ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


新元号と西暦 複数の起点が並存する時代

近いうちに元号が変わる。

 

婚約関連の記者会見で、「出会いは2012年」と皇族の一人が表現したことが新聞記事になった。

 

https://www.asahi.com/articles/ASL7T6VTSL7TUTFK01J.html?iref=pc_rellink

 

皇族が報道機関の前で、元号を使わず西暦だけで時間を表現したので、保守派がショックを受けたというのである。

 

たしかに、年月を数える概念は、深いところで人の意識に影響する。

 

台湾には、「中華民国」という独自の紀元がある。台湾で発行された本には、奥書に「中華民国98年」などと印刷してあり、それだけだと、いつのことなのかわかりにくい。私は、はじめてそれを見たとき、台湾という地域がカプセルにこもり、他から隔絶しようとしているように感じた。日本の元号も、外国からみればそういう隔離の意志を感じさせるのかもしれない。

 

ちなみに、距離の尺度は現在メートル法だが、私など、いまひとつ身体感覚に合わない。尺(約30センチ)とか寸(約3センチ)のほうが、ちょっと慣れるとすんなりとなじめるところがある。もともとメートル法は、地球の大きさを基準とする科学的な概念である。だから脱文化的な普遍性があり、精密な計測に適しており、国際的に平等感があって、広く採用されている。

 

西暦も地球上の広い地域で使われているが、メートル法ほどの普遍性はもちにくい。距離の幅は脱文化的に設定できても、年月の起点を無文化的に決めることはむずかしいからだ。

 

日本の保守派の一部が西暦に反発する理由は、それがキリスト教世界の暦年法だからである。外来の暦法を使うことを政治的・文化的な屈服とみなすなら、日本の元号に固執する保守派の心情もわからないでもない。

 

だが、この論法をおしすすめるなら、日本に住む外国人や日本人のなかに、「平成」などの元号を使うことを政治的・文化的な屈服と感じる人がでてきてもおかしくないことになる。また、そもそも元号など日本古来の暦法とされるものも、元は中国からの輸入概念であり、それを改良したものである。

 

イスラム圏には、ヒジュラ暦といわれるものがあり、西暦2018年はヒジュラ暦1439年になるという。ただ、多くのイスラム圏では、西暦も併用しているらしい。併用によって、文化的独自性と世界的一般性を妥協させているのだろう。

 

ついでながら私は、新暦による月の数え方が季節感に合わない気がすることがある。新暦を使うことに反対はしないが、もっと旧暦の地位をあげてもいいのではないか。留学などの便も考えて、新学期を九月にすべしという意見もあるが、これが実行されたら、また季節感のズレが起こりそうだ。

 

こうしてみると、われわれは地域的文化性と世界的普遍性がせめぎあう歴史的段階に生きていることがわかる。

 

そういう段階にいるわれわれは、複数の尺度があることのわずらわしさを、いっそのこと楽しんでしまうのが一番なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「靖国神社に霊はいないよ」

毎年、この時期になると首相や国会議員の靖国神社参拝が話題になる。

 

何年か前、講義のあとの学生の感想に、こういう部分があった。

 


「戦争という非日常において植えつけられた敵国のイメージは、戦争が終わり、新たな道を歩き始めようとする者たちを、過去にいつまでも縛りつづけている。

 

殺された人間を生き返らせることが戦後復興のはずなのに、物質だけが増えていったのでは、本当の意味での戦後復興が行われているとは言えない。」

 


2年生のKさんの文だが、とくに

「殺された人間を生き返らせることが戦後復興のはずだ」

という部分で、私はある人の話を思い出した。

その人、いわゆる霊感があるタイプで、「きっと霊がいっぱいいるだろう」と予想して靖国神社に行ったという。

ところが、拝殿の前に立っても、なにも感じない。

「あそこに霊はいないよ。からっぽだよ」

そう真顔で私に語ったのだ。

「英霊」はもうあそこにはいない。とっくの昔に、彼らはなつかしい家族のもとに帰ったのだ。日本はもう戦争をしないのだから...

そういうことかもしれないと、私は思った。

 

ところで、「殺された人間を生き返らせる」のが戦後復興だとすれば、「英霊」たちはどういう姿で生き返ればいいのだろうか。

「英霊」たちは死んでからも軍服を着たままでいたかったのだろうか。そして、いまも軍服姿で生き返りたいと思っているのだろうか。

 


 

 

 



 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「史的唯物論」という言葉は、過去の概念にしたほうがいい

「史的唯物論」(あるいは短く「唯物史観」)という言葉は、他に言葉が見つからないとき、ためらいながら私も使ってきた。

 

だが、この言葉にはやはり問題がある。

 

「史的唯物論」の原意は、「弁証法的唯物論の社会への応用」(ブリタニカ)である。

 

この「唯物論 materialism」という言葉は、物質の対概念たる観念の実在を否定するかのように響く点で、ミスリーディングである。

 

資本とか価値といった基礎概念、そして「唯物論」という言葉じたい、観念の一種であって、通俗的な「唯物論」に浸っていたら実在しえないものである。

 

通俗的でない「唯物論」の論者は、「唯物」とは人間の観念的主体性を否定するものではないと弁明した。だがじっさいには、「唯物」を前提にしながら人間の主体性を説明する方法に苦慮し、けっきょく論者のあいだで合意もできなかった(たとえば1940年代の「主体性論争」)。

 

<唯物論 vs.観念論>というのは、(とくに壮年期以降の)マルクスがほとんど問題にしなかった無意味な対抗関係であり、それこそ「観念的」な空論である。こうした愚かな自家中毒を長引かせた原因のひとつが、「唯物論」というミスリーディングな表現であった。

 

また、弁証法的唯物論は、歴史的に「マルクス主義」の構成部分とされてきた(代表例がレーニン「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」1913年)。そして今では「マルクス主義」という語には、かつてソ連が広めた「公式教義」的な威圧感と偏狭なイメージがつきまとっており、あまり使われない。同様に、弁証法的唯物論の歴史への適用とされた「史的唯物論」という表現にも、古い教条的なイメージがつきまとっていないとはいえない。

 

望月清司は、資本主義を超える歴史段階まで展望するマルクスの歴史認識を「歴史理論」と呼んで、ソ連流の「史的唯物論」から距離を置いた(望月『マルクス歴史理論の研究』岩波書店、1973年)。

 

滝村隆一は、史的唯物論という語も使ったが、晩年の著作ではむしろ「社会構成理論」と呼ぶことが増えた(滝村『国家論大綱 第一巻 上』勁草書房、2003年、310ー311頁)。

 

思想系や政治学系の著作では、「史的唯物論」はしばらく前から使われなくなっていたのかもしれない。歴史学の分野では比較的使われつづけたが、そこでも「史的唯物論」はけっきょく「唯物論」の枠組みに制約されて、人間の観念性・主体性を積極的かつ説得的に含みこむことはできなかった。

 

いまや「史的唯物論」は、「唯物論」とともに、過去に使われた歴史的表現と位置づけたほうがよさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
音響は独自の非現実世界をつくる 仲道郁代さんの講演から

ピアニストの仲道郁代さんの講演を、最近ラジオで聞いた(NHK文化講演会)。

 

仲道さんは、かねがねベートーベンが弾きにくいと感じていたが、作曲家の故諸井誠氏の薫陶を得て開眼したという。

 

じつはベートーベンは、特定の短い音形(いわば部品)をもとに設計図を描き、ピアノソナタを構成するという技法を使っていた。そこをきちんと見抜いているかどうかで演奏がちがってくるのだと。

 

素人考えだが、短い音形を基礎にして長い全体を構築する技法は、フーガやシャコンヌにおけるバッハの技法、つまりバロックを引き継いだのだろう。そして形式美をもつところは古典派で、近代的個人の心情をテーマにするところはロマン派。

 

ベートーベンは、そういういろんな要素をもっている。そのため作品が重厚かつ多面的で、簡単には弾きこなせないということなのかもしれない。

 

ところでこの講演では、仲道さんがときどきピアノで実演してくれる。

 

たった二音からなる短い音形に聴き入っていると、音がつくる独自の世界を感じることができる。

 

音形が短いだけに、悲しみとか喜びとかいった人間的な感情だけでなく、理性や概念、さらにはもっと超越的なものまで示唆しているように思えてくる。

 

そして、いったん設定した音形は自力で奔放に展開していくので、ベートーベンはそれを強力に制御した。音形の潜在力を、作曲家が実力でコントロールしていくプロセス。それがひとつの曲になっているようにも思えるのである。演奏者と聴衆は、音形の自己発展と、ベートーベンの構成力のせめぎあいに身をゆだねていく。

 

音の世界は、それを着たり触ったり食べたりはできない、一種の非現実ではある。だが聴き入る人にとっては、実在する世界である。

 

マルクスは、商品は商品どうしで「商品語」をしゃべるのだと言った。

 

音は、音どうしで「音楽」を語るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
負の世界遺産 歴史を「知る義務」について

ユネスコには、「負の世界遺産」という制度がある。

有名なアウシュビッツは、そのなかに入っているが、これを負の世界遺産に登録することに賛成したドイツの委員が、こう言った。

「どの国の人も、自分の国の「負の証拠」が世界遺産に登録されるのを歓迎することはありません。しかし私たちは罪を背負うのではなく、記憶を背負っていく義務があると思います。そのために、私はアウシュビッツの遺産化に賛成しました。」

私はこのシーンをかつてBSの番組で見たのだが、これは知恵の言葉だ。

戦争の遺産については複雑な感情と論争があるが、少なくとも「記憶を背負う」べきことは、ほぼ誰もが賛成できるラインではないかと思う。


日本にも、負の世界遺産となるような過去がある。過去の政府や個人の行為について、現在の私たちが罪を背負うかどうかは議論が分かれるが、事実を「知らなくてもいい」という人は少ない。

ほぼ誰もが同意できるラインまでを公共のものとする。それが妥当だとすれば、まず事実を知ることが、それにあたる。

 

「記憶を背負う義務」において、みなが平等になること。そのうえで、それぞれの個人の判断と冷静な議論によって、さらなる合意へと進んでいく。

 

教育や報道など公共の仕事の役割は、人々が「知る義務」を着実に果たすための、きっかけを常につくることにある。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
米軍駐留と国防軍と政権党を永久化するための憲法改正草案

自民党の憲法改正草案(2012年決定)は、現行憲法を全面的に見直したもので、とくに9条の大幅な変更と、第9章「緊急事態」の追加が目立っている。

 

http://constitution.jimin.jp/faq/

 

ここでは、この改正案が「どこから」出てきたかという角度から見てみたい。

 

個人や組織は、自分が現在、何を所有しているか、過去に何を所有したか、これから何を所有すべきか、あるいは何を所有すべきでないか。こうした考えによって、行動が規定される。

 

財産や収入のような物質的経済的なものだけでなく、個人や組織は地位や名誉のような社会的な価値や、将来への見込みとか知識・記憶といった観念も「所有」しており、現実の行動は、それを守ったり増大させるためにおこなわれる。必要であるのに自分に欠けている(無所有)という観念を「所有」すれば、無所有を所有に変えようとして行動する。あるものを所有していてはいけないという思いを「所有」した場合は、それなりの行動に出る。

 

「所有が行動を規定する」

 

これは、人間社会を理解するときの基本原理である。

 

自民党の憲法改正草案を一読して思うことは、これは自衛隊と米軍駐留を、善いもの、当然のものとして「所有」している者の発想だということである。

 

草案は、九条から戦力不保持と交戦権否認を削除し、かわりに「国防軍の機密に関する罪」を犯罪として堂々と憲法に規定して(草案9条二の5)、そういう憲法を尊重する義務を国民に課す(草案102条)という。

 

こうした構想は、自民党が「所有」しているものが現行の自衛隊と米軍と政権であり、まだ「所有」していないものが国防軍(戦力)と戦争遂行のための交戦権であり、これから「所有」したいものが、そうした戦争の体制が永久化される保障であることを示している。

 

憲法は、国家が何を所有しているかを述べるものではなく、国民は何を所有すべきで、何を所有すべきでないかを規定するものである。

 

将来、憲法改正の国民投票があるとすれば、そこが焦点になるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「身分型自力社会」としての近世日本

一時代の社会を形成し構成する主体を「社会的諸力」と総称するなら、江戸時代の社会的諸力の特徴はなにか。

 

それは「身分型自力(じりき)」だったと洞察した論文がある。

 

水本邦彦「人と自然の近世」(水本邦彦編『環境の日本史 4 人々の営みと近世の自然』吉川弘文館、2013年所収)

 

中世の分裂をくぐりぬけ、全国を統合した公儀(徳川幕府)によって平和が実現し、身分と地方による分業で社会が統合され、それぞれの身分と地方が「自力」(13、20、27、36頁)を発揮して、社会的諸力が発展した。それが江戸時代であった。

 

社会的諸力の基礎は、物質的生産をになう労働力である。この時代、人々の労働力が集中した対象は、大地であった。「自力救済の中世社会を脱した近世社会においては、人々のエネルギーは大開発や自然改造、町づくりや村づくりに集中的に向けられることになった」(水本「総論」2頁)。

 

大地の開発を担った主力は、「自力」への自信を深めた百姓たちであった。そして災害からの復旧や予防では、藩や幕府の出動が要請された。武士と百姓が共同することによって互いの関係が深まり、身分的自覚を崩すことなく、社会全体の運営ルールが確立していく。「自然の改造を通して社会が構造化され、社会関係が濃密化してい」った。(水本論文、15頁)

 

「身分型自力」によって水田のような準自然的生産条件や、農業技術などの社会的生産条件が整備拡充され、それを通して社会が統合され、社会的諸力が発展した時代。

 

「[和泉国]日根野世界において展開した権力や百姓たちの自然改造は、こうした社会革命や価値転換が生み出した具体例のひとつである」(水本論文、15頁)

 

「自然改造」「社会革命」「価値転換」、つまり労働/生産力・行動/組織力・認識/表現力の編成たる社会的諸力が、身分的秩序を通して発展した時代。

 

自然改造を通じた「身分型自力社会」27頁とでもよぶべき、社会構成体としての近世日本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
日本の20世紀 侵略の世紀

日本の20世紀は、侵略とその後始末の世紀だった。

 

日本は、20世紀のはじめ、独立国であった大韓帝国(1897-1910)を廃滅させて植民地にした。大韓帝国の滅亡は、ふつう1910年の「日韓併合に関する条約」によるとされるが、実質的には、日露戦争の講和条件にもとづいて1905年11月調印された第二次日韓協約で日本が外交権を掌握し、同年12月、韓国統監府を設置して初代統監に伊藤博文を任命した時点で、朝鮮半島の植民地化が確定した。そう考えると、以来、日本の朝鮮半島侵略(国家廃滅と異民族支配)は1945年8月まで、40年にわたったことになる。1965年の日韓基本条約までと考えれば、日本の朝鮮半島侵略は、さらに20年が加わって、60年間である。北朝鮮政府とは、まだ国交正常化さえ実現していない。

 

日本による台湾の植民地統治(異民族支配という侵略)は、普通、日清戦争をうけて領有がはじまった1895年から、日本敗戦の1945年までの50年とされるが、1952年締結の日華平和条約までと考えれば、60年足らずの侵略となる。

 

第二次世界大戦は1939年9月〜1945年9月までの6年間とされる。この戦争の開始はヨーロッパ(ドイツ)、終わりはアジア(日本)である。戦争の終結は休戦の成立ではなく平和条約の調印によると考えるなら、日本の米英蘭などとの戦争は、1941年の真珠湾攻撃から1951年サンフランシスコ平和条約までの10年ということになる。

 

対米英蘭戦は帝国主義どうしの戦争で、「侵略」ではないと思う人もいるだろうが、はじめに戦争を仕掛け、相手の領土(植民地を含む)を侵害したのは日本であったという点で、日本の侵略性は否定できない。

 

日本が中国本土に駐屯軍(拠点は天津)を置いて軍事的圧迫を行ったのは、1901年の北清事変(義和団事変)議定書以来のことで、日本がこの議定書を破棄したのは、50年後に調印したサンフランシスコ平和条約第十条によってであった。

 

✳サンフランシスコ平和条約 第十条 日本国は、千九百一年九月七日に北京で署名された最終議定書並びにこれを補足するすべての附属書、書簡及び文書の規定から生ずるすべての利得及び特権を含む中国におけるすべての特殊の権利及び利益を放棄し、且つ、前期の議定書、附属書、書簡及び文書を日本国に関して廃棄することに同意する。

 

日本による中国侵略ひいては世界平和の撹乱は、1931年9月の満州事変で活発化し、1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに全面化して、1945年の日本敗戦を迎え、満州事変からちょうど20年後のサンフランシスコ平和条約調印によって形式的な区切りを迎えた(私のいう「20年戦争」)。

 

ただし、大陸中国はサンフランシスコ平和条約に調印しなかった。大陸中国との戦争の正式の終わりを1978年締結の日中平和友好条約とするなら、日本の中国侵略は、20世紀の大半を覆って、80年足らず続いたことになる。

 

沖縄については、太平洋戦争末期に日本軍が沖縄に進駐し、住民に対して、本土にはなかった戦争犯罪を犯したことに注目すれば、それを国内「侵略」といえるかもしれない。この国内「侵略」は、1945年の日本軍壊滅をもって事実上は終結したが、政府の謝罪と補償がきちんと行われていない点では、まだ正式に終結したとはいえないだろう。

 

以上のように、侵略の開始から終結まで、時期も内容も、地域ごとに多様である。

 

このことじたい、日本の20世紀が、広範な侵略とその後始末の世紀であったことを示している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
日本の大学は専門学校にすぎないのかもしれない

日本の大学は、ヨーロッパの大学とは歴史がちがう。

 

ヨーロッパの名門大学は中世に起源があり、学生と教師がつくる独立共同体のような地位が認められていた。出発時点が古いだけに、人文社会系と自然科学系はほんらい根っ子が同じで、この世界を「知る」という価値の最前線が大学、という意識があるようだ。

 

日本の大学は、明治以降の近代化のために、国家有用の「役立つ」人材づくりからはじまっており、せいぜい歴史は100年程度。学問の方法も内容もすべて輸入品。いわば学問の根っ子が浅い。江戸期にも学問の伝統はあったのだが、その多くは近代化のなかで古くさいものとして省みられなくなった。たんに学歴をつけるための「権威的機関」というイメージもある。

 

西洋的基準でいえば、日本の大学は、大学というよりむしろ専門学校に近いというべきかもしれない。

 

だからといって、日本の大学のすべてがいけない、ということにはならないが、気をつけたほうがいいことはあると思う。

 

それは、日本の発想を大事にすることである。西洋流を否定するのではなく、西洋とのちがいを意識しつつ、むしろ西洋の良さを日本人流に徹底追求することが、「日本らしさ」の発揮になると思う。そうした努力を通して、西洋流の欠点も見えてくるはずである。

 

良い手本は、イチロー選手ではないだろうか。彼は野球を外来のスポーツとして客観的にとらえつつ、その良さを徹底的に追求することで、日本らしさを発揮できたのではないかと思う。そして彼の目には、アメリカ流の野球の欠点も見えているのではないか。

 

「日本の発想」といえば、意外に発揮の余地があるのは、人文社会系の学問かもしれない。たとえば日本の歴史の研究は、西洋的な方法の良さを徹底的に追求しながらおこなえば、日本の発想が生きてくると思う。(西洋的な方法の良さとは、ヘーゲルやマルクスが追求したような全人類的普遍的な概念(たとえば「世界史」とか「所有」)を用いることが、それではないかと私は思っている)

 

日本の大学は、曲がり角にきている。すっかり専門学校化してしまうのではなく、それなりに伝統をつくってきた「日本の大学らしさ」が発揮できるように、うまく舵取りをする必要があると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 16:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
歴史を煮詰めると哲学になる

ヘーゲル哲学の研究者・真下信一氏(ました・しんいち。1906-1985)の講演録に、こういう部分がある。

 

 


「人間論が本格的に哲学の中心問題になったのは、実存主義を含めてやはり戦後なのです。ファシズムと戦争の深い体験を通してなのです。アウシュビッツとヒロシマを通過するということは、ファシズムと戦争が人間にとってはたして何であったかという問題を、いわば中央突破するということです。

歴史の長い歩みのうちには、それを思想的にこなしてからでなければ先へ進めない、あるいは進んではならない出来事があるのです。それは人類の運命に深く広くかかわった出来事のことです。

一つの時期を画するような、歴史的といわれる出来事は、すぐれて思想的な意味をもっています。それを素通りすれば、歴史によって必ず復讐され、いやでもおうでも人間たちがそれから学ばずにはいない時まで復讐は続けられます。

もしも私たちがあのアウシュビッツとヒロシマから根源的に学ぶことをせず、中途半端にやりすごすか、ほおかむりですますならば、歴史は必ずもっと大きなアウシュビッツとヒロシマを用意することでしょう。

かつてヘーゲルが「哲学とは概念においてつかまれた時代のこと」といい、シラーが「世界歴史は世界の法廷」と言ったのは、この意味だったのです。

概念において、思想においてつかまれる、時代と思想のそうしたからみ合い、相互浸透のうちに、思想のまともな意味での前進もあったわけです。

歴史というものはきちんと咀嚼されてこそ、まともな前進をするのであって、歴史の論理化が必要なのは、このゆえなのです。」(真下信一『君たちは人間だ』新日本出版社、1983年、96−102頁より要約)
 

 

 

哲学とは、次の時代へと「中央突破」するための歴史の論理化=概念化である。

 

歴史と哲学。ちがうように見えるものを、ひとつのものととらえる。

 

そこに知的緊張があり、自己超越がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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