ごきげんようチャンネル



Smile, what's the use of crying?

You'll find that life is still worthwhile

If you just smile


ていねいに捨てる・ていねいに生きる

今日、靴を一足捨てた。まだ新しく、かなり高価でもあった靴を捨てた。

 

しばらく履いていると小指が痛くなる靴だった。

 

買うとき、もっと慎重に考えればよかったのに、もっと安いのでもよかったのに…

 

そういう思いと一緒に捨てることにした。

 

靴に一礼して、別れを告げた。

 

物はていねいに捨てる。

 

物といっしょに、自分もていねいに捨てる。

 

それがていねいに生きるということかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
音楽が人生の邪魔になるとき

このごろ、音楽に耳を傾けないようにしている。

 

音楽を使うときは、小さく流す。リズムが快適で、メロディーが印象に残らない、聞き流すだけの音楽を選ぶ。

 

私が主に使っているのは、アメリカの音楽サイト AccuRadio。

 

この世の大部分の音楽作品は、じっと聞いてほしい、この音で、この歌詞でなにか考えてほしい、私を覚えてほしい…といった意志をもって作られている。

 

他方で、少数ながら、聞き流すための音楽も作られている。ambient music などというようだ。「私を覚えてほしい」と自分の意志をおしつけるのではなく、「主役は聞いているあなたです。私は雰囲気を作るだけ」と割り切っている。

 

このいさぎよさが好きだ。

 

考えてみれば、音楽を作る側が主役になったのは、近代に入ってからではないだろうか。作る側が主役になる時代は、そろそろ終わろうとしているのかもしれない。

 

ほんらい、音楽は聞くほうが主役のはずだ。押しつけてくる音楽は、私の人生にとって、もはや邪魔のような気がする。

 

人生は自分が主役。私が物を言わなくなったとき、どれだけのものを残せるか。その準備のために生きる。それが私という主役の意志である。

 

自分にしかできないことを残す。そのために、他人の意志を押しつけてくる音楽を聞いて時間を費やすことは、やめることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 04:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜか今夜は「港町ブルース」 こういうのが好きなのだ

どういうわけか、ふと思い出す歌詞がある。私の場合、森進一の歌でヒットした「港町ブルース」はそのひとつ。

 

メロディーもいいが、なんといっても歌詞がいい。

 

 

出船 入船 別れ船 あなた乗せない帰り船

うしろ姿も 他人のそら似

港、三崎 焼津に 御前崎

 

 

こういう文語的なリズムがある歌詞が、私は好きだ。

 

うまい声で聴きたくなったので、ユーチューブを見ていたら、藤圭子が歌っているバージョンがあった。聴いてびっくり。コブシといい、枯れた声の盛り上がりといい、じつにいい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=hPkejpL1yU0

 

これはおすすめです。

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
テレビは見ない。ラジオも聞かない。それでいいのだ。

もう何年も、テレビは見てない。二週間ほど前にスマホにしてから、ラジオも聞かなくなった。

 

「世の中のことがわからないのでは?」と言われることがあるが、そうでもない。

 

スマホにしてから、アメリカの24時間音楽放送を作業のリズムづけに小さく流している。ニュースなどの情報は、スマホのニュースサイトで適宜読む。天気予報もスマホでわかる。

 

私なりに、大手マスコミの問題点がわかっているから、テレビやラジオが流す情報にそれほどつきあう気はないし、好きだったクラシックなどの音楽も、真剣に聞く気力がなくなった。CDも買わないし、音楽をダウンロードすることもない。

 

テレビもラジオも、私にとっては不可欠のものではない。むしろ、邪魔になるともいえる。

 

本当にやりたいことがあれば、そのために必要なことかどうかを基準に、取捨選択ができる。

 

不要なものを捨てる。なにを捨てているかで、その人の人生がわかることもある。

 

なにかを捨てることで、人生が変わることもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
不要な安心もある。ていねいに捨てて、すっきりライフ!

最近引っ越した人から、こんな話を聞いた。

 

「家を整理していたら、もらった紙の袋(お店でもらった、ちょっとおしゃれだったり、しっかりした紙のバッグ)がびっくりするほど沢山あった。どうしても、というものだけ残して、あとは捨てた。」

 

ものは、置いておくと安心する。けれど、安心しないでいるほうがいいこともある。

 

あまり買い置きをしない。すると、必要なものだけ、そのつど買うことになる。必要にかられた行動は、真剣な行動になる。家もすっきりする。

 

だが、もらったものや、長年なじんだものを捨てるのは、むずかしいこともある。

 

そこで私がときどきやっている方法。

 

ものに向かって合掌し、「ありがとう」と言い、一礼してからていねいに捨てる。

 

「ていねいに捨てる」はキーワードかもしれない。

 

われわれの人生も、「ていねいに捨てる」のがいい。

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 08:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
新学期の疲れについて

四月になり、新学期がはじまって、学生や教員や学校の職員は、わくわくするような、せわしいような時期をむかえている。

 

そういう時期のせいか、最近また飲み始めた就寝前のビールのせいか、身体に疲れがあるというか、動きににキレがない。

 

原稿の締め切りが五日後に迫っているのだが、どうも切迫感をもてず、最後の詰めのところが書けない。

 

こういう感覚は、数年前からはじまったような気がする。新学期疲れ。

 

だが! これではアカン。毎年新学期は来るとはいえ、この年度の新学期は二度と来ない。

 

よ〜〜し、なんとかするぞ〜〜〜

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「生涯現役」なんて、やってはいけません。

人の一生は、終わりをみずからしめくくるのが良いと思う。

 

自分の意志で、終わりをしめくくるのだ。

 

聞いた話だが、最近86歳の男性が亡くなって、葬儀があった。

 

そのとき、その人の最後のころを知っている人が、

 

「数ヶ月前、息子さんに先立たれてから、20キロやせてしまった。それまではとても元気な人だった。どうやら、自分の人生をこれでしめくくろうとしたのではないか」

 

と語っていたという。

 

私はこの話を聞いて、痛ましい感じがしたが、ありうることだとも思った。この人は、自分の意志で終わりをしめくくったのだろう。

 

そういう終わらせ方もある。

 

「生涯現役」とかいうけれど、べつにそうでなければならないということもない。生涯現役でいられると、かえって周囲が困る場合もある。

 

自分の生涯が、自分流に完成していればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
世阿弥はなぜ残ったか 書いて残すことの力

いま「連関の論理」という論文を書いている。マルクスの価値形態論に

ヒントを得たのだが、なぜかこの種の論理的拡張を試みた人がいなかった。

 

「連関の論理」によって、いわゆる弁証法の体系とか、観念論と唯物論とか、

心身問題とか、脳科学とかいった、基本問題へのアプローチの仕方がわかる。

人間にとって昔から難問とされてきた、こういう問題を解く糸口が見つかる。

 

書いている本人としては、そういう思いでいるのだけれど、

むろん、すぐに信じてくれる人がいるはずもない。

 

それでも、私は書いておきたい。

 

昔、世阿弥がなぜ今日まで残ったかと考えたことがある。その答えは、

彼がものを書いて残したからだと気がついた。

 

だいたい、役者はものを書いて残さない人が多いような気がするが、

世阿弥は作品だけでなく、芸道論も書いている。その内容が優れている

のはもちろんだが、とにかく彼がたくさん書いておかなかったら、

今日ほどの影響を残せたかどうか、疑問である。

 

本人が命と引き換えにしてもいいと覚悟できたものを

成就できたかどうかで、人生の達成が決まる。

 

連関の論理と、いま半分くらい書いた英語の世界観、そして次に予定している

「史的唯物論」の再構築。

 

この三つの作業をもって、学問上の私の生涯は終わる。命と引き換えにして、

この三つを達成したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 18:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人生のスピリット 意味・意志・価値

ちょっと面白いことだが、人生にはスピリット(人を鼓舞するもの)が

三つしかない。

 

「意味」は、私的な認識の社会的な表れ。語ることと、その内容がわかること、わかってもらうこと。

 

「意志」は、人の行動が表すスピリット。人の全身の動きが意志を表す。

 

「価値」は、物質的な利益。

 

マルクス『資本論』は、三番目の「価値」の話である。政治学は人々の「意志」の

支配の問題であり、言語学は「意味」を扱う学問だ。

 

よく観察してみると、人間にとってこの世には、この三つのスピリットしかない。

 

私に欠けていたのは、「意志」の重要性の認識だ。

 

意志こそ、意味と価値を統合するものだ。意志なき意味、意志なき価値は本格的な

スピリットに欠ける。

 

なにがしたいか。なにを残したいか。

 

意志ある意味、意志ある価値に、最高のスピリットが宿る。

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「いのちと引き換えに、この意志を残す」

今になって思う人生のキーワード。

 

 

「いのちと引き換えに、この意志を残す」

 

 

「いのちと引き換え」とはおおげさのようだが、じっさい、

人は毎日「いのちと引き換え」に暮らしている。

 

自分の「生き方」こそ、誰もが残せる「後世への最大遺産」だと

言ったのは内村鑑三だ。

 

たしかに、「生き方」はなんらかのデータとして誰もが残せる。著述や作品だけでなく、

自分の子孫、自分が働いた会社、そして自分が声をかけた相手だって、

自分のデータを保存しているともいえるからだ。

 

しかし、「いのちと引き換え」にしてもいいと思えるものを見つけ、

実行するとなると、なかなかむずかしい。人はみな、

いのちと引き換えにしてもいいものを探しているのだともいえる。

 

だが、むずかしいながら、誰もが残せる貴重なデータがある。

 

それは意志だ。

 

意志というデータ、意志というDNAは強力だ。そして誰もが残せる。

 

いのちと引き換えにしてもいいものとは、いのちをくれた神様に

奉仕すること、いのちをくれた人に返すことだと考えれば、信仰になる。

信仰とは、その人の意志だ。

 

私の場合、「これができたら、いのちと引き換えてもいい」と思えることがある。

自分がもらったいのちに自分が奉仕しようというのだから、ミニ信仰のようなものだ。

 

もう一度言おう。

 

「いのちと引き換えに、この意志を残す」

 

これが人生のキーワードだ。

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 07:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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