ごきげんようチャンネル



Smile, what's the use of crying?

You'll find that life is still worthwhile

If you just smile


ギリシャ精神から近代ヨーロッパの偽善と卑屈を照らし出す ニーチェの鋭い観察 

ニーチェ『愉しい学問』(1882年初版)は、ニーチェの発想がわかりやすい著作だと思う。

 

そのなかから、日本にも適用できそうな文を紹介しよう。

 

 

 

 

136番 選ばれた民族

 

ユダヤ人は、数ある民族の中でも選ばれた民族であるという自負をもつ。しかもそれは、民族の中でも道徳的天才であるからである(他の民族と比べて、彼らが、おのれの内なる人間をいっそう深く軽蔑したという能力のおかげで)。

 

そういうユダヤ人が聖なる神的君主に対して抱く満足感は、フランスの貴族がルイ十四世に対して抱いた満足感と似ている。

 

フランスの貴族は、自分たちの権力と独立心を奪われてしまい、みじめな存在になり下がった。このことを感じなくてすみ、また忘れることができるためには、国王の栄光が、並ぶものなき国王の権威と横溢する権力が、必要であった。

 

その王に拝謁できるのは貴族だけであった。この特権に応じて、宮廷の高位に昇り、そこからすべてを見下ろし、すべてを軽蔑して見下すことで、一切の良心の呵責から超然とすることができた。

 

だから、国王権力の高楼を意図的にどんどん高く築いて雲上にまでそびえさせ、自分の権力の究極の礎石をそこに置いたのである。

 

(森一郎訳、講談社学術文庫、220-221頁)

 

 

 

 

ここには、旧天皇制官僚たちの心性に似たことが書かれている。

 

支配者を高い位置におき、彼に支配されることで、自分の自尊心が満足する。この一見矛盾した心理は、「聖戦」と吹き込まれた日本人兵士にもあったようだ。

 

上記のニーチェの文に、「おのれの内なる人間をいっそう深く軽蔑したという [ユダヤ人の] 能力」とある。これはキリスト教にも当てはまりそうである。

 

ニーチェが嫌ったのは、自分を軽蔑してみせる近代ヨーロッパ人の卑屈さだった。そしてこの本をみていると、ニーチェが参考にしたのは、古代ギリシャ人の強い自己肯定的な感覚だったことがよくわかる。

 

してみれば、ニーチェの思想はある意味で、古代ギリシャに範をとったイタリアルネッサンスの精神にも似ていることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 19:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ダンサー・田中みんさんの講演を聞いた 肉体の現実・演じた事実・他者に生まれる真実

岐阜市内の美術館で、ダンサーの田中みん(漢字は、さんずいに民)さんの講演会があったので、行ってみた。

 

聞きながら私が思ったこと。

 

・人間は、物質的な現実のうえに生きている。自然や商品に囲まれ、自分の身体のなか、他人の身体のそとに、生きている。若いころ、田中さんが発見したのは、この物質的現実だった。

 

・表現とは、社会的事実を生むことである。表現は、鍛練することで洗練された事実となるのだが、表現体を作ることじたいは個人でもできる。他人にも確認できる事実をつくれば、それは表現である。表現は「やったもの勝ち」の世界。

 

・その事実が、社会的にどれほどの真実性があるか。それは表現とは別の局面になる。他者との社会的試練によって、表現の真実性が試される。社会的行動は「感動させたもの勝ち」の世界。

 

・田中さんの師の土方巽は、58歳で亡くなった。天才は夭折するというが、現代では58歳は夭折のうちかもしれない。表現する人たちは、現実に忠実な事実をつくることで、鋭い真実を生む。若いときにこの方向へと突き進んだ田中さんが、いま試練を経て、70代という肉体的現実のなかで元気に表現しつづけている。この事実が、田中さんの表現の真実性を高めている。

 

・会場からの質問に答えたなかで、ちょっとハッとしたのは、

 

「人は互いに共感できる部分をもっている。そこに信頼して、自分の身体を使うのだ」

 

という主旨の言葉。

 

先鋭なパフォーマーは、独りよがりと見られやすい。じつは突出した独りよがりほど、人々への信頼のうえに成り立っている。

 

事実が現実に立脚しているとき、他者のなかに真実が生まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 06:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「役者が同情されたらおしまいだ」 覚悟をもつ人がプロである

最近聞いた話。あるベテランの役者が階段から落ちて足と肩を骨折した。

 

しばらくリハビリして、歩けるようになったが、ときどき痛みが走る。

 

それでも平気な顔で演じているので、周囲が心配し、大丈夫ですかと声をかけると、

 

「役者が同情されたら、おしまいですから」

 

と答えたという。

 

プロの役者は、役が演じられて当然である。演じて心配されるようでは、役者ではない。

 

 

 

「これができて当然。それが、プロとして鍛えてきた自分の証である。これができなかったら、私はプロではない。」

 

 

 

こうした覚悟は、意志の一種である。

 

プロかアマか。その違いは、「これができて当然。かならずやってみせる」という意志があるかどうかである。

 

「当然、かならず」という意志を抱いたとき、その人はプロとしての道を歩いている。

 

「当然、かならず」という意志を放棄したとき、その人はもはやプロではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 04:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ものごとは、三つに分けて実行するといい 

ものごとは、まず三つの層に分け、それぞれの層ごとに機会や場所を別にして訓練し、最後に総合して勝負する。

 

三つの層とは、身体、仕組み、そしてメンタル。

 

人体が足、胴体、頭から出来ているのと対応するこの発想は、いろいろなところで役立ちそうだ。

 

ギタリストが、ギターを身体で支え、音楽の構造を理解したうえで、演奏に集中する。

 

俳優が、まず意味を離れたたんなる音としてセリフをとらえられるまで練習する。そして役柄を理解し、最後にセリフの意味だけを考えて演技する。

 

戦後日本が生んだ英語の達人・國弘正雄氏が、次のように英語の極意を語っているのも、身体を三層に分けて使えということだ。

 


「息に声が乗り声に意味が乗るという境地を目指すのです。枕木を並べてレールを敷き、その上を電車が通るという感じです。野球でいえば下半身をちゃんと使えるということでしょう」(國弘正雄『國弘流英語の話し方』たちばな出版、1999年、68頁)


 

英語をたんなる息にまで解体したうえで、英語の声を通して、意味を演じよ、というのだ。

ここでリードするのは、最上層のメンタルである。最下層の身体的・物理的な層は無意識化するまで鍛える。そのうえで、中間層の理解をふまえ、意識はメンタルな最終目的に集中する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「”私はアホです”と書いて立っていなさい」という粋な?判決が実在した
あまりにアホらしいので無視しようと思ったが、どうにも捨てがたいニュースがあったのでメモしておく。


アメリカのオハイオ州の町で、酒に酔った58才の男が警察に911コールして、「殺すぞ I'll kill you.」などと口走った。脅迫罪か公務執行妨害か、とにかく判決が出た。


「"私はアホです。 I am an idiot. "と明記した看板を持って、警察署の前で毎日三時間立っていなさい。一週間つづけること。」


判決だから、男はその通りにした。

男は、「酔った上のこととはいえ、ホントに悪いことをした。これで罪の意識が減るから、ちゃんとやります」と話している。

その映像がなんともマヌケで、悲しいというか、おもしろいというか…(それをわざわざ取材しに行った報道機関も、ちょっと…)



http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-23955695




アメリカでは、こういう粋な?判決がときどきあるらしい。

日本でもやってみたらどうかとも思うが、いろいろな事情で、実行不可能なのかもしれない。







(おわり)







おまけ:男がサンドイッチマンのように持たされた自筆の看板の、情けない文句は、次のとおり。



”I apologize to officer Simone and ALL police officers for being an idiot calling 911 threatening to kill you. I'm sorry and it will never happen again.”









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 16:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
一人で語ることの力 キング牧師の"I have a dream speech" 秘話  その1
キング牧師の"I have a dream speech" について、ふたつのことをメモしておきたい。



ひとつは、奇跡の瞬間というのは、準備されながらも即興であるとき、あるいは、即興でありながらも準備されていたとき、生まれるものらしいということ。

1963年8月28日、ワシントン大行進での歴史的演説については、キング牧師のスピーチライターが証言を残している。

それによると、前日、ホテルでキング牧師、スピーチライターを含む7人が集まって演説の内容について相談した。



http://www.forbes.com/sites/carminegallo/2013/08/27/public-speaking-how-mlk-improvised-second-half-of-dream-speech/



出来上がった原稿は、事前に報道陣に配布された。

ところが、演説がはじまってしばらくしたとき、近くにいた、友人で歌手のマヘリア・ジャクソンが、「例の、夢の話をしてよ。 Tell'em about the "dream."」と言った。

「例の、夢の話」とは、二ヶ月前にキング牧師がデトロイトで演説したとき、"I have a dream." のリフレインを用いたことを指していたらしい。

ただし、マヘリア・ジャクソンが二ヶ月前のデトロイトでのキング演説も聞いていたかどうかは確認できない。

そのデトロイトでの演説は全文が残っているが、ワシントン大行進での演説に言葉使いまでよく似ている。"I have a dream." にはじまる名文句は、ある意味で準備(予行演習?)されていたのである。



http://mlk-kpp01.stanford.edu/index.php/encyclopedia/documentsentry/doc_speech_at_the_great_march_on_detroit/



ワシントン大行進の日、マヘリア・ジャクソンは、キング牧師の演説が、格調は高いが原稿を読み上げるだけで活気がないことに気がついて、


「例の、夢の話をしてよ。」


と言ったのだろう。

マヘリア・ジャクソンの言葉は、周囲の数人にしか聞こえなかったが、キング牧師は、原稿をかたわらに押しやると、目をあげ、組織や運動の代表者としてではなく、個人として語りはじめた。

それが "I have a dream." にはじまる、もっとも有名な部分となった。

そこで語られた、食卓での歓談のイメージや天地の変動のイメージはまさしく聖書的で、いかにも牧師が教会で語る言葉であった。

その説教調こそ、キング牧師の個人的資質がもっともよく表現される表現様式であった。









(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「人は見ようとして見、知ろうとして知らないと、見えない、知らない」 アイガモ農法が教える知恵 おわり
◯ 物理柵と心理柵。

海苔網などは、動物園の柵と同様、物理柵。

これとちがって、電気柵は心理柵。

田に電気柵を張り、野犬のエサを置いておくと、彼らは強い電気ショッックを体験する。これだけで、彼らは二度と近づいてこない。

これはアイガモにとっても同様で、電気柵があれば、田の外に出ることはない。

電気柵は、野性動物にとっても、人間界との「棲み分け」という積極的な役割を果たしている。

電気柵には電気を流しておくだけなので、年に二、三回の充電で済む。

それ以来、四半世紀、野犬の被害はいっさいなくなったという。




… 本能でアイガモを襲う野生動物に対して、物ではなく、「心理」で対抗する高度な知恵。

省エネな仕掛けで、人間界と動物界の本来の棲み分けをとりもどすという、真の知恵。










放送で古野さんは、「今思えば、はじめに野犬にやられてよかった」と述べた。

野犬がいない地域でも、アイガモ農法をつづけていると、いずれ必ず野性動物に襲われる。そのときに備えて、農民たちに電気柵の経験を語っている。

それができるのは、かつて自分が野犬と闘ったことがあるからだ。


自分が苦しんだからこそわかる、万物斉同(荘子)の精神だ。










(おわり)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「人は見ようとして見、知ろうとして知らないと、見えない、知らない」 アイガモ農法が教える知恵 その2
◯ ヒナをオーダーしたが、なにも新しい対策が浮かばない。

そのとき、偶然、義理の姉の家でサトイモをイノシシから守るための電気柵を目にした。

けっきょく、これが野犬対策の決め手になったのだが、ここで面白いのは、以前からイノシシ対策に電気柵を使っていた人は、古野さんが野犬問題で悩んでいることを知っていたし、古野さんもイノシシ対策の電気柵を以前から知っていたということである。

にもかかわらず、誰も電気柵が応用できることに気づかなかったのである。

次の部分は、いかにも農民の実感がこもった、いい文章である。




「春の田に立ち、目を閉じ目を澄ますと、風の音、ヒバリの鳴き声、ミツバチの羽音、トラクターの音… いろいろな音が聞こえてきます。

しかし、日常は意識を集中している音しか、私たちには聞こえていません。…集中している物しか認識していません。

私たちは聞いていても聞こえないし、見ていても見えていないわけです。

知っていても知らないのです。」(テキスト、55頁)












(つづく)













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「人は見ようとして見、知ろうとして知らないと、見えない、知らない」 アイガモ農法が教える知恵 その1
アイガモ農法の古野隆雄さんの話(NHKラジオ「こころをよむ」シリーズ)の第四回を聞いた。

今回は野犬との闘いの話。

アイガモを田に放つと、必ず野犬やイタチなどが襲ってくる。

野犬はアイガモを食べるのではなく、オオカミに似た襲撃本能によってアイガモをかみ殺す。

夕方、アイガモを小屋にもどせばよいともいえるが、アイガモ農法を実行する以上、野犬はいずれどうにかしなければならない。

その苦闘の話が、じつに興味深い。




◯ 約三年間奮闘した末、田に海苔網をめぐらす方法を最後の切り札として実行したが、やはり野犬にやられた。

これ以上アイガモを犠牲にできない。

あきらめようとしたとき、小学一年生の長男が、「またヒナ飼うとやろ」と言った。

ここで父親たる古野さんは、再度奮起した。



<ここで断念したら、息子の人生に良くない影響を与える。>



古野さんは、もう一度、アイガモのヒナをオーダーした。



… これはいい話だ。


年長の者があきらめると、それは世代を越えて悪い影響がある。

逆に、ベストを尽くしても、さらに尽くす姿を年長者が見せること。これが世界全体を勇気づける。










(つづく)













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あらゆることを意識的に<囲いこむ>ことで、パフォーマンスは飛躍的に高まる
さっきラジオで、アイガモ農法で有名な古野隆雄さんがじつに面白い話をしていた。

テーマは、「農業と人生を面白くする」。


テキスト

http://sp.nhk-book.co.jp/text/detail/index.php?webCode=69108582013&utm_source=nhk&utm_medium=www.nhk.or.jp&utm_campaign=text2013



古野氏によると、水禽類を水田に放つのは三千年ほど前に中国ではじまった方法。

したがって、二千年ほど前に日本に稲作が伝わったとき、水禽類がいっしょに伝わった可能性がある。

ならばアイガモ農法は、日本の稲作のはじまりを、ある意味で復活させたことになる。





面白かったのは、アジアでは、昔から「水田の遊牧民」というのがいたし、今もいる、という話だ。

一団のカモをつれて、広大な水田地帯を旅していく「遊牧民」。

カモは水田の雑草をとり、害虫をとり、糞が肥料になるから、他人の水田での「遊牧」が許されているらしい。

途中、カモが産んだ卵を売ったりもする。

そしてカモが肥えて目的地に着くと、カモを売り払って帰っていく。

「水田の遊牧民」は、賤民の一種というところもあるようだが、こういう生業様式があるというのは、じつに興味深い。






古野氏が強調していたのは、「囲い込み」ということを、たんに実行するだけでなく、概念として実体化する(ひとつのまとまった思想ーとくに固有名詞ーにして、使用対象性と価値対象性を与える)ことの重要性である。

そもそも水田は、水を畦(あぜ)で囲い込むことで成り立つ。

同様に、カモは「水田の遊牧民」のように放牧?するのではなく、柵などで囲い込んで畜産化することで、カモがもつ良い効果が集中的に利用できる。

これがアイガモ農法である。

「囲い込み」を明確に概念としてとりあげ、これを農民に説明することで、アイガモ農法の核心がうまく伝わるようになったという。


(実際のところ、現代の日本では、他人の水田に迷惑をかけないためにも、アイガモは囲い込む以外に利用方法はない。)






意識的に自分や他者を「囲い込む」ことによって、もてる力を集中的に発揮すること。

これはあらゆることに応用できるコツだ。


スポーツや勉学、学校、会社、法律、規則などは、人間の行動を「囲い込む」ことで無用のあつれきをなくし、人間の力を集中的に発揮する様式である。

作家をホテルに「缶詰め」にする、クラブで合宿する、などは、「囲い込み」力の典型的な利用法である。

姿勢、マナーのようなものも、自分を囲い込むことで行動をスムーズにすすめるコツの一種である。

「締め切り」をもうけると人は結果を出せるというが(心理学でいう「締め切り効果」)、これは時間的に人を「囲い込む」手法である。

なにごとも「すぐやる」人は能力の高い人だが、これも「すぐ」という時間的な囲い込みによって、自分のパフォーマンスを高めているということである。

「人生、これ一筋」などというが、これも自分の人生を丸ごと「囲い込む」ことによるパフォーマンス力の向上様式であろう。



そして、今気づいたのだが、そもそも対象に固有の名前をつけて実体化し、それを操作して思考することは、人間のパフォーマンスを高める「囲い込み」の典型である。

対象の<囲い込み>=実体化によって、言語は非常に高度なパフォーマンスを獲得しているのだ。












| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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