ごきげんようチャンネル


たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう.

               嘆異抄

本というものの歴史的二重構造について おわり
 さて最後に「本」と「草」の歴史的二重構造である。

日本では「本」よりも「草」のほうが一貫してパワフルな変革のエネルギーをもっていたと著者は見ている。211頁

漢文の巻子に対する仮名の冊子。

写経などに対する絵巻物。

古典に対する注釈本。

漢籍に対する読本。

そして明治に入ると和装本に対する洋装本、木版に対する活版、文字本に対するマンガ本、中型本に対する新書版・文庫版、新本に対する古本。167頁

21世紀の今なら、さしずめ活字本に対抗するデジタル書籍が新たなエネルギーをもって「草」の世界を広げようとしているわけだ。

これをさらに広げてみれば、「本」vs.「草」の二重構造はあらゆるところに見つかる。マニュアル車に対するオートマ車、クラシック音楽に対するポピュラー音楽、プロに対するアマ、公に対する民間…

歴史も究極的には民衆=「草」によって動かされる。

「草」の世界は庶民の世界であり、「草」の製品はこれからも庶民の支持を背景にして多彩に繁茂していくにちがいない。








(おわり)










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本というものの歴史的二重構造について その4
日本には伝統的に二種類の書き物があると本書はいう。

ひとつは公式世界の「本」であり、もうひとつは非公式世界の「草」である。

「草」の一例が個人の娯楽に供された絵巻である。

絵巻には見方に作法があって、これがおもしろい。

床に座り絵巻を両手で60センチくらい広げ、順繰りに巻いていく。

読者は斜め上から膝の前の絵巻をのぞきこむ。

絵巻が上空から屋根を透視して見る角度から描かれているのは、このような読者の斜めからの視線を計算に入れたからである。

そして何かを人々が追いかけたり大勢が群がっている場面では大きく横に広げて迫力を楽しむ。ちょうど映画カメラのパンにあたる。同じ画面に同一人物が二回でてきてもよく、これが時間の推移を表す。

こうして両手で巻物を素早く広げたりゆっくり眺めたりして速度を調整し、詞書(ことばがき)のところは声を出して読み上げた。

自分で画像を動かし声優も兼ねるパーソナルアニメである。

後には人物の台詞が入った巻物も登場したというから、こうなれば現代のマンガの起源といっておかしくない。177−179頁。

こういう仕掛けの物語はおそらく世界に例がないという。180頁。

著者はこの生き生きした「草」の世界に注目している。








(つづく)









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本というものの歴史的二重構造について その3
ちょっとした和本の知識。

◯和本は句読点がなかったが、文頭で墨を継ぐことが句読点のかわりになった。いいかえると次の文頭までを意識して墨を使った。音読するのが習慣だったことも句読点がなくてすむ一因だった。56頁。

◯平安時代、本は悪霊を鎮めることと関係があった。物がたりが物の怪を鎮める効果をもつとされたらしい。21、57頁。

…音読の声が読経のように周囲に響いて霊を慰めるとイメージされたのかもしれない。

◯写経は一行17文字と決まっていた。56頁。写経では白紙が忌避され、たとえば天平時代の写経は黄檗(きはだ)染めで石でたたいたなめらかな上質紙をつかった。47頁。また、ほんらい書物は漢文で書くもので、しかも中国風に長い巻物を丸めた巻子(かんす)の形式が正式とされた。

…物語を書いた仮名文の冊子はこうした制約から外れたところに生まれた。扱いやすい和本の形式は自由を求める工夫の精神の成果であった。この自由さが源氏物語を生んだのだ。


さて、紫式部が書いた原文に近いと思われる表記の例が紹介されているので採録してみよう。54-55頁

からくミひもなどなまめかしうてまきごとに御てのすち越かへつゝいみしうかきつくさせ給へり

この呪文のような文字をたどっていると私は与謝野晶子の短歌を思い出した。

おどけたる一寸法師舞ひいでよ秋の夕のてのひらの上

以前、与謝野晶子が自作の歌を読みあげる声を吉増剛造氏がラジオで流してくれたことがあった。古いレコードなのだが、まるでシャーマンのように陶酔した声だったのを覚えている。

和本には人々の声がカセットテープのように録音されている。








(つづく)











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本というものの歴史的二重構造について その2
著者は和本の知識を駆使して、紫式部が何人かに清書してもらって自分で綴じた最初の源氏物語の冊子の姿を復元した。63頁。

ほぼ正方形で、紙を束ねるのに糊は使わず、二カ所に穴をあけ組糸を通して飾り結びにしてある。

表紙は華麗な色彩の厚紙。しかしタイトルなどは記されていない。

絵本くらいのサイズで、女性が手元で読むと似合いそうだ。

「平安時代ほど書物づくりに知恵と情熱を傾けた時代はない」と著者はいうが、そうかもしれない。21頁

平安時代について私が気になるのは、千年もつ上質の和紙や十二単(じゅうにひとえ)にみられる繊細な染めを可能にした技術者たちの実像である。

華麗な貴族の生活の背後には高度な技術者集団がいた。

平安時代の宮中には紙屋院(かみやいん)という紙工場があって、上質の紙を制作していたという。49頁。他の工芸技術についても専門の職人がいたはずである。

どこでどういう人が制作していたのか。その高度な技術はどこから来たか。

いずれにせよ、紫式部と同僚の女官たちが力をあわせて自作したらしい源氏物語の最初の姿は、いかにも瀟洒なものであった。







(つづく)









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本というものの歴史的二重構造について その1
橋口侯之介『和本への招待 日本人と書物の歴史』(角川選書、2011年)

この本を読んで思うのは、本というものは「物」であり「形」であるということだ。

文字にこめられた著者の観念的内容が「本」の本体だと思いがちだが、それに劣らず「本」とは「物」であり「形」である。

日本人は「伝える」ことに価値をおく「書物観」を育ててきたと著者はいう。9、10頁。

「紙や装訂、書き方、刷り方といった視覚的形状のほかに、それをどう仕立てていくのかという情報や、この本をどう解釈し、どう鑑賞し、どのように次世代に伝え、残していくのかといった『思い』すなわち観念までも和本には含まれている。

しかも最初にその本ができたときの『思い』だけでなく、伝存の過程で積み重なった観念も内包される。手づくりの和本にはそれが濃厚に残っているのである。

だから実物の和本を見ると本のほうから語ってくれるのだ。」12頁。

手づくりの製本、豪華な製本にはそれなりの「書物観」がこめられているし、大量印刷の安価な製本はそれなりの「書物観」を人に伝える。

本という物質的形状があるからこそ、著者や製作者・鑑賞者・伝承者の「思い」が積み重なっていく。

当初の物質的形状が消失したとき、残念ながらそこに込められた観念も消失する。しかしあらかじめ別の物質的形状へと書写されていれば観念のコピーは保存される。

さらに、誰かの観念のなかで当初の形状が再現されれば、当初の物質的形状でさえ取り戻せる可能性がある。

本書のなかで著者は、和本の原点ともいえる「源氏物語」でそれをやって見せた。










(つづく)


















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