ごきげんようチャンネル

"Life is too short to wake up with regrets." author unknown
           

ブッダ最後の平和の教え 名古屋・日泰寺のこと おわり

先に書いたように、明治の日本の仏教宗派は、シャムから贈られたブッダの遺骨を我が物にしようと争った。

それは、ブッダ入滅後にインド各地の国王たちが演じた遺骨争いの再演だった。とはいえ、インドの王たちが争ったがゆえにブッダの骨は各所に分散され、その結果、遺骨は今日まで残存したとも言える。逆に、日本の仏教宗派たちは、争ったがゆえに遺骨は分散されず、超宗派で守ることになって名古屋に安住の地をえた。

分配するか中立化するか。

かつて中国は列強の利権の対象つまり「分捕り」の犠牲になったが、皮肉なことにそれが当面の「平和」的解決の方法でもあった。他方、スイスや南極のように、どこの国とも同盟せず、どこの国のものにもせず、中立を堅持することで平和をもたらす方法もある。分配は対象が大きい場合に、中立は対象が小さい場合に、それぞれ有効な方法かもしれない。

いずれにせよ、ブッダの遺骨をめぐって人間は二種類の紛争解決法を編み出した。ブッダは、亡くなってからも「平和」のための知恵をわれわれに教えてくれたのかもしれない。

 

 


ヨーロッパには、各地に「イエスの骨」と称するものがあり、全部集めると千人以上のイエスを復原できるという。仏教でも、塔にあるブッダの骨を拝むと増殖するという伝説がある。(永田諒一『宗教改革の真実―カトリックとプロテスタントの社会史』講談社現代新書、2004年、78頁)


イエスは火葬されなかったし、しかもしばらくして復活し、天に召されたというのだから、「イエスの骨」がどこかに残っているというのは、意味不明でもある。
 

 






(おわり)

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ最後の平和の教え 名古屋・日泰寺のこと その2

ブッダは火葬のあと、遺骨が各地に配布された。日泰寺にあるのはその一部である。


伝承によると、八十歳のブッダは、ある村の河で沐浴したあと身を横たえ、弟子たちと村人に囲まれて瞑想に入り、入滅した。その時、花びらが舞い散り、雷が光り、地震が起こった。    

ブッダの入滅を聞いた七ヶ国の王と軍隊が遺骨を求めてやってきた。はたして遺骨は誰の手にわたるのか。

状況が緊迫したとき、あるバラモンが

「ブッダは慈悲と忍耐を説かれました。そのブッダの遺骨をわれわれが争うのはよくありません。ここは遺骨を八つに分け、それぞれが持ち帰って各地に塔ができるようにしましょう。」

と説得した。

遺体が火葬され、遺骨の分配が終わると、そのバラモンは分配に使った鉢を持ち帰り、自ら塔を作った。遅れてやって来た一国は、遺骨ではなく灰を持ち帰り、やはり塔をつくった。

 

日本の寺にある塔は、もともと仏舎利(ブッダの遺骨)を納める施設という観念があるが、こうした仏塔の起源はインドにあり、その形は鉢型の土盛りのような塔であるという。おそらく、インドの塔が鉢の形をしているのは、遺骨の分配に鉢を使ったことからきているのだろう。日本の塔の頂上にある相輪の伏鉢が、インド型の仏塔の名残りとされる。

 

 

それにしても、2400年前の人物の真骨が特定され、その一部が日本にある。ブッダは卑弥呼より600年くらい前、聖徳太子より1000年くらい前の人だから、ブッダの遺骨の実在は驚異と言えるだろう。

科学者なら、「その遺骨、DNA鑑定したい!」と思うかもしれない。ブッダがガンダーラ仏にみられるようなアーリア系の血筋だったかどうかについては諸説あるので、DNA判定したら、そういうこともわかるかもしれない。

 

 

 

ちなみに、ブッダの真骨は中国でも発見されているという。

西安に近い法門寺。高さ47メートルの巨大な八角塔を1987年に修復したとき地下宮が発見され、2400点あまりの唐代の文物が出てきた。そのなかに、八重の箱に納められたブッダの指の骨が四個発見されたのだ。

この話は中国政府発行の観光案内パンフに載っていたもので、パンフには塔の写真とともに透明ケースに入った四つの指骨の写真が掲載されている。

なぜそこにブッダの指骨があるのか、どうやってブッダの真骨だと判明したのかなどは記されていない。
 

 

 

 

 

 


 

 

(つづく)

 

 

 


 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ最後の平和の教え 名古屋・日泰寺のこと その1

夏になると、名古屋の日泰寺という大きなお寺のことを思い出す。そこには、ブッダの本物の遺骨を納めた塔がある。


正面から見ると、草庵風の拝殿があり、その向こうに、白い塔の基壇が見える。まわりは木立。大塔の全容を見せず、白い基壇だけを垣間見させることで、ブッダらしい親しみやすさと、教えの厳粛さが表現されている。

それにしても、なぜブッダの真骨が名古屋にあるのか。

 

 


 


1898(明治31)年のこと。ネパールでイギリスの駐在官が古い墳墓を発掘し、一つの壺を発見した。壺には、紀元前の文字でブッダの遺骨であると記されていた。

他の文献の記述とも符合したため、これはブッダの真骨だと判定された。身長5メートルと言い伝えられたり、架空の人物とみなされることもあったブッダだが、この発見によって実在の人物であることが確認されたのである。

さてイギリスは議論の末、ブッダの骨なら仏教国がふさわしいと、シャム国(タイ)に譲渡した。その一部がシャム国王から日本にプレゼントされることになった。

シャムでうやうやしい儀式を行い、1900(明治33)年、お骨は来日したが、日本の仏教諸宗派は骨をどこに納めるかをめぐって争った。そして数年後、広大な用地を用意して熱心に誘致した名古屋に決した。遺骨は、超宗派の形式で管理されることになった。

それが今日の日泰寺である。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
蜷川幸雄は如来になった

演出家の蜷川幸雄氏は、2016年に80歳で亡くなった。

 

蜷川作品の出演者だった大竹しのぶさんのコメントに、印象に残った言葉があった。

 

晩年、体調を崩してからのことらしいが、

 

 

「俺、もう日常捨てたから。稽古場だけで生きるから。」

 

 

と蜷川氏が語ったというのだ。

 

華やかな本番ではなく、むしろ「稽古場」のほうが「生きる」場所だと言っているところも目を引いた。

 

 

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/700/244810.html#c194962

 

 

 

 

仏教には、如来、菩薩、天といった仏の種類がある。如来とは、法そのものだというが、人は死して法となる。残された者は資質に応じて、菩薩や天になればいい。

 

先日、70歳代の人から、「あと何回桜が見られるか」という気持ちが60歳代よりもリアルになる、という話を聞いた。

 

人は、生きているうちは菩薩や天になるのだが、菩薩や天になる覚悟は、早いほうがいい。70歳代より60歳代のほうがいい。早いほうが、如来になる準備が充分にできるからだ。

 

人の生活は「稽古場」であり、死してからが「本番」だ。そう思えたらいい。

 

蜷川氏は、死して如来になった。そして如来の本質は、希望である。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 07:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす おわり

トシは亡くなったけれど、その言葉は賢治が残してくれた。火は消えても光は人の心に残るのである。

 

ブッダは光となって生きている。ちょうど最澄の書が今も生きているように。われわれも、後の世の光になるような生き方を残せばいいのだ。

 

あいかわらず、歴史は気づかせるためにくり返している。世界はあいかわらず苦である。ブッダの法も菩薩の道も不要になることはない。

 

そういえば、現在も延暦寺のスローガンは、最澄が述べた「光」の一句である。

 

 

「一隅を照らす、これ国宝なり」

 

 

 

 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす その3

最澄は、願文(仏に自分の決意を述べた文)のなかで、六段階の悟りのうちの第四段階である「相似の位(そうじのくらい)」を目ざすとくり返し述べている。

 

大乗仏教とは、如来ではなく菩薩となることこそ人間の目標であることを明確にした教えであった。

 

そして、<菩薩になるのが人間の最高の境地>という大乗の教えは、歴史のなかで日本人の心に深く滲み込んでいった。

 

宮沢賢治は、24歳で亡くなった妹トシの言葉を記している(「永訣の朝」)

 

 

 

      (うまれてくるだて

       こんどは こだに わりゃのことばかりで

       くるしまなあよに うまれてくる)

 

 

 

今度この世に生まれてくるなら、こんなに自分のことばかりで苦しむのではなく、人の役に立ちたい。

 

人間として生まれたからには、菩薩になりたかったというトシの深い願いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす その2

最澄の遺誡(ゆいかい)つまり遺言は、仏教を広め世人を救うという初志を、彼が最後まで忘れなかったことを示している。

 

 

最澄、心形(しんぎょう)久しく労して、一生此(ここ)に窮(きわ)まる。

 

 

<一介の僧たる私・最澄は、心と体を尽くして長年打ち込み、いまここに一生を終わろうとしている> このように自分の一生を総括したあと、弟子たちに言う。

 

 

我が為(ため)に仏(ほとけ)を作る勿(なか)れ、我が為に経(きょう)を写す勿れ、我が志(こころざし)を述べよ。

 

 

<私が死んでも供養のために仏像を作ったり写経などするのではない。やってほしいことはただひとつ、私の志を世に伝えることだ>

 

最澄の辞世の歌がある。

 

 

あきらけく 後(のち)の仏の み世(よ)までも

  光つたへよ 法(のり)のともし火

 

 

ここに「ともし火」とあるが、ブッダ自身、しばしば生命を火に喩えた説法をおこなった。そしてブッダは、みずからの身体を静かに燃やし尽くすことによって、如来すなわち真理そのものとなった(涅槃)。

 

ブッダが真理となった以上、もはや誰もブッダと同等にはなれない。

 

後の世のわれわれは、如来の法を知得し実践する役割、すなわち菩薩となるのである。

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ・最澄・賢治  志(こころざし)は光となって世界を照らす その1

最澄書「山家学生式」冒頭(国宝・延暦寺蔵)

 

http://ichigu.net/person/index.html

 

私は実物を見たことがあるが、2センチ角くらいの几帳面な字には、現代人には書けないような清潔感があった。

 

その文字を思い出しながら最澄の文章を読んでいると、彼の人柄が表れているように思われる。たとえば、仏道に賭ける激しい情熱が、型にはまった表現から少し外れた次のような部分にあふれでている。

 

 

斯(こ)の心(しん)、斯(こ)の願(がん)、海を汲(く)むことを忘れず。(山家学生式)

 

 

最澄は、胸に抱きしめるようにして「この心、この願」と心の声を書き記した。天台の教えは、最澄が「この心、この願」と書いたとき、その基礎が確立されたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「捨てる」と「自由」にフォーカスできる 

仏教では、「捨てる」ことが重視される。

 

ここで「捨てる」というのは、全部なくすという意味ではなくて、

「自分に必要なものを選ぶ」という意味にとりたい。

 

生活していると、いろんなものが外からやってくるし、

そこから必要なものだけ選ぶには、それなりの注意力と手間がかかる。

 

だから「捨てる」ことは意図的でないと続かない。

 

いっそのこと、「捨てる」とは、「生きる」と同義なのだと

思えばいいのだろう。意図的に捨てることで、自由に生きられる

スペースが見えてくる。

 

本来、生きているということは、捨てているということだ。

 

…それでは私の机の上、さっそく片付けないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ 二重の発見者 おわり
それで、ここで私が発見したというのは、ブッダがなにをしたかということについてである。


これまで私は、苦の根源が我執にあるといったことをブッダは発見した、と思っていた。


しかし、この本を読むうちに、ブッダはもうひとつのことを発見しており、これが苦の根源の論理的発見におとらぬ重要性をもっていることに気がついた。



それは、苦の根源が我執にあることを誰も知らないし、たとえそれを真実として教えても、人が理解することは著しく困難である、という発見である。



これは、苦の根源の論理的な追求とはレベルのちがう発見であって、苦の根源が何であろうと、真実を発見した人につきまとう困難である。


親鸞が<すべての人間は悪である>というのは、苦の根源がなんであれ、それを知らない、理解できないことは人間にとって不可避であるというブッダの第二の発見を、<人間の必然的な悪>として把握したものなのだ。




真実はなにかという問題と、その真実を知ることはできるかという問題は、別である。

このふたつの問題は、それぞれ別の絶望の源泉となる。

他方で、人はみな無知な「悪人」であるという断定は、社会的な地位などをすべて無効にして、あらゆる人間を平等な存在として見るという、宗教にとって本質的な視点を提供する。

こうして、人間の悪の解決は、宗教的な飛躍を必然にする。










(おわり)









 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 19:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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