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"Summer Snow"


自己は年齢とともに社会的・平均的に成長する観念上の能力

マルクスは、労働と労働力について、次のように述べる。

 

 

 

 

「人間の労働は、ふつうの人間なら誰でも特別の発達を経ることなく自分の肉体的な有機労働のなかに平均的にもっている単純な労働力の支出である。」(『資本論』筑摩書房マルクスコレクション版、69頁。太字は引用者)

 

 

 

 

労働力と同じく、人間の自己には、社会の誰もが「平均的にもっている単純な」レベルがある。その「平均」は、年齢に応じて増大する

 

われわれの身体は、「自己」という社会的・平均的な観念的労働力をもつ。自己を発揮することによって、われわれは体内に抱いた対象の認識を、規範としての概念によって表現した表現体、すなわち言語を作る。それは労働者が労働力を発揮することによって商品を作るプロセスと同じ構造である。

 

個々の生産物は、誰がつくったかによって個別性をもちうる。ひとつの概念も、誰がつかうかによって個別性がある。だが、社会全体でみれば、ひとつの商品の生産に必要な平均的労働力があるのと同様、ひとつの概念の表現に必要な、社会的平均的な観念的労働力がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
資本主義は他人の労働力の支配、言語は自己の駆使

言語をはじめとする「心」のはたらきの仕組みを考えるとき、なかなかつかめないのが、自分(観念/身体)から分離する自己の存在である。

 

自分から別れ出てはたらく自己は、労働者が発揮する労働力にあたる。

 

資本主義は、丸ごと人間を囲い込むという非効率な奴隷方式ではなく、労働者のもつ労働力を賃金で買い、資本家はこの買い取った労働力だけを駆使する。そこでは、資本家がいるから労働者がおり、労働者がいるから資本家がいる。だが、互いに「自由」である。

 

ところが人間は、資本主義のはるか以前から、自分の体内ではたらく「労働力」すなわち自己を分離し、これを駆使することで言語を生産してきた。自分があるから自己があり、自己があるから自分がある。だが、自分と自己はお互いに「自由」である。

 

言語が用いてきた、この自己駆使=労働力雇用型の生産方式は、全社会的規模で可能である! 資本主義は、そのことの、近代の発見である。

 

資本という観念の運動は、人間社会の現実を照らしだす。いや、そこでは、資本という観念こそが現実そのものであるかのようである。

 

既存の言語学や人文・社会系の学問は、自己という社会的能力の存在と成長、そして自己がつくる観念世界の現実超越性・現実照出性に十分気づいていない。

 

それは資本という観念こそ現実であるかのように感じられる現代社会に対応した、ある意味で当然の帰結である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語は首飾りである

自己による言語労働(認識・表現)の結果、われわれは<現実世界の自分>と、<自己による観念世界>というふたつの世界をもつことになる。

 

認識は、自分がいる現実世界での私的な出来事だが、概念を用いた言語表現は、社会的に共有される観念世界をつくる。

 

<現実世界の自分>が生身の身体だとすれば、<自己による観念世界>は、首にかけた首飾りである。

 

音声・文字の連なりによる表現体すなわち言語は、多種多数の貨幣(一般的等価物)を集めて作った首飾りである。

 

聞き手・読み手は、話し手の首にかかった貨幣の種類とそのつなぎ方、すなわち首飾りがかなでる音、見せている形を観察して、その意味の伝達を受ける。

 

他者や自分が首にかけた飾りを見て、われわれは他者や自分の身なりをチェックする。

 

それと同じように、言語が作る観念世界を鏡にして、われわれは自分がいる現実世界を知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
個人も<土台・意識諸形態・上部構造>でトランスする

社会だけでなく個人にも、<土台・上部構造・意識諸形態>というべきものがある。

 

<肉体と精神>という言葉もあるから、土台(肉体)と意識諸形態(精神)が最初にペアになりそうだが、そうではない。

 

個人の土台(肉体)がみずからの矛盾(肉体ではないもの)として抱えるのは、上部構造(社会的立場。年齢、性別、国籍、職業、人間関係、現在の位置、その場での役割など)である。

 

<肉体/社会的立場>

 

これが個人という矛盾体(身体)のあり方である。

 

個人の肉体は、社会的立場という属性を止揚(役割を果たす、役割を否定する、役割から逃げる...)しようとして、あらゆるもの(みずからの身体を含む)に連関(トランス)する。その結果、対象を変換させたり、みずからを転体させる。

 

この連関のさい、概念などを規範(図の中心部分)として心に取り入れた対象を表現したもの(たとえば日々の発言や行動)が、意識諸形態である。

 

生きているということは、このトランス(自己超越)を絶えずおこなうということである。

 

 

 

 

 

                 <個人のトランス>

 

 

 

 

     意識諸形態(表現体、人間)←||||||||||||||| ←  心にとりいれた対象

 

 

             ↘      価値・意味・意志             ↗

                法律、道徳、概念、労働規範

               ↗           ↘

                  

                 ↘        ↗

 

                個人(社会的立場/肉体)

 

 

 

 

 

心にとりいれる対象や規範を変更すると、意識諸形態(言動)が変化する。「朱に交われば赤くなる」と「三つ子の魂百までも」は矛盾しているが、両方とも真実である。

 

上の図の → をおこなう力を、自己と呼ぶ。適切な社会的立場をとり、すぐれた規範を育て、心にとりいれる対象を適切に選び、意識諸形態を洗練させて自己を鍛えれば、個人は正常に成長する。

 

ところで、上の図は、いわゆる心身問題(肉体がどうして精神をもてるか、精神はいかにして肉体を動かしているか)への解答になっている。肉体は、 → で示された自己の運動とともに存在する。これが肉体と精神の関係である。デカルト以来、心身問題が難問に思えた原因は、この図のようなトランス(連関、超越)の構造に気づかなかったからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
穢土荘厳 観念世界から現実世界を見るコツ

人間はまず観念の世界をつくり、そこから現実の世界を見ている。

 

実際には、現実の世界にいる自分が観念の世界をつくりあげているのだが、観念は物質的制約から自由だから、いったん観念の世界をもてるようになった者は、まず観念の世界をつくってから、現実の世界に対処しようとする。

 

たとえば、旅に出ようという観念をもてば、人は現実にそのための準備をしようとする。すると、現実の世界が、旅の準備のためにあるように見えてくる。

 

神仏は、現実の世界を丸ごと観念の世界からみるための、人間の発明である。

 

この世もあの世も、神仏からのプレゼントだと思えば、現実がうれしく思えてくる。

 

「穢土荘厳(えどしょうごん)」という言葉があるが、神仏はそのためにある。

 

学問は、神仏に頼らずに日常意識を超える訓練であり、いわば神仏のない宗教である。

 

宗教も学問も、観念世界から現実世界を見るためのコツである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
仕組みがわからないと練習できないものもある

仕組みが分かっていなくても、使えるものはたくさんある。

 

車の運転も、自転車も。コマ回しも。歩行でさえ、われわれはその仕組みがわからないまま、そうしている。母語もそうである。人体も、自然も、人生もそうだ。

 

 

 

だが、仕組みが分からなければ使う練習もできず、けっきょく使えないものもある。

 

外国語は、<仕組みが分からなければ使う練習もできない>ものに入る。

 

仕組みが分からなくても、使う練習をするだけでひとつの言語が覚えられるのは、10歳前後までだろうと言われている。そのあとは、仕組みが分からないと使う練習もできなくなっていく。

 

10歳くらいから自意識が高まり、母語による思考の概念化つまり言語がしっかり体系化されてくる。だから大人は、別の概念体系である外国語に対しても、仕組みを理解して概念的に対応しようとする。

 

外国語は、仕組みが分からなければ使う練習さえできない。大人は、そう思ったほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2025年の世界が見てみたい

ラジオで聞いた話だが、2025年、いまから7年くらいあとには、 IT やエネルギーや自動車が新しい段階に入りそうだという。

 

 

IT は、さらに大容量化・超高速化する。今のわれわれには信じられないような機能が普及する。

 

エネルギー面では、電気の輸送方式が交流から直流に変わる。電池の小型軽量化・大容量化もすすむ。

 

自動車は、内燃機関方式が消滅する。電気や水素のような燃料がとってかわる。自動車の完全自動運転が本格化し、ハンドルもブレーキもない車が町を走り、自家用車は必要なくなる。

 

 

 

IT革命の本格的なはじまりは1995年。今から20年ほど前であった。そのころに、今の状態を予想できた人はほとんどいなかっただろう。

 

変化は加速している。

 

2025年には、私は70歳になる。それまで生きていれば、新しい世界を目撃できるのだ。

 

そのころには、技術だけでなく、戦争や腐敗に対する人間の知恵も、大幅に進化しているのだろうか。そちらは AI の出番になるのだろうか。

 

 

 

もうしばらく生きてみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
現在完了は、終了 be ~en と未了 be ~ing を止揚した保持 have -en の概念

何年か前、名古屋で中学校の英語教師の勉強会を傍聴したときのこと。

 

指導者の一人の白髪の老人が、すっくと立ち上がって、こういう発言をした。

 

 

「私は、英語を話すとき、現在完了を使ったことがありません。私には現在完了というものがよくわからない。わからないものは使わない。それが誠実な態度だと思うからです」

 

 

この人は、記号論の本を出したことのある元大学教員で、その人が、「現在完了がわからない」と宣言したことが印象に残った。

 

 

...

 

 

たしかに、現在完了は英語のなかでも理解のむずかしいもののひとつといえる。なんとなく使えなくもないが、それがどういう概念であるか、きちんと説明するのは案外とむずかしい。

 

文法を考えるときは、関連する概念と対比していくのが有効である。現在完了 have -en と対比すべき表現とはなにか。

 

それは、 be ~ing と、be ~en である。ここでは、~ing を「未了」、~en を「終了」と呼ぶことにすると、現在完了とは、

 

 

<終了した動き ~en を、今も保持 have している>

 

 

という概念である。

 

 

つまり現在完了とは、<現在における過去の保持>、つまり<終了したが未了>という矛盾した概念である。

 

 

 

...

 

 

 

保持 have -en は、終了したものが未了である(今も have している)という矛盾が心の世界では実現することを、敏感にとらえた概念である。

 

「矛盾の実現」というとむずかしそうだが、これは誰でも理解できる心の働きである。

 

 

 

失恋したのはしばらく前だが(終了)、心の傷は今も残っている(未了)。

 

これまでパリに三回行き(終了)、その記憶がある(未了)。

 

彼はさっき部屋に入ってきたが(終了)、その余韻は今も感じられる(未了)。

 

 

 

<終了した動き -en を、今も心に保持 have している>

 

 

 

この矛盾した概念を理解し、場面に応じて使う練習をすれば、現在完了は大丈夫、使えるようになる。

 

なお、ここでいう「終了」は、現実に起こったことである必要はない。言語は直接には心(観念)の表現であるから、心のなかの空想でも、現在完了の表現は成立する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
漢字ーかなー発音 つづりー発音記号ー発音

英語をやるなら、発音記号が必要になる理由。

 

図式にすると、こういうことである。

 

 

日本語の漢字 → かな → 発音

 

英語のつづり → 発音記号 → 発音

 

 

日本語の場合、漢字を読むための文字として、普段用いている「かな」がつかえる。

 

ところが英語には、読みにくいつづりを読むための文字がない。そこで、発音記号をつくったのである。

 

発音記号を覚えないで英語のつづりを読もうとするのは、かなを知らないで漢字を読もうとするようなものである。

 

「英語のアルファベットは表音文字だから、つづりをみれば読めるはずだ」と思うのは、一種の誤解である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語のつづりはほんとうの「表音文字」ではない

英語をつづるアルファベット。これは「表音文字」だという説明がよくある。

 

だが、これは誤解を招きやすい言い方である。

 

ドイツ語やスペイン語、フランス語のように、つづりで発音がほぼわかる言語もあるが、英語は、つづりで正確な発音がわからないことがよくある。英語のアクセントも、つづりだけではわからないことが多いので、単語ごとにひとつひとつ覚える心構えが必要である。

 

英語のつづりは、日本語でいえば、ひらかなというより、むしろ漢字に似ている。漢字は、へんやつくりから読めることも多いが、それだけでは読みにくいものもある。見ただけでは読み方がわかりにくいという点で、英語のつづりと日本語の漢字は共通している。

 

ところが、英語のつづりと日本語の漢字には、重要な違いがある。

 

漢字の読みをメモするとき活躍するのが、かなやカナで、これは普通のひらかなやカタカナと同じ文字で間に合う。

 

ところが英語では、つづりの読み方をメモするのにアルファベットを使うわけにはいかない。それをローマ字読みしたのでは日本語の発音になってしまうし、ローマ字読みしないでつづりが読めるのなら、最初から読み方をメモする必要がない。

 

だから、英語のつづりから読み方を知るには、アルファベットとは別に、発音記号が必要になるのである。

 

発音記号を学ぶ以外に、英語の発音を文字で正確に知る方法はない。

 

発音記号が読めるということが、われわれ非ネイティブが英語の正確な発音を知るということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ トランス・ボイス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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