ごきげんようチャンネル

あなたがたは、終わりの時にいるのに、なお宝をたくわえている。
        ヤコブの手紙 5:3    

なぜか今夜は「港町ブルース」 こういうのが好きなのだ

どういうわけか、ふと思い出す歌詞がある。私の場合、森進一の歌でヒットした「港町ブルース」はそのひとつ。

 

メロディーもいいが、なんといっても歌詞がいい。

 

 

出船 入船 別れ船 あなた乗せない帰り船

うしろ姿も 他人のそら似

港、三崎 焼津に 御前崎

 

 

こういう文語的なリズムがある歌詞が、私は好きだ。

 

うまい声で聴きたくなったので、ユーチューブを見ていたら、藤圭子が歌っているバージョンがあった。聴いてびっくり。コブシといい、枯れた声の盛り上がりといい、じつにいい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=hPkejpL1yU0

 

これはおすすめです。

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
わかる・きたえる・勝つ! スリーステップで成功する方法

先日、論文を書き終えた。タイトルは、「連関の論理」。

 

この世のあらゆるものの運動に秘められた基本ロジックを、マルクスの『資本論』から抽出したもの。

 

連関の論理は、われわれの人生にも応用できる。それによると、世界のあり方に沿った、自然な成功法(正攻法?)は、次のようなスリーステップになる。

 

 

 屬錣る」ステップ。何事にも、「わかる」作業が必要。なんのためにそれをするか。目的が「わかる」こともここに含まれる。最良の「わかり方」は、あこがれること。あこがれるということは、好感情とともに対象の個性をつかんだということであり、あこがれると、ひとはそれに向かって自動的に努力しはじめる。スポーツでいえば、ルールや技や戦術を知ったり、スターにしびれたり、歴史を知ったり、今期の戦略を考えたりするステップ。

 

◆屬たえる」ステップ。わかっただけではモノにならない。わかったうえで、繰り返しきたえる。なんのために? そう。,如屬錣った」ものにおいて、「勝つ」ためである。スポーツでいえば、ジムで鍛えたり、基礎練習したりするステップである。

 

「勝つ」ステップ。,皚△癲◆崗,帖廚海箸暴弧鵑気譴襦なんのために「勝つ」か。誰に「勝つ」か。「勝つ」にはどうすればいいか。これが,鉢△瞭睛討魴茲瓩襦勝てるかどうかは、,鉢△砲茲辰瞳茲泙襦スポーツでいえば試合で勝つこと、良い成績をつくることがこのステップにあたる。

 

 

不当に軽視されてきたのが、,痢屬錣る」ステップである。,ていねいに成功すればするほど、◆屬たえる」は苦痛でなくなる。 屬錣る」が深まるには、の「勝つ」体験が役立つ。

 

「きたえる」ことが苦痛だとすれば、なぜきたえているのか「わかっていない」からであり、「勝った」体験が不足しているからである。

 

このように、 屬錣る」、◆屬たえる」、「勝つ」が一体になったとき、間違いなく成功するのだが、なにより、まずやったほうがいいことがある。

 

それは、成功には、 ↓◆↓の三つのステップが必要であることをまず理解する、ということである。そして、いま自分は三つのステップのうちのどれをやっているのかを、明確に意識することである。

 

いま自分は、「わかろう」としているのか、わかったことを「きたえよう」としているのか、相手に「勝とう」としているのか。

 

これらが同時におこなわれ、重複することもあるが、成功には三つの異なるステップが必要であることが「わかっている」ことが、成功をもたらす秘訣である。

 

つらくなったら、「わかる」ステップにもどる。もし、自分のやっていることが不要であることが「わかった」なら、さっさとやめて、別のことで成功すればよい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
テレビは見ない。ラジオも聞かない。それでいいのだ。

もう何年も、テレビは見てない。二週間ほど前にスマホにしてから、ラジオも聞かなくなった。

 

「世の中のことがわからないのでは?」と言われることがあるが、そうでもない。

 

スマホにしてから、アメリカの24時間音楽放送を作業のリズムづけに小さく流している。ニュースなどの情報は、スマホのニュースサイトで適宜読む。天気予報もスマホでわかる。

 

私なりに、大手マスコミの問題点がわかっているから、テレビやラジオが流す情報にそれほどつきあう気はないし、好きだったクラシックなどの音楽も、真剣に聞く気力がなくなった。CDも買わないし、音楽をダウンロードすることもない。

 

テレビもラジオも、私にとっては不可欠のものではない。むしろ、邪魔になるともいえる。

 

本当にやりたいことがあれば、そのために必要なことかどうかを基準に、取捨選択ができる。

 

不要なものを捨てる。なにを捨てているかで、その人の人生がわかることもある。

 

なにかを捨てることで、人生が変わることもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
不要な安心もある。ていねいに捨てて、すっきりライフ!

最近引っ越した人から、こんな話を聞いた。

 

「家を整理していたら、もらった紙の袋(お店でもらった、ちょっとおしゃれだったり、しっかりした紙のバッグ)がびっくりするほど沢山あった。どうしても、というものだけ残して、あとは捨てた。」

 

ものは、置いておくと安心する。けれど、安心しないでいるほうがいいこともある。

 

あまり買い置きをしない。すると、必要なものだけ、そのつど買うことになる。必要にかられた行動は、真剣な行動になる。家もすっきりする。

 

だが、もらったものや、長年なじんだものを捨てるのは、むずかしいこともある。

 

そこで私がときどきやっている方法。

 

ものに向かって合掌し、「ありがとう」と言い、一礼してからていねいに捨てる。

 

「ていねいに捨てる」はキーワードかもしれない。

 

われわれの人生も、「ていねいに捨てる」のがいい。

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 08:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
案外ややこしい、英語の日付の言い方。 これで全部わかる。

日付は、「歴史のなかで一回しかない」というその日の個性を表している。だから日付は、すべて固有名詞である。

 

じっさい、英語で日付を書くとき、月や曜日のように大文字で書けるところは大文字にして、固有名詞だという認識を表現する。

 

ところが、英語の日付には、さらにおもしろいところがある。それは、「序数(◯番目)で書かない場合も、序数で読む」「theを書かないが、theをつけて読むことがある」ということである。

 

なぜそうなるのか。

 

日付の認識は、人名と同じく、全体としてtheのない典型的な固有名詞である。ところが同時に、日付には「その月の◯番目の日」という認識もふくまれている。だからthe ◯th と序数で言いたくもなる。

 

この矛盾を解決するために、序数やtheは書かないが、読むときは序数やtheをつけて読むという妥協的な方法を、英語は採用しているのである。

 

具体例を、私のトランス・グラマーの原稿から引用してみよう。文中に「原独体」とあるのは、無冠詞・大文字で表現する、典型的な固有名詞のことを言っている。φという記号は、無冠詞であることを表す。

 

 

 

 

日付を言うとき、アメリカ式とイギリス式(UK のほかオーストラリアなど)とでは月と日の語順が逆になりますし、イギリス式では、声に出して読むとき、月の前に of をつけます。どちらの場合も、日付は「ひと」が暮らしを営む人間的な時間であり、歴史のなかで一回しか現れない、その日の個性の認識なので、原独体であり、無冠詞が原則です。日の後ろにコンマがあるのは、「同じ名前の月日は毎年あるが、どの年かというと…」というように、認識に揺れ(選択感)があることの表現です。

 

なお、日は、「その月の◯番目の日」という認識なので、つねに序数の形でいうことに注意してください。

 

アメリカ式:

書き方: φMarch 30, 2018 または φMarch 30th, 2018

読み方:  φMarch thirtieth twenty eighteen

 

イギリス式:

書き方: φ30 March, 2018 または φ30th March, 2018

読み方:  φthirtieth of March twenty eighteen

 

これに曜日をつけると、日の読み方にtheが加わります。同じ曜日名がつく日(例えばMonday)がいくつもあるなかで、「3月の30日目」という、特定の個性を選択したことを表すtheです。曜日が加わるとコンマの位置が曜日の後ろに移動するのは、「同じ曜日のうち、どの日かというと…」という認識の揺れ(選択感)の表れです。

 

アメリカ式:

書き方: φMonday, March 30 2018 または φMonday, March 30th 2018

読み方:  φMonday, March the thirtieth twenty eighteen

 

イギリス式:

書き方: φMonday, 30 March 2018 または φMonday, 30th March 2018

読み方: φSunday, the thirtieth of March twenty eighteen

 

 

以上のどの場合でも、日は序数で書いていない場合も序数で読むこと、theやof をつけて読む場合も、表記にtheやofはないことに注意してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 言語の資本論を書く | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ英語の日付には the がないか。日付はその日の個性だから。

英語の文法をまとめた原稿を書き溜めている(「トランス・グラマー」という名前です)。これは私のライフワークのひとつ。

 

原稿を書いていると、ちょっとした英語の真実に気づくことがよくある。そのひとつは、

 

「なぜ英語の日付にはtheがないか?」

 

というもの。

 

日付は特定の日だから、the がついても良さそうである。しかし、実際には  "April 16, 2017"  のように、the なしで書く。それはなぜか。

 

これは案外と大事な英語の感覚の表れである。

 

答えは、こうである。

 

英語には、「個性は大文字で表す」という原則がある。いわゆる「固有名詞」である。

 

固有名詞が表す個性とは、「一回しか現れないもの」のことである。

 

例えば、人名は、一回しか現れない個性そのものを指すから、大文字で書く。駅の名前 Tokyo Station や、通りの名前 Fifith Avenue, 曜日 Monday なども大文字になるのは、それぞれに個性的で、「それがなくなったら、二度と同じものは現れない」という認識の表れである。

 

同様に、歴史の中でその日は一回しかない。すべての日付は、「固有名詞」なのだ。住所も、英語では大文字で書き、theをつけないが、それは居住地の個性を表しているからである。

 

ただ、日付のなかの数字は、大文字で書かない。だから、日付がその日の個性を表す「固有名詞」であることに気づきにくいのだ。

 

ちなみに、英語では文のはじめを大文字で書きはじめるが、これも「この文は、この文章のなかで、一回だけ現れる個性的なものだ」という感覚の表れである。

 

個性、つまり「一回だけ。二度と現れない」という認識は、大文字で表す。これが英語の感覚である。the FBI のように、theのつくタイプの固有名詞や、日付のように固有名詞と気づきにくいものもあるが、「一回だけ存在するもの=個性は、大文字で表記する」という英語の原則は一貫している。

 

これを覚えておくだけで、英語という言語の考え方が少しわかってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 言語の資本論を書く | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
新学期の疲れについて

四月になり、新学期がはじまって、学生や教員や学校の職員は、わくわくするような、せわしいような時期をむかえている。

 

そういう時期のせいか、最近また飲み始めた就寝前のビールのせいか、身体に疲れがあるというか、動きににキレがない。

 

原稿の締め切りが五日後に迫っているのだが、どうも切迫感をもてず、最後の詰めのところが書けない。

 

こういう感覚は、数年前からはじまったような気がする。新学期疲れ。

 

だが! これではアカン。毎年新学期は来るとはいえ、この年度の新学期は二度と来ない。

 

よ〜〜し、なんとかするぞ〜〜〜

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「生涯現役」なんて、やってはいけません。

人の一生は、終わりをみずからしめくくるのが良いと思う。

 

自分の意志で、終わりをしめくくるのだ。

 

聞いた話だが、最近86歳の男性が亡くなって、葬儀があった。

 

そのとき、その人の最後のころを知っている人が、

 

「数ヶ月前、息子さんに先立たれてから、20キロやせてしまった。それまではとても元気な人だった。どうやら、自分の人生をこれでしめくくろうとしたのではないか」

 

と語っていたという。

 

私はこの話を聞いて、痛ましい感じがしたが、ありうることだとも思った。この人は、自分の意志で終わりをしめくくったのだろう。

 

そういう終わらせ方もある。

 

「生涯現役」とかいうけれど、べつにそうでなければならないということもない。生涯現役でいられると、かえって周囲が困る場合もある。

 

自分の生涯が、自分流に完成していればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「捨てる」と「自由」にフォーカスできる 

仏教では、「捨てる」ことが重視される。

 

ここで「捨てる」というのは、全部なくすという意味ではなくて、

「自分に必要なものを選ぶ」という意味にとりたい。

 

生活していると、いろんなものが外からやってくるし、

そこから必要なものだけ選ぶには、それなりの注意力と手間がかかる。

 

だから「捨てる」ことは意図的でないと続かない。

 

いっそのこと、「捨てる」とは、「生きる」と同義なのだと

思えばいいのだろう。意図的に捨てることで、自由に生きられる

スペースが見えてくる。

 

本来、生きているということは、捨てているということだ。

 

…それでは私の机の上、さっそく片付けないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
マタイ受難曲 思想は人間の行動で実証される

いま午前7時前。FMの番組がマタイ受難曲を紹介している。

 

イエスの受難を描いたバッハの大曲だが、キリスト教には、ある意味でイエスの物語以上に重要なエッセンスがある。

 

それは、イエスの受難の物語に感動し、聖書を指針に生きた人々が、これまで大勢いたという事実である。

 

イエスの人格と生涯には、疑問符をつけることも可能だ。フランス革命のころに、あるカトリックの神父が、聖書を引用しながらイエスを「嫌われ者で狂人の馬鹿者」と実証?した遺書をものし、これが各地で密かに読まれていたという実話を読んだことがある。

 

しかし、イエスの実態がどうであれ、バッハがイエスの物語に感動し、その感動を大曲として表現したことは疑いのない事実である。

 

いま問題になっている籠池氏の右翼思想も、構造は似たところがある。右翼思想じたいは、古くて反時代的なものであっても、それに共鳴する人物が実際にいて、政治家や大金をあやつって学校までつくろうとしたことは、疑いのない現在の事実である。

 

思想の内容もさることながら、それを信奉する人物が現にいるかどうか。

 

思想は、どんなに古いものであっても、生身の人間の行動によって常に新しい現実になる。

 

 

✳︎「嫌われ者で狂人の馬鹿者イエス」を、聖書を使って堂々と主張した大作とは、

ジャン・メリエ『ジャン・メリエ遺言書−すべての神々と宗教は虚妄なることの証明』(法政大学出版局)

小さな村の教会で黙々と神父の仕事をこなしながら、イエスを痛罵した長大な遺書を残し、死後に地下出版されてフランス革命にも影響を与えた本だ。

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | イエスの虚像 | 07:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
#誰が書いてるの?
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
  • 五木寛之氏の「暗愁」
    Yasuyuki Koyanagi (03/31)
  • 同時通訳・達人のつぶやき 「道遠し」問題について その1
    ぽっこり (11/07)
  • この本は買うな! 東大の『教養英語読本』を切る おわり
    雪 (04/24)
  • <言葉>や<心>は社会行為であって、脳の産物ではない  生成文法という現代病について
    YAGURUMA"剣之助" (12/29)
  • ソシュールの「恣意性」徹底批判 補遺  池上嘉彦氏の指摘から その4
    YAGURUMA"剣之助" (12/13)
  • ソシュールの「恣意性」徹底批判 補遺  池上嘉彦氏の指摘から おわり
    みうら (12/13)
  • ソシュールの「恣意性」徹底批判 補遺  池上嘉彦氏の指摘から おわり
    YAGURUMA"剣之助" (12/13)
  • ソシュールの「恣意性」徹底批判 おわり
    YAGURUMA"剣之助" (12/12)
  • 森鴎外「かのように」から
    一市民 (12/05)
  • government of the people, by the people, for the people - ゲティスバーグ演説の意味について おわり
    小林 宏 (12/05)
#トラックバック