ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


聴衆も音楽を演奏している

コンサートの聴衆は楽器をもっていない。受け身の存在のように見える。

 

だが、ほんとうに聴衆は演奏していないのだろうか。

 

聴衆が演奏から自分の意識をつくる過程は、聴衆が主体的におこなうプロセス。それは一種の演奏といえるかもしれない。

 

演奏には、規範が存在する。

 

聴衆はスコアという演奏の規範を見ていない。しかし聴衆にとって、会場の雰囲気、椅子の座り心地、天候、時間、価格、演者、音響状態、作曲家についての知識など、意識をつくるさいに参照する規範は存在する。

 

そしてなにより、聴衆がいなければ演奏は成り立たない。

 

やはり聴衆も演奏している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
「古池や...」は禅問答だった!

岡本聡「芭蕉の死生観」(『国文学 解釈と鑑賞』2008年3月号)によると、多くの傑作を生んだ晩年十年間の芭蕉(1644-1694)の精進は、禅の境地を表現するところに眼目があった。

 

岡本論文によれば、芭蕉は1680年、36歳のとき臨済僧・佛頂(ぶっちょう)和尚(1643-1715)に出会い、初めての旅に出て、『野ざらし紀行』を著した。それ以来、50歳で死去するまで、芭蕉は佛頂和尚の弟子であった。145頁。

 

「野ざらし」とは、野外に死体が捨てられ白骨化することをいう。『野ざらし紀行』というタイトルは、彼が「本来無一物」という禅の境地に深く共感していたことを示唆している。142頁。

 

 

岡本論文に紹介された逸話がある。

 

 

ある日、佛頂和尚が芭蕉庵を訪ねて、庭を見ながら、

 

「近日何か有り」

 

と和尚が尋ねると芭蕉は、

 

「雨過ぎて青苔(せいたい)を洗ふ」

 

と答えた。

 

芭蕉の気合いを感じたのか、佛頂和尚はここで公案に転じ、

 

「青苔いまだ生ぜざる前の春雨、春雨いまだ来たらざる前の佛」

 

と質した。

 

すると芭蕉は、「池辺の蛙一躍して水底に入る音」がしたのをとらえて、

 

 

「古池や蛙飛び込む水の音」

 

 

と答えたのであった。

 

佛頂和尚は、

 

「珍重(ちんちょう)珍重」(大変結構だ)

 

と唱え、携えていた如意(先端が曲った棒)を芭蕉に授けた。

 

 

 

 

この逸話を読むかぎり、名句「古池や…」は、居士(在家の禅修行者)としての芭蕉の応答にほかならなかった。

 

 

 

 

 

 

佛頂和尚と芭蕉の子弟関係は以前から知られているし、芭蕉の晩年の旅が禅の境地と深い関係があることも広く認められている。

 

しかし、芭蕉晩年の句作が禅の実践そのものだったという突き詰めた認識は、あまり一般的ではないのではないか。

 

たとえば、復本一郎『芭蕉古池伝説』(大修館書店、1988年)は、「古池や…」の一句だけを追求した研究書で、そこには前に引用した佛頂和尚と芭蕉の問答も紹介されている。

 

しかし復本氏は、芭蕉がこの句をもって禅の境地に了悟したという見方は「純然たるフィクション」だと結論づけている。91頁

 

その根拠は、このエピソードを伝える文献が1762年以降のもので、芭蕉当時からだいぶ時間がたっていること、同様のエピソードを記した文献が何種かあり、それぞれに脚色され、統一性に乏しいことから、どれも信頼できないと考えるべきだからである。

 

しかし、前出の岡本論文は、だからといって「古池…」の禅問答起源説を「切り捨ててしまうのは実に惜しい」という。(岡本前掲論文、144頁)

 

じっさい、佛頂和尚が芭蕉に授けた如意は現存しており、そこには「桃青」(芭蕉の別名)「佛頂書」などの文字が記されている。佛頂和尚と芭蕉が禅問答をしたことは事実である。(岡本前掲論文、147頁)

 

なお、このとき、佛頂和尚への芭蕉の応答は「蛙飛び込む水の音」だけであって、「古池や」はあとで弟子たちと検討した結果、「寂しさや」「山吹や」などの候補をしりぞけて付加されたものだと述べる江戸期の文献もある。(復本前掲書、87頁)

 

そうだとすれば、「古池や…」の句は禅問答における芭蕉の即興的応答に、句作上の工夫も加えて成立したもので、いわば宗教と文芸の混合物だったことになる。

 

 

 

 

 

 

「古池や…」の本質が禅の境地であったとすれば、その境地とは、次のようなものであった。(以下、岡本論文146-147頁をヒントに私がまとめたもの)

 

 

蛙の飛び込んだ音が聞こえた。すでに蛙の姿は見えない。いまは池に波紋が残るのみである。

 

蛙は「四大」(地水火風)が仮合(かごう)した仮の姿=「空」であり、空たるものの存在は、一瞬の音によって知られる程度のものである。

 

そして空が消失した今、池の波紋が仮合以前の真実=「無」を示している。

 

 

 

以上の解釈には、いくつか注釈が必要であろう。

 

◯ この句では、蛙が池端で身構えていたり空中に飛ぶ様子ではなく、水底に見えなくなったあとをイメージすべきこと。

 

芭蕉自筆とされるこの句の自画賛がいくつか伝わっており、その多くに蛙の姿が描かれている。復本前掲書は、そのうち少なくとも二例を芭蕉の真筆と認めているようだが、今栄蔵氏によれば、蛙が描かれているものはすべて贋作である。(岡本前掲論文、146頁)

 

たとえば、井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫、1977年)に紹介された自画賛では、蛙の姿はなく、池のなかに波紋だけが描かれている。

 

じっさい、「水の音」がするのは蛙が飛び込んだ後であるから、池の波紋だけを描く境地を芭蕉の真意とすべきである。(岡本前掲論文、146頁)

 

 

◯ 上記の「空」と「無」の把握は、佛頂和尚が説いた内容と合致すること。

 

雲厳寺蔵『佛頂和尚法語』に、次の語がある。

 

「即空トハ万形悉ク即空ナリト観ジテ、万般ノ迷ヒノツキ去ルヲ云フナリ。万形トハ四大ノ仮和合ナリ、本分無相ノ道体ノ仮リニ変作スルヲ云フ。…

 

然ルニ古今愚妹ノ衆生ハ、天理自然ノ定理ニタガイ、仮相ヲ執シテ実相ナリトアヤマリ来ル、故ニ生ヲ愛シ死ヲ憎ムナリ。」(岡本前掲論文、146頁)

 

 

 

 

「古池や…」は、蛙の姿や水音のユーモラスなイメージも手伝って、口コミで世間に広がり、江戸期にすでに有名な句になっていた。(復本前掲書、65頁)

 

そして「名句」との評価が高まる反面で、「空」に縁遠い庶民の現世感覚がはたらき、「古池へその後飛びこむ沙汰もなし」など多数の戯作や自画賛の贋作が流布した。

 

芭蕉の境地は、直弟子たちでさえ十分に理解しなかった(理解しようとしなかった)形跡がある。弟子たちは、芸事としての句作が、難しい禅の修行へと変質してしまうことを、無意識のうちに危惧したのかもしれない。

 

むろん、芭蕉は僧侶ではなく誹諧師だったから、彼の表現は常に俳句として昇華していった。そして俳句へと昇華したからこそ、どんな名僧の言葉よりも「古池や…」が人口に膾炙したのであった。

 

 

 

古池に蛙が飛び込むように、晩年の芭蕉の旅は「空」たる自己が「無」へと帰るプロセスを体験するための、本気の没入でもあったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
すぐれた歴史叙述は、具体的事実を一般理論で解析する

いまは下火になった感じもするが、あるべき歴史観については、これまでいろいろと細かい議論があった。

 

たしかに、あるべき歴史観を論じるのは、むずかしい。だが、どういう歴史叙述が望ましいかというと、ポイントは明確ではないかという気もする。

 

たとえば、次の文が述べていることは、どうだろう。

 

 

 

「マルクスの個別歴史的論究の見事さは、豊富な資料の集積と検討を前提として、事実的レベルで再構成された実相を、何よりも一般的な歴史的論理に即して把握しているところにある。」(滝村隆一『アジア的国家と革命』三一書房、1978年、69頁。太字は引用者)

 

 

 

この文は、マルクスが書いた「革命のスペイン」(マルクスエンゲルス全集第10巻所収)と題する歴史分析の内容を、滝村氏(政治理論)が紹介した文章のなかに出てくる。

 

この文によれば、歴史叙述がすべきことは、マルクスが実例を見せてくれたように、よく調べた個別具体的な事実を、一般理論的概念で把握して再構成することである。

 

考えてみれば、これは当然のことを言っているのだが、これができる人は滅多にいないことも事実である。

 

政治理論の専門家は、具体的な歴史事実を自分で調べる訓練に欠ける。逆に、歴史家の書いたものは事実の整理に終始し、使う概念も固有名詞的なものが多く、いきおい、世界史的な視野に欠ける。

 

だから政治理論の専門家は、歴史家が書いた本や論文によって世界史上の事実を広く知り、そのうえに一般理論を構築する必要がある。逆に歴史家は、信頼できる世界史の一般理論を真剣に求める必要がある。

 

もちろん、具体的な事実を整理することも、一般理論を構築することも、どちらも大仕事で、実行は簡単ではない。

 

だが、歴史をあつかう者がやるべきことは、はっきりしているのだ。

 

理論家でも歴史家でもよい。誰であれ、よく調べた個別具体的な事実を一般理論の概念で把握し、生き生きと再構成したならば、それこそが望ましい歴史叙述なのだ。

 

ならば断然、それを実行すべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
永遠のプロセスに入れ 薬師寺再建の真実

客観的な結果は目に見える。だが、目に見える結果は一時的なものだ。

 

本質は、目に見えないプロセス。目に見えないから永遠へとつながることができる。

 

奈良薬師寺が金堂を再建しようとしたとき、大手企業から巨額寄付の申し出があったが、管主・高田好胤さんはこれを断った。庶民に写経を呼びかけ、それを薬師寺に永久保存しながら資金を集める道を選んだのだ。時間はかかったが、10億円の費用は無事に集まった。

 

庶民に写経を呼びかけるという地道なプロセスに意味がある。あえて遠い道を選ぶほうがいい。高田好胤さんは、そう確信していたという。

 

永遠の解決に入っていること。それが解決である。

 

完成への永遠のプロセスのなかにいること。それが完成なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
歴史とは、社会の価値・意志・意味の認識である

歴史認識の対象は、過去の「社会」だとしても、よりしぼっていえば、過去の社会のなにを認識の対象にしているか。

 

それは、その社会の価値・意志・意味なのではないか。

 

考古学だと、発掘して得られる物質的なものを直接の対象にしながら、消費や破壊によって消失した物質的なものや、その社会の組織や観念も復元することで、われわれは現代にとっての<価値・意志・意味>を探ろうとする。

 

文献史学だと、当時やその後の行政文書、日記、絵図などの史料も活用される。

 

<価値・意志・意味>は、<物質的、組織的、観念的>という社会の三つの側面が発揮する、当時および現在の人間にたいする反射である。それは<もの、ひと、こころ>の、当時のあり方であり、現代における認識上の復元である。

 

そして歴史認識の対象は、けっきょくある社会の<価値・意志・意味>だということにならないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
社会観の基本は物質的・非物質的条件と生活がどう作られているか

「史的唯物論の定式」(マルクス『経済学批判』序説と『ブリュメール18日』にまとまった記述がある)は、見事な記述なのだが、その理解はなかなかむずかしい。

 

このごろ私は、「定式」の概念を、こう編成しなおせばいいのではないかと思う。

 

すなわち、「定式」にいう「意識諸形態」とは、個々人の生活( 『ドイツ・イデオロギー』にいうLeben)のことであり、「土台」とは、個々人の生活の物質的な社会条件のことであり、「上部構造」とは、個々人の生活の非物質的な社会条件のことである、と。

 

物質的・非物質的の二大条件と、そのうえに営まれる生活。これが社会である。

 

そして社会について考えるとき忘れがちなのは、二大条件と生活がどう作られているか(創造)ということと、二大条件と生活が、社会においてどう働いているか(機能)ということは、局面が異なるということである。

 

二大条件と生活がどう作られているかという局面は、個々人からは直接見えにくい。

 

反省してみると、私が注目してきた学説は、作る局面を正面から問題にしたものである。

 

 

個々人の生活の物質的条件を作る局面を問題にしたのが、マルクスの経済学。

 

個々人の生活の非物質的条件の代表は政治・法律だが、そのうち国家という全社会的な非物質的枠組みを作る局面を問題にした、滝村隆一のような政治学。

 

個々人の生活は言語を通して行われるが、個々人が「対象を認識して表現する」プロセス、つまり言語を作る局面を問題にした、三浦つとむのような言語学。

 

 

「働く」局面を現象とすれば、「作る」局面は本質にあたる。二つの局面が相互に浸透しあって、社会が運行している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
土台=物質的条件と上部構造=非物質的条件のうえに、人間は意識諸形態=生活をつくる マルクス「ブリュメール18日」より

マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」に、土台と上部構造の関係についての記述がある。いわゆる「史的唯物論の公式」(経済学批判序説)とあわせて、参考にすべき部分である。

 

 

 

「正統王朝派とオルレアン派... これら二分派を分けていたのは、いわゆる原理ではなく、両者の物質的な生存条件、つまり二つの異なる所有様式だった。古くからの都市と田舎の対立、資本と土地所有との対抗関係だったのである。

 

同時にまた、古い思い出、個人的な反目、不安や期待、偏見や思い違い、共感や反感、信念や信条や原理などが、彼らをどちらかの王家に結びつけたことも否定できまい。

 

所有の、社会的生存条件の、さまざまな形態の上に、さまざまな、独特に形成された感情や、思い違いや、考え方や、人生観から成る一大上部構造がそびえている。

 

一階級全体が、これら [上部構造の構成要素] を、自らの物質的な基盤と、この基盤に対応する社会的境遇からつくりだし、形成するのだ。

 

これら [上部構造の構成要素] は伝統や教育を通じて個々人に流れこんでいくので、個々人は、これら [上部構造の構成要素] が自分の行動を決める本当の動機であり、その起点であると思い込むのである。...

 

私生活では、ある人が自分のことをどう考えどう言うかと、その人が実際どのような人で何をするのかが区別されるのだから、歴史的な闘争ではなおさらのこと、政党のうたい文句や思い込みを、それの実際の体質や実際の利害と区別し、それのイメージを、実態と区別しなくてはならない。...

 

イギリスのトーリー党が長いこと、王制や、教会や、古いイギリスの制度の美点に心酔していると思いこんでいたところ、いざ危なくなると、自分たちが心酔していたのは地代にすぎなかったことを白状せざるをえなかったのと同じである。」

 

 

(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」、筑摩書房マルクスコレクションIII、38-39頁。太字は引用者)

 

 

 

 

ここでマルクスは、個々人の感情、意識を「上部構造」と呼んでいる。だが私はむしろ、経済学批判序説の用法にならって、政治的法律的に規定された全社会的な編成の具体的形態(国家や憲法など)のほうを「上部構造」と呼ぶことにしたい。個々人の感情、意識の表れは、上部構造というより「意識諸形態」ということになる。

 

すると、上記のマルクスの文が述べているのは、土台は人間の物質的生存条件であり、上部構造は人間の非物質的行動条件であって、個々人はこの二大条件のなかで生活 Leben する、つまり意識諸形態をつくるということである。

 

社会全体がもつ既存の物質的条件(土台)と非物質的条件(上部構造)を、個人や組織が無視したり修正することは、簡単にはできない。むしろ、土台と上部構造は、意識諸形態が展開するための二大条件となる。

 

社会の物質的条件と非物質的条件に規定されながら、当の物質的条件と非物質的条件の全体を変革しようとする活動、つまり社会が社会自身の条件を改変しようとする特殊な意識諸形態(政治家・政党の言動、マスコミの社説、民衆の暴動、デモなど)は、「政治」と呼ばれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

      湯島聖堂  東京

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 05:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
大西洋奴隷貿易 帝国主義の時代を招いた搾取の歴史

大規模な奴隷制に支えられた資本主義の歴史と、その影響が現在までつづいていることを、種々の画像と専門家のコメントで解説したビデオがある。

 

https://www.aljazeera.com/programmes/specialseries/

 

 

われわれの歴史観に深い影響を与える内容になっている。要点をメモしておきたい。

 

 

...

 

 

大西洋奴隷貿易は、それまでの歴史のなかで最大の利益を西洋にもたらした[弘文堂『歴史学事典 644頁によると、大西洋奴隷貿易で運ばれた総数は、1100万人ともいわれる]。

 

19世紀には、毎年10万人の奴隷が大西洋を渡った。

 

19世紀のリオデジャネイロは黒人奴隷輸入港として知られていた。当時の南米・中米は、まるで黒人の国のようだった。奴隷貿易廃止から130年経ったいまでも、ブラジルの黒人は最下層民とされている。

 

当時、中米・南米では、あまりに黒人奴隷が多かったため、白人たちは、彼らが反乱を起こすのではないかと恐れていた。

 

じっさい、フランス革命の影響をうけ、1791年にはじまり12年つづいたハイチ独立革命(ハイチ人口の90%が、外から運ばれてきた奴隷)は、白人を震撼させた。

 

そこで、より近代化された流れ作業による労働方式=いっそう「合理的」な搾取方式が、キューバの砂糖、ブラジルのコーヒー、北アメリカの綿花労働に適用されていった。ハイチの革命は、いっそう過酷な奴隷労働を南北アメリカに拡散するという意味ももったことになる。

 

こうして、南北アメリカにおける砂糖、コーヒー、綿のための奴隷労働が、ヨーロッパの近代化の背景に設定された。

 

ブラジルの森林は伐採され、奴隷労働のためのコーヒー園へと変わり、自然破壊が進行した。奴隷1000人を抱える農園もあった。

 

1800年代のイギリスは、綿などの原料が安く大量に手に入ればそれでよく、それが奴隷労働による必要があるとは考えなかった。だからイギリスはヨーロッパの奴隷貿易の禁止を唱え、みずからを人道的と思っていた。

 

19世紀の前半、実際には、それまで以上の規模で南北アメリカにアフリカ人奴隷が運ばれた。奴隷の出身地は、アフリカの西海岸だけでなく、中部のルワンダ、東部のザンジバルなどに及んだ。ザンジバルでは、現地のイスラム王が東アフリカの奴隷貿易を促進した。

 

アメリカ合衆国では、ミシシッピ川沿いに綿花プランテーションが発達。北部から供給された100万人の黒人奴隷が南部へと買われていった。こうして、アメリカ合衆国はブラジルにつづいて奴隷大国となった。

 

アメリカ合衆国の綿花農園主は、出身地のちがう十代から二十代の男女半々を奴隷として購入し、奴隷を農園で「繁殖 breed 」させた。19世紀後半、奴隷制廃止宣言のころのアメリカの奴隷人口は、400万人。

 

トーマス・ジェファーソンが奴隷輸入の廃止を唱えたひとつの理由は、輸入を廃止すると奴隷の値段が上がり、彼のもっている奴隷が高く売れるからだった。

 

アメリカ合衆国南部では、白人奴隷主による黒人女性に対する強姦が珍しくなかったが、奴隷にはそもそも正当防衛の権利が認めれられていなかった。

 

19世紀後半、大西洋奴隷貿易が国際的に禁止されると、西洋の資本家は争ってアフリカ各地の植民地に進出し、現地の商人と結んで綿花などのプランテーションを開発した。そこでは、アフリカの現地人が、南北アメリカでの奴隷労働に酷似した強制労働にかりだされた。海を渡る奴隷は禁止されたものの、奴隷貿易で得たノウハウは、その後もアフリカ大陸で「活用」されたのである。

 

大西洋奴隷貿易は廃止されたが、奴隷労働は場所と形式を変えて生き残った。

 

じっさい、下の地図にあるように、アフリカの各地が西欧諸国によって急速に植民地化されたのは、大西洋奴隷貿易が廃止されたあとの19世紀後半のことであった。

 

 

 

 

 

1900年ごろを目処に、世界は列強が植民地支配をめぐって対決しあう帝国主義の時代に入るが、その背景には、大西洋奴隷貿易の廃止もあって、19世紀後半に世界の諸地域を列強が植民地として分割しあった事実があったことがわかる。

 

 

 

...

 

 

 

戦争や売買による奴隷は、どの時代にも(現代にも!)存在するが、大西洋奴隷貿易は、歴史上もっとも大規模なものだった。

 

その傷跡は差別と格差となって各地に執拗に残り、人類の負の遺産となっている。

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ループ状交流路がもつ歴史的パワーについて

東海地方では、「東海環状自動車道」という巨大インフラの建設が進行している。東半分はほぼできており、現在は西半分の工事が進んでいる(全長160キロ)。

 

東名・名神・中央、東海北陸、東名阪、新名神と結合するので、東海環状自動車道が完成すれば、名古屋圏は何本もの高速道路網が横断し、かつループ状に囲まれることになる。

 

行政発表の資料によると、こうした高速道の整備は、

 

 

・主要都市間の移動所要時間の短縮→出荷、観光、通勤の便の向上

 

・インターチェンジをもつことによる、自治体知名度の向上→集客・人口誘引力の向上

 

・工場生産物・農産物の出荷効率の向上

 

・緊急医療、災害時の援助ルートの確保

 

 

といった効果がある。全体として、高速道は「持続的なまちづくり」に貢献するという。

 

上記は道路がもつ一般的な効果だが、高速道がループ状につがなることによる特殊な効果として、

 

 

・郊外から都心部への進入・都心部からの離脱のルートが分散されるため、交通集中が緩和される

 

・通過する車両が都心部に入らないので、交通集中が緩和される

 

・災害や事故による一部区間の不通のさい、迂回路が確保できる

 

 

といったものがあるという。

 

 

...

 

 

古い話になるが、日本列島の歴史のなかで近畿地方が中心地になった背景のひとつに、大阪・京都・奈良の平地がループ状につながるという自然条件があったのではないかと、私は思っている。

 

この地域には大和川・木津川・淀川などによる輸送の便があり、西には大阪湾、東には琵琶湖があって、外部との水運のつながりも確保できる。

 

このように、ぐるりとループをなす流通ルートがあると、左右どちら周りでも移動できるため流通量が増える、三角貿易的な売り買いを重ねながら効率的に利益を得て帰還できる、といった効果が期待できる。それだけに、一帯を政治的に統一しようとする動機も強まったであろう。

 

古代の都が、どれも近畿地方で建設されたのは、地域内外の多様な物産や人間が、ループに沿って円滑に交流できたからかもしれない。

 

古代の地中海文明や、大西洋の奴隷貿易も、海の交通により、多角的なループ状の結合が可能だったことが、有利な条件になったのではないだろうか。

 

...

 

 

上記の東海環状自動車道の例では、中心に名古屋という人口集中地があり、そこへの交通集中を緩和することが、ループ状道路建設の大きな目的に入っている。そこは古代とのちがいになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
事実は信じることで真実になる

 嵬斉3時から会議だ」

 

という観念と、

 

◆岷生したら極楽浄土に生まれる」

 

という観念とは、どこがちがうか。

 

,聾充太こΔ膿慎兇解決するが、△牢冉粟こΔ膿深造反じることができるだけで、現実世界で真偽が解決できない。

 

ならば、

 

「ねがはくば 花のもとにて 春死なむ その如月の望月のころ」(西行)

 

という観念と、△痢岷生したら極楽浄土に生まれる」という観念とは、どこがちがうか。

 

「春死なむ」とか「その如月の望月のころ」は、現実世界にありうることについての観念だが、△六犖紊里海箸砲弔い討隆冉阿任△襪箸海蹐ちがう。

 

だが、´↓のどれも、現実に存在した人間が、観念のなかを写して送った文字群(写メ)であることは共通している。

 

極楽浄土は、現実に存在した人間による、空想・瞑想のなかでの写メで、そういう空想・瞑想をした人間がいた事実は否定できない。

 

してみれば、観念の真実性は、それをどれほど強く信じた人だったかという、実在の人間のあり方に基礎がある。

 

事実が真実になるには、信じた度合いが関連している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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