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あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


カルティエの接客技術 おわり

巻末の訳者解説は、本書をうまく要約している。

 


「ラグジュアリー・ブランドは人々に夢を与えることができなければなりません。

ブランドにまつわるストーリーや世界観を語り、演出し、そして実現しなければなりません。

ラグジュアリーとは、創造性と職人技とが息づき、つねに細部にいたるまでの完璧と卓越を追及するビジネスであり、「喜び」をもたらすものです」(236頁)

 


では何が人々に夢を与えるのか。

それは「ディテール」である。「ラグジュアリーとは、ディテールへのこだわり」のことなのだ。114頁。

同じことだが、もっとすごい表現が本書にある。

顧客が気に入るのは、ケーキよりもケーキの飾りつけのチェリーだと考えましょう。チェリーをよく見せるためにケーキの層を作り上げるのです。」155頁。

ここでは、ケーキのチェリーが「ディテール」にあたる。

ケーキの各層はチェリーのためにある。それがラグジュアリーの本質だと。






(おわり)


 

 

 

 

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カルティエの接客技術 その4

・「今お召しのドレスにこの靴を組み合わせたらどうなるでしょう?」と提案せよ。すでにあるものとの組み合わせは好奇心をかきたて、前向きの気持ちを誘う。158頁。

・商品(クリエーションと呼ぶ)を客前でていねいに扱うことで、商品の価値を高めよ。163頁。

・価格を聞かれたら、答える前に必ず「美しいパッケージ」の言葉を添えよ。「これは限定版の商品で、〇〇円です。」177頁。

・買おうと思いはじめると、顧客は口に出す前に態度を変える。そのサインを見逃さない。そのときにそなえてサービスを用意しておく。商品の薀蓄、「名前を入れます」「自宅までお届けします」など。買うと告げられたあとも、手入れの方法を教える、「ところでそのバッグによくあう靴があります」と提案するなど、しばらく時間をとってから支払いの手続きに入る。じつは顧客はまだ迷っている。だから納得するための時間が必要。184,186,191頁。





(つづく)


 

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カルティエの接客技術 その3

・顧客というより人間として迎えよ。商品を探す背景には必ずその人のストーリーがある。それに興味をもて。44、50頁。

・顧客が商品を探すのは(自分か他人に)「贈る」ためである(=顧客にはストーリーがある)。人生とは祝うことである。その「祝おう」という気持ちに共鳴して「おめでとうございます」と言おう。

・セールス・アンバサダー(販売担当者)は名優である。名刺はいつも二枚渡そう。顧客が帰ったあと、すぐに次にコンタクトする予定を書き込もう。50,74,207,211頁。

・顧客を外見で判断しない。その兄が金持ちかもしれない。64頁。

・セールス・アンバサダーどうしの人間関係を顧客は敏感に感じとる。共通の目標にみんなで協力する雰囲気が大切。互いにいたわりあって休憩をとろう。66,98頁。

・販売は微妙なアート。もう一回来たいと思うように工夫するのが真のセールス・アンバサダー。73頁。

・知識の共有はきずなを築く。商品の薀蓄はよろこばれる。76頁。

・「よい」ではなく「洗練された」と言おう。より高い言葉を使おう。89頁。

・販売は演劇と同じ。準備でほとんどが決まる。111頁。

 

 



(つづく)
 

 

 

 

 

 


 

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カルティエの接客技術 その2

以下、主なポイント。

・機能を売る以上に夢を売れ。商品を恋人にせよ。商品が象徴するものを強調し、五感を刺激してロマンスをかきたてよ。顧客をがっかりさせることは壊れた夢をつくる行為。34,169,175,226頁。

・顧客はイヤリングか海外旅行かと迷っていることもある。高級ホテルの接待と比べていることもある=他業種もライバルである。ブランド品はすぐに必要であることは稀である=「買わない」という選択肢もライバルである。36,60,95頁。

・期待を上回るサービスが売り場の喜びになる。サービスに限界はない。62頁。

・価格を下げてはいけない。サービスが完全なら価格は納得される。38頁。




(つづく)


 

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カルティエの接客技術 その1

ロビン・レント、ジュヌヴィエーヴ・トゥール(フローレンス・石坂訳)『超高級ブランドに学ぶ感動接客』(日本経済新聞新報社、2008年1月)

著者はカルティエの元販売員。

訳者によると、高級ブランドの接客技術をまとめた本はこれまでなかったという。






(つづく)

 

 

 

 

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真のイノベーションは、はじめ正体不明

「画期的な新技術」というと、一瞬のひらめきからはじまり、すぐに大きなうねりに…といったイメージがある。

ところが、真に画期的な新技術は、実用までに長く曲がったプロセスを経るものだと指摘する本がある。

その原因のひとつは、画期的な技術ほど、その真髄は深く隠されており、解釈や応用が容易でないからである。

 


「新技術の意味の同定の難しさが事業化への結びつきを困難にしている。特定の経営行動に結びつきイノベーションの収益化につながるのは、技術自体というより、技術のもっている意味である。」(榊原清則『イノベーションの収益化―技術経営の課題と分析』有斐閣、2005年、182頁

 


新技術の意味がわからないために、多くの研究開発企業が「死の谷」(中途倒産)に屍(しかばね)をさらしている。(同書、164-165頁

同書に実例がのっている。

 


実例  1963年、キヤノンはキヤノーラ130という卓上電卓を発明した。しかし開発当初、なにが画期的なのか開発者自身にもよくわからず、焦点の定まらない特許申請をしてしまい、模倣を防ぐことができなかった。従来はフルキー方式といって、桁ごとに0から9 のキーが並んでいたのに対して、この計算機は 0 から 9 までの10個のキーが1組だけ並んでいるテンキー方式になっており、これこそ、特許で押さえるべき新技術の意味であった。今から思えば、なぜこれほど明瞭な新規性が理解できなかったのかと、不思議なほどだ。

実例◆ MPUは、はじめは特定企業向けに開発されたデバイスで、市場に導入されたときはニッチ商品にすぎなかった。その後、何年もかかって、MPUは汎用パソコンの中枢的素子に位置づけられ、高収益チップに「大化け」した。「インテル、入ってる」で有名な製品の背景には、こんな歴史があった。
 


発明の瞬間とは、その後の長いプロセスのはじまりにすぎないのだ。

 

これは、歴史の事実は終わったあと何度も咀嚼され、後の人がその意味を深めていく必要があるのと似ている。

 

 

 

 

 

 

 

 





 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 11:10 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
仏教はロジックではなく宇宙観

仏教の性格を、仏教学者が率直に批判した珍しい文がある。



「西洋哲学が仏教にひいでている点は、いうまでもなく『哲学する』という推論の過程である。これはわれわれが思想を理性的にうなずくための唯一の方法である。

しかるに仏教の各学派を眺めてみると、それぞれ一応の体系はそなえていても、推論の過程において見るべきものはほとんどないといってよい。…

仏教のなかで比較的に哲学の精神が現れていると思われるものは、インドの唯識思想とわが国の道元の思想であろう。しかし唯識も道元も推論の過程には深い洞察が秘められているが、そのままの表現では、なかなかわれわれの理性に訴えにくい。」

(玉城康四郎『仏教の根底にあるもの』講談社学術文庫、1986年、284頁)

 


この文を読んだときは、仏教学者が仏教を正面から否定しているように思えて、驚いた。
 

また、親鸞研究の金子大栄氏が、こう書いている。

 

 

「東洋の知恵は随筆的である。大論文がない。

 

カントとかへーゲルとかいう人の書いたような組織系統のあるところの大きな著作というものはないのです。大部の本はありますが、それは多く編集である。

 

系統的なものをたっとんで随筆的なものをたっとばないということになると、結局は西洋の理性にはかなわない、ということになります。

 

それに答えることができるものがあるとすれば、それはただ一つ、道念でしょう。

 

道念というものがありますれば、西洋の理性よりも簡単な随筆がよいということになるのです。これに反して大きな書物を書いてみても、道念が喚起されねば真に人間のためになるものではありません。

 

仏教の長所は、その説く道理ではなく、その説によって起こる道念のほかならないのであります。たとえ西洋哲学のように系統づけても、それで人間道というものがわかるか、真実の体験ができるかはきまっておらない。道念というものを起こすためには、かえって断片的な随筆の方がよい。」

 

 

(菊村紀彦編『永遠の親鸞 金子大栄のことば』雄山閣、1976年、174-176頁)
 

 

 

さて、これをどう考えたらいいか。

 

ひとつ思うのは、西洋哲学の背景にあるキリスト教は、証明や弁論術の文化があるギリシャ方面の産物である。キリスト教神学は概念的論証の性格をもった。これが哲学の論証重視の伝統につながったのかもしれない。

 

他方、仏教はロジックの構築物というより、客観的な宇宙観である。仏教や儒教など、古代に宇宙観が作られ、それがくりかえし学ばれた東洋では、論証・実験による近代科学は生まれにくかった。宇宙の理法としての輪廻や因縁や陰陽思想は、証明がいらないほど実感的だったので、実験的に論証しようとする意欲がわきにくい。いきおい、論証よりも、大宇宙の理法にしたがった道念をもつことのほうが重要になる。

 

西洋では、宇宙観・法則観が欠落していたために、近世以降、リアルな自然法則を発見したいという動機が強くなった。大航海のための科学といった実用的な目的も加わった。

 

そういう事情のちがいなのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

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西洋音楽は概念に近づく おわり

西洋音楽のポリフォニーは、一種の思想の表現でさえある。

ポリフォニーでは定旋律にたいして対旋律が同時に動く。それは二本のラインのグラフのような楽譜に描かれたが、このグラフには座標軸のような横線と縦線が書いてある。20頁。
横軸・縦軸があって、不動の一点からふたつの旋律がきちんと制御される。
どうしてこういう形式が生まれたのだろう。
グレゴリオ聖歌の単旋律に物足りなくなったのではないかと、著者はいう。20頁。単旋律を繰り返すうちに、人々はもうひとつの旋律を聞きとるようになったのだ。
それはいわば外声部に対する内声部の発見である。
こうした音楽を初期オルガヌムと呼ぶ。オルガヌムとは臓器(の集まり)つまりは人体という意味をもっていることも示唆的である。
勝手な解釈を加えれば、定旋律にたいする対旋律の発見は、人間の外形=表現(現象)にたいする、人間の内面=認識(実体)の発見にあたるのではないか。ポリフォニーとは、そういう意味での「人体」構造の発見だったのかもしれない。
定旋律と対旋律=表現と認識という二重構造は、現世と天国、肉体と魂といったキリスト教の重層的な世界観と親和的でもある。
「これまで一本の横の流れしかなかった音の世界に…垂直の次元が加わった。これは人類の歴史における火の発見にも比すべき、西洋音楽の巨大な一歩であった」20頁。
垂直に対応する複数の旋律を制御するポリフォニー。この西洋音楽の構造は、表層に対する深層すなわち表現を支配する認識という世界観・人体観の表れであった。
人間をたったひとつのポイントから制御するという思想の実践。西洋の音楽、西洋の思想、西洋の言語が世界的な普遍性をもって流布した原因のひとつは、全体を制御する一点、すなわち概念への収斂という思想態度にあるのかもしれない。
(おわり)
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西洋音楽は概念に近づく その3

西洋音楽は、音を洗浄しただけではない。洗浄された音を組み合わせた。

これはポリフォニー(多声音楽)といわれるもので、複数の音を制御することで音楽をドラマチックに構成する。これも世界の民族音楽に見られない西洋音楽の特徴である。19頁。
西洋音楽はノイズを排除するが、不協和音性(より安定した響きへの進行をうながす不安定な音の組み合わせ)はおおいに利用する。
不協和音性を0〜3の三つのレベルに分けて西洋音楽の流れを表記すると、たとえば
0→2→1→0→1→2→3→2→1→0
のようになる。安定した状態0からはじまり、小さな不協和音性2、大きな不協和音性3を経て、再び0に帰還する。19頁。
これは確かに独特の方法であり、一種の思想性さえもっている。
これが独特だというのは、雅楽や能の囃子方の音楽を思い浮かべれば実感する。
私の体験だが、能の子鼓、大鼓、笛の三人の囃子方が声を出しながら10分くらい合奏したのを聴いたことがある。指揮者はいない。ジャズトリオのように、演奏者だけである。
それは祭りの囃子そっくりに聞こえるのだが、一本調子ではなく、次第に盛り上がったあと鎮静化し、興奮を残して終わった。
西洋音楽に慣れた耳にも満足感があり、邦楽のドラマチックな構成力に感心したのだが、音の構成は明らかに西洋音楽とはちがっている。
いわば、複数のパートの「並走」が邦楽の原理である。それは西洋音楽のようにひとつの不動点(上記の0レベル)からすべての音を制御する論理的な「統合」ではない。18−19頁。
世界の民族音楽を見渡しても、西洋音楽のような統合型は珍しく、邦楽のような並走型(ヘテロフォニー)が主流だという。19頁。
(つづく)
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西洋音楽は概念に近づく その2

ノイズを排する音楽といえば、グレゴリオ聖歌を思い出す。

グレゴリオ聖歌はフランク王国のカール大帝の時代(紀元800年代)に直接の起源がある。カールは現在のイタリア北部、ドイツ、フランスにあたる地域を政治的に統一し、文化面ではキリスト教化を推進した。この広大な王国で行われる様々なキリスト教の典礼音楽を編纂したのが、後にグレゴリオ聖歌と呼ばれた声楽である。15頁。
宙を漂うようなグレゴリオ聖歌の神秘的な旋律は、当時の非キリスト教徒たちのノイズだらけの音楽を否定することで成立した。16頁。
庶民の世界にはノイズだらけ打楽器だらけの「野卑な」音楽があり、他方ではそれを否定する「高級な」音楽が発展していったのである。
西洋音楽の洗練は、非洗練との交流と対決によって可能になったー。そういうダイナミックな視点で描いた音楽史がもっと欲しいと思う。
(つづく)
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