ごきげんようチャンネル


"Obama got in, and he is the pawn of globalized interest." Naomi Wolf



円空 すべてを領収書にした人

円空は、なぜあんなにたくさんの神仏を彫ったか。

 

木にはもともと神が宿るとされてきた。だから木を変形すれば新しい神=仏ができると考えたからだという見方がある。つまり神を仏に変えつづけ、そこに喜悦を感じたのが円空であった。


円空の作品が人を惹きつけるのは、なぜか。その理由は、円空がいっさい報酬をもらわず、感謝のしるしとして神仏をつくりつづけたからである。

仏師は、仏像をつくるのが仕事であるから、作品は「請求書」になる。ところが円空は報酬を期待せず、純粋な心で神仏を彫った。円空は「領収書」として神仏を刻んだのだ。要求ではなく感謝。だから円空仏は自由である
 

 


岐阜県の高賀(こうか)に、円空記念館がある。高賀は白山山系の修験の聖地のひとつで、円空が何度か滞在し、たくさんの円空仏が残っている。

 

 


http://www.horado.com/kouka/enku.html

 

 

 

円空が木に登っている等身大の人形ディスプレイもある。それを見ていると、「そんなこと気にするな!」と、円空が私たちを叱ってくれる。

 

ここには、円空が12万体造像をなしとげた最後の像、歓喜天像もある。円空はここで造像をやめ、三年後に入定すると予言した。そして「千日行」を行ったあと、関の弥勒寺で即身仏になった。元禄九(1695)年、64歳。

 

最後は、自分の身体そのものを領収書にしてしまった。すさまじい一生だった。
 

 

ぜんぶ領収書にすれば、人生は自由になる。

 



 

 

 

 

    地蔵菩薩は庶民の円空仏かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
私の「行雲百景」 北斎は雲である

葛飾北斎の富嶽シリーズは、死の象徴たる富士山が、生きた人間の営みをのぞきこんでいる構図が基本になっている。

 

人間が画面に登場しない例として、有名な「凱風快晴」があるが、これも富嶽を左下に降りて行くと、人家が存在するように感じられる。人間が描かれていないからこそ、自然と人間の対比が迫ってくる。(なお、この作品は画家の視点が上空にある点でも画期的と思う)

 

 

 

 

『冨嶽三十六景』より《凱風快晴》
文政(1818〜30)末〜天保(1830〜44)前期

 

 

 

 

私はこのごろ、空を見ては写真を撮っている。

 

雲は、面白い存在だ。地(如来)にある水(菩薩)から沸き起こり、風(天部)のエネルギー(明王)を受けて、あるとき、ある形をとり、流れて行く。雲はやがて消え、別のものに形を変える。

 

このプロセス全体を満たすものは、光(大日、阿弥陀)である。

 

地は生の世界、空は死の世界。だから空には人間がいない。しかし、空を見る人間は、空に人間を見ている。

 

雲は、生と死の統一であり、北斎も、雲として生き、消えた。

 

 

 

こういう仏像的な比喩は、古代人が残した素朴な洞察にすぎない。しかしこの洞察は、喜怒哀楽に陥りがちな人間を、宇宙の運行の中に客観的に位置づける手助けをしてくれる。

 

 

 

 

 

 

          地の生と空の死。人は行く雲の如し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
宇宙は人間に優しくない だから人間に歴史が生まれた

日本では浄土教系の宗派が多数派だが、じつは密教のほうが、宗教の本来の姿を汲んでいると思う。

 

千手観音や不動明王のように、密教の仏像には異形のものが多い。仏たちが人間ではないことは、一見しただけで明らかである。密教では、人間の世界と仏の世界がはっきりと分かれている。これは、仏の本来の姿を表していると思う。

 

じっさい、キリスト教だって、ユダヤ教だって、イスラム教だって、神は人間から超絶していて、人間の影響を受けない。

 

神仏とは、宇宙の道理の擬人化であるが、宇宙は人間を救おうとして存在するわけではない。人間のほうが宇宙に救われるように工夫しながら生活しているのであって、宇宙の側には人間をとりわけて救う必要もなければ、そうする理由もない。

 

だからこそ、人間は懸命に祈るのだ。だからこそ人間は、少しでも神仏が振り向いてくれたとき、天を仰ぎ、地を踏んで感謝するのだ。お百度参りしかり、寺社作りしかり、豊作の祈りしかり、収穫の祝いしかり。

 

 

とりわけて人間を救うと誓った阿弥陀如来や観音菩薩は、神仏のなかの異端者である。異端者だからニセモノだというのではない。彼らが異端者であることを知っているほうが、阿弥陀や観音への感謝は増すということだ。

 

 

人間の力が及ぶ範囲から完全に外れた存在。それを神仏と呼ぶ。人間は懸命に神仏を欲するが、神仏のほうでは、人間に特別関心をもついわれはない。人間と神仏の関係をそうとらえるとき、人間の歴史が姿を現してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
仏像は、古代の宇宙観である

亡くなった西村公朝師の大著『仏像の再発見 鑑定への道』(吉川弘文館、1976年)に、仏像に現れた仏教の世界観をうまくまとめた文章がある。

 

 

仏像には如来、菩薩、明王、天部の四種があるが、その相互関係は、次のようになっている。

 

 


如来  この宇宙の森羅万象は、どこからか来て、仮の姿をとったものである。人間も花も鳥も山も川も、いま「そうであるかの如き」姿をしている。この世にあるすべてのものは、本質のわからない「如」(にょ)の世界から「やって来た」のだ。ゆえに、この世のすべてのものを「如来」という。
 

 

菩薩  「われわれの周囲にいる各如来は、おたがいに助け合っているのです。その助けられたAと、助けてくれたBの関係は、BがAに対して菩薩になっているのです。」「菩は香草(こうそう)、薩は救うという意味です。」 たとえば「人と米の関係は、米は人に対しては菩薩になります。」26頁 こうして、ある如来は他の如来の菩薩となり、世界が助け合っている。

 

 

明王   如来かつ菩薩たる米は、「太陽と水、すなわち地・水・火・風・空の働きが加わって成長します。この偉大なエネルギーを明王といいます。」26頁  明王は、如来・菩薩を生む宇宙エネルギーの擬人化である。

 

 

天部   「こうした宇宙のバランスを護っているのが天部と解釈できるでしょう。」26頁

 

 

 


こうしてみると、確かに、この四種以外にこの宇宙にはなにも必要ない。

 

如来の本質は自己運動する宇宙の摂理そのものであるから、如来の目は内省的な半眼に造り、静かに座っている作例が多い。菩薩は、立っていたり、片足を少し出したり、動物に乗ったりと、今にも助けようとする姿勢をとる作例が多い。明王や天部は、エネルギーや守護の活動そのものであるから、力強い姿のものが多い。

 

仏教で四大(しだい)とされる地水火風は、如来(地)、菩薩(水)、明王(火)、天部(風)と相性が良い。偶然だが、現代物理学が宇宙の基本相互作用とする力も、四種類である。

 

 

そして、

 

 


この宇宙のすべてのものが如来であり、たがいに菩薩になりあうのですから、この宇宙には無数の仏がいることになります。」26頁

 

 


宇宙とは、「無数の仏」が出現したものなのだ。この豪華絢爛なイメージから、曼荼羅が描かれ、無数の明王、天部が創作された。

 

 

 

 

なにものも絶対ではなく、すべてが連関して調和する世界。仏像が表すものは、このviewpoint(観点)そのものだ。


 

 





 

 空と近淡海(ちかつあわうみ)。向こうは比叡山系。

「空海」と「最澄」が一枚になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
黄金のブッダを見る方法 仏足石について

私がはじめて仏足石を見たのは、彦根の龍潭寺(りょうたんじ)の境内だった。足指の付け根が石の角にかかっており、やや前のめりに立つブッダの姿が想像できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奈良の薬師寺には、日本最古の仏足石があり(大きさ約50センチ。753年作)、石歌碑もあって、独特のリズムをもつ歌が二十余り刻まれている。これを仏足石歌ーぶっそくせきかーといい、38文字からなる。

その中から、すばらしい一首を紹介しよう(万葉仮名をひらかなにしてある)。

 



みあとつくる いしのひびきは
あめにいたり つちさへゆすれ

ちちははがために
もろひとのために


 

 


仏足石を刻む槌音が天地に響き渡り、父母諸人の供養になるようにと祈る歌である。

 


それにしても、いったいなんのためにブッダの足跡を石に刻んだのか。聖なるブッダを直接描くのは畏れ多かったからと説明されるが、それだけだろうか。また、なぜ歌碑があるのか。

 

森岡隆『図説 かなの成り立ち事典』(教育出版、2006年8月)をのぞきこんで、謎が解けた。

薬師寺の歌碑には、「釈迦のみ跡 石に写しおき 行きめぐり」とか、「このみ跡を 回りまつれば」という文字がある。古代人は、仏足石をただ拝んだのではない。石のまわりを回ったのだ(182頁)。

小さな石を何人かで囲んで、仏足石歌を歌いながら回ったのだろう。一人が歌いはじめると、二人、三人と加わる。やがて何十人にもなり、踊りの興奮が渦巻いて…

というような想像をしていたら、芝居の訓練のひとつに、「無対象行為」というのがあることを思い出した。

演者は、実在しない茶碗を手にもち、なでてみる。湯をうつしかえる、熱さを感じてみる。これをくりかえすうちに、手にずっしりと茶碗の重みを感じる。演者自身が、演技というものの力を実感する瞬間である(竹内敏晴『子どものからだとことば』晶文社、1983年、29頁)。

足跡だけが彫ってある仏足石。歌を歌い、石を回る無対象行為の中から、幻想のブッダが立ち上がる。私のイメージでは、そのブッダは透明な金色である。その神々しさ!


晩年の司馬遼太郎は、小説を書かなくなった。その理由について彼は、「小説は、空気をかきまぜて練り上げ、さらにかきまぜて固まりを作るような、大変なエネルギーが必要だ。それをするには、私はもう年をとりすぎた。」と言っていた。小説とは、見えないものを見て、感じて、再現しようとする行為であり、仏足石を回りながらブッダの姿を再現する行為に似ている。

 

 

そこに足跡しかないからこそ、透明な黄金色のブッダは現れる。そこに、仏像以前の人間の知恵があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ヘレン・ケラーの中指について

目、耳、口が不自由だったヘレン・ケラー(1880‐1968)が来日したとき、奈良の大仏を見物した。

説明をうけた彼女は、

 

 


「なぜ大仏は右の手をあげ、中指を前に出しているのか」

 

 


とたずねた。 案内した京都大学の教授が答えられずにいると、

 

 


「盲目の人が物にさわるのはまず中指。だから大仏が衆生の様子をさぐる姿はこの形が適していますね。」

 

 


と言ったという。(小原二郎監修『インテリアの人間工学』ガイアブックス、2008年、34頁)

 

 

 


ところで、人体には「二点識別能力」という指標がある。二本の針を間隔をおいて皮膚に押しつけたとき、二点に感じ分ける最下限の寸法のことで、触覚の敏感さを示す。

それによると、人体でもっとも敏感な部位は舌の先端で、1ミリの間隔を感じ分ける。次は指先で、5ミリあれば感じ分ける。ちなみに手の甲は31ミリ、顎や胸は54ミリとなっている。(前掲書、33頁)

 

 



仏像はふつう口を開いていないが、どれも手で感じ取ったものを口で味わっているように見えるのは、私だけだろうか。

手から口へ。仏像というのは、ちょうどお医者さんのように患者の症状を手で感じ取り慰撫したあと、口を開いて相手にあわせた仏法を説く。そういうものなのだと思う。

 


それはおそらく、食べ物を手でとって口に運ぶというもっとも原初的な行為と無関係ではないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     秋の夕焼け 濃尾平野

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 07:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ最後の平和の教え 名古屋・日泰寺のこと おわり

先に書いたように、明治の日本の仏教宗派は、シャムから贈られたブッダの遺骨を我が物にしようと争った。

それは、ブッダ入滅後にインド各地の国王たちが演じた遺骨争いの再演だった。とはいえ、インドの王たちが争ったがゆえにブッダの骨は各所に分散され、その結果、遺骨は今日まで残存したとも言える。逆に、日本の仏教宗派たちは、争ったがゆえに遺骨は分散されず、超宗派で守ることになって名古屋に安住の地をえた。

分配するか中立化するか。

かつて中国は列強の利権の対象つまり「分捕り」の犠牲になったが、皮肉なことにそれが当面の「平和」的解決の方法でもあった。他方、スイスや南極のように、どこの国とも同盟せず、どこの国のものにもせず、中立を堅持することで平和をもたらす方法もある。分配は対象が大きい場合に、中立は対象が小さい場合に、それぞれ有効な方法かもしれない。

いずれにせよ、ブッダの遺骨をめぐって人間は二種類の紛争解決法を編み出した。ブッダは、亡くなってからも「平和」のための知恵をわれわれに教えてくれたのかもしれない。

 

 


ヨーロッパには、各地に「イエスの骨」と称するものがあり、全部集めると千人以上のイエスを復原できるという。仏教でも、塔にあるブッダの骨を拝むと増殖するという伝説がある。(永田諒一『宗教改革の真実―カトリックとプロテスタントの社会史』講談社現代新書、2004年、78頁)


イエスは火葬されなかったし、しかもしばらくして復活し、天に召されたというのだから、「イエスの骨」がどこかに残っているというのは、意味不明でもある。
 

 






(おわり)

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ最後の平和の教え 名古屋・日泰寺のこと その2

ブッダは火葬のあと、遺骨が各地に配布された。日泰寺にあるのはその一部である。


伝承によると、八十歳のブッダは、ある村の河で沐浴したあと身を横たえ、弟子たちと村人に囲まれて瞑想に入り、入滅した。その時、花びらが舞い散り、雷が光り、地震が起こった。    

ブッダの入滅を聞いた七ヶ国の王と軍隊が遺骨を求めてやってきた。はたして遺骨は誰の手にわたるのか。

状況が緊迫したとき、あるバラモンが

「ブッダは慈悲と忍耐を説かれました。そのブッダの遺骨をわれわれが争うのはよくありません。ここは遺骨を八つに分け、それぞれが持ち帰って各地に塔ができるようにしましょう。」

と説得した。

遺体が火葬され、遺骨の分配が終わると、そのバラモンは分配に使った鉢を持ち帰り、自ら塔を作った。遅れてやって来た一国は、遺骨ではなく灰を持ち帰り、やはり塔をつくった。

 

日本の寺にある塔は、もともと仏舎利(ブッダの遺骨)を納める施設という観念があるが、こうした仏塔の起源はインドにあり、その形は鉢型の土盛りのような塔であるという。おそらく、インドの塔が鉢の形をしているのは、遺骨の分配に鉢を使ったことからきているのだろう。日本の塔の頂上にある相輪の伏鉢が、インド型の仏塔の名残りとされる。

 

 

それにしても、2400年前の人物の真骨が特定され、その一部が日本にある。ブッダは卑弥呼より600年くらい前、聖徳太子より1000年くらい前の人だから、ブッダの遺骨の実在は驚異と言えるだろう。

科学者なら、「その遺骨、DNA鑑定したい!」と思うかもしれない。ブッダがガンダーラ仏にみられるようなアーリア系の血筋だったかどうかについては諸説あるので、DNA判定したら、そういうこともわかるかもしれない。

 

 

 

ちなみに、ブッダの真骨は中国でも発見されているという。

西安に近い法門寺。高さ47メートルの巨大な八角塔を1987年に修復したとき地下宮が発見され、2400点あまりの唐代の文物が出てきた。そのなかに、八重の箱に納められたブッダの指の骨が四個発見されたのだ。

この話は中国政府発行の観光案内パンフに載っていたもので、パンフには塔の写真とともに透明ケースに入った四つの指骨の写真が掲載されている。

なぜそこにブッダの指骨があるのか、どうやってブッダの真骨だと判明したのかなどは記されていない。
 

 

 

 

 

 


 

 

(つづく)

 

 

 


 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ブッダ最後の平和の教え 名古屋・日泰寺のこと その1

夏になると、名古屋の日泰寺という大きなお寺のことを思い出す。そこには、ブッダの本物の遺骨を納めた塔がある。


正面から見ると、草庵風の拝殿があり、その向こうに、白い塔の基壇が見える。まわりは木立。大塔の全容を見せず、白い基壇だけを垣間見させることで、ブッダらしい親しみやすさと、教えの厳粛さが表現されている。

それにしても、なぜブッダの真骨が名古屋にあるのか。

 

 


 


1898(明治31)年のこと。ネパールでイギリスの駐在官が古い墳墓を発掘し、一つの壺を発見した。壺には、紀元前の文字でブッダの遺骨であると記されていた。

他の文献の記述とも符合したため、これはブッダの真骨だと判定された。身長5メートルと言い伝えられたり、架空の人物とみなされることもあったブッダだが、この発見によって実在の人物であることが確認されたのである。

さてイギリスは議論の末、ブッダの骨なら仏教国がふさわしいと、シャム国(タイ)に譲渡した。その一部がシャム国王から日本にプレゼントされることになった。

シャムでうやうやしい儀式を行い、1900(明治33)年、お骨は来日したが、日本の仏教諸宗派は骨をどこに納めるかをめぐって争った。そして数年後、広大な用地を用意して熱心に誘致した名古屋に決した。遺骨は、超宗派の形式で管理されることになった。

それが今日の日泰寺である。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 04:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
蜷川幸雄は如来になった

演出家の蜷川幸雄氏は、2016年に80歳で亡くなった。

 

蜷川作品の出演者だった大竹しのぶさんのコメントに、印象に残った言葉があった。

 

晩年、体調を崩してからのことらしいが、

 

 

「俺、もう日常捨てたから。稽古場だけで生きるから。」

 

 

と蜷川氏が語ったというのだ。

 

華やかな本番ではなく、むしろ「稽古場」のほうが「生きる」場所だと言っているところも目を引いた。

 

 

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/700/244810.html#c194962

 

 

 

 

仏教には、如来、菩薩、天といった仏の種類がある。如来とは、法そのものだというが、人は死して法となる。残された者は資質に応じて、菩薩や天になればいい。

 

先日、70歳代の人から、「あと何回桜が見られるか」という気持ちが60歳代よりもリアルになる、という話を聞いた。

 

人は、生きているうちは菩薩や天になるのだが、菩薩や天になる覚悟は、早いほうがいい。70歳代より60歳代のほうがいい。早いほうが、如来になる準備が充分にできるからだ。

 

人の生活は「稽古場」であり、死してからが「本番」だ。そう思えたらいい。

 

蜷川氏は、死して如来になった。そして如来の本質は、希望である。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 07:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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