ごきげんようチャンネル

Life is for those who have a hope.

Action is of those who embrace a yearning.

History is made by life and action, hope and yearning.


それはドアではない! 和訳とローマ字読みが、人々を日本語に閉じ込める 

ドアのように見えるが、じつは壁に描いた絵。

 

そういうだまし絵を、どこかで見たことはないだろうか。

 

 

 

 

 

 

https://ameblo.jp/mobilegrande/entry-11772250724.html

      フランス製のだまし絵スクリーン

 

 

 

 

外国語たとえば英語を習得しようとするとき、日本では和訳とローマ字読みに頼る伝統がある。

 

じつは、和訳とローマ字読みは、壁のだまし絵である。それは外国語の世界に通じていない。

 

 

 

明治改元から150年。幕末以来の英語熱は今も続いているようだ。和訳とローマ字読みがだまし絵であることは、この150年で証明された。しかし、英文法にも発音習得法にも、はかばかしい革新はない。

 

 

これからやるべきは、次のことである。

 

 

 

言語にはそれぞれ独自の概念の体系があるから、それを解明して人々に説明する。この説明には、日本語を使って良い。

 

言語にはそれぞれ独自の息・声・音の体系があるから、それを解明して練習できるようにする。この練習も、日本語を使って説明して良い。

 

,鉢△鮖箸辰董自分の認識を表現したり、他者の表現を認識する機会をたくさんつくる。すると、和訳もローマ字読みもせずに外国語の世界に入れる。

 

 

 

この三つのステップは、壁をいっさい回避し、いわば上空からヘリコプターで、外国語の世界に直接乗り込むシナリオである。

 

私は、英語の ,鉢 をほぼ解明した。を実行する場が、まだない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「この道十年」は長いか? 

「パソコンの父」といわれるアラン・ケイ(1940〜)の次の言葉は有名だ。

 

 

 

未来を予言する最良の方法は、未来を創造することである。

 

まず何が必要なのかを決定し、つぎにそれを実現するのだ。」

 

(Alan C. Kay(鶴岡雄二訳)『アラン・ケイ』アスキー、1992年、128−129頁)

 

 

 

では、「未来を創造する」には、どうすればいいのか。彼は、

 

 


「研究段階のアイデアが消費者向け最終製品になるまでには、まちがいなく10年はかかる」

 

 


と書いている(同上書、128−129頁)。

 

画期的なアイデアが人々に受け入れられ、定着するには、10年はかかるということである。

 

 

 

なぜ、「まちがいなく10年」なのか。同書によると、

 


第一に、多くの実例がそれを証明している。ビデオゲーム、アーケードゲーム、パソコン、ゼロックス、プログラム言語… いずれもアイデアの発見から実用までに10年以上かかっている。

第二に、よいアイデアの価値を明確に認識することは、当事者にとっても世間にとっても、容易なことではない。たとえばゼロックス社バロアルト研究所は最良の発見をしたのに、その価値が認識できず、そのままになってしまった。

第三に、アイデアを現実のものにするのに3年ほどかかる。

第四に、いちおう完成したようにみえても、あらたな重要問題が出てくるので、改善の時間が必要になる。
 

 

10年かかるということは、十分な準備と人材と資金があれば、10年後には確実に技術革新ができるということでもある。

 

 

 

個人でも、専門的な分野で一人前になるには10年かかるという話も、よく聞く。

 

若い頃の10年は、長いように思える。だが、なにごとも10年あれば一人前のプロになれるとすれば、価値ある時間でもある。

 

 


新しいアイデアを普及させるのに必要な時間。プロになるのに必要な時間。それが「まちがいなく10年」だということは、若い人が覚えておくといいことのひとつかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
概念をつかう認識の姿勢を新鮮に ユーミンの極意

 何年か前、ユーミンさんがテレビで、

 


「言葉にすればとっても陳腐。だから音楽にする意味がある」

 


というようなことを言っていた。

 


それで思い出した話。

数十年前の都知事選でのこと。ある新聞社が二人の有力候補に、「東京で自慢できるものを三つあげてください」と質問した。

 


保守系有力候補の回答。



「皇居、地下鉄、高速道路」



この候補は落選した。



もうひとりの革新系候補(美濃部さん)の回答。

 


「半蔵門付近のお堀ばた、ソバとうなぎ、きれいな若い女性」

 


もちろん、こちらが当選した。

 



「言葉が新しいのではない。その言葉をつかう姿勢がすばらしいのだ。」

 



これがコピーづくりの極意だという話だ。 

 


(宣伝会議コピーライター養成講座編『最新約コピーバイブル』 宣伝会議、2007年7月、7頁)

 

 

 


言葉は、それを使う姿勢が新鮮かどうかで、意味が変わる。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
意志を残して去るために

すっかり小説を読まなくなった。映画も見ない。ゲームもしない。テレビもDVDも見ない。

 

酒も飲まないし、ゴルフもしない。ニュースはネットですませることにした。音楽会とか演劇とか、時間のかかるものにはなるべく行かない。

 

世の中のことに、善悪、正誤をすぐに判断しない。まずは、「そうか」と受け止めるだけである。

 

人から見たら、つまらぬ人間だろう。

 

 

 

ただ、人並みに食事もするし、腹を立てることもある。それはすべて、未来に備えるためである。

 

ここで未来とは、自分の死後のことである。

 

ある意味で、人は死後に備えて生きている。ある年齢になったら、もっぱら死後に備える。それでいいと思っている。

 

遺書も書こう。他者をしばるためではない。自分の意志を述べるためである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 09:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「集合的無意識」を見つけて展開すれば、ヒットが生まれる

アニメ作品「君の名は」などで知られる映画プロデューサー・作家の川村元気さんの講演をラジオで聞いたら、面白いことを言っていた。

 

みんなが目にしたり、ちらっと気にしている。ところが、誰もきちんと目を向けない。そういうものが世の中にはある。

 

たとえば、お金。

 

お金が欲しいという人は多いが、本当にお金が手に入ったらどうなるかについては、あまり考えたことがない人が多い。そこで、大金が手に入ったが、その直後に盗まれた男を設定してストーリーを展開すると、人は自分の意識の盲点を突かれたような気がして、見入ってしまう。

 

こういう盲点的なポイントを、川村さんは「集合的無意識」と呼んでいるという。そこを突けば、ヒットになる。

 

考えてみれば、近年成長した企業には、人々の集合的無意識を突き、それを事業として大胆に展開して成功した例が多い。

 

 

無印しかり、ユニクロしかり、スタバしかり。

 

 

宗教も、苦とか死とか欲とか、表面には現れにくいが、実は人間が気にしていること、つまり集合的無意識を突いているから確立できたのだ。

 

道路も学校も国家も、効率とか不安とか希望といった集合的無意識の産物だといえるかもしれない。

 

今日は衆議院選挙の投票日だが、とくに野党は、集合的無意識という人間の真実を真剣に勉強して応用すれば、もっと善戦できると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「帝位は最高の死装束である」テオドラの真実

テオドラ (Theodra 500年ごろ~548年)は、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスの皇后。

競馬場の熊係をしていた男の娘で、踊り子だったとか娼婦だったとかいわれるが、ユスティニアヌスに見染められ、のち皇后に。今日残っているモザイク画をみると、テオドラは面長の美女である。

 


この女性には、有名なエピソードがある。



532年、首都で発生した「ニカの乱」。うろたえて逃亡しようとする夫ユスティニアヌス帝を、テオドラはいさめた。

 


「陛下、生きることだけをお望みなら、なにもむずかしいことはありません。目の前は海で、船もあります。しかし、この世に生まれ落ちた者は必ず死を迎えます。皇帝たるもの、逃亡者になるなどけっしてあってはならないことです。
 


帝衣は最高の死装束である

 

 

私は、この古(いにしえ)の言葉に深い共感を覚えます。」

 

 

 

テオドラの言葉で勇気をとりもどしたユスティニアヌス帝は、反乱の鎮圧に成功したという。


http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/chapter011.html


 

 


テオドラが言ったのは、「皇帝なら皇帝らしくしなさい」という単純なことである。職人は職人らしく、四十代は四十代らしく。覚悟をもって、「らしく」する。その時、人はいちばん輝く。

 

もっと簡単に言えば、人間なら、覚悟をもって人間らしくする。それが人の最高のあり方だということだ。
 

 

 

 

 

 


 

 



 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
稽古とはクセをとること 舞妓さんのトレーニングに学べ

『AERA』誌に、「祇園の人間力」という小さい記事があった(2017年9月11日号、54頁)。

 

祇園の舞妓さんに必要なのは、お座敷の雰囲気を見極める感覚と、その子ならではのキャラクターだという。つまりは個性だが、個性を磨くには、どうすればいいのか。

 

 

 

「入門すると、とにかく毎日お稽古です。稽古のときには型を叩き込まれますが、型が身につくと、自然にその人らしさがあらわれてくる。個性は無理につくるものではないんです。」

 

 

 

 

現地を取材した記者は、

 

 

 

 

最初についているのは個性ではなく、癖とみなされ、それを取るのが稽古でもあるのだ

 

 

 

 

とコメントしている。

 

おそらく、場の雰囲気を見極める能力も、型を身につけ、舞妓としての自信がつくなかで養われるのだろう。

 

 

 

...

 

 

 

 

社会的に認知された概念(規範)にしっかりと準拠した認識を養い、その認識にもとづいてきちんと活動しようとすると、そこに個性が現れる。

 

クラシック音楽の演奏、体操競技、外国語...  伝統ある活動は、普遍的であろうとすればするほど個性的になるという原理によって規律されている。

 

伝統を打ち破るものも、伝統の習得から出た個性である。正統の探求こそ、最高の個性と変革への道である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
創造とは、洗練された概念が自己組織化するまで磨きあげること

ピアニストの辻井伸之さんが、難曲「ラ・カンパネラ」(リスト作曲。1851年)をウィーンで演奏した時の画像が YouTube に出ている。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=f2IRyrkmP7Q

 

 

激しい手の動きによって、鐘の音の美という曲の本質に、繊細に迫っていく姿が映っている。

 

 

辻井さんといえば、何年か前、彼がアメリカのコンクールで優勝したときのテレビドキュメンタリーで、審査員の一人が、

 

 

「彼の演奏には、天から舞い降りたような、この世のものではないような、不思議な瞬間がある。そういう天才を、私たちは待っていたのです」

 

 

というようなことを言っていた。

 

 

数年前の『タイム』に、日本人バレリーナのカジヤ・ユリコさんについて、所属のヒューストンバレー団の芸術監督が似たようなことを言っている記事がある。われわれは、ユリコさんのような、「あの説明しがたいものをもった人 somebody who has that unexplainable thing 」を探しているのだ、と。

 

 

 

“She has that ability to take your breath away at times on stage,” says artistic director Stanton Welch, who’s teaching today’s class. “That’s what you’re looking for as a choreographer and a director: somebody who has that unexplainable thing.

 

http://time.com/4037535/yuriko-kajiya/

 

 

 

しかし、芸術の主人公は、それを演じるピアニストやダンサーではない。作品を作った作曲家や振付師でもない。芸術の主人公は、洗練された概念である。芸術が目指す概念は、誰が創造し、誰が演じるかといった、生身の人間の問題とは別の次元のものである。

 

高度な概念は、自己組織化する。はじめ現実の鐘の音に触発された美の概念は、音どうしの自立的関係へと昇華する。

 

日常的現実を超えた概念の世界を、ピアニストやダンサーが表現してくれる。優れた表現の中のある瞬間に、われわれは洗練された概念の本質を認識でき、この世にあることの意味を感じることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人生、本気で考えなおしたくなるコスタリカの漁師の話

コスタリカの小さな漁村にやってきたアメリカ人のビジネスマンの話。

 

有名な小話らしいが、紹介しておこう。
 

 

 

漁師ティコの小さなボートに、大きなカジキマグロが数本ある。

 

これを見たアメリカ人のビジネスマンが言った。

「すばらしいマグロだ。捕るのにどれくらい時間がかかった?」


「ちょっとの時間さ」

「なら、もっとたくさんつかまえたら?」


「とりあえず、家族が食べられれば十分だよ」

「あまった時間はなにをしているんだ?」


「遅くまで寝て、ちょっと漁をしたら、子どもと遊び、妻と昼ねして、毎晩村をあるいてワインを飲んで、友達とギターを弾いてるんだ。毎日、けっこう忙しいぜ」

 


「それなら、君の助けになろう。もっと長い時間漁をして、大きなボートを買って、ウェブで宣伝するんだ。そのうち、漁船の艦隊がもてる。加工工場ももてる。街に住んで、旅行もできる。」

 


「だんな、そりゃどれくらい時間がかかるんで?」


「15年から20年かな」


「それで、どうなるんで?」

 


アメリカ人は笑っていった。



「時がきたら、上場して企業の株を売る。君は金持ちになるんだ」

 

「なるほど、それからどうするんで?」

 

 


「遅くまで寝て、ちょっと漁をしたら、子どもと遊び、妻と昼ねして、毎晩村をあるいてワインを飲み、友達とギターが弾けるじゃないか」

 

 

 


(ジャック・トラウト(島田陽介訳)『大失敗!成功企業が陥った戦略ミステイクの教訓』ダイヤモンド社、2003年、206-207頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
相撲は横綱と取れ 大物との格闘が人を育てる 

体当たりするなら、大物が望ましい。易しい相手を選ばない方がいい。

 

相撲は横綱と取れ、ということ。いろんな分野に当てはまり、学問も例外ではない。

 

ウェーバー研究をしてきた社会科学者が、こう書いている。

 

 

 

 

「私は大学院で社会学のライト・ミルズを研究していたが、ある時、演習で受けた大学院のある先生から頂戴した言葉が忘れられない。

 

「君ね、ミルズをやるのも結構だけれど、どでかい思想家と格闘しないと思考は発展していかないよ

 

と。50歳過ぎて思えば、全くその通りで、流行に近い社会学者を追っていても、自らの思想は歳と共に深化しないと思う。」

 

 

(飯田健雄「オヤジたちのマックス・ウェーバー論(中)」『書斎の窓』2010年4月、49-50頁)

 

 

 

 

以前、生物学の研究者と話したとき、「研究者になるには、馬鹿のように実験に明け暮れる期間が必要だ。だいたい十年くらいかな」と言っていたのが印象的だった。

 

文系でも同じようなところがある。実験の代わりに、大物の思想家とじっくり格闘する十年が、研究者の基礎を作る。

 

研究者と称する人が、どうも底が浅い感じがすることがある。そういう場合は、たいてい外国語を深くやっておらず、古典を読んでいないように思う。

 

学問の中には、「どでかい思想家」といえる先達がいない分野もあるようだから、一概には言えないが、どうせやるなら大物と格闘すべきというのは、どの世界でも言えることではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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