ごきげんようチャンネル



Smile, what's the use of crying?

You'll find that life is still worthwhile

If you just smile


英語の子音には、「鼻腔音」「口腔音」「上あご音」「下あご音」がある

英語の音声は、音声学の教科書に書かれていない分類ができる。

 

人間の喉元からは、鼻腔と口腔という二つの通り道によって、息が体外に出ていく。人間は舌と唇と、残りの顔や首の筋肉を使い、二つの息の通り道を狭めたり遮断したりして、声帯原音が頭骨や胸元に共鳴する範囲を調整できる。

 

共鳴範囲を調整できる主要部分は、二つの息の通り道に沿って、上のほうから、

 

 

”々

 

⊂紊△瓦旅

 

8腔

 

2爾△瓦旅

 

 

の四層となる。

 

この人体構造は人類共通であるが、この構造をどう使うかは、その言語次第である。

 

 

英語の場合、子音を言い分けるために、この四つの層をフルに活用している。

 

 

 

 

鼻腔の周辺を共鳴させて、鼻腔音(いわゆる鼻音)にする。英語では、m, n, l, ng の四つが鼻腔音である。


上あごの骨を共鳴させて、「上あご音」にする。英語では、p, t, ch, k,  b, d, dz, g の八つが上あご音である。

 

 口腔を共鳴させて、口腔音にする。英語では、w, r, R, h の四つが口腔音である。

 

下あごの骨を共鳴させて、「下あご音」にする。英語では、f, θ、s、sh,  v, dh, z, zh の八つが下あご音である。 

 

 

 

 

なお、ここでいう「共鳴」とは、無声音を含んでいる。

 

英語の場合、子音の共鳴部位という観点から上記のような四種に分類し、それに四つの調音点と、無声音・有声音の区別を導入すると、子音はすべて、きれいに分類できる。

 

この分類は、発音の練習にも大変役立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あらゆる言語は、自己に共鳴する自分の声である

「共鳴音」という言葉は、喉が震える有声音についていうことが多く、 /s/ や /k/ のような無声音は、ふつう「共鳴音」とは呼ばないような印象もある。

 

しかし、ウィキペディアの「共鳴」を引くと、

 

 

 

 

発声にあっては、発音体(発音物質、リードなど)の振動がより大きな物体(筐体、共鳴腔)に伝わり共鳴することで、より人間が聞きやすい音に変化する。すなわち、発音体単独の時よりも、聴覚上大きな音が得られる。」(太字は引用者)

 

 

 

 

という説明がある。

 

言語の音声は、声帯のかすかな震えを増幅するのだから、すべての言語音は共鳴音であると言って良い。

 

たとえば、/h/ は無声音だが、上半身をつかって声帯の震えを増幅しているのだから、一種の共鳴音である。

 

 

</h/ は共鳴音である>

 

 

私は、/h/ を「英語の息」と呼んでいるのだが、/h/が共鳴音だと思うだけで全身が鳴りやすく、/h/ が出しやすくなるような気がする。

 

/h/ だけでなく、あらゆる言語音は共鳴音である。

 

そう思えば、人は言語によって全身を鳴らしながら生きているのだという実感が湧いてくる。

 

 

言語は、社会的に形成された自己が、社会的概念にもとづいて心内の私的認識を整序し、表現規範にもとづいて肉体としての自分を制御して、音声・文字化したものである。

 

ならば、あらゆる言語は、自己に共鳴する自分の声である。

 

 

 

 

 

 

 

 

                     比叡山 初冬 大津方面から撮影

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語発音 ただひとつのコツ

これまで私は、英語の発音について、息と声と音の三つに分けて考えてきた。

 

英語の息は、英語で生きていることを表す。英語の声は、英語の自己、英語での人となりである。そして英語の音は、英語でのその場の意志を表す。

 

こうしていったん三つに分けて練習するのは、賢明な方法である。しかし、実際の発話では、身体要領を一つにしぼらないと言いにくい。

 

 

 

英語での発話の、たったひとつのコツとはなにか。

 

上半身では、後頭部に一本の「気の道」を常に確保し、下半身では、腰をしぼる。腰骨から気道、鼻腔へと、背骨に沿って一本の空気道を確保するイメージである。

 

これに対して日本語は、腰というより首をしぼるイメージで発音し、短い「」や「」によって、「気の道」が首のあたりでしょっちゅう遮断される。

 

目を閉じて、腰から鼻まで、/h/という無気音を通しつづける練習をすると良い。舌根は下方に維持し、息は口腔ではなく鼻に通すようにする。鼻先を開けるとやりやすい。全体に、鼻でいびきをするような感じになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
喉元に収束する言語・日本語

どうして日本語は、全体に「母音で割っている」ように響くか。

 

それは、すべての音の前で、短い「 ng」を言っているからだと思う。

 

「あいうえお」だけでなく、「かきくけこ」などの音でも、われわれは無意識に、はじめに非常に短い「」を言っている。

 

「すっかり」のように、「」が言いにくい場面では、短い「」となる。

 

日本語は「」や「」による、喉元(あるいは首)への収縮を収束点(ホームベース)とする言語である。

 

だから、能や歌舞伎、浄瑠璃、長唄のような伝統芸能や、近代の演歌や浪曲などでは、喉元(首)を「しぼる」技術が探求された。

 

これに対して、英語は常に喉を開いておく言語で、日本語のように喉元を閉める音素は存在しない。

 

/sh/や/k/のように、喉元に近い部分をブロックする音でも、日本語とちがって声帯付近は開けておき、首から鼻に抜ける気道を確保する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
it は「イット」ではない 

<しなやかに息を出し、それをしっかりせき止める>という力の対抗関係が、英語の音の力強さやリズムをつくる。

 

それに対して日本語では、(あるいは首全体)を閉めることによって力強さを確保する傾向がある。だから日本人は喉を閉めた「っ」が得意だが、英語にそういう音素はない。

 

たとえば、it は、「エ()」に近い発音になる。()のところでは、喉を閉めるのではなく、/h/ の息を、舌先による前歯裏上のブロックで完全にせき止める。だから空気が圧縮されるが、それが破裂するとは限らず、()のようになる。

 

英語の音素 /t/ を「破裂音」と書いてある教科書が多いが、破裂することが /t/ の本質ではない。息を完全にブロックする位置が前歯裏上であることが、/k/や/p/ と区別するポイントになる。

 

日本語では、息の力もそれをブロックする力も、やや弱い。

 

英語をやるなら、息の力とブロック力を強化する voice gym が必要になる理由も、ここにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
the を、なぜ「ザ」と読むのか

日本では、the を「ザ」と読む習慣?があるが、なぜ「ザ」なのか。

 

the のつづりを見ても「ザ」と読む理由がよくわからない。

 

the の発音が、日本人には「ザ」に近いように聞こえたので、明治時代に「ザ」とカナづけしたのが始まりかもしれない。

 

あるいは、「ダ」だと、断定の「だ」を思い起こしやすいので、無意識にこれを避けたのかもしれない。

 

もうひとつ、考えられる理由は、もともと日本語は、息の流れも、それをせき止める舌や唇のパワーも、やや弱いことである。日本語の感覚だと、「ダ」よりも「ザ」のほうが柔らかで、弱い力でも言いやすいかもしれない。

 

いずれにせよ、私は the を「ザ」と読まないよう、学生に注意している。むしろ「ダ」のように言うことを勧めている。

 

国際放送を聞くと、いろいろなタイプの英語が聞けるが、英米系はもちろん、中東系にせよインド系にせよ、英語ネイティブが the を「ザ」のように発音しているのは、あまり聞いたことがないように思う。少し調べてみたが、そもそも英語には、「ザ」に近い /za/ という音が入った単語は、存在しないようである。

 

つまり、「ザ」は、英語としては奇妙な音である。

 

the を「ザ」と読むのは、良い習慣ではない。英語をやりたい人は気をつけると良いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
無意識の「ウ」発見! 英語発音の隠れた難関

英語の発音練習でやっかいな問題として、日本語の「」のような音が無意識のうちに入りこむという現象がある。

 

チャップリンの名曲 "Smile" を、マイケル・ジャクソンの歌を手本にして学生に暗唱させたところ、どうも発音が不安な部分があった。

 

"if" とか "life" のような/f/ で終わる語の末尾で、「」のような母音系の音がたびたび聞こえるのである。

 

これは、日本語の「フ」の影響かと思い、学生の唇が丸くなっていないか確認したが、意外にも、そういうことはない。英語の /f/ の口形ができている。

 

それなのになぜ、余計な「」音が入っているように聞こえるのか。

 

そこで、よく聴いてみると、学生の発音では、同じ歌詞の中の"crying" とか "trying" の部分でも、冒頭の/k/や/t/ の音のあとに、わずかに「」のような音が入り、「ク」「ト」といった感じに聞こえる。そしてこうした部分でも、唇が丸くなっている様子はない。

 

推測するに、 /f/ /k/ /t/ のような無声音のあとで、唇を丸めないまま、口内で「」のような有声音を無意識に出しているのではないか。

 

外国語の発音では、「母語の介入」がよく問題にされる。<無意識の「ウ」>は、母語の介入が無意識のうちに続く代表例になりそうだ。

 

おそらく、この無意識の「ウ」の介入に学生自身が気づくことが、問題解決の第一歩だろう。そして、私が「英語の息」と呼んでいる、/h/ 系の無声音を出す力を強化し、口内で調音点をせき止める力も強化すれば、<無意識の「ウ」>は、次第に消滅するのではないか。そうすれば、リズムを崩す母音が減り、英語の爽やかなスピード感も強化できるだろう。

 

 

 

 

追記: あとで思ったのだが、ここで指摘した「」は、日本語がホームベースにしている「ん ng」や「」という喉元(首)を閉める音が、あいまい化した音なのかもしれない。非常に短い音で、首を十分閉める余裕がないので、「ん ng」や「」が「」のように聞こえるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"アイドンノー" 現象発見!

学生と英語の発音の練習をしていたら、ひとつ発見したことがある。

 

 

"I don't know."

 

 

という表現を、

 

 

"アイドンノー"

 

 

とか、もう少しそれらしく、

 

 

”アドンノ

 

 

のように発音する学生がずいぶんいるのだ。

 

簡単なセリフだから、どちらも十分通じると思うが、 "ドンノウ" はちょっと非標準っぽいし、 "ドンノー" にいたっては、英語として落第といってもいいだろう。

 

ほかの表現なら、なかなか英語らしく発音できるのに、なぜかこのセリフになると、"ドンノウ" とか "ドンノー" になる。そういう学生がずいぶんいるところをみると、これは何かの社会的学習によるものらしい。

 

 

これに似た話で、"there are" を、"ゼアラ" と読む学生が多いことには、前から気づいていた。ちょっと通な感じの発音だが、「ゼ」も「ラ」も日本語風。この "ゼアラ"は、なかなか広く流布している。"there is" が "ゼアリズ" になるのも同じ。

 

 

そういえば、the を "ザ"と読むのも、考えてみれば妙である。the をローマ字読みしても、"ザ"と読む必然性はない。ある有名人が、theを「テへ」と読んだという話があるが、じっさい、「テへ」のほうがローマ字読みに近い。

 

the の英語の発音は、むしろ「ダ」のようになる。なのに、なぜ「ダ」ではなく "ザ" が流布したのか。「ダ」だと、断定の「だ」と紛らわしいから、無意識に避けたのだろうか。

 

 

 

 

英語のようで英語ではない「カタカナ英語」については、本が出たりしているが、こういう英語っぽいエーゴ(?) については、とくに研究もなさそうだ。

 

こういうエーゴは、どういうメカニズムで流布するのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
大発見!? 日本語は<子音+母音>かつ<子音÷母音>である

日本語を表記するためのローマ字と、英語で使うアルファベットは、同じ文字である。

 

ローマ字とアルファベットが同じ文字であることが、われわれが英語を日本語風に読んでしまう原因、つまり英語を英語として発音できない原因になっている。

 

しかも、われわれはワープロを使うとき、日本語をローマ字で書く。そのため、日本語についてもついつい誤解してしまう。

 

最近、私がようやく気づいた日本語についての誤解を、メモしておきたい。

 

 

 

...

 

 

 

まず、日本語の「か行」以下の発音。

 

たとえば、「かきくけこ」と言ってみると、たしかにはじめ子音的で、そのあと母音的になる。だからワープロで  ka, ki, ku, ke, ko と書くのは正しいような気がする。

 

だがこれは、発声器官の機構的原因や聞こえの明瞭さを求めて、<子音+母音>に近い言い方になるということであり、われわれは意識のうえでは、「かきくけこ」をひとつの音として言っているのではないだろうか。

 

つまり、「かきくけこ」は、意識のうえでは、子音的要素と母音的要素がひとつに混合している。だからこそ、われわれは「かきくけこ」を、ひとつの文字で書くのではないだろうか。

 

いや、「かあさん」のように、「か」を伸ばしたらたしかに母音「あ」になるのだから、やはり「か」は<子音+母音>といえるのではないか、という反論もあろう。

 

だが「かあさん」の「かあ」は、「か」を伸ばしたのではなく、「か」と「あ」という二つの音である。二つの音だから、われわれは「かーさん」ではなく、「かあさん」と書くのではないだろうか。

 

 

 

...

 

 

 

では、「あいうえお」はどうか。「あいうえお」は、ローマ字では一字になることもあって、純粋な母音というイメージがある。

 

しかし、よく観察すると「あいうえお」にも、はじめにごく短い「」がある。じっさい、「」の準備なしで「あいうえお」と言うのは、著しくむずかしい。

 

「かあさん」の「あ」には「」がいらないが、これはすでに「か」の中に「あ」が含まれているために、「」を言う必要がないからであろう。

 

してみれば、「あいうえお」も、「かきくけこ」などと同様、物理的には、子音的な「」に、母音的な要素が続いている。そして意識の上では、子音的な「」と母音的要素は混合して、ひとつになっている。

 

 

 

...

 

 

 

以上の観察から、日本語の五十音には、<子音母音>という生理的・物理的継起性と、<子音÷母音>という言語的・意識的一体性の、両面があることがわかる。

 

「人間はそのように意識してはいないが、そのように行動する」とマルクスは述べた(『資本論』)。われわれは、明治以降のローマ字教育やワープロのローマ字書きによって、日本語の「かきくけこ」以下が<子音母音>という「行動」をしていることを「意識」するようになった。

 

そのため、ka, ki, ku, ke, ko のような日本語ローマ字表記の子音の部分が、英語の子音と同じであるかのようなイメージが生まれることにもなった。ところが、日本語は言語意識的には<子音÷母音>であるから、日本語の子音的要素だけを取り出して英語に使うというのは、なかなかできない芸当になる。

 

明治以来普及したローマ字書きのおかげで、日本語を書くとき、ワープロのキーが少なくて済む。しかし、ローマ字書きのせいで、英語のアルファベットを日本語読みするクセが身体にしみついてしまうし、<子音÷母音>という日本語の言語的真実が見えにくくもなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
日本人は英語がうまい? マーク・ピーターセン氏の優しさ

文科省が「英語が使える日本人」を作るための「戦略構想」を発表したり、TOEFLの国際比較で日本人の平均点が低い(156カ国中144位だった年もある)といったことをとりあげて、「日本人はとくに英語ができない」という主張?がしばしばおこなわれる。

『日本人の英語』(岩波新書)で有名なマーク・ピーターセン氏(明治大学教授)は、これはでっちあげだと強調する。日本人がとくに英語が下手という事実はないと。

じっさい、TOEFLの平均得点が低いというが、TOEFLは受験料が高いから、日本以外では留学候補者のようなエリートだけが受験する。軽い気持ちで受験する人が沢山いる日本とは、もともと受験者の質が違う。だから「TOEFLの国別平均点は無意味な統計なのだ」(マーク・ピーターセン『英語の壁』文春新書、2003年、37頁)。

ピーターセン氏がもっとも嘆くのは、文科省自身が、日本の中学・高校の英語教員の英語力が低い、などと公言していることだ。ピーターセン氏の経験では、「地方をまわって現場の先生に会ってみると、むしろ英語力は驚くほど高い」という(同上書、37−38頁)

けっきょく、何が悪いかというと、「全員にいやでも英語を覚えさせる」という日本の教育方針なのだ。英語をどこまでやるかは個人の判断にまかせるべきで、しぶしぶやっているような人まで巻き込む火必要はないと、ピーターセン氏は力説する。

大学で、英語嫌いの学生にも教えているピーターセン氏の目からみると、「英語全員強制」の弊害は目に余るのだろう。

 

 


では、本当のところ、日本人の英語のレベルは、どうなのか? 

私としては、「ある意味で低いが、それは仕方がないことであり、かなり多くの国でも、似たようなものだろう」と答えたい。

たとえば、しょっちゅう使う「冠詞」(a とthe)について考えてみても、これがまともに使える自信のある人が、何人いるだろうか。


以前私は韓国の書店で、韓国人が読んでいる英語の参考書を手にしたことがあるが、冠詞については日本人と同じような注意が書いてあった。日本語と同様、韓国語にも冠詞がないので、冠詞を駆使するのは、韓国人にとっても著しくむずかしい。

そして冠詞のように面倒で重要な点については、どの国でもおおざっぱな説明・教育しか行われていないという実態がある。英語の冠詞がまともに使えるようになる外国人向けの優れた教育メソッドは、まだ存在しないのだ。

これでは、母語に冠詞がある言語の話者か、一部の非常に才能のある人くらいしか、英語がまともに出来るようにはならない。

英語教師を含む日本人の英語力は低くない、というピーターセン氏の主張は、半分は彼の優しさからくるものだと私は思う。英語で人間の優劣を決めるかのような日本の風潮に対して、彼のヒューマニズム(会ってみるとわかるが、彼はアメリカ中心主義とは縁のない人である)が許せないのではないか。

日本人の英語のレベルが国際的に低いと嘆いたり、それはなぜかと議論すること以上に重要なことは、英語が本当に身につくメソッドを一日も早く開発し、普及させることだ。

それがないのに、中学・高校の英語教師の英語力は英検準一級が目標(文科省)などと言ってみても、しょせんは夢物語 a pipe dream である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
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