ごきげんようチャンネル



春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける


西行

「やれるものなら、やってみな」は英語でなんという?
先日のPBSニュースで、ニューヨークのファストフード店で働きながら7人家族を養っている女性のレポートがあった。

時給8ドル。夫は失業中で、小学校以下の子供が5人。

一週間働いて給料を手にすると、すぐに借金を返済する。それだけで給料の三分の一が消える。



「ママ、学校の旅行に行ってもいい? ハロウィーンのお祝い、してもいい?」

"Mommy, can I go on my field trip? Mommy, can I -- you know, can we celebrate Halloween?"



そう子どもが聞くたびに、情けない思いをする。

彼女は最近、こうした低い時給の改善を求める運動を組織した。



現代資本主義の不安定雇用がもたらした、典型的な”貧困” の例だ。




「しかし、仕事があるだけましではないか?と言われたら、どう答えますか?」というインタビュアーの問いに、彼女は、



「そういうことを言う人は、自分でやってみればいい。やれるものなら、やってみなさい。」

"But let me see you survive. I want to see anyone. I challenge you, do it."




と答えている。



Let me see you make it.  (やれるかどうか、見せてみろ)



I challenge you, do it. (それなら、自分でやってみたらいい)




いずれも、強い力のこもった表現だ。











上記の表現の文脈は、以下の通り。
 

HARI SREENIVASAN: Is there something that people in the rest of the country are missing when they say, you know what, I would be happy to take an $8-an-hour job? Times are tight. People would be willing to work for anything.

SHENITA SIMON: I would say to them, it's easy looking from outside in and saying, oh, yes, with that money, I will be able to build mountains. But let me see you survive. I want to see anyone. I challenge you, do it.


http://www.pbs.org/newshour/bb/nation/july-dec13/minimumwage_11-04.html








 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 11:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
”スマートフォン歩行” は簡単に改善できる? アメリカからの提案 おわり
ところで、この記事は、歩道のエチケットという人々の日常活動に関するものなので、活き活きした英語表現が多い。

「これを英語でなんというか」風に、いくつか紹介しておこう。



「[スマートフォンをのぞきこんだりして]レジを遅らせる」 →  hold up the checkout line  …文中の人物になりこみ、レジの場面を想像すると、そこに人の列が特定できるので、<場面のなかの特定物のthe>が必要になる。

「[スマートフォンをのぞきこんで]うつむいてふらふら歩く人」   →   a head-down meanderer

「相手に合わせない」  →  refuse to play along  … 適当に play 接する along

「人のことは言えない」  →  not innocent oneself  … 「前置詞」なしの oneself は、役立つ重要表現。

「負け戦をやる」     →  fight a losing battle  …  losing の臨場感がいい。

「念のため、いいかえると…」  →  Just to be clear, ...

「歩きながらメールする」  →  text while walking  … 今やtext(文字をつづる)といえば、電子メールのこと。

「不注意歩行」   →    distracted walking   …  たんなるwalk ではなく、臨場感のあるwalking













(おわり)






 



 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 07:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
”スマートフォン歩行” は簡単に改善できる? アメリカからの提案 その1
スマートフォンや携帯電話をのぞきこみながら人混みを歩く人が増えている。

名古屋駅には、「スマートフォンを見ながら階段を降りるのは危険です」という掲示がある。事故でもあったのだろうか。

大人の6割がスマートフォンを持っているというアメリカでも事情は同じ。

そこで、迷惑や危険を避けるため、新しいエチケットが必要ではないかという議論がされはじめた。



http://www.npr.org/blogs/alltechconsidered/2013/10/29/241662286/-dont-pardon-me-one-mans-fight-against-distracted-walking



この記事では、スマートフォンを見ている人が我が者顔でまっすぐ歩くから問題なので、他の人はよけずに、その人に思いきって正面から近づくようにしよう、と提案している。

 

"Next time you're implicitly required to alter your path to avoid colliding with an oblivious phone user ... just don't, and see what happens ...

"And just to be clear, you must still dodge people if you get within a few feet: we're trying to prevent accidents here, not cause them (or start fights). But based on my experiments so far, you'll never get that close. Distracted walkers aren't completely unaware of their surroundings, after all. It's just that their range of awareness is smaller. Once you finally impinge upon it, they'll look up, steer around you, and walk on, ever so slightly conditioned to pay more attention next time."




スマートフォンを見ている人は、案外と他の人も意識しているので、こうすると自分から他の人をよけるようになる。




<歩道でスマートフォンを見る人は、自分のほうから他人をよけること。>




これがエチケットとして確立すれば、歩道の迷惑は減る、というわけである。


「さて、 "私はよけない" 作戦は功を奏するか? ご意見を!」と記事は結んでいる。


But tell us what you think — for the distracted walkers among you, would a few near-collisions convince you to put down your phone? For the rest of you, would you dare try it? Or will this approach just tick up sidewalk frustration for everyone? Let us know in the comments.



こうした"歩道の新エチケット" は、誰かが実行しはじめれば、なかなか伝播力がある。

うまくいけば、<100匹目のサル>的に、けっこう普及するのではないか。









(つづく)










 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 06:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"apparently " の怪  「明らかに」なのか「うわべは」なのか
気づいている人もいると思うが、英語の"apparently"という語は、意味がよくわからないことがある。
 
辞書には、
 
 
 
①うわべでは seemingly
 
②明らかに evidently
 
 
 
という二つの意味が載っている。①は、「本当はそうではないかもしれない」という含みがあるし、逆に②は、「間違いない」というニュアンスだから、どっちなのかはかなりの問題になりうる。
 
研究社の新英和大辞典は、apparent の項で、①は名詞の前(いわゆる限定用法)、②はbeのあとなど(いわゆる叙述用法)の場合、と区別しているが、じっさいには区別が「曖昧なことがある」と注記している。
 
これが apparently と副詞になると、意味の区別はいっそうむずかしいことになる。
 
 
 
 
 
じっさいの例では、apparently は①のほう、つまり「少なくとも外見上は」の意味で言うことが多い。
 
ネットで調べると、
 
 
 
as far as one knows or can see
 
... used by speakers or writers to avoid committing themselves to the truth of what they are saying.
 
 
"foreign ministers met but apparently failed to make progress"
 
 

 

 

といった説明があるが、これが一番よいようだ。

 

すると、問題は英語の意味が曖昧だということより、これにうまく相当する日本語が見つけにくいことのほうかもしれない。


 

「少なくとも私が見たところでは」「外見上は」「どうやら」「いちおう」


 

では無責任? な感じが前面に出すぎて、ニュースなどでは使いにくい。

 

おそらく、英語のニュースを日本語にするときは、apparently は訳出しないことがあるのではないか。

 

日本では、英語の一語に日本語の一語を対応させたいという願望があるから、いずれapparently に対応する新しい日本語が作られるかもしれない。

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 06:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「感動する」は "be inspired" がいい

「感動する」というのはbe moved でも通じるけれど、活き活きしたニュアンスがあるのは、

be inspired

だろう。「彼の演説に感動した」なら、

I was really inspired by his speech.

inspireはラテン語でin(中へ)+spire(呼吸する)→<吹き込む/吸い込む>が原意。spireはspiritと同根で、呼吸→生命・勇気を意味する。

つまり、be inspired は「息を吹き込まれて命を新たにした」ということだ。

創世記のアダムとイブの話に、

「神は土のちりで人を造り、鼻に命の息を吹き込んだ。そこで人は生きた魂ある者となった。And the Lord God formed man out of the mud of the ground and breathed into his nostrils the Breath of Life and man became a living soul.」

とあるが、ここで「命の息を吹き込む breathe into his nostrils the Breath of Life 」というのがinspireの原イメージに近いかもしれない。

日本語で「胸がふくらむ」というのに似て、inspireには「希望をもつ」という未来志向のニュアンスがある。

そして呼吸は一回では足りず、つねに新たな空気を吸わないといけない。それと同じで、人はたえずinspire(感動)されていないとほんとうに生きていることにはならない。




| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ おわり

■結論

今井氏はいう。

他人が書いた言葉を他人の言葉としてしゃべればよいのだ。

一度は意識に与えられたセリフを徹底的に解体して無意識にゆだねてしゃべる。[セリフを]支配しようなどと考えずセリフに支配されてしまう。

そのことの有効性、そのことの心地よさを知っている者の身体こそが、他者に対してひらかれる可能性を秘めている。…

支配から被支配へ。

自分の言葉という呪縛から解き放たれたとき、俳優の語る言葉は声となって届き、他者を立ち上がらせる。

そこに演劇の言葉のエネルギーが生まれ、スリルが生まれ、そして可能性が生まれるのである。」200頁。

これを英語を話すときに応用するとどうなるか。

他人の言葉としてしゃべる。これがキーワードだろう。

言葉はもともと他人の作ったものである。外国語はそれが母語以上に明確でもある。

サウンド・ステップスはdream field(身体外部の意識の場)で手を動かすので、意識を意識するという集中した意識となる。

いったん意識的に外国語(いわば民族料理)をたんなる音(栄養素)に分解し、サプリメントのカプセルのように体内にとりこむ。

その正確な音のカプセルをサウンド・ステップスによって吸収したら、自分が構築した堅固な「他人のアイデンティティ」の枠に入れ、「他人の言葉」として周囲に充満させる。

そのとき異国に飛んでいくようなスリルが生まれる。

たしか勘三郎さんだったか、役者のセリフやしぐさは型にすぎなから、舞台で泣きながら内心では焼肉食べたいと思っていてもいいんだ、と言っていた。歌舞伎の身振りや声(身体の文法)が確立し、役柄(アイデンティティ)が堅固だから、それができる。

他人の身体の文法をサウンド・ステップスという仮構のシステムによって取り入れ、他人のアイデンティティをたとえば「パトラ」という架空の人格によって取り入れる。

このふたつの要素の結合によって、人は「自分らしさ」をより豊かにすることができる。







(おわり)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その5

■他人を演じるには、言葉を音に解体するプロセスを通じて役柄になりきることだ。

解体とは、セリフをたんなる音の連続まで分解すること。つまり役柄がどうだとかいった「前提とするものを必要としない」、たんなる音にまで単純化してしまうのだ。193頁。

杉村春子は「ひとこと千回」とアドバイスし、小津安二郎は旅館の仲居の「いらっしゃいませ」というセリフを60回やりなおさせたという。188、195頁。

「セリフが内在している情報を解体する」191頁。

「その役を生きた人物として考え、生きた人物として演じるならば、[そのセリフの感情のような]情報はしゃべったあとに事後的に知るものなのだ。したがって、解体してもセリフは言える。」193頁。

ここで思い出すのは、英語の達人・國弘正雄氏が英語を話すときの感覚だ。

「息に声が乗り声に意味が乗るという境地を目指すのです。枕木を並べてレールを敷き、その上を電車が通るという感じです。野球でいえば下半身をちゃんと使えるということでしょう」(國弘正雄『國弘流英語の話し方』たちばな出版、1999年、68頁)

自分を電車=機械にする感覚。英語を解体し、自分をたんなる肉体=自動機械におとしめつつ、自我は意味の役割を演じる。

サウンド・ステップスは英語をたんなる音にまで正確に解体してしまう。ただ、外国語であるぶん、その音を意味に変えるには堅固なアイデンティティ(役柄)が必要になる。。

だから英語を話すときはアイデンティティ(役柄)を人工的に作っておくことが非常に役立つのだ。










(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その4

■言葉が消えるとき

無意識から、そして他人からやってくる言葉。それがどうやって自分のものになるのか。

稽古のとき、はじめ台本のセリフは「私の前にキチンと浮かぶ。私はそのセリフを声に出す。」181頁。

つまりdream fieldに浮かぶ「文字」をなぞっているのだが、そのときは自分が言葉を支配しようと苦闘している。

ところが「あるとき、ある場面のセリフが突然ストンと身体の奥に落ちていくような感覚に襲われる。空気中に散り散りになるような感覚になるといってもいい。」181頁。

「姿を消したセリフはどこに行ったのだろう」182頁。

それはdream fieldから体内へと入り込んだのだ。

すると「何かに突き動かされるようにそのセリフを『言わされる』、そんな感覚に変わっていく。」182頁。

dream fieldで文字をなぞるのではなく、全身で言葉をなぞりはじめたのだ。

言葉は自分のものになるのではない。自分が言葉のものになる。そのとき自分は他人でもある。

つまるところ、役者は他人の言葉を他人として演じるのだ。









(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その3

■「外部からやってきた言葉」のおもしろい例が、マニュアル化された店員のセリフである。

店員のよどみのないセリフは俳優も感心させることがあるが、「決定的に何かが欠けている」196頁。

お店という場の明確性と、誰に対しても同じ態度で同じセリフを繰り返す必要から、店員はお腹を使わず鼻に通す高い声を使い、かつ他者に対するセンサーのスイッチを消す。すると自分の「身体を消す」ことができる。そのとき他者(客)の身体も消える。196‐197頁。

欠けているのは「身体」である。

■俳優のセリフや外国語は他人が作ったものである。そのぶん外部性が強いが、もともと母語による日常の言葉も、既述のように過去や他人からやってくるものだ。

そう思ってしまえば「自分の言葉を話す」ことにこだわるのは、むしろ本末転倒なのだ。

人間は言葉に支配されているのだと開き直ってみれば、何かが見えてくる。








(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その2

■言葉は無意識からやってくる。

人が自分の自由意思によってしゃべっていると思っているのは幻想である。自由意思の前に無意識の神経活動があり、その後に意識(自由意思)が生まれ、それによって言葉が出てくる。182頁。

たとえば「ボタンを好きな時に押す」という単純な実験をしたところ、人はボタンを「押したくなる」(自由意思)の一秒も前に脳の運動前野が活動していることが分かった。

「自由意思というのは潜在意識の奴隷にすぎない」182ー183頁。

■言葉は他人からやってくる。

言葉は無意識からやってくるだけでなく、他人からやってくる。

「無意識が選び取っている言葉は自分のものだろうか。われわれはほとんど無意識が選択した他人の言葉を語り、それを自分でも聞いている」199頁。

母語は過去の他人からやってくる。外国語は外部の他人からやってくる。

母語も外国語も、自分の外からやってくる。








(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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