ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


漢字ーかなー発音 つづりー発音記号ー発音

英語をやるなら、発音記号が必要になる理由。

 

図式にすると、こういうことである。

 

 

日本語の漢字 → かな → 発音

 

英語のつづり → 発音記号 → 発音

 

 

日本語の場合、漢字を読むための文字として、普段用いている「かな」がつかえる。

 

ところが英語には、読みにくいつづりを読むための文字がない。そこで、発音記号をつくったのである。

 

発音記号を覚えないで英語のつづりを読もうとするのは、かなを知らないで漢字を読もうとするようなものである。

 

「英語のアルファベットは表音文字だから、つづりをみれば読めるはずだ」と思うのは、一種の誤解である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
発音記号は英語のふりかな

英語の発音を、カナでメモしている人は多いと思う。

 

だが、カナでは英語の発音を正確に書けないことは、誰もが知っている。カナに○をつけたり、ひらかなを併用した独自の記号を提唱している人もいる。

 

私のお勧めは、ずばり、発音記号を覚えることである。

 

たいていの辞書には発音記号が載っているから、発音記号が読めれば、正確な発音が手軽に確認できる。

 

ちょうど、ふりかなが読めれば、日本語のあらゆる漢字の読み方がわかるのと同じである。

 

発音記号はアルファベットにない文字もあり、発音の仕方じたいの練習が必要だが、それこそが英語の標準的な発音を知るということだから、練習の価値は十分ある。

 

格別耳がいいわけでもない普通の人が、発音記号を知らずに英語を習得しようとするのは、ほとんど無謀である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
生命の種は、身体の共有を基盤にしている

向こうから別の犬がやってくる。すると、犬はすぐに気づいて相手に近づこうとしたり、吠えたりする。

なぜ、数十メートルも離れた犬に、犬は気づくのだろう。


犬は、犬という身体性を共有しているので、身体が同調しあうからではないか。

同じようなことは、他の生物にもあるだろう。

 

カモは、なぜカモだけで集まるのか。鳥の群れは、なぜいっせいに行動するのか。ライオンは、なぜ互いに殺しあわないのか。

 

いや、これは問いが間違っている。

 

カモだけで集まるから彼らは「カモ」なのであり、いっせいに行動するから彼らは「鳥」なのであり、互いに殺しあわないから彼らは「ライオン」なのだ。

 

 

生命の種は、身体の共有を基盤にしている。

 

 

言語の基盤も、思想の基盤も、根源的には人間の身体の共有性にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語の子音には、「鼻腔音」「口腔音」「上あご音」「下あご音」がある

英語の音声は、音声学の教科書に書かれていない分類ができる。

 

人間の喉元からは、鼻腔と口腔という二つの通り道によって、息が体外に出ていく。人間は舌と唇と、残りの顔や首の筋肉を使い、二つの息の通り道を狭めたり遮断したりして、声帯原音が頭骨や胸元に共鳴する範囲を調整できる。

 

共鳴範囲を調整できる主要部分は、二つの息の通り道に沿って、上のほうから、

 

 

”々

 

⊂紊△瓦旅

 

8腔

 

2爾△瓦旅

 

 

の四層となる。

 

この人体構造は人類共通であるが、この構造をどう使うかは、その言語次第である。

 

 

英語の場合、子音を言い分けるために、この四つの層をフルに活用している。

 

 

 

 

鼻腔の周辺を共鳴させて、鼻腔音(いわゆる鼻音)にする。英語では、m, n, l, ng の四つが鼻腔音である。


上あごの骨を共鳴させて、「上あご音」にする。英語では、p, t, ch, k,  b, d, dz, g の八つが上あご音である。

 

 口腔を共鳴させて、口腔音にする。英語では、w, r, R, h の四つが口腔音である。

 

下あごの骨を共鳴させて、「下あご音」にする。英語では、f, θ、s、sh,  v, dh, z, zh の八つが下あご音である。 

 

 

 

 

なお、ここでいう「共鳴」とは、無声音を含んでいる。

 

英語の場合、子音の共鳴部位という観点から上記のような四種に分類し、それに四つの調音点と、無声音・有声音の区別を導入すると、子音はすべて、きれいに分類できる。

 

この分類は、発音の練習にも大変役立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あらゆる言語は、自己に共鳴する自分の声である

「共鳴音」という言葉は、喉が震える有声音についていうことが多く、 /s/ や /k/ のような無声音は、ふつう「共鳴音」とは呼ばないような印象もある。

 

しかし、ウィキペディアの「共鳴」を引くと、

 

 

 

 

発声にあっては、発音体(発音物質、リードなど)の振動がより大きな物体(筐体、共鳴腔)に伝わり共鳴することで、より人間が聞きやすい音に変化する。すなわち、発音体単独の時よりも、聴覚上大きな音が得られる。」(太字は引用者)

 

 

 

 

という説明がある。

 

言語の音声は、声帯のかすかな震えを増幅するのだから、すべての言語音は共鳴音であると言って良い。

 

たとえば、/h/ は無声音だが、上半身をつかって声帯の震えを増幅しているのだから、一種の共鳴音である。

 

 

</h/ は共鳴音である>

 

 

私は、/h/ を「英語の息」と呼んでいるのだが、/h/が共鳴音だと思うだけで全身が鳴りやすく、/h/ が出しやすくなるような気がする。

 

/h/ だけでなく、あらゆる言語音は共鳴音である。

 

そう思えば、人は言語によって全身を鳴らしながら生きているのだという実感が湧いてくる。

 

 

言語は、社会的に形成された自己が、社会的概念にもとづいて心内の私的認識を整序し、表現規範にもとづいて肉体としての自分を制御して、音声・文字化したものである。

 

ならば、あらゆる言語は、自己に共鳴する自分の声である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"アイドンノー" 現象発見!

学生と英語の発音の練習をしていたら、ひとつ発見したことがある。

 

 

"I don't know."

 

 

という表現を、

 

 

"アイドンノー"

 

 

とか、もう少しそれらしく、

 

 

”アドンノ

 

 

のように発音する学生がずいぶんいるのだ。

 

簡単なセリフだから、どちらも十分通じると思うが、 "ドンノウ" はちょっと非標準っぽいし、 "ドンノー" にいたっては、英語として落第といってもいいだろう。

 

ほかの表現なら、なかなか英語らしく発音できるのに、なぜかこのセリフになると、"ドンノウ" とか "ドンノー" になる。そういう学生がずいぶんいるところをみると、これは何かの社会的学習によるものらしい。

 

 

これに似た話で、"there are" を、"ゼアラ" と読む学生が多いことには、前から気づいていた。ちょっと通な感じの発音だが、「ゼ」も「ラ」も日本語風。この "ゼアラ"は、なかなか広く流布している。"there is" が "ゼアリズ" になるのも同じ。

 

 

そういえば、the を "ザ"と読むのも、考えてみれば妙である。the をローマ字読みしても、"ザ"と読む必然性はない。ある有名人が、theを「テへ」と読んだという話があるが、じっさい、「テへ」のほうがローマ字読みに近い。

 

the の英語の発音は、むしろ「ダ」のようになる。なのに、なぜ「ダ」ではなく "ザ" が流布したのか。「ダ」だと、断定の「だ」と紛らわしいから、無意識に避けたのだろうか。

 

 

 

 

英語のようで英語ではない「カタカナ英語」については、本が出たりしているが、こういう英語っぽいエーゴ(?) については、とくに研究もなさそうだ。

 

こういうエーゴは、どういうメカニズムで流布するのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
日本人は英語がうまい? マーク・ピーターセン氏の優しさ

文科省が「英語が使える日本人」を作るための「戦略構想」を発表したり、TOEFLの国際比較で日本人の平均点が低い(156カ国中144位だった年もある)といったことをとりあげて、「日本人はとくに英語ができない」という主張?がしばしばおこなわれる。

『日本人の英語』(岩波新書)で有名なマーク・ピーターセン氏(明治大学教授)は、これはでっちあげだと強調する。日本人がとくに英語が下手という事実はないと。

じっさい、TOEFLの平均得点が低いというが、TOEFLは受験料が高いから、日本以外では留学候補者のようなエリートだけが受験する。軽い気持ちで受験する人が沢山いる日本とは、もともと受験者の質が違う。だから「TOEFLの国別平均点は無意味な統計なのだ」(マーク・ピーターセン『英語の壁』文春新書、2003年、37頁)。

ピーターセン氏がもっとも嘆くのは、文科省自身が、日本の中学・高校の英語教員の英語力が低い、などと公言していることだ。ピーターセン氏の経験では、「地方をまわって現場の先生に会ってみると、むしろ英語力は驚くほど高い」という(同上書、37−38頁)

けっきょく、何が悪いかというと、「全員にいやでも英語を覚えさせる」という日本の教育方針なのだ。英語をどこまでやるかは個人の判断にまかせるべきで、しぶしぶやっているような人まで巻き込む火必要はないと、ピーターセン氏は力説する。

大学で、英語嫌いの学生にも教えているピーターセン氏の目からみると、「英語全員強制」の弊害は目に余るのだろう。

 

 


では、本当のところ、日本人の英語のレベルは、どうなのか? 

私としては、「ある意味で低いが、それは仕方がないことであり、かなり多くの国でも、似たようなものだろう」と答えたい。

たとえば、しょっちゅう使う「冠詞」(a とthe)について考えてみても、これがまともに使える自信のある人が、何人いるだろうか。


以前私は韓国の書店で、韓国人が読んでいる英語の参考書を手にしたことがあるが、冠詞については日本人と同じような注意が書いてあった。日本語と同様、韓国語にも冠詞がないので、冠詞を駆使するのは、韓国人にとっても著しくむずかしい。

そして冠詞のように面倒で重要な点については、どの国でもおおざっぱな説明・教育しか行われていないという実態がある。英語の冠詞がまともに使えるようになる外国人向けの優れた教育メソッドは、まだ存在しないのだ。

これでは、母語に冠詞がある言語の話者か、一部の非常に才能のある人くらいしか、英語がまともに出来るようにはならない。

英語教師を含む日本人の英語力は低くない、というピーターセン氏の主張は、半分は彼の優しさからくるものだと私は思う。英語で人間の優劣を決めるかのような日本の風潮に対して、彼のヒューマニズム(会ってみるとわかるが、彼はアメリカ中心主義とは縁のない人である)が許せないのではないか。

日本人の英語のレベルが国際的に低いと嘆いたり、それはなぜかと議論すること以上に重要なことは、英語が本当に身につくメソッドを一日も早く開発し、普及させることだ。

それがないのに、中学・高校の英語教師の英語力は英検準一級が目標(文科省)などと言ってみても、しょせんは夢物語 a pipe dream である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
英語を演奏する技術

中部大学の鶴田正道教授(当時。現在名誉教授、音楽美学)が、学内誌でこう述べている。

 

 


「総合芸術論でバイオリンを教えています。

バイオリンが大変すばらしいのは、楽譜が論理的に音楽になることですね。楽譜で見たのをすぐ音にすることができて、耳で聞くことができる。頭と心が瞬時に一致するんですね。

体を使いますから右手と左手が合わないといい音がしない。心身を整えて真剣に取り組める。」

(中部大学『ANTENNA』2008年8月号、2頁)

 

 


この文は、歌と比べたときの楽器の利点を述べている。

 



◆楽譜を「黙読」したり「音読」する(口ずさむ)のではなく、バイオリンのように指板上に音が整然と配列された楽器を使うと、楽譜に表された音どうしがもつ論理的関係が可視化されて、「楽譜が論理的に音楽になる」

 


◆楽器で演奏すると、「黙読」や「音読」とちがって、音楽を客観的に「耳で聞くことができる」



◆楽器は両手を使い体を使うので「黙読」や「音読」以上に「心身を整えて真剣に取り組める」



◆こうして、楽器を使うと「頭[論理的な理解]と心[音楽的な意味の表現]が瞬時に一致する」

 

 



自分の声を自分で聞く「音読」にまさる方法がある。それは、自分の身体を楽器にして演奏することである。

英語を楽器のように演奏する。身体を楽器にして両手で英語を演奏する。

その技術が、サウンド・ステップス(イングリッシュ・ジムの一部)である。
 

 

 

 


参考:三浦陽一『なぜ英語の発音はむずかしい?』(中部大学ブックシリーズ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
文法・音法・書法という規範を習得するプロセスを商品にすること おわり

さて見えてきたことというのは、言語の音声表現や文字表記にもいくつかレベルの違う規範が存在するということである。

音声の基礎的規範を音素と呼ぶが、音声が具体的な語になるときの規範についてはとくに定番的な名称がないように思う。さらに語が文に入り文が集まって文章になるときの音声の規範については研究の蓄積が薄い。

文字表記の規範についてはさらに研究が少ないだろう。

むかし東後勝明氏の本に「英音法」という言葉があったが、見えない言語ルールたる文法・英文法に対して、聞こえない音ルールたる「音法」「英音法」があり、読めない文字ルールたる「書法」「英書法」があるということである。

してみれば音素のほかに「語音法」「文音法」「文章音法」があるとでも言えばいいだろうか。

音法の研究がすすんでいない原因のひとつは音法の基礎になる音素の理解が長いあいだ確定しなかったことにある。

サウンド・ステップスは英語の音素レベルの規範を確定したが、さらに「語音法」にまで高める必要があるし、これは可能である。

しかしサウンド・ステップスでは「文音法」「文章音法」までは無理がありそうだ。これはむしろセリフ練習的なレベルになるだろう。

言語の習得とは規範の習得であり、規範には文法・音法・書法の三つの側面があり、それぞれの側面にいくつかの段階がある。

それぞれの規範をそれぞれの段階にそって明らかにし、明らかにした規範を習得するプロセスを商品にすればよい。






(おわり)






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
文法・音法・書法という規範を習得するプロセスを商品にすること その1

ひとつ見えてきたこと。

言語は語と文と文章からなる。この三つのレベルのそれぞれに独自の規範がある。

三浦つとむはそれぞれを「語法・文法・文章法」と呼び全体を「言語法」とでも呼ぶのがいいと述べている(三浦つとむ『認識と言語の理論 第三部』勁草書房、1972年、15頁)。

英語の場合なら、

仝譴砲弔い討竜範を語彙
∧犬砲弔い討竜範を文型
J絃呂砲弔い討竜範を文章法

と呼んだらどうかと私は考えている。規範の内容からみると,廊△法↓△廊に止揚される。

英語で「文型」といえば五文型の話になるのが普通である。これは狭義の「文型」と呼ぶことにして、疑問文の語順など英語を文として成立させる規範のすべてを広義の「文型」と呼んではどうかと私は思っている。

語彙と文型を区別しない人が多いが、これがひとつの語に多くの「用法」が成立するという煩瑣な辞書的説明や文法の混乱の原因になっている。

たとえばyesterdayは単独の語(語彙)としては話し手のいる時点の一日前を指す代名詞として成立した語であるが、文に入るとき(文型という規範にしたがうとき)は副詞としても使えるという文法が成立している。

言語は語彙のレベルでもっとも一般的な意味をにない、それが文→文章となるにつれてより特殊で具体的な意味へと止揚されていく。語としての外形は同じでも担う意味のレベルが異なるので運用のさいの規範も高度化するのである。

しかし語としてのyesterdayと文のなかのyesterdayは外形が同じであるため、語彙と文型をごっちゃにする悪弊が定着している。そのためにyesterdayひとつとっても自信をもって運用できない人がけっこういる。







(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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