ごきげんようチャンネル

 魚、水を行くに、行けども際なし  道元『正法眼蔵』



ブラックホールとしての英文和訳 「ヘボンの呪縛」について

気になっていた一枚の漫画がある。

 



「ヘボンさん!みつけましたよ!みつけました!」

「何をです?」

「『でしょう』『ましょう』の”ショウ”というのが動詞の未来形なんだ!!」

熱心に日本語を研究していたブラウン博士がそう叫ぶと、

「茶ノ間、江ノ島の”ノ”は所有のof だろうね。」

とヘボン博士が応じる。

 

 


そういう漫画だ。(杉田愛子『ヘボン博士の愛した日本』いのちのことば社、1999年、67頁)

 


本当にこんな風に二人が日本語を理解していったのかどうか、私は知らない。しかし、”ショウ”が動詞の未来形で、”ノ”がof だという推測は、いかにもありそうなことだ。

じっさい、ヘボン博士たちが未知の言語・日本語を理解しようとすれば、こんな風に「これは自分の言語のどれにあたるか?」と考えるほか、方法はなかっただろう。しかし、ほんとうにショウは未来形でノはof だろうか?

 

この漫画のヘボン博士は、日本語のなかに、自分が理解できる概念つまり英語の要素を探し求め、それで日本語を理解したつもりになっている。

実は、明治以降の日本人も、英語について同じことをしたのだ。

英語の単語に決まった日本語をあてはめ、辞書や単語帳で普及させる。英語学習者はそれを覚え、あとは「主語」とか「目的語」とか、意味のつながりを暗示する文法用語を頼りに、「は」「を」などの助詞をつけて意味のつながりを推測し、全体を日本語に変換する。

これが「訳読法」とか「英文和訳」といわれる英語学習法である。

この方法をよく観察すると、出発点こそ英語だが、あとはもっぱら日本語の操作に終始していることに気づく。「英文和訳」とは、できるだけ英語に向き合わずに、英語の意味を日本語で理解する方法なのだ

ブラウン博士とヘボン博士の漫画は、そういう日本の英語学習史を、英語の側から照らし出している。

これを「ヘボンの呪縛」と呼ぶとすれば、日本ではつねに「ヘボンの呪縛」がつきまとってきた。

ヘボンの呪縛にとらわれると、英語をやっているようにみえて、われわれは永久に日本語の世界に閉じ込められる。まるでブラックホールのように。

じつは、この呪縛を解く方法がある。

これを普及させる仕組みが、まだない。

 

 

 

 

 

 

 

 







 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「集合的無意識」を見つけて展開すれば、ヒットが生まれる

アニメ作品「君の名は」などで知られる映画プロデューサー・作家の川村元気さんの講演をラジオで聞いたら、面白いことを言っていた。

 

みんなが目にしたり、ちらっと気にしている。ところが、誰もきちんと目を向けない。そういうものが世の中にはある。

 

たとえば、お金。

 

お金が欲しいという人は多いが、本当にお金が手に入ったらどうなるかについては、あまり考えたことがない人が多い。そこで、大金が手に入ったが、その直後に盗まれた男を設定してストーリーを展開すると、人は自分の意識の盲点を突かれたような気がして、見入ってしまう。

 

こういう盲点的なポイントを、川村さんは「集合的無意識」と呼んでいるという。そこを突けば、ヒットになる。

 

考えてみれば、近年成長した企業には、人々の集合的無意識を突き、それを事業として大胆に展開して成功した例が多い。

 

 

無印しかり、ユニクロしかり、スタバしかり。

 

 

こうした目立つ例だけでなく、成功した企業は、たいてい集合的無意識に依拠しているのかもしれない。

 

宗教も、苦とか死とか欲とか、表面には現れにくいが、実は人間が気にしていること、つまり集合的無意識を突いているから確立できたのだ。

 

道路も学校も国家も、効率とか不安とか希望といった集合的無意識の産物だといえるかもしれない。

 

今日は衆議院選挙の投票日だが、とくに野党は、集合的無意識という人間の真実を真剣に勉強して応用すれば、もっと善戦できると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
社会の富とは、<物象・組織・表現>によって<価値・意志・意味>を生産・交通・消費する人の生活のあり方である

土台とは、社会を、物質的富の生産・交通・消費の客観的な仕組みとみなす思想である。

 

社会を「物」の生成加工消費の編成のあり方および「人」の生老病死の編成のあり方と見るのが、土台の思想である。人の労働力が加わった物が物象であり、人の労働力が加わった人が人間である(土台の思想から見れば、人間は広義の物象ともいえる)。あらゆる社会は、物象と人間を媒介とする物質的富の生産・交通・消費の上に存立している。主体たる人からみれば、土台とは、物質連関からみた社会である。

 

史的唯物論では、奴隷制・農奴制・賃金制といった労働力編成のあり方を、「生産関係」と呼んできた。たしかに、労働力編成の方式は物質的富の生産・交通・消費の要をなす制度であり規範である。直接の労働力編成のあり方たる「生産関係」を含む土台の質的構造的な面の全体は、「生産様式」と呼べる。土台の量的機能的な面が「生産力」である。

 

 

 

上部構造とは、社会を、意志的富たる組織の生産・交通・消費の客観的な仕組みとみなす思想である。個人の意志は、組織の端緒であり内容となるが、社会全体からみれば、組織の意志が社会の意志的富とみなせる。組織の代表が、国家機構である。主体たる人からみれば、上部構造とは、組織連関からみた社会である。

 

 

意識諸形態とは、社会を、意味的富たる表現の生産・交通・消費の客観的な仕組みとみなす思想である。主体たる人からみれば、社会とは、観念連関による意識諸形態(表現)の運動である。

 

 

 

 

人の生活とは、物象・組織・表現の生産・交通・消費の過程である。

 

物質連関・組織連関・観念連関は、この生活の主体的内容に着目した概念である。

 

連関の実体=連関力は、<価値・意志・意味>である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
真実には過ぎ去ったものもある

なぜ、仏教の諸宗派には今も修行があるか。

 

苦行に耐えたという自信。他人の尊敬や信用を集めること。宗派の規律と位階の基準としての修行。

 

どれも悪いことではないが、難行苦行によって現実を超越できるとは限らない。超越を体験したことは長く記憶できても、超越感覚そのものは長続きしない。

 

人間は、自分の認識のなかで超越という概念への無限の接近を試みるが、ふと我に帰還したとき、超越は到達至難、安住不可能な世界であることに気づく。

 

もともと、高度な宗教的境地は、人間が幻視する蜃気楼のようなところがある。かつて多くの修行者、僧侶が、この蜃気楼を追った。だが、過去から伝承された蜃気楼を、いつまでも追いつづける必要があるのだろうか。

 

法然の念仏への帰依は、過去の教説の学習や伝統的な修行についての苦い反省から来ているのではないか。法然自身は、仏典を読み、極楽を幻視する行を繰り返していたようだが、彼はそれを庶民に勧めたわけではないようだ。

 

「極楽」を含めて、あらゆる概念は、個人的な認識の特殊性を照らしだす社会的準拠である。「悟り」といったことも、人間が作った概念であって、心中の抽象的観念であるから、生身の人間が概念に到達し、そこにとどまることは不可能である。だが、そこに概念がある以上、何人かの人々は、いつの世にも到達を試みる。

 

ブッダもイエスも、断食の修行を通して真実を見た。しかし、ブッダもイエスも、自分と同じ修行を他の人に勧めるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 00:00 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ "It's me." というのか ”It's I.” と言わない理由

英語には、

 

 

It's me. Shinzo! (僕だよ、晋三だよ。ドアの外から名のるときなど)

 

 

His wife is taller than him. (彼より奥さんのほうが背が高い)

 

 

 

のように、主格(I, he)になりそうなところを目的格(me, him)にする表現がある。

 

フランス語の強調形の影響だとか(C'est moi. 私だよ)、動詞や前置詞の後ろなので、類推で目的格にするようになったといった説があるが(江川泰一郎『代名詞』1955年、13頁)、これらは由来の推測であって、文法的解明ではない。

 

 

実は、これらは「一語文」と呼ばれる表現の一種である。

 

一語しかないのに、立派に独立した文になっているものを一語文といい、「はい」「いいえ」のように認識した内容じたいは表現されず話し手の判断だけが示される場合と、「やった!」「火事!」のように認識内容の一部が表現される場合がある。

 

英語の目的格表現は、認識内容の一部が表現される場合にあたる。

 

上記の文だと、 "I am here. " とか"he is (tall)." のような認識を、"me"  や "him" の一語で表しているのである。文相当の一語であって、単なる主格ではないことを示すために、目的格で表現する慣習ができたと考えられる。

 

 

 

 

 

Most people my age are ready to retire, but not me and my band. (Mick Jagger)

 

 

 

(私の年令になるとたいていの人が引退を考えますが、私と私のバンドは違います。ミック・ジャガー。not me and my band = I am not ready to retire. And my band are not, either.)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「帝位は最高の死装束である」テオドラの真実

テオドラ (Theodra 500年ごろ~548年)は、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスの皇后。

競馬場の熊係をしていた男の娘で、踊り子だったとか娼婦だったとかいわれるが、ユスティニアヌスに見染められ、のち皇后に。今日残っているモザイク画をみると、テオドラは面長の美女である。

 


この女性には、有名なエピソードがある。



532年、首都で発生した「ニカの乱」。うろたえて逃亡しようとする夫ユスティニアヌス帝を、テオドラはいさめた。

 


「陛下、生きることだけをお望みなら、なにもむずかしいことはありません。目の前は海で、船もあります。しかし、この世に生まれ落ちた者は必ず死を迎えます。皇帝たるもの、逃亡者になるなどけっしてあってはならないことです。
 


帝衣は最高の死装束である

 

 

私は、この古(いにしえ)の言葉に深い共感を覚えます。」

 

 

 

テオドラの言葉で勇気をとりもどしたユスティニアヌス帝は、反乱の鎮圧に成功したという。


http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/chapter011.html


 

 


テオドラが言ったのは、「皇帝なら皇帝らしくしなさい」という単純なことである。職人は職人らしく、四十代は四十代らしく。覚悟をもって、「らしく」する。その時、人はいちばん輝く。

 

もっと簡単に言えば、人間なら、覚悟をもって人間らしくする。それが人の最高のあり方だということだ。
 

 

 

 

 

 


 

 



 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | スタバスタイルの塾を作りたい | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
日本人は英語がうまい? マーク・ピーターセン氏の優しさ

文科省が「英語が使える日本人」を作るための「戦略構想」を発表したり、TOEFLの国際比較で日本人の平均点が低い(156カ国中144位だった年もある)といったことをとりあげて、「日本人はとくに英語ができない」という主張?がしばしばおこなわれる。

『日本人の英語』(岩波新書)で有名なマーク・ピーターセン氏(明治大学教授)は、これはでっちあげだと強調する。日本人がとくに英語が下手という事実はないと。

じっさい、TOEFLの平均得点が低いというが、TOEFLは受験料が高いから、日本以外では留学候補者のようなエリートだけが受験する。軽い気持ちで受験する人が沢山いる日本とは、もともと受験者の質が違う。だから「TOEFLの国別平均点は無意味な統計なのだ」(マーク・ピーターセン『英語の壁』文春新書、2003年、37頁)。

ピーターセン氏がもっとも嘆くのは、文科省自身が、日本の中学・高校の英語教員の英語力が低い、などと公言していることだ。ピーターセン氏の経験では、「地方をまわって現場の先生に会ってみると、むしろ英語力は驚くほど高い」という(同上書、37−38頁)

けっきょく、何が悪いかというと、「全員にいやでも英語を覚えさせる」という日本の教育方針なのだ。英語をどこまでやるかは個人の判断にまかせるべきで、しぶしぶやっているような人まで巻き込む火必要はないと、ピーターセン氏は力説する。

大学で、英語嫌いの学生にも教えているピーターセン氏の目からみると、「英語全員強制」の弊害は目に余るのだろう。

 

 


では、本当のところ、日本人の英語のレベルは、どうなのか? 

私としては、「ある意味で低いが、それは仕方がないことであり、かなり多くの国でも、似たようなものだろう」と答えたい。

たとえば、しょっちゅう使う「冠詞」(a とthe)について考えてみても、これがまともに使える自信のある人が、何人いるだろうか。


以前私は韓国の書店で、韓国人が読んでいる英語の参考書を手にしたことがあるが、冠詞については日本人と同じような注意が書いてあった。日本語と同様、韓国語にも冠詞がないので、冠詞を駆使するのは、韓国人にとっても著しくむずかしい。

そして冠詞のように面倒で重要な点については、どの国でもおおざっぱな説明・教育しか行われていないという実態がある。英語の冠詞がまともに使えるようになる外国人向けの優れた教育メソッドは、まだ存在しないのだ。

これでは、母語に冠詞がある言語の話者か、一部の非常に才能のある人くらいしか、英語がまともに出来るようにはならない。

英語教師を含む日本人の英語力は低くない、というピーターセン氏の主張は、半分は彼の優しさからくるものだと私は思う。英語で人間の優劣を決めるかのような日本の風潮に対して、彼のヒューマニズム(会ってみるとわかるが、彼はアメリカ中心主義とは縁のない人である)が許せないのではないか。

日本人の英語のレベルが国際的に低いと嘆いたり、それはなぜかと議論すること以上に重要なことは、英語が本当に身につくメソッドを一日も早く開発し、普及させることだ。

それがないのに、中学・高校の英語教師の英語力は英検準一級が目標(文科省)などと言ってみても、しょせんは夢物語 a pipe dream である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
英語を演奏する技術

中部大学の鶴田正道教授(当時。現在名誉教授、音楽美学)が、学内誌でこう述べている。

 

 


「総合芸術論でバイオリンを教えています。

バイオリンが大変すばらしいのは、楽譜が論理的に音楽になることですね。楽譜で見たのをすぐ音にすることができて、耳で聞くことができる。頭と心が瞬時に一致するんですね。

体を使いますから右手と左手が合わないといい音がしない。心身を整えて真剣に取り組める。」

(中部大学『ANTENNA』2008年8月号、2頁)

 

 


この文は、歌と比べたときの楽器の利点を述べている。

 



◆楽譜を「黙読」したり「音読」する(口ずさむ)のではなく、バイオリンのように指板上に音が整然と配列された楽器を使うと、楽譜に表された音どうしがもつ論理的関係が可視化されて、「楽譜が論理的に音楽になる」

 


◆楽器で演奏すると、「黙読」や「音読」とちがって、音楽を客観的に「耳で聞くことができる」



◆楽器は両手を使い体を使うので「黙読」や「音読」以上に「心身を整えて真剣に取り組める」



◆こうして、楽器を使うと「頭[論理的な理解]と心[音楽的な意味の表現]が瞬時に一致する」

 

 



自分の声を自分で聞く「音読」にまさる方法がある。それは、自分の身体を楽器にして演奏することである。

英語を楽器のように演奏する。身体を楽器にして両手で英語を演奏する。

その技術が、サウンド・ステップス(イングリッシュ・ジムの一部)である。
 

 

 

 


参考:三浦陽一『なぜ英語の発音はむずかしい?』(中部大学ブックシリーズ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
仏教は宇宙の創始や終焉をあまり考えない、古代の無限縁起の世界観

仏教では、世界が因縁(直接的な力が因、間接の条件が縁)によって運行されていると説く。これを縁起の理法という。

 

仏教では、宇宙の創始者が誰かとか、宇宙の始点や終点がどんなものかについては、それほど関心をもたない。弥勒信仰のような例もあるが、その場合も、宇宙の終末が誰によって起こされるかといったことは積極的に語らない。

 

キリスト教やイスラム教は、宇宙が人間の力の及ばないところで始まり、終わると解釈する点では、仏教と発想が共通しているが、神を宇宙の創始者とし、神による世界の終末を強く意識するところは、仏教と対照的である。

 

 

どうして仏教では、始原と終末の問題はさほど重要ではないか?

 

それは、問題追求のプロセスこそ、問題の解決そのものだからである。問題の解決とは、問題を追求するプロセスにほかならない。人間は、ものごとの連関のあり方を見極め、その改善を課題にすればよく、そのあとのことは、宇宙の摂理におまかせする。宇宙は、如来などの働きとして自動的に運行されており、人間がどうこうできるものではない。

 

 

キリスト教やイスラム教の世界では、宇宙の始原と終末を神の業とし、したがって宇宙の運行にも神の秩序が隠れていると考えた。この発想が、現世の科学的探求を推進した。

 

その際、隠れたポイントは、キリスト教やイスラム教は、もともと整備された科学的世界観を持っていなかったことである。たとえばカソリックの宇宙イメージは、古代以来の常識的なレベルであった。だからこそ、神の秩序を宇宙に探し出そうとする新しい情熱が、キリスト教世界では醸成されたとも言える。

 

仏教は、科学を推進する情熱に欠けていたかもしれない。その原因は、キリスト教と違って仏教は、科学的と言ってもいいような、抽象的で相関的な世界観(如来、四大など)を、古代に作ってしまったからである。仏教は、この世界をかなりよく説明する超越的論理であった。

 

だからその後、個々の認識をより科学的な概念へと凝結させ、新しい概念によって認識を照らし出し、その認識によってさらに新しい概念を探求するという、前進的な情熱を持ちにくかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
生きてるほうが珍しい  人間と宇宙、空と無の連関について

四大の一時的結合(空)としての人間。

 

人間である時間は、一瞬である。

 

一瞬でないほう(無)から人間を見る。これが宗教と科学である。

 

近代になり、科学が宗教を掘り崩していった原因は、科学と宗教の目線が「無」という共通点をもつからである。

 

宗教の物語でしか説明できなかった「無」が、科学の概念によっても説明できることがわかったからである。

 

そういう意味で、科学は近代の宗教である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天の雲が地上を見下ろしている。だが、雲は地上の水の一瞬の形にすぎないから、むしろ地上がすべての基盤である。

空に人がいて絶えず動き、それに無関心な地上の無が横たわる。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | ブッダ暗殺 | 10:41 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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