ごきげんようチャンネル

科学とは、正確に驚くことである。 Y.M.
           

ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす おわり

あいかわらず、歴史は気づかせるためにくり返している。世界はあいかわらず苦である。ブッダの法も菩薩の道も不要になることはない。

 

トシは亡くなったけれど、その言葉は賢治が残してくれた。火は消えても光は人の心に残るのである。

 

ブッダは光となって生きている。ちょうど最澄の書が今も生きているように。われわれも、後の世の光になるような生き方を残せばいいのだ。

 

そういえば、現在も延暦寺のスローガンは、最澄が述べた「光」の一句である。

 

 

「一隅を照らす、これ国宝なり」

 

 

 

 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 04:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす その3

最澄は、願文(仏に自分の決意を述べた文)のなかで、六段階の悟りのうちの第四段階である「相似の位(そうじのくらい)」を目ざすとくり返し述べている。

 

大乗仏教とは、如来ではなく菩薩となることこそ人間の目標であることを明確にした教えであった。

 

そして、<菩薩になるのが人間の最高の境地>という大乗の教えは、歴史のなかで日本人の心に深く滲み込んでいった。

 

宮沢賢治は、24歳で亡くなった妹トシの言葉を記している(「永訣の朝」)

 

 

 

      (うまれてくるだて

       こんどは こだに わりゃのことばかりで

       くるしまなあよに うまれてくる)

 

 

 

今度この世に生まれてくるなら、こんなに自分のことばかりで苦しむのではなく、人の役に立ちたい。

 

人間として生まれたからには、菩薩になりたかったというトシの深い願いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 04:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす その2

最澄の遺誡(ゆいかい)つまり遺言は、仏教を広め世人を救うという初志を、彼が最後まで忘れなかったことを示している。

 

 

最澄、心形(しんぎょう)久しく労して、一生此(ここ)に窮(きわ)まる。

 

 

<一介の僧たる私・最澄は、心と体を尽くして長年打ち込み、いまここに一生を終わろうとしている> このように自分の一生を総括したあと、弟子たちに言う。

 

 

我が為(ため)に仏(ほとけ)を作る勿(なか)れ、我が為に経(きょう)を写す勿れ、我が志(こころざし)を述べよ。

 

 

<私が死んでも供養のために仏像を作ったり写経などするのではない。やってほしいことはただひとつ、私の志を世に伝えることだ>

 

最澄の辞世の歌がある。

 

 

あきらけく 後(のち)の仏の み世(よ)までも

  光つたへよ 法(のり)のともし火

 

 

ここに「ともし火」とあるが、ブッダ自身、しばしば生命を火に喩えた説法をおこなった。そしてブッダは、みずからの身体を静かに燃やし尽くすことによって、如来すなわち真理そのものとなった(涅槃)。

 

ブッダが真理となった以上、もはや誰もブッダと同等にはなれない。

 

後の世のわれわれは、如来の法を知得し実践する役割、すなわち菩薩となるのである。

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 04:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす その1

最澄書「山家学生式」冒頭(国宝・延暦寺蔵)

 

http://ichigu.net/person/index.html

 

私は実物を見たことがあるが、2センチ角くらいの几帳面な字には、現代人には書けないような清潔感があった。

 

その文字を思い出しながら最澄の文章を読んでいると、彼の人柄が表れているように思われる。たとえば、仏道に賭ける激しい情熱が、型にはまった表現から少し外れた次のような部分にあふれでている。

 

 

斯(こ)の心(しん)、斯(こ)の願(がん)、海を汲(く)むことを忘れず。(山家学生式)

 

 

最澄は、胸に抱きしめるようにして「この心、この願」と心の声を書き記した。天台の教えは、最澄が「この心、この願」と書いたとき、その基礎が確立されたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 04:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ていねいに捨てる・ていねいに生きる

今日、靴を一足捨てた。まだ新しく、かなり高価でもあった靴を捨てた。

 

しばらく履いていると小指が痛くなる靴だった。

 

買うとき、もっと慎重に考えればよかったのに、もっと安いのでもよかったのに…

 

そういう思いと一緒に捨てることにした。

 

靴に一礼して、別れを告げた。

 

物はていねいに捨てる。

 

物といっしょに、自分もていねいに捨てる。

 

それがていねいに生きるということかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
音楽が人生の邪魔になるとき

このごろ、音楽に耳を傾けないようにしている。

 

音楽を使うときは、小さく流す。リズムが快適で、メロディーが印象に残らない、聞き流すだけの音楽を選ぶ。

 

私が主に使っているのは、アメリカの音楽サイト AccuRadio。

 

この世の大部分の音楽作品は、じっと聞いてほしい、この音で、この歌詞でなにか考えてほしい、私を覚えてほしい…といった意志をもって作られている。

 

他方で、少数ながら、聞き流すための音楽も作られている。ambient music などというようだ。「私を覚えてほしい」と自分の意志をおしつけるのではなく、「主役は聞いているあなたです。私は雰囲気を作るだけ」と割り切っている。

 

このいさぎよさが好きだ。

 

考えてみれば、音楽を作る側が主役になったのは、近代に入ってからではないだろうか。作る側が主役になる時代は、そろそろ終わろうとしているのかもしれない。

 

ほんらい、音楽は聞くほうが主役のはずだ。押しつけてくる音楽は、私の人生にとって、もはや邪魔のような気がする。

 

人生は自分が主役。私が物を言わなくなったとき、どれだけのものを残せるか。その準備のために生きる。それが私という主役の意志である。

 

自分にしかできないことを残す。そのために、他人の意志を押しつけてくる音楽を聞いて時間を費やすことは、やめることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 04:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜか今夜は「港町ブルース」 こういうのが好きなのだ

どういうわけか、ふと思い出す歌詞がある。私の場合、森進一の歌でヒットした「港町ブルース」はそのひとつ。

 

メロディーもいいが、なんといっても歌詞がいい。

 

 

出船 入船 別れ船 あなた乗せない帰り船

うしろ姿も 他人のそら似

港、三崎 焼津に 御前崎

 

 

こういう文語的なリズムがある歌詞が、私は好きだ。

 

うまい声で聴きたくなったので、ユーチューブを見ていたら、藤圭子が歌っているバージョンがあった。聴いてびっくり。コブシといい、枯れた声の盛り上がりといい、じつにいい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=hPkejpL1yU0

 

これはおすすめです。

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
テレビは見ない。ラジオも聞かない。それでいいのだ。

もう何年も、テレビは見てない。二週間ほど前にスマホにしてから、ラジオも聞かなくなった。

 

「世の中のことがわからないのでは?」と言われることがあるが、そうでもない。

 

スマホにしてから、アメリカの24時間音楽放送を作業のリズムづけに小さく流している。ニュースなどの情報は、スマホのニュースサイトで適宜読む。天気予報もスマホでわかる。

 

私なりに、大手マスコミの問題点がわかっているから、テレビやラジオが流す情報にそれほどつきあう気はないし、好きだったクラシックなどの音楽も、真剣に聞く気力がなくなった。CDも買わないし、音楽をダウンロードすることもない。

 

テレビもラジオも、私にとっては不可欠のものではない。むしろ、邪魔になるともいえる。

 

本当にやりたいことがあれば、そのために必要なことかどうかを基準に、取捨選択ができる。

 

不要なものを捨てる。なにを捨てているかで、その人の人生がわかることもある。

 

なにかを捨てることで、人生が変わることもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
不要な安心もある。ていねいに捨てて、すっきりライフ!

最近引っ越した人から、こんな話を聞いた。

 

「家を整理していたら、もらった紙の袋(お店でもらった、ちょっとおしゃれだったり、しっかりした紙のバッグ)がびっくりするほど沢山あった。どうしても、というものだけ残して、あとは捨てた。」

 

ものは、置いておくと安心する。けれど、安心しないでいるほうがいいこともある。

 

あまり買い置きをしない。すると、必要なものだけ、そのつど買うことになる。必要にかられた行動は、真剣な行動になる。家もすっきりする。

 

だが、もらったものや、長年なじんだものを捨てるのは、むずかしいこともある。

 

そこで私がときどきやっている方法。

 

ものに向かって合掌し、「ありがとう」と言い、一礼してからていねいに捨てる。

 

「ていねいに捨てる」はキーワードかもしれない。

 

われわれの人生も、「ていねいに捨てる」のがいい。

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 08:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
新学期の疲れについて

四月になり、新学期がはじまって、学生や教員や学校の職員は、わくわくするような、せわしいような時期をむかえている。

 

そういう時期のせいか、最近また飲み始めた就寝前のビールのせいか、身体に疲れがあるというか、動きににキレがない。

 

原稿の締め切りが五日後に迫っているのだが、どうも切迫感をもてず、最後の詰めのところが書けない。

 

こういう感覚は、数年前からはじまったような気がする。新学期疲れ。

 

だが! これではアカン。毎年新学期は来るとはいえ、この年度の新学期は二度と来ない。

 

よ〜〜し、なんとかするぞ〜〜〜

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 60代の気持ち | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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