ごきげんようチャンネル


征服者は当然やるべき加害行為を決然と、一気にやってしまわなければならない。あとは少しずつ恩恵をほどこして人心をつかむことだ.

                  マキアヴェリ『君主論』



"Raise the Bar! " 高いバーこそ能力を引き出すという原理について
アメリカのニュースサイトの動画広告に、

”アメリカの教育レベルが落ちている。ある国際テストによれば世界で17位だ。なんとかしなければ!”

と訴えているものがある(画面では、一位はフィンランド。日本は二位となっていた)。

たぶん中学か高校の数学・科学のテスト結果なのだろう。

そこに出てきた表現が印象的だった。

"Let's raise the bar,  and elevate our academic standards. "

raise the bar というのは高飛びのバーを上げることからきた表現で、set a higher standard (基準レベルを高くする)のこと。

全体のレベルを上げるためには、ふた通りの発想がある。

① 課題をより容易化することで成績不振の低層部分を引き上げる。

② 目標をより高度化することでやる気を鼓舞し、全体のレベルを上げる。

多くの人が習得に困難を感じて進歩しない場合、習得の内容や方法が学習者の興味に合致しないとか難解すぎることが多い。この側面に対処するには①の容易化を実行する必要がある。

逆に、全体のレベルが上がらないのは目標が低すぎたり不明確であることも原因になる。この場合は②の高度化をはかる必要がある。

近年は①の容易化がおもに進行し、②の高度化が忘れられる傾向がある。"Let's raise the bar." というキャンペーンは、こうした傾向を批判し、レベルを上げる必要を訴えているわけだ。

おそらく多くの場合、①と②を併用するのが正解であって、両者が互いに影響しあったとき、最良の結果が得られるのであろう。

以前に小学校の先生方と話したとき、

「小学生も5、6年生になると、『簡単だからやってみよう』ではなく、『これは難しいけれどチャレンジしよう!』と言わないと生徒は乗ってこない。」

と言っていたのが印象に残った。

「簡単だからやってみよう」というのは、人間の心理の一面にすぎない。「難しいからこそやってみたい」という心理も大切なのである。

何かをなしとげようとするときは、誰もが出来るように工夫しつつ(私のいう「下げて平等」)、他方で We'll raise the bar! と公然と宣言する必要がある。








(おわり)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 教育をどうする? | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
夏王朝は実在した! 考古学的思考の実例について おわり
中国の夏王朝も遺跡や遺物が濃厚に祭祀的であることを考えると、文明発生の経路はアンデス文明に似ていたのかもしれない。

強力な神が発見され、その宗教的な興奮によって急速に神殿が建設される。それによって都市が形成され、経済活動が活発になる。

そして祭祀を司る者が王となる。

夏王朝がこのようにして生まれたと考えれば、それまで質素だった土地が「突如として文明段階に到達した」(飯島前掲書、383頁)理由もみえてくる。

現代でも、ガン封じとか恋愛成就とか特別のご利益があるとなれば、田舎の小さな寺社でも人は集まってくる。これに似た原理で古代文明は発祥した。

そして、この文明を維持するには、なにかと工夫が必要だっただろう。

ひとつは、新鮮な宗教的興奮を喚起するために、新たな神殿を建設したり新しい祭事や器具を開発し、神のご加護と王の恩恵を更新しなければならない。

外からの襲撃に備え、他を制圧するために武力も必要であっただろう。

また、人口増に応じて、食料や水を確保する仕組みも必要である。

やがてこうした営みが住民の民力を越えてしまったり、外部の新しい勢力に圧倒されたとき、民心が離れる。

民心が離れると神殿都市は維持できず、文明は崩壊する。

そういえば、現代の「国民国家」は一種の神殿都市文明である。

現代の国家は政教分離によって宗教的外被がはぎとられているが、国家が提供する理念や実利が住民の価値の源泉となり、政府が富と力のセンターとなっている。

その国民国家も年月を重ねるなかで多くの失政を露呈し経営が破綻して、「お国のために」が価値として通用しにくくなっている。

古代以来、約5000年つづいた神殿都市型の文明がいよいよ寿命をむかえたのだ。

それに代わるものは何か。このまま人類は消滅するのか。

現代の混迷とは、つまりはその解答を見つけようとする努力のことなのだ。








(おわり)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 歴史とは何か | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
夏王朝は実在した! 考古学的思考の実例について その5
考えてみれば、人を集めて事業をしようとしたとき、現代でも二通りの順序が考えられる。

A まず資金を集めてから事業をおこなう。

B まずお祭り(「装置」45頁)を設定して人を集め、金の動きを作って、そこから事業を拡大する。

Bの発想はやや意表をついているが、アンデス文明はまさしくこのルートをとったわけである。

たとえAのルートをとるにしても、Bの「お祭り」的な興奮の要素がゼロでは事業に勢いがつかない。現代のブランドしかり、政党活動しかり。

富を集めるより、まずは人を集める。

その役割を果たしたのは、アンデスでは神殿の建設(ナスカでは地上絵の作成 45頁)であった。

宗教やお祭りが引き起こした人々の興奮と交流が文明を生んだのである。








(つづく)









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夏王朝は実在した! 考古学的思考の実例について その4
アステカの「国宝級」の神殿を発掘し、それにもとづいて文明の発生に関する仮説をうちだした日本の調査団の報告がある。(以下、大貫良夫ほか『古代アンデス 神殿から始まる文明』朝日新聞出版局、2010年2月による)

ふつう、旧大陸における文明発生の経路は、

<経済余剰の発生→富の偏在→権力の発生→神殿の建設=都市の形成≒文明の発生>

のようにイメージされている。

ところが新大陸のアステカではこれとは順序がちがい、

神殿の建設→人の共同作業・交易の発生→都市の形成≒文明の発生>

という経路をたどった(紀元前3000年~紀元前後)。4、25、54、78頁。

豊かになったから都市や国家が生まれたのではなく、まず神殿を建設しようという話がもちあがり、それを実現するために物資、情報、技術の集積や祭祀・巡礼・儀礼用品の生産が必要になって人と物のネットワークが急速にできあがる。その結果、都市文明が生まれる。

いわば「門前町」型の文明形成である。

このような歴史の論理を、「はじめに神殿ありき」(泉靖一。78、95頁)=「神殿があって社会が動く」96頁と本書は表現している。








(つづく)











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夏王朝は実在した! 考古学的思考の実例について その3
著者は、夏は周辺文化の「著しい流入」によって「突如として文明段階に到達」したものであり、それが周辺地域へと「逆流」したのであろうと述べている。383頁

「周辺各文化からの各種技術[青銅器鋳造技術・玉器製作技術・土木技術など]の中原への流入と伝播が起こり、諸文化の伝統や技術が融合することによって、比較的後進的であった河南龍山文化王湾類型が突如として文明段階に到達し、中原の統一的な文明としての二里頭文化二里頭類型へ成長したと推定される。」(383頁より要約。ゴチックは三浦)

こうして「突如として」成立した新文明は「すぐに文明の逆流を開始し、周辺文化への新たな文明[土器の禮楽器や青銅の牌飾など]を伝播したと推定される。」383頁

このような夏の文化は、つづく殷の土器・青銅器文化にも伝播した。383頁

華北最初の文明である夏は、「突如として」発生したのである。

その生成のメカニズムはどうなっているのか。

ここで私が思い出すのは、アンデス文明の場合である。








(つづく)











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夏王朝は実在した! 考古学的思考の実例について その2
夏王朝の遺跡が発見されたと著者が断定する「有力な手がかり」387頁は、夏の次の殷代の遺跡との比較であった。

殷王朝については遺跡から甲骨文が出土しており、そこに文献と一致する地名や「商」(殷をさす)の文字もあることから、実在が「絶対的に証明されている。」387頁

そして殷の遺跡からは、青銅器文化たる殷王朝に先立って土器文化が存在したことがわかっている。

著者が夏王朝の考古学的実在を断定した大きな理由は、夏王朝ではないかと思われる遺跡からも殷王朝と同じく<土器文化の先行→青銅器文化の成立>という流れが確認できるからである。387頁

確実な事例(殷の場合)に似たパターンが確認できたことによって、著者は遺跡が夏王朝のものであると確信するに至った。

ほかの理由として著者があげているのは、二里頭文化が新石器時代と殷文化をつなぐ「空白の青銅器文化」であって時代が夏王朝と一致すること、二里頭文化の遺跡は都市に相当すると認められること、二里頭文化の遺跡の分布が文献・伝承にみえる地名と重なることである。386頁

司馬遷が中国最古の王朝と記した「夏」の実在は、物的証拠によって確認されたことになる。








(つづく)











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夏王朝は実在した! 考古学的思考の実例について その1
飯島武次『中国夏王朝考古学研究』(同成社、2012年3月)

中国最古の王朝・夏について長年考古学的に研究してきた著者の近作。

以前から黄河中流域の二里頭遺跡は夏王朝のものではないかという説があったが、著者は25年前には判断を保留した。

それから四半世紀の発掘と考察を経て、いま著書は「二里頭遺跡が夏王朝時代の都市遺跡である」と断定するにいたった。388頁

この結論が正しいかどうかは私にはわからない。

しかし著者が<保留から断定へ>と思考をすすめた過程は興味深い。










(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 歴史とは何か | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
平山郁夫の遺言 補遺
平山郁夫氏の著書から補遺。

日本画の特徴は材料からきている

日本の絵は装飾化する傾向がある。それは<紙・絹に岩絵の具>が材料になっていることと関係がある。

「日本の絵は油絵のようにものを立体的に見せるために影をつけたりすることには向かない。

平面的な絵だから、どうしても平面での変化を求めることになった。

平面での変化とは、線と面でいかに独自の特色を出していくかということである。

どうにかして特色を出そうとする工夫のなかから多様な絵の流れが生まれたが、いずれも二次元の世界での工夫であるところは共通している。」

(平山郁夫『絵と心』読売新聞社、1998年、103頁より要約)


素材が平面的な表現に適する。平面的だから線に工夫を凝らす。線的だから装飾的になる。


なにを美しいと思うか。そこに思想があらわれ作品が生まれる

「絵はなんのために描くのか、理念や思想というべきものが必要だ。」(同上書、111頁)

理念や理想をつくるものは、読書と創作と実体験のなかから磨かれる感性である。

「私は、美というものは生きることそのものだと思っている。

鳥が鳥として、花が花として生きよう、成長しようとしているときに美しさを表す。この世のあらゆるものが生きようとする意思をもっている。

水にも石にもいのちがあり、そのよりよい状態に私たちは美を感じることができる。」(同上書、155-156頁より要約)

たんに水や石であることではなく、「そのよりよい状態」に美がある。

これも素晴らしい言葉だ。











(おわり)













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
平山郁夫の遺言 おわり
◯ 美知子さんの度胸

平山郁夫氏の妻・美知子さんの本を読むと、平山作品の背景が別の角度から見えてくる。

とくに美知子さんの度胸ぶりが印象的だ。

芸大で郁夫氏の同僚だった美知子さんは、結婚にさいして絵をつづけるべきかどうか悩み、けっきょく自分が「筆を折る」決心をする。

「何かを捨てるなら自分にとっていちばん価値あるものを捨てる。どうでもいいものを捨てても値打ちはない。

もし捨てたものに価値があれば、その代わりに私が得るものはもっと価値が生じるにちがいない。」

(平山美知子『道はあとからついてくる』主婦と生活社、1998年、49頁より要約)

美知子さんの家は代々クリスチャンだそうだが、この発想はイエスの処刑とひきかえに人類の救いが得られるというキリスト教の論理に似ている。

しかしキリスト教にかぎらず、この考え方は人間の価値というものを深く考えさせる。

もうひとつ印象的なエピソードは、はじめての子を出産するときの話。

陣痛がはじまってからこういう会話があったという。

「ウーン、ウーン。

『腹が減ったなあ。おい、僕の昼飯はどうなってるんだ』

『そんなこと知るもんですかっ!』

『そうだ、おい、キャラメルがあったろう。あれ、どこに入れた』

『知るもんですかっ! ウーン』

母が溜め息をついて申します。

『あんたがおると美知子の血がのぼります。外に出とってください』」

(平山美知子同上書、92頁)

夫も夫だが、この会話を覚えていた妻のほうもすごい。

平山画伯の人生の一コマが、こうして美知子さんによって永久に記録された。

なお、名前の「みちこ」は「美知子」と書くが、ほんとうは「道子」で届け出る予定だったという。23頁。

美知子さんの著書のタイトル『道はあとからついてくる』は、「道はなんとか開けるものだ」という意味と、私は郁夫氏の「あとからついていった」という意味をダブらせたものらしい。

しかし、貧困のなかから夫を一流の画家に育てあげた手腕は度胸たっぷりで、本書のタイトルは『美知のあとからついてこい』でもよかったような気がしないでもない。








(おわり)












| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
平山郁夫の遺言 その9
日本を含むアジアを分母にすれば、西欧に勝るとも劣らない美の基盤が構想できる。

平山氏はこの発想を発見し実行した。歴史を活用したのである。

ここで注意すべきは、分母だけでなく分子も歴史にすべきだということだ。

同じ日本画出身の村上隆氏が、このことを力説している。

「一生の間、歴史を学習しつづければ、どんどん自由になれる。…

『文脈の歴史のひきだしを開けたり閉めたりすること』

が、価値や流行を生み出します。

ひきだしを知らないまま自由自在に何かができるということは錯覚や誤解にすぎません。…

ひきだしを知らずに作られた芸術作品は、

『個人のものすごく小さな体験をもとにした、おもしろくとも何ともないちっちゃい経験則のドラマ』

にしかなりえません。…

芸術家は歴史を学ぶべきなのです。」

(村上隆『芸術起業論』幻冬舎、2006年、158-159頁)


むろん、芸術の基本は個人の感性をつきつめることにあり、「自分自身のドロドロした部分を見つめなければ、世界に認められる作品なんてでき」ない。村上同上書、26頁。

しかし、だからといって個人を裸のまま芸術の文脈に入れると身動きできなくなる。

芸術の前提は、分母だけでなく分子も歴史にして、自分なりの文脈=世界を作ることである。

すなわち、

個人/歴史

ではなく、

歴史/歴史

にするのだ。

こうしてできた広い世界に、はじめて自分という個人を入れる。すると楽に呼吸ができる。

自分が自由になり、永久に遊べる世界が見えてくる。「自分自身のドロドロした部分を見つめ」るのは、そのあとである。

これが芸術を職業にする者が踏むべき手順なのだ。










(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 「人間力」論 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
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