ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


センター試験の国語と英語に悪意を感じた
センター試験が終わったが、国語の第一問をみて、少々疑問をもった。

小林秀雄の文章を題材にしているのだが、省略の多い独特の文体で書いてあり、そもそも文意がわかりにくい。

ある意味、これは独善的で古くさい文章である。

今どき、こういう文を読めなければならないかのように出題する理由がわからない。

そこへ、わずらわしい内容の、まぎらわしい選択肢を並べた設問がいくつもつづく。

いったい、これはなにを目的にして作った問題なのだろう。

私は、現代国語という科目じたいは存在理由があると思っている。高度な日本語を通して知識や感性を養ったり、複雑なロジックを追ってじっくり考える練習になるからだ。(じっさいの高校の授業がこのような存在理由にふさわしいものになっているかは別だが)。

特殊な、特定の大学の問題ではないのだから、センター試験ではもっと標準的な現代文を題材にして、高校生に「読む」ことの面白さを教える機会にするくらいの度量がほしいと思う。





英語は、問題の内容をまだよく見ていないが、うんざりするほどの量になっている点はあいかわらずである。

しかも、今年の国語の一番とは対称的に、内容があまりに平俗というか、それがどうしたのだ?と聞きたくなるようなことが並べてある印象である。これも例年どおりである。

だが、18歳が80分でこんなに大量の、しかも嫌気がさすような内容のものをやらねばならないというのは、これまた、なにが目的なのか、よくわからない。

大量にしておけば、うんざりするかしないかで忍耐力が測れるとでもいうのだろうか。しかし、これではうんざりするほうがむしろ正常なのではないだろうか。

それとも、適度な得点分布を実現するためにこんなに大量にしてあるのか。だとすれば、受験生はただのサンプルなのか。

おそらく、TOEFL など、昨今の有名テストの傾向とも関係があるのだろうし、去年がこうだったから今年も…という発想もはたらいているだろう。

いずれにせよ、国語と同様、これは特殊な特定の大学の入試問題ではないのだから、もう少し教養のある内容を、もう少し少数にしぼって出題して、外国語というものの面白さを少しでも若者に感じさせるように出来ないものだろうか。





他の科目はまだみていないが、国語と英語をみるかぎり、はっきり言って出題者の悪意さえ感じた。

なぜ、こんなにわずらわしい問題をつくってわざわざ質問するのか。なぜ、こんなにうんざりするほど大量に味気ないことを聞いてくるのか。

これは国語や英語に嫌気がさすように意図しているのではないか。

もちろん出題者は、「悪意はない」と答えるだろう。

しかしそれが、悪意があるようにみえることに気づいていない、という意味なら、無神経な愚か者である。

またそれが、悪意があるようにみえるというのはおかしい、という意味なら、「見解の相違」ということになる。

だが、ひとつ言えることがある。

こういう問題に答えることで、50万人の若者が国語や英語の面白さを感じることができるか。

もちろん、答えは「ノー」である。

ならば、いったい、この国語と英語の問題は、なんのためにあるのか?











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
大学教育の弛緩について 米メリーランド大分校の挑戦
大学教育の弛緩が、アメリカでも日本でも問題になっている。

米CBSテレビがメリーランド大学ボルチモア校の取り組みを紹介した番組があった。

http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=7411990n&tag=segementExtraScroller;housing

熱心な学長(黒人・数学専攻)が、理系教育の立て直しに奮闘している様子を紹介したドキュメンタリーだが、いくつか感想を。

◯ 入学前の情報・やる気を維持させる仕組み・きちんとした講義内容が重要だ

この学長は、「君たちはできるのだ。できるから入学させた。We accepted you because we know you can do this work. 入学させた以上、卒業まで責任をもつ」と言っていた。

もちろん、ある学生が<できる>かどうかは、実際にやってみないとわからない。だからインタビュアーは「かならずできる、というのは夢想ではないですか?」と聞いている。

しかし問題は、入学した学生に能力があるかないかではない。情報を伝え、やる気を維持させ、きちんと教える仕組みが大学にあるかどうかである。

入学前に大学の内容を正確に伝え、そのうえで入学した学生にはやる気を維持させ、しっかり教える仕組みがあれば、大学は責任を果たしているといえる。

そのうえで、やめるかどうかは学生本人の問題である。



◯ 規律の立て直しは重要である

番組でいちばん印象的なのは、学生が列を組んで教室を移動する場面である。

きちんと列を作らねばならず、勝手に歩くことは許されない。("Gaps in a line are not allowed.")

また、授業に携帯電話などの電子器機をもちこんでもいけない。("There's no-telephone-rule: no electronics, no headphones.")

そして、競争ではなく、互いに助け合う姿勢が強調される。("The key to success, they are told, is collaboration, not competition.")

どれもアメリカの大学の常識的なイメージに逆行しているが、私はこれは良い方法だと思う。

規律は教育にとって大事である。

規律は、まず外面の整備からはじまる。制服を着た瞬間、いやでもしゃきっとするという職業人は多い。




◯ 学問がほんとうに面白いと思っている人が教えるべきである

この学長のいいところは、たんに大学の仕組みの建て直しに熱心であるだけでなく、学問じたいも、学問している若者の姿も、「鳥肌が立つほど感動する get goose bumps」と言っているところだ。

学問に感動していない人が学問の魅力を伝えることはむずかしい。

外面を規律するだけでなく、内容の面白さはもちろん重要である。





この大学が今後どうなっていくか。

この学長が去ったあと、どうなるか。

それはわからないが、この学長が学生に次のように言っていた。おおむね正しいと思う。

"I want you to keep dreaming about the possibilities.  Nothing takes place without hard work, attitude, and getting support from each other.  That's what this is all about.  Focus!  Focus!  Focus! "














| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"Raise the Bar! " 高いバーこそ能力を引き出すという原理について
アメリカのニュースサイトの動画広告に、

”アメリカの教育レベルが落ちている。ある国際テストによれば世界で17位だ。なんとかしなければ!”

と訴えているものがある(画面では、一位はフィンランド。日本は二位となっていた)。

たぶん中学か高校の数学・科学のテスト結果なのだろう。

そこに出てきた表現が印象的だった。

"Let's raise the bar,  and elevate our academic standards. "

raise the bar というのは高飛びのバーを上げることからきた表現で、set a higher standard (基準レベルを高くする)のこと。

全体のレベルを上げるためには、ふた通りの発想がある。

① 課題をより容易化することで成績不振の低層部分を引き上げる。

② 目標をより高度化することでやる気を鼓舞し、全体のレベルを上げる。

多くの人が習得に困難を感じて進歩しない場合、習得の内容や方法が学習者の興味に合致しないとか難解すぎることが多い。この側面に対処するには①の容易化を実行する必要がある。

逆に、全体のレベルが上がらないのは目標が低すぎたり不明確であることも原因になる。この場合は②の高度化をはかる必要がある。

近年は①の容易化がおもに進行し、②の高度化が忘れられる傾向がある。"Let's raise the bar." というキャンペーンは、こうした傾向を批判し、レベルを上げる必要を訴えているわけだ。

おそらく多くの場合、①と②を併用するのが正解であって、両者が互いに影響しあったとき、最良の結果が得られるのであろう。

以前に小学校の先生方と話したとき、

「小学生も5、6年生になると、『簡単だからやってみよう』ではなく、『これは難しいけれどチャレンジしよう!』と言わないと生徒は乗ってこない。」

と言っていたのが印象に残った。

「簡単だからやってみよう」というのは、人間の心理の一面にすぎない。「難しいからこそやってみたい」という心理も大切なのである。

何かをなしとげようとするときは、誰もが出来るように工夫しつつ(私のいう「下げて平等」)、他方で We'll raise the bar! と公然と宣言する必要がある。








(おわり)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
高い志のある者とそうでない者を分けるシステムをつくれ その2
フランス語の場合、フレンチアカデミー設立が1635年。大きな辞書が1694年。

これに刺激されてイギリスでもつづりの統一運動があった。

その例がスウィフト。1712年に英語のつづり法を確立するアカデミー設立の要望書を提出。しかし王が交替したりして挫折。118頁。

けっきょく英国ではつづり法は国家的な整理が行われなかった。同様に、語彙も文法も国家ではなく権威ある書物が統一を先導した。

語彙…ジョンソンの辞書。1755年ころ。118頁。…権威ある辞書はつづりの統一や文法の標準化にも寄与しただろう。

文法…ラウスの文法書。これをわかりやすくしたのがマリーの文法書(1795年)。人に笑われない手紙が書ける文法=中産階級になりあがるための素養として流布。184頁。

・それから200年近くたつと、今度は伝統文法が攻撃されるようになった。

日本でも流布した文法無用論の起源は構造言語学にある。90、184、187頁。

1950年代半ば、アメリカで電話の会話や手紙の文を多数集めてみたところ、「伝統文法的になっている会話などはないということが発見された」91頁。

そこから、習得に非常な努力を必要とする伝統文法が差別につながっているとしてピンカーなどが批判。「しかし自分は100%伝統的規範文法のルールに従って書いているのです」(渡部)187頁。

・伝統文法が軽視されるようになったもひとつの要因は、「専門家」が研究成果を出しにくいからだった。

「スクールグラマーを専門にしていると、それを題目にして論文が書けないんです。論文になりにくい。変形文法がはやるとそればっかりやって、隅を突っついたような論文が書ける。そういう落とし穴もあるんです。それは教育にも悪影響を及ぼしています。」(上田、182頁)

…そうではないかと思っていたら、やはりそうだった。英語教育の当事者の貴重な証言。









(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
高い志のある者とそうでない者を分けるシステムをつくれ その1
上田明子・松本道弘・渡部昇一『日本人はなぜ英語に弱いのか』(教育出版、2003年11月)

7年余り前の鼎談。3人の達人が10時間話し合った記録。

おもしろかったところをメモ。

・「円グリッシュ」というのがある(渡部)…買い物程度の日本人英語のこと。お金を出すのはこちらだから、多少でたらめでも向こうが努力してくれる。15頁。「お客様英語」といったところか。

・「耳ではすごく寛容、目ではまったく逆」(渡部)15-16頁。…英米では発音が妙なのには寛容だが、書いたものがおかしいと「絶対軽蔑されますよ」16頁。書いたものがきちんとしている人は、そのうち話すほうもうまくなる。16頁。=「基礎があれば」苦労してもうまくなる(渡部)。23頁。

…これは重要なポイント。書くことを軽視しない、むしろ書くことを基礎におく自己教育が望ましい。









(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 19:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
教育はギフトである その1


記号と言葉の対応. 認識を操作する記号と言葉の力にあらためて気づく.


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

小島寛之『数学でつまずくのはなぜか』(講談社現代新書、2008年)に、数学教育の存在理由について代表的な発想をいくつか紹介した部分があった。28-32頁。

読んですぐに思ったのは、「これはまるで英語と同じだな…」ということだった。

数学教育と英語教育。

まるで違う教科のようにみえるが、これが「必須科目」とされる理由をあげてみると、次のように見事に類似している。

①数学実用論(「数学はこういうところで実際に役立っているのだから学ぶ価値がある」と生徒に説明する)=英語実用論(「英語はこういう風に役立つから勉強しろ」と生徒に説明する)。

実用論は、ある意味「いやらしい」 と小島氏は述べている。これだと「役に立つものしか必要ない」という「浅ましい根性」につながりかねず、あまり感心しないと。31、32頁。







(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
辞書引き学習法に人類の希望をみた
さっきのNHKの朝のニュースがおもしろかった。

「辞書引き学習法」が注目されているという。

授業や自宅で小学生に国語辞典を引かせ、引いた言葉を大きな付箋に書いてその頁に貼り付けていく。

引けば引くほど付箋だらけになって辞書が分厚くなり、小学生にはそれがやりがいになるという。

たとえば「保健所」を引くと「役所」というわかりにくい言葉が出てくる。そこで「役所」を引くと今度は「官庁」という知らない言葉が出てくる… つぎつぎ引くうちに付箋が増える。

イモヅルとはこのことだ。いや、モグラたたきに近いか…

普通なら「これだから辞書なんて面倒くさい」となりそうだが、それが逆で「言葉の意味がわかるのはうれしい。つぎつぎ引くのがおもしろい」と子どもが言っている。

印象に残ったのは小学生が国語辞典の頁を手でめくっている様子。紙を一枚ずつめくって目的の語を探す動作には、ていねいな手仕事の良さがあるような気がした。

面倒そうに見える手作業には、じつは独特の魅力がある。手作業は脳の活性化にもいいから、「辞書引き」は小学生に限らず人類的に恩恵があるはずだ。

ちなみに私は毎日かならず辞書を引く。言葉の定義を確認することで自分の思考に確実感が得られるからだ。英語の場合、意味だけでなく発音が大切で、それには辞書の発音記号を活用しようとも言ってきた。

しかしいつも電子辞書だ。

子どもが辞書を引く様子をみて、私も久しぶりに紙の辞書を引いてみようと思った。

けれど、はたして紙の辞書、いったいどこに置いたか…




| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 07:56 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
化粧教育と英語教育 おわり
化粧も英語も「型」の身体文化であり、美を通して人のアイデンティティを拡大し安定させ元気づける役割がある。

われわれ男性からみると、女性は化粧というものをよく知っているというイメージがある。

しかし本書を読んでみると、そうとも限らないらしい。

男も女も、ほんとうにきれいになるのはこれからだ。

最後に、本書のいちばんのメッセージを。


「美は一見するとやさしい、優美なものだ。にもかかわらず、実はその内部に多大な力を秘めている。美しいものは暴力や権力を想起させることなく人心を虜にし、当人が自覚しないうちに価値感を変えてしまい行動を変えてしまうほどの力がある。嬉々として人を従わせる力をもつもの。それが美だ。」209頁。





(おわり)






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 14:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
化粧教育と英語教育 その5
■化粧教育は三つの側面をもつ。

_奮愿基礎知識の教育…化粧成分の化学、紫外線、肌・髪の生理。

⇔鮖謀基礎知識の教育…成人の証、ハレの表現、清潔感覚の表現、身だしなみの多様性、身体加工の多様性。

N冤的基礎知識の教育…外見が差別につながりやすいこと、化粧はプラスとマイナスの両面をもつこと。

まとめとして、化粧は誰もが窮屈な思いをしないで自分のままで生きるためにあることを確認する。156頁。

女性は新しい流行については知っていても、化粧というものについての基礎知識は意外ともっていない。その「持っていない基礎知識」をもってもらうことこそ、上記の「化粧教育」である。

つまり化粧というものをもっと冷静に知ることによって「ファストビューティ」の限界を知り、より落ち着いた「スロービューティ」へと移行しようという提案である。

基本的に賛成できる。







(つづく)






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 14:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
化粧教育と英語教育 その4
■著者は「スロービューティ」を提唱する。

1920年から30年代を境に社会の「スピード時代」化が加速し、若さと健康と美(動きのにぶい肥満を否定する)は一体のものだという人間観が普及した。78頁。

ここ100年ほどのスピード時代の美を、著者は「ファストビューティ」と呼ぶ。それはファストフードのように画一的で結果偏重で、マニュアル化され他人まかせで、いつでも何度でも同じものが再現される。

ファストビューティは近代化の産物であり、なかでも大きかったのは大量生産と徴兵制(総力戦)の影響であろう。

それに対して「スロービューティ」は、多様で過程重視で、勘や熟練を重んじ、自力開発的で、一期一会を大切にする。115頁。

著者のいう化粧教育は、この「スロービューティ」の考え方を普及しようとするものだ。





(つづく)





| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 13:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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