ごきげんようチャンネル

科学とは、正確に驚くことである。 Y.M.
           

マンデラ氏葬儀のエアポケット奇人
マンデラ氏の葬儀の壇上で、手話通訳をつとめた男が話題になっている。

画像を見ると、それらしく両手を動かしているが、Thank you. や Mandela といった基本語でさえ表現できていないという。

これは本物の手話話者からの苦情でわかったのだが、われわれが見ても、手話に必須の表情変化もなく、どうやら手話を知らない人物によるニセ演技だったらしい。



http://www.reuters.com/video/2013/12/13/kerry-reiterates-call-to-release-missing?videoChannel=117760&videoId=274917554&refresh=true



この男、世界的な葬儀にミソをつけただけでなく、なぜそんなことをしたのか不明であることが、いっそう複雑な後味を残す。


通訳料が目的だったのかもしれないが、こんな目立つところで演技をしたら、ニセモノがばれるのは確実である。


おそらくこの男、目立ちたかっただけではないかとも思えるのだが、だとすれば、そんな男がなぜ通訳に選ばれたのかが次のナゾとして残る。







ロンドンオリンピックの開会式で、インド選手団だったかに、大会スタッフでもない一般女性がまじっていて、堂々と行進したことが話題になったことがある。

これも、笑うに笑えないような話である。









物事には、誰も気がつかないエアポケットのような空隙があって、そこにスッと入りこんでくる奇人がいる。


そういう<エアポケット奇人>になるには、すまし顔がいちばんらしい。









 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 11:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ダーウィン、ワグナー、マルクス まったく同時代なのに疎遠だった巨匠たち
19世紀の、三人の有名な同時代人。



◯ ダーウィン Charles Robert Darwin  1809-1882. 『種の起源』初版は1859年。



◯ ワグナー Wilhelm Richard Wagner   1813-1883. 『トリスタンとイゾルデ』は1857-1859年。



◯ マルクス Karl Heinrich Marx 1818-1883.  『資本論』第一巻初版は1867年。




三人はほぼ同時期に亡くなっているだけでなく、分野がバラバラで、かつ互いに疎遠だったという共通点?がある。

マルクスはダーウィンと同時期、長年イギリスに住んでいた。ワグナーはマルクスと同国人であり、当時、おそらくマルクス以上に有名な人であった。

私が知らないだけかもしれないが、後に大きな影響を残す三人は、お互いに会ったことも、会おうとしたこともないのではないか。



この三人が人類の記念碑的作品を発表したのは、日本でいえば黒船来航から明治維新までの時期にあたる。

日本の近代は、遠くヨーロッパで現れた三人の影を感じながらはじまったともいえる。













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あの世の気まぐれ・この世の必然 芥川龍之介「桃太郎」から
芥川龍之介の「桃太郎」(1924年)は、締め切りに追われた作者が、視線を思いきり遠くしてひねり出したような物語である。

直接的には、戦前日本の大陸侵略や、blowback の国内テロに悩むアメリカを思い出させる。

しかし、より大きくは、北斎の富嶽シリーズのような、この世のことはあの世のさじ加減で決まっているというような世界観も書き込んである。

あの世の気まぐれで、この世のひどいことが起こる。

この世の利己的な乱暴者が、自分の正義?を相手におしつけ、傷つける。

いったんあの世で気まぐれがはじまったら、この世がこうなることは必然である。

そして、あの世の気まぐれは永遠につづくー

そういう感覚があって、芥川はいなくなった(1927年)のかもしれない。







資料:芥川龍之介「桃太郎」から抜粋



鬼の酋長はもう一度ひたいを土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。

「わたくしどもはあなた様に何か無礼ぶれいでも致したため、御征伐ごせいばつを受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点がてんが参りませぬ。ついてはその無礼の次第をおあかし下さるわけには参りますまいか?」


 桃太郎は悠然ゆうぜんうなずいた。


日本一にっぽんいちの桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召しかかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」

「ではそのおさんかたをお召し抱えなすったのはどういうわけでございますか?」

「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子きびだんごをやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」


 鬼の酋長は驚いたように、三尺ほどうしろへ飛びさがると、いよいよまた丁寧ていねいにお時儀じぎをした。…



http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/100_15253.html






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 09:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
チャベス大統領は暗殺された?
ベネズエラのチャベス大統領はガンの治療中と報道されていたが、今日、現職のまま死亡した。

大統領周辺は、チャベスは暗殺されたのだと主張しているようだ。


http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/prosecutor_assassination.htm



この種の「暗殺」情報は、ジャーナリストの追求などによって、のちに事実の可能性が高いとされることもある。

しかし、真相をつきとめるのは時間がかかるし、たいてい場合、実行者を特定して「暗殺」と断定することはむずかしい。

死んでしまったものはどうしようもないという感情もあり、けっきょくは「やったもの勝ち」になり、真相は「不明」とされて、誰も処罰されずに終わることが多い。

もちろん、暗殺を計画する側は、こうしたことも計算に入れている。

注意深くやれば、暗殺は効果的で安全な軍事作戦なのである。

私は、この種の「やったもの勝ち」の手法を、歴史における「既成事実戦術」とか、あとのまつりという意味で、「ホームラン戦術」と呼んでいる。





いい例は、1945(昭和20)年の敗戦である。

8月15日、天皇とその周辺は突然に敗戦を宣言し、この重大な歴史の画期を、いちはやく既成事実にしてしまった。

この戦術によって支配下の大衆は心理的な虚脱状態に追い込まれ、「軽挙妄動」が制御される一方、天皇政府は着々と次の手を打っていく。

大インフレを計画的に引き起こし、占領軍との取引の余地をうかがう。こうして、天皇をはじめとする指導者たちは経済破綻の重荷を民衆に担わせ、戦争責任もたくみに回避していく。

「終戦の詔勅」は、天皇制国家によるホームランであった。





このように、たとえやられるほうはそれとわかっていたとしても、けっきょくは、やったほうのねらい通りの効果が得られる。そして誰も処罰されない。

こういう社会的位置どりが、「権力」とか「支配」と呼ばれるものである。













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 10:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
オバマ大統領の異母兄弟はケニアの政治家!
合衆国大統領オバマの異母兄弟がケニアにいるという話はなんとなく聞いていたが、今回のケニアの国政選挙で、その異母兄弟が立候補している。


http://www.guardian.co.uk/world/2013/mar/01/barack-obama-half-brother-kenya


Barack Obama 大統領(52歳)の異母兄弟の名前は Malik Obama 氏(54歳)。

Malik Obama 氏は、今回ケニアのどこかの知事に立候補しているとか。


「オバマ大統領の異母兄弟という看板がなかったら、私はただの人」


とみずから認めているらしい。

だからなんだ?という感じもするが、こういう話題が成り立つのは、オバマ大統領の父親がアフリカ出身で、かつアメリカ合衆国が多くの民族を「アメリカ人」として受け入れているからである。

日本でいえば、外国出身の父親をもつ日本人が総理大臣になり、その異母兄弟がその外国で立候補しているという構図になる。

それはそれで、なかなかいい感じのような気もする。












| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 08:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
911という数字について
2001年の9・11事件は英語で

September 11 (セプテンバー・イレブンス)

とか

9/11(ナイン・イレブン)

という。

ところで、アメリカで警察・救急・消防を呼ぶ電話番号は

911(ナイン・ワン・ワン)

であり、これは

911(ナイン・イレブン)

とも読む。

すると、2001年のあの事件と、警察などを呼ぶ番号は同じ読み方になる。

だからどうということはないかもしれない。

ただ、アメリカ人にとって、あの事件がほかならぬ「ナイン・イレブン」であったということ、その音声に緊急性の響きを自然に聞き取ることはありうるのではないかと思う。











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ベートーベンとヘーゲルは同級生 意外な同時代人たち おわり
四十歳ほど違っていても、つきあいがあった例がある。

エジソン 1847-1931
ダーウィン 1809-1882

二人の年の差は38歳だが、エジソンはダーウィンにファンレターを書いていた。(名和小太郎『起業家エジソン 知的財産・システム・市場開発』朝日選書、2001年、282頁)

エジソンが20歳のときダーウィンは58歳である。その後エジソンが45歳になるまでダーウィンは生きていた。エジソンは十分にダーウィンにファンレターを送れたのだ。

ニュートン 1642-1727
バッハ 1685-1750

この場合、年の差43歳だから、バッハが20歳のときニュートンは63歳。さすがに老齢のニュートンが大陸の若い作曲家・バッハの曲を聴いたとは考えにくいが、逆にバッハがニュートン先生の驚きの新学説を耳にした可能性はゼロではないことになる。

最後に、五十歳違いでもつきあいはありえないわけではないが、さすがにそこまでくると可能性は低くなる。

だいたい40歳くらいまでの年の差なら、つきあいがありえたわけである。






(おわり)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ベートーベンとヘーゲルは同級生 意外な同時代人たち その3
三十歳ほどの年の差なら、かなり同時代人ともいえる。

カント         1724-1804
モーツアルト  1756-1791

二人の年の差32歳。

モーツアルトがカントを読んだとは思えないが、カントがモーツアルトの曲とまではいかなくても噂を聞いた可能性はゼロではないのかもしれない。二人とも晩年、フランス革命(1789〜)を見届けて亡くなっている。

上にも登場したヘーゲル(1770-1831)は若いころカントを読みふけったというが、だいぶ世代がちがうイメージもある。

ところがヘーゲルが三十歳のときカントはまだ存命(76歳)で、二人はかなりの年月同じ空気を吸っていた(面会したとか文通したという話は聞かないが)。

また、モーツアルト(1756-1791)とナポレオン(1769-1821)は13歳の差で、ほぼ同時代である。

モーツアルトがもっと長生きしていれば、ナポレオン皇帝の前でモーツアルトが演奏したり、モーツアルト作曲「オペラ・コルシカの幸運児」が生まれたりしたかもしれない。









(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ベートーベンとヘーゲルは同級生 意外な同時代人たち その2
10歳以内の年の差だったのが、

ガリレイ  1564-1642
ケプラー  1571-1630

地動説の二大巨人は文通しあっていた。

ともにウィーン在住で交流があったのが

ブルックナー   1824-1896
ブラームス   1833-1897

ただし、気は合わなかったらしい。

なお、ブルックナーとブラームスはマルクス(1818-1883)とほぼ同時代の人である。

もしもブルックナーが交響曲「インターナショナル」(マルクスらが創設した第一インターナショナルは1864-1876で、ブルックナーの存命中)を書いたり、ブラームスがマルクスに触発されてピアノソナタ「ブリュメール」を書いていたら、是非とも聴いてみたい曲になっただろう。

二十歳くらい違えば親子の年齢差に近いが、つきあいはありうる。

ダビンチ     1452-1519
ミケランジェロ  1475-1564

二人ともフィレンツェ生まれで、同じ教会の作品制作で張り合ったエピソードはかなり有名である。










(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ベートーベンとヘーゲルは同級生 意外な同時代人たち その1
イメージの違う二人の人物が完全に同世代というケースがある。

ラファエロ  1483-1520
ルター     1483-1546

ルネッサンスと宗教改革は古典文化への回帰(ギリシャ文化とヘブライ語聖書)と個人の尊重という点で似ているのでペアにされることが多いが、その両巨頭たるラファエロとルターは生年が同じであった。

じっさい、ルターはイタリアを訪問しているので、厳格なルターがラファエロの軟弱?な絵を見て苦々しく思うというような場面があったかもしれない。

二人がどこかの道ですれちがって、なぜか一緒にお茶を飲んでいると空想してみるのも悪くない。

次の二人も生年が同じである。

ベートーベン 1770-1827
ヘーゲル  1770-1831

ベートーベンはウイーン古典派様式、ヘーゲルはドイツ古典哲学。

ともに「古典派」の完成者であって、しかも前人未到の境地を開いた巨人である。

ベートーベンの運命交響曲を聴いて霊感を得たヘーゲルが、いつにもまして難しい顔をしてペンを握っているところを空想しても、まあ完全に荒唐無稽というわけではない。

二人はロマン派の出発の年とされる1830年ごろ、ともに亡くなっている。








(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 人類史どれどれ虫眼鏡 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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