ごきげんようチャンネル



Smile, what's the use of crying?

You'll find that life is still worthwhile

If you just smile


光の降る空 二景

 

 

天から降り注ぐ光。つい目を奪われるが、ただそれだけのことかもしれない。

 

 

写真は、いずれも美濃平野の田舎だが、都会でも案外と、こういう光を見ることができるのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 14:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
比叡山 私のペアショット

 

 

比叡山は、私にとっては最澄の心の姿。そして京都を守る修行の山。この山が、どれほど歴史に深みを与えてくれたことか。

 

遠くから見るのが、またいい。

 

 

 

 

 

 

 

          比叡山遠景  晩夏  長浜方面から

 

 

 

 

 

 

 

 

                        比叡山 初冬 大津方面から

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語の子音には、「鼻腔音」「口腔音」「上あご音」「下あご音」がある

英語の音声は、音声学の教科書に書かれていない分類ができる。

 

人間の喉元からは、鼻腔と口腔という二つの通り道によって、息が体外に出ていく。人間は舌と唇と、残りの顔や首の筋肉を使い、二つの息の通り道を狭めたり遮断したりして、声帯原音が頭骨や胸元に共鳴する範囲を調整できる。

 

共鳴範囲を調整できる主要部分は、二つの息の通り道に沿って、上のほうから、

 

 

”々

 

⊂紊△瓦旅

 

8腔

 

2爾△瓦旅

 

 

の四層となる。

 

この人体構造は人類共通であるが、この構造をどう使うかは、その言語次第である。

 

 

英語の場合、子音を言い分けるために、この四つの層をフルに活用している。

 

 

 

 

鼻腔の周辺を共鳴させて、鼻腔音(いわゆる鼻音)にする。英語では、m, n, l, ng の四つが鼻腔音である。


上あごの骨を共鳴させて、「上あご音」にする。英語では、p, t, ch, k,  b, d, dz, g の八つが上あご音である。

 

 口腔を共鳴させて、口腔音にする。英語では、w, r, R, h の四つが口腔音である。

 

下あごの骨を共鳴させて、「下あご音」にする。英語では、f, θ、s、sh,  v, dh, z, zh の八つが下あご音である。 

 

 

 

 

なお、ここでいう「共鳴」とは、無声音を含んでいる。

 

英語の場合、子音の共鳴部位という観点から上記のような四種に分類し、それに四つの調音点と、無声音・有声音の区別を導入すると、子音はすべて、きれいに分類できる。

 

この分類は、発音の練習にも大変役立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あらゆる言語は、自己に共鳴する自分の声である

「共鳴音」という言葉は、喉が震える有声音についていうことが多く、 /s/ や /k/ のような無声音は、ふつう「共鳴音」とは呼ばないような印象もある。

 

しかし、ウィキペディアの「共鳴」を引くと、

 

 

 

 

発声にあっては、発音体(発音物質、リードなど)の振動がより大きな物体(筐体、共鳴腔)に伝わり共鳴することで、より人間が聞きやすい音に変化する。すなわち、発音体単独の時よりも、聴覚上大きな音が得られる。」(太字は引用者)

 

 

 

 

という説明がある。

 

言語の音声は、声帯のかすかな震えを増幅するのだから、すべての言語音は共鳴音であると言って良い。

 

たとえば、/h/ は無声音だが、上半身をつかって声帯の震えを増幅しているのだから、一種の共鳴音である。

 

 

</h/ は共鳴音である>

 

 

私は、/h/ を「英語の息」と呼んでいるのだが、/h/が共鳴音だと思うだけで全身が鳴りやすく、/h/ が出しやすくなるような気がする。

 

/h/ だけでなく、あらゆる言語音は共鳴音である。

 

そう思えば、人は言語によって全身を鳴らしながら生きているのだという実感が湧いてくる。

 

 

言語は、社会的に形成された自己が、社会的概念にもとづいて心内の私的認識を整序し、表現規範にもとづいて肉体としての自分を制御して、音声・文字化したものである。

 

ならば、あらゆる言語は、自己に共鳴する自分の声である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語発音 ただひとつのコツ

これまで私は、英語の発音について、息と声と音の三つに分けて考えてきた。

 

英語の息は、英語で生きていることを表す。英語の声は、英語の自己、英語での人となりである。そして英語の音は、英語でのその場の意志を表す。

 

こうしていったん三つに分けて練習するのは、賢明な方法である。しかし、実際の発話では、身体要領を一つにしぼらないと言いにくい。

 

 

 

英語での発話の、たったひとつのコツとはなにか。

 

上半身では、後頭部に一本の「気の道」を常に確保し、下半身では、腰をしぼる。腰骨から気道、鼻腔へと、背骨に沿って一本の空気道を確保するイメージである。

 

これに対して日本語は、腰というより首をしぼるイメージで発音し、短い「」や「」によって、「気の道」が首のあたりでしょっちゅう遮断される。

 

目を閉じて、腰から鼻まで、/h/という無気音を通しつづける練習をすると良い。舌根は下方に維持し、息は口腔ではなく鼻に通すようにする。鼻先を開けるとやりやすい。全体に、鼻でいびきをするような感じになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
喉元に収束する言語・日本語

どうして日本語は、全体に「母音で割っている」ように響くか。

 

それは、すべての音の前で、短い「 ng」を言っているからだと思う。

 

「あいうえお」だけでなく、「かきくけこ」などの音でも、われわれは無意識に、はじめに非常に短い「」を言っている。

 

「すっかり」のように、「」が言いにくい場面では、短い「」となる。

 

日本語は「」や「」による、喉元(あるいは首)への収縮を収束点(ホームベース)とする言語である。

 

だから、能や歌舞伎、浄瑠璃、長唄のような伝統芸能や、近代の演歌や浪曲などでは、喉元(首)を「しぼる」技術が探求された。

 

これに対して、英語は常に喉を開いておく言語で、日本語のように喉元を閉める音素は存在しない。

 

/sh/や/k/のように、喉元に近い部分をブロックする音でも、日本語とちがって声帯付近は開けておき、首から鼻に抜ける気道を確保する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
it は「イット」ではない 

<しなやかに息を出し、それをしっかりせき止める>という力の対抗関係が、英語の音の力強さやリズムをつくる。

 

それに対して日本語では、(あるいは首全体)を閉めることによって力強さを確保する傾向がある。だから日本人は喉を閉めた「っ」が得意だが、英語にそういう音素はない。

 

たとえば、it は、「エ()」に近い発音になる。()のところでは、喉を閉めるのではなく、/h/ の息を、舌先による前歯裏上のブロックで完全にせき止める。だから空気が圧縮されるが、それが破裂するとは限らず、()のようになる。

 

英語の音素 /t/ を「破裂音」と書いてある教科書が多いが、破裂することが /t/ の本質ではない。息を完全にブロックする位置が前歯裏上であることが、/k/や/p/ と区別するポイントになる。

 

日本語では、息の力もそれをブロックする力も、やや弱い。

 

英語をやるなら、息の力とブロック力を強化する voice gym が必要になる理由も、ここにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
the を、なぜ「ザ」と読むのか

日本では、the を「ザ」と読む習慣?があるが、なぜ「ザ」なのか。

 

the のつづりを見ても「ザ」と読む理由がよくわからない。

 

the の発音が、日本人には「ザ」に近いように聞こえたので、明治時代に「ザ」とカナづけしたのが始まりかもしれない。

 

あるいは、「ダ」だと、断定の「だ」を思い起こしやすいので、無意識にこれを避けたのかもしれない。

 

もうひとつ、考えられる理由は、もともと日本語は、息の流れも、それをせき止める舌や唇のパワーも、やや弱いことである。日本語の感覚だと、「ダ」よりも「ザ」のほうが柔らかで、弱い力でも言いやすいかもしれない。

 

いずれにせよ、私は the を「ザ」と読まないよう、学生に注意している。むしろ「ダ」のように言うことを勧めている。

 

国際放送を聞くと、いろいろなタイプの英語が聞けるが、英米系はもちろん、中東系にせよインド系にせよ、英語ネイティブが the を「ザ」のように発音しているのは、あまり聞いたことがないように思う。少し調べてみたが、そもそも英語には、「ザ」に近い /za/ という音が入った単語は、存在しないようである。

 

つまり、「ザ」は、英語としては奇妙な音である。

 

the を「ザ」と読むのは、良い習慣ではない。英語をやりたい人は気をつけると良いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
無意識の「ウ」発見! 英語発音の隠れた難関

英語の発音練習でやっかいな問題として、日本語の「」のような音が無意識のうちに入りこむという現象がある。

 

チャップリンの名曲 "Smile" を、マイケル・ジャクソンの歌を手本にして学生に暗唱させたところ、どうも発音が不安な部分があった。

 

"if" とか "life" のような/f/ で終わる語の末尾で、「」のような母音系の音がたびたび聞こえるのである。

 

これは、日本語の「フ」の影響かと思い、学生の唇が丸くなっていないか確認したが、意外にも、そういうことはない。英語の /f/ の口形ができている。

 

それなのになぜ、余計な「」音が入っているように聞こえるのか。

 

そこで、よく聴いてみると、学生の発音では、同じ歌詞の中の"crying" とか "trying" の部分でも、冒頭の/k/や/t/ の音のあとに、わずかに「」のような音が入り、「ク」「ト」といった感じに聞こえる。そしてこうした部分でも、唇が丸くなっている様子はない。

 

推測するに、 /f/ /k/ /t/ のような無声音のあとで、唇を丸めないまま、口内で「」のような有声音を無意識に出しているのではないか。

 

外国語の発音では、「母語の介入」がよく問題にされる。<無意識の「ウ」>は、母語の介入が無意識のうちに続く代表例になりそうだ。

 

おそらく、この無意識の「ウ」の介入に学生自身が気づくことが、問題解決の第一歩だろう。そして、私が「英語の息」と呼んでいる、/h/ 系の無声音を出す力を強化し、口内で調音点をせき止める力も強化すれば、<無意識の「ウ」>は、次第に消滅するのではないか。そうすれば、リズムを崩す母音が減り、英語の爽やかなスピード感も強化できるだろう。

 

 

 

 

追記: あとで思ったのだが、ここで指摘した「」は、日本語がホームベースにしている「ん ng」や「」という喉元(首)を閉める音が、あいまい化した音なのかもしれない。非常に短い音で、首を十分閉める余裕がないので、「ん ng」や「」が「」のように聞こえるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
弁証法から連関の論理へ

長く「弁証法」と呼ばれてきた、存在と思考の作法がある。

 

私はそれを「連関の論理」と呼んでいる。マルクスは、弁証法に代わる「連関の論理」を資本論の価値形態論で示したのだと、私は解釈している。

 

以下は、私がかつて書いた文章だが、この中の「弁証法」は「連関の論理」と読み替え、「関係」は「連関」と読み替えることができる。

 

連関には、実体(主体)による対象(客体)への投射(物理的接触や意識による対象化)、転体をつくるための転態、そして転体による主体への反射という三つの局面があり、これら三つの局面は、それぞれ固有のルール(人間なら規範、生物なら習性、物質なら物性)にもとづいて行われる。

 

実体は、内部に属性を潜在させた矛盾体であるから、何かに投射することで、その矛盾を実現し解決する形態を作ろうとする。これが連関が起こる原因である。投射は、主体自身を客体(対象)にすることができる。ルールに十分したがわない場合は、連関が不正常になり、挫折や崩壊が起こる。

 

 

 

 

 

 

 

 

マルクスはクーゲルマン宛ての書簡のなかで、「弁証法的な方法」とは「素材を扱う方法」のことであり、これがあれば「素材のなかをのびのびと動く」ことができると述べている。(『マルクス・エンゲルス書簡選集 中』新日本出版社、2012年、75頁)

 

素材のなかをのびのびと動く!

 

それには、どうすればいいか。

 

この問題と関連のある記述が、三浦つとむの文章のなかにあった。

 

 

 

「認識内容は、認識の対象それ自体ではなく、それ[対象]から媒介された関係をさす」(三浦つとむ『言語過程説の展開』勁草書房、1983年、339頁)

 

 

 

同じ段落に、

 

 

 

「[言語の]内容とか意味とかいわれるものは、音声や文字のかたちにむすびついている関係それ自体として存在している」338頁

 

 

 

という言葉もある。

 

このように、三浦つとむは言語の内容・意味とは「関係」であると論じている。

 

「関係」というのは、上記の引用にある「媒介されたもの」という対象の把握の仕方のことである。「関係」は、「認識それ自体は内容ではなく、内容を形成する実体なのである」338頁 といった場合の「実体」と対比されるものである。

 

 

言語は、

 

<対象→認識→表現>

 

という構造を話し手が創造する。

 

ここで「対象」「認識」「表現」はそれぞれ実体であるが、実体だけを考えていると、「→」の部分が視野から抜け落ちる。

 

「→」すなわち関係を視野に入れること。

 

弁証法とは、実体とみえるものを「関係」のなかにあるものとして、しかも二つ以上のものの間の矛盾としてとらえることである。

 

自然でも社会でも人間でも、矛盾は、それが絶えず実現することによって解決される形態を創造する。

 

生殖も労働も言語も、矛盾が実現し、同時に解決される運動形態である。

 

この運動形態にある対象を、静的で固定的なものとみなして当面認識しやすくした概念が、「実体」である。

 

「実体」とみえるものを絶えず矛盾の運動形態すなわち「関係」へと解きほぐしていく認識の作法。それが弁証法である。

 

 

 

人間活動における「関係」は、「反映」すなわち模像の創造という主体的活動を含んでいる。認識を介した模像の創造=「反映」のプロセスにおいて、対象と模像のズレが絶えず生まれる。

 

次の言葉は大胆だが、おもしろい。

 

 

 

「マルクスが生涯かけて闘った相手は実体であった。…実体としての国家、実体としての自己意識、実体としての人間、実体としての貨幣、実体としての資本、実体としての共産主義、等々。」(的場昭弘ほか編著『新マルクス学事典』弘文堂、2000年、90頁)

 

 

 

それでは、マルクスは実体にかえて何を求めたかというと、それは「実体論に対する関係論の立場」であったという。(同上書、91頁)

 

弁証法的思考の要諦は、実体を、矛盾した二つ以上のものの絶えず変化する関係の構造としてとらえることにあるといえそうだ。

 

いわば、

 

 

 

実体矛盾=関係

 

 

 

のような割り算が成り立っている。

 

実体は矛盾によって解体され、関係として認識されたときに発展の相において把握されたことになる。

 

そして人間活動の場合、上記のように関係=反映のプロセスで誤謬が入る余地があるから、関係は真理と誤謬の統一となる。

 

そして、真理は誤謬を媒介として深化する。ゆえに誤謬は真理への重要なヒントにできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 哲学は終わった | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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