまいがちであることを言っている。

上の引用には、「常に向上をめざす」("Never stop challenging yourself.")という言葉もみえる。






(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 07:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
#誰が書いてるの?
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック