ごきげんようチャンネル


みにつもる ことばのつみも あらはれて こころすみぬる 三重(みかさね)のたき

   『山家集』1118

哲学の迷路から運動の科学へ その1

哲学の時代は終わった。

むかし声高にそう言われた時期があったことを三浦つとむが証言している。

「『哲学一般はヘーゲルとともに終結する』(エンゲルス『フォイエルバッハ論』)とマルクス学派は宣言します。

唯物論はもはや哲学でなく科学的な世界観となり、世界の部分的な研究は実証的な個別科学によって扱われることになったからです。

マルクス学派がいまなお自己の理論であるものを『哲学』と呼んでいるとしても、それは旧哲学の成果をうけついだという歴史的な事情と、個別科学との区別が必要であるという意味において、世界観と弁証法とに『哲学』の名を与えているにすぎません。厳密にいえば哲学ではありません。」

(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社現代新書、1968年、72頁)

弁証法はもはや哲学ではなく「科学」だから、自分は「哲学不要論の立場をとる」と三浦は述べている。4頁。

あっけらかんと哲学を廃棄しているが、これはよくよく考えてみるべきことだ。








(つづく)














| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
デカルトと般若心経 おわり

■デカルトは貴族の出身だったが、精神は民主的だった。

すぐれた古典はかならず民主主義を志向している。

貧しい水汲み女だったマリアに「神の子」を産ませた新約聖書にはじまり、偉大な文学も、社会科学の古典も、すべてそうである。

その理由は案外と明白で、民主的であることが革命的であることだからだ。

ここで民主的といい革命的というのは、社会のより下層の民の解放をめざす断固たる構想と実践のことであり、それはいつの世も人の心をうつのである。

<われ思う、ゆえにわれあり>とは、<思い方ひとつで自分の存在が実感できる。このことは身分や財産や運命にかかわりがない。これなら誰でも実践できる>という意味である。

それは「大乗」の救いをめざす「空」の思想であり、下層の民の解放をめざす民主主義の思想である。

デカルトといえば、とかく西洋哲学史の額縁にいれようとしがちだが、それだけにこだわる必要もなかろう。

デカルトは、その生涯をかけて空の思想、民主主義の思想を実証した。だから『方法序説』は今も不思議な魅力をもって生きているのだ。








(おわり)


| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
デカルトと般若心経 その3

■新訳で驚いたのは、デカルト氏が般若心経を唱えている!?ことに気づいたときだ。

それは次の箇所である。

「私の第三の格率は、運命よりも自分に打ちかつよう、そして世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることであった。…完全にわれわれの能力の範囲内にあるものはわれわれの思考しかない。」47頁。

さて、どこが般若心経か。

ひろさちや氏によると、般若心経の「空」の思想とは次のようなものである。

「わたしたちは不安というものが有ると思っています。しかし、不安は何かの縁で出てくるものです。実体的に存在しているものではありません。かといって不安なんて無い、といってはいけません。なにかの縁で不安になるときは不安なのです。不安は有る/無いを超越して空なのです。…

小乗仏教は、有/無といった考え方をしていました。人間には煩悩が有るから苦しむのだ。苦しみを無くすためには煩悩を無くさないといけない。そのような考え方をベースに教理体系をつくっていました。

大乗仏教はそこに空という考え方を持ち込んで、小乗仏教を批判的に改革したのです。般若心経はそうしたグループの経典です。」(ひろさちや「お経巡礼」NHK『テレビテキスト歴史は眠らない』2010年6−7月号、68‐69頁)

デカルトは世界を変えるよりも自分の欲望を変えるために「長い修練」をおこなったという。48頁。

これは、誰もが到達できる真実を求めて、この世の現実に左右されない「空」の思想を彼が採用したということである。

大乗仏教では「空」の体得がすなわち真実の体得なのだから、デカルトは大乗仏教を体得したことになる。

「空」とは「思う」方法のひとつであり、デカルト青年はそれを自分自身で「ある」ための戦略にした。<われ思う、ゆえにわれあり>はデカルト氏の方法であり結果だったのだ。

<われ思う、ゆえにわれあり>を西洋思想の博物館に飾っておくよりも、大乗仏教のエッセンスと理解したほうがわれわれにはうれしい。

テレビのワイドショー風にいえば、『方法序説』は『方法としての空、デカルト君の体当たり突撃レポート』なのだ。





(つづく)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
デカルトと般若心経 その1

デカルト『方法序説(1637年)』の新訳が出たので、さっそく読んでみた。(山田弘明訳、ちくま学芸文庫、2010年8月刊)

ところで、なぜ300年以上も前の古典に新訳が行われるのか。

じつは翻訳とは、原著者が文章を書いている「場面」へと訳者が観念的に飛んでいき、原文の意味を理解したあと現在へと帰還して、原著者になりかわって表現したものである。

つまり翻訳とはたんに古いものに帰ることではなく、同時代の人に向かって訳者が行う新鮮な創造的行為なのだ。

変化が激しい現代にあっては、古いものほど新しい翻訳が必要になるとさえ言える。






(つづく)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
毛沢東「実践論」と言語過程説

毛沢東の「実践論」(1937年7月)を久しぶりに読み直したら、ちょっとおもしろかった。

■<観念的自己分裂を活用した「場面の成立」が対象認識の出発点だ>という言語過程説の発想が出てくる。

すべての真の知識は直接的経験に源を発している

もっとも、人はすべてを直接に経験することはできない。

事実、多くの知識は間接に経験されたものであって、古代の知識や外国の知識はそうである。

[しかし]これらの知識も古代人や外国人にとっては直接に経験されたものであって、古代人や外国人が直接に経験したとき、もしかれらの知識がレーニンの言う『科学的な抽象』という条件にかなっており、客観的な事物を科学的に反映しているならば、これらの知識は信頼できるものであり、そうでなければ信頼できないものである。

だから一個人の知識は直接に経験された部分と間接に経験された部分という二つの部分からできていて、それ以外のものはない。しかも自分にとっては間接の経験が他人にとっては直接の経験である。

だから、知識の全体についていうと、どんな種類の知識もすべて直接の経験から切り離すことはできない。あらゆる知識の源泉は、人間の肉体の感覚器官による客観的な外界の感覚にある。」

(毛沢東(松村一人・竹内実訳)『実践論・矛盾論』岩波文庫版、16頁)

ここで毛沢東が「直接的経験」といっているのは、主体と客体が正面から向き合う状況になる=言語過程説がいう<場面が成立している>ことであり、それが人間の経験の直接の出発点であるということをいっている。

他方で「他人にとっての直接の経験」を自分も「経験」できるというのは、観念的自己分裂によって古代や外国の人が場面を成立させているところへ自分も飛んでいき、間接的に他人の経験を経験できるということをいっている。

毛沢東は、そういう人間の直接・間接の「経験」すなわち世界を認識する仕組みを知っていた。すなわちこれが人間の認識の表現たる言語が成立する仕組みであり、ついでにいえば歴史学が成立する根拠でもある。

■今回、岩波文庫版で読み直して気づいたのは、「体察」という独特の言葉が訳文にあることだ。

「われわれはよく、同志が活動任務を勇敢にひきうけることができないとき、自信がないと言うのをきく。…[しかし]もしその人が仕事の経験をつみ、虚心に状況を体察する人であって、主観的、一面的、表面的に問題を見る人でないなら、…仕事への勇気が非常に高まってくるであろう。」(同上書、19頁)

「体察」とは、頭だけでなく体全体で察するという意味であろう。いかにも東洋的なこの言葉は、私が見た国語辞典にはない。おそらく中国語の原文にあるのだろう。

この論文のタイトルは「実践論」だが、最後の言葉は

「これが弁証法的唯物論の知行統一観である」

となっている。

おそらく毛沢東の真意は、人間の直接・間接の「経験」を活かして、「深化する認識の運動」(13頁)をまずは頭で理解し(知)、次にみずから「体察」すること(行)が実践の要諦だというにあった。

直接の間接の「経験」による、「認識」(知)と「体察」(行)の統一。

これはまさしく外国語の習得や歴史の理解という「実践」にもあてはまるコツのなかのコツである。






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「イデオロギーとは変革を闘い抜く意識形態である」(マルクス)

マルクスの『経済学批判』に、つぎのような部分がある。

有名な文章だが、ちょっと読みなおしたら小さな発見をした。

「経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、徐々にであれ急激にであれ、変革される。

このような諸変革の考察にあたっては、経済的生産諸条件における自然科学的に正確に確認できる物質的な変革と、人間がその中でこの衝突を意識し、それを闘い抜く形態である、法的、政治的、宗教的、芸術的あるいは哲学的な諸形態、簡単にいえばイデオロギー的な諸形態とをつねに区別しなければならない。

ある個人が何であるかは、その個人が自分自身をどう思っているかによって判断されないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から判断することはできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係との間に現存する衝突から説明しなければならない。」

発見というのはゴチックにした部分のことで、これをシンプルに言いなおすと、

「イデオロギー形態とは、変革を闘い抜くときの意識形態である」

とでもなる。

もう少しくだいて言えば、

「困難を感じとり、それを変革するために闘うとき、人間は独自の意識を用いるものだ」

とでもなろう。

人間は、ある意識(現実にたいする理解)をもたなければ行動できない。とりわけ意欲的な行動にさいしては、「闘い抜く」ために独自の鋭い意識形態を必要とする。ただ、その内容が社会の実態に合致しているとは限らない。

イデオロギーというものをこういう風に広くとらえれば、サッカーの戦略だって、投資心理だって、ビジネスモデルだって、宗教だって、科学だって、歴史だって、すべてイデオロギーに入る。

「闘い抜く」ために、人間はイデオロギーを必要とする。













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 17:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
文字は言語のエッセンスである 吉本隆明『言語にとって美とは何か』から おわり

この本の論点はたくさんあるが、ここでは文字についての吉本氏の卓見を最後に見てみたい。

まず、文字を記した古代人の思いはなんだったか。

われわれは、たとえば簿記の数字のように文字で記憶を確かにしようとしたのではないかと思いがちだが、氏によればそうではない。

文字の起源は、

「語音をとどめ、保存しようとするよりも、言語の意味を表記しようとするにあった。表音的なカナ文字といえども、いったん表記されたうえは音字ではなく言語の意味の表記だ。」(第一巻、96頁)

なるほど、文字が語音を保存するためではないことは、たとえば象形文字を考えればわかる。文字とは表音である以前に意味を表記したものだ。

もっぱら表音のようにみえるカナ文字でさえもじつは意味の表記である。それは白黒フィルムの写真が見る者にとっては色彩を保存していることに似ている。

つぎに、文字によってようやく言語が「発見」されたことを氏は次のように説明する。

「たんなる謡いであり語りつたえであり対話であった言語が文字としてかきとめられるようになったとき、言語の音声が共通に抽出された音韻の意識にまで高められたことを意味した。同時に、その意味伝達の意識がはっきりと高度になったことを意味している。」(第一巻、97頁)

たしかに、歌であっても語りであっても同じ文字で表記できたとき、ひとつの言語をひとつの統一的な観点から把握できるようになったことになる。

文字とは音韻(→言語音の秩序)の把握であり、人間がみずからの言語を把握できるようになったことの証左なのだ。

そして最後に、文字によって言語は客観性=表現する者の意識から独立した性質を獲得する。

「言語は意識の表出であるが、言語表現が意識に還元できない要素は、文字によってはじめてほんとうの意味でうまれたのだ。文字にかかれることで言語の表出は、対象になった自己像がじぶんの内ばかりではなく外にじぶんと対話をはじめる二重のことができるようになる。」(第一巻、97頁)

つまり文字は

,發箸發醗嫐の表記である。→だから文字以外に発音記号が存在する。

言語の秩序の表現である。→だから外国語の習得には文字は貴重な手がかりとなる。

8生譴傍甸兩を与える。→だから人は文字を手がかりに言語を洗練させることができる。

かんたんにいえば、文字は言語の凝縮体(エッセンス)なのだ。



以上は本書のほんの一部をとりあげてみたもので、ほかにも貴重なヒントがあちこちにある気がする。

くりかえし読んでみようと思う。





(おわり)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
詞と辞の区別は言語学からみただけ 吉本隆明『言語にとって美とは何か』から その2

言語は指示表出だけでなく自己表出のベクトルがあってはじめて成立し発展する。

それを吉本氏は

<意識→指示表出→自己表出→有節音声>

と表現したのだが、これは言語過程説がいう

<対象→認識→表現>

のプロセスでもある。

そこで両者を対応させてみると、ちょっとおもしろい。

仝生譴痢秣仂檗笋麓分の<意識>である。

言語の<認識>には指示的な面と自己的な面がある。

8生譴痢禀集宗笋郎能的に<有節音声>となる。

以上の,鉢もおもしろいが、とくに△蓮言語過程説がそれぞれの品詞や語を辞か詞かのどちらかに峻別しようとする傾向があることに対する警告になっている。

「言語における辞・詞の区別とか、客体的表現や主体的表現といったものは、二分概念としてあるというより、傾向性やアクセントとしてあるとかんがえたほうがよいことになる。…品詞概念の区別自体が本質的にはっきりした境界をもたないものだとみられる」(第一巻61‐62頁)

これは言語についてのわれわれの実感に近い。

われわれは客体的表現に主体的な自己表出を込めたりするし、品詞の峻別に違和感があったりするからだ。

辞と詞とか客体的表現と主体的表現とかは、もっぱら認識の指示表出の面を分析する言語学において便利な区別なのだ。



(つづく)




| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 01:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ベクトルを二本に分ける知恵 吉本隆明『言語にとって美とは何か』から その1

吉本隆明『言語にとって美とはなにか』。

なつかしいタイトルだ。

われわれ70年代に文学部学生だった者には、必読書のひとつだった。

いま読み返してみると当然のことが書いてあるような感じもするのだが、

「文学がこういうリクツで分析できる!」

という当時の驚きの感覚もよみがえってくる。

第一章に置かれた言語の「自己表出性」と「指示表出性」というキーワードは、言い換えると文学者と言語学者の違いのことであり、芸術と学問の違いでもある。

そして今になって気づくのは、吉本氏の分析の特徴は数学のベクトルに似ていることだ。

それは角川選書版の第一巻40頁にある第2図に明かなように、

<意識→有節音声>

という言語の周知のナゾを長方形の対角線上の一本のベクトルとすれば、これを長方形の二辺を走る二本のベクトルに分解して、

<意識→指示表出→自己表出→有節音声>

という風に開いてみせたということだ。

重いナゾを重いまま扱うのではなく、巧みに迂回することで軽いナゾに変換してしまう。

聞かされたほうは、「なぁーんだ、そうだったのか」と拍子抜けしたような、目の前が開けたような快感を味わう。

これは画期的な理論によくみられる知恵だ。

言語表現の発生と進化のナゾを、指示表出という客観的なものと、自己表出という主観的なものの総合として考えるという、ベクトル分析的な(そしてある意味で常識に合致した)発想。

言語学者が通常扱うベクトルは指示表出だけである。

他方で、文学者はもっぱら自己表出のベクトルの創出に腐心する。

吉本隆明氏は文学者でありながら、言語学も苦心して学ぶことによって両者を巧みに融合した。

そして氏の指摘が正しいなら、言語は指示表出のベクトルだけでは成立しないことになる。

このことは、外国語の習得を考えるさいにも非常に参考になる。





(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
トーマス・ペインの洞察

憲法九条のおかげで日本人は軍事オンチになってしまったという人がいる。

これには半分賛成で半分反対だ。

軍隊が国民を守るものだと思いこんだり、軍事費が他産業と同様の経済的プラスになるとイメージしたり、軍隊が本質的に殺人と破壊を目的にする反社会的組織であることを認識していなかったり。

そういう無知な状況は憲法九条の存在が関係していると思う。

しかし、軍事力には軍事力で対抗するのが当然だという発想が広がっているのは、憲法九条があるからではなく、憲法九条があるにもかかわらず、というべきだと思う。

憲法九条とは、軍事力以外のもので軍事=暴力に対応する知恵のことである。

その知恵のヒントになりそうな一例。

トーマス・ペイン(1737‐1809)は、アメリカの独立を主張した思想家として有名。

彼は『コモン・センス(1776年)』のなかで、アメリカがイギリスに頼らなくても軍事的に安全である理由を説いて、

「金や銀が出ないおかげで、アメリカに侵入する者もいない」

とさらりと書いている。(トーマス・ペイン(小松訳)『コモン・センス』岩波文庫、48頁)

金や銀が出たラテンアメリカ地域は、ヨーロッパ勢力の略奪の対象となった。南アメリカと北アメリカの運命の差は、ひとつは金や銀の有無に起因していた。(じっさいにはアメリカではゴールドラッシュが起こったが、それは独立したあとであった)

日本も「金や銀が出ない」。資源に乏しい国土であることはよく知られている。

日本には略奪できる天然資源がない。そのことがもっている安全上の意味について考えてみること。(マイナスをプラスに!)

それも平和の基礎になるのではないか。









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 社会科学コテン古典 | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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