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         大鏡


だまし絵(日本編) 私のベストショット

日本製のだまし絵発見。

 

某高速道路のサービスエリアで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
概念と認識には一般的平均的と特殊的個人的の両面がある

概念じたいには色も形もない。単独で存在するのでもない。概念とその表象(音声・文字の組み合わせの鋳型・テンプレート)は、認識と表現の規範となることで、実在性をもつ。

 

個人的な認識が概念とその表象をとおして表現体となり、社会的にシェアされることで、認識と概念は実在性を帯びる。

 

このプロセスで、認識には特殊的個人的な面と、すでに社会的にシェアされている一般的平均的な面が生まれる。認識の規範たる概念にも、特殊的個人的な面と一般的平均的な面が生まれる。

 

ドラえもんは、それを実在としてとりあつかう人にとって、特殊的個人的かつ一般的平均的に実在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
だまし絵(ドイツ編) 私のベストショット

ヨーロッパには、壁にだまし絵を描いて楽しむ伝統があるらしい。

 

これはドイツのだまし絵。某レジャーランドの壁にあった。

 

日本にこういうだまし絵はあるかな。

 

いやまてよ、そもそも絵画はどれもだまし絵じゃないのか...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:03 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ国家や言語が分析できないか 観念が形態をとるロジックの欠落

人間は、個人であれ集団であれ、肉体と精神をもつ。肉体と精神の矛盾は、表現態となって現れる。

 

表現態(身体の動き、音声・文字や絵画、音楽など)を生む認識・表現の客体は、人間の精神的内面(感覚・感情・意識・認知・欲求など)である。それに対して、生産物(たとえば商品)と組織体(たとえば国家権力)を生む労働・生産と行動・組織の客体は、人間の精神の外部に実在する物質と他者である。

 

ここで注意すべきは、労働・生産と行動・組織は、人間の精神的内面を客体として生まれる表現態の一種だということである。表現態の実体は認識・表現であるが、認識・表現はその内部に形態ー自我形態ーをふくんでいる。

 

政治学が国家について凡庸な分析に終始する原因、言語学が言語の「意味」の整理に終始してきた原因は、人間の精神的内面(観念)すなわち非物質がみずからを現し、形態(表現態)をとる原理が明らかにされなかったからである。

 

この原理のひな形は、マルクス『資本論』の価値形態論にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
白髭神社 私のベストショット

琵琶湖西岸の白髭神社(しらひげじんじゃ)は、湖中の鳥居で知られる。

 

社名の「白髭」は、「新羅(しらぎ)」という朝鮮半島の古い国名と関係がありそうだ。

 

近江は渡来系氏族が多く入植した土地柄。そのせいか、いまも異国風の古代的雰囲気を感じることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

琵琶湖 白髭神社

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
マルクスの「価値形態」はヘーゲル弁証法の発展形態

ヘーゲルの「形式」という概念について、こういう指摘がある。

 

 

「ヘーゲルの観念論は、『形式』という言葉に弁証法とほぼ同義の事柄を含ませた」(『ヘーゲル用語辞典』未来社、109頁。島崎隆執筆部分)

 

 

「形式」の原語は Form で、マルクス経済学では同じ語を「形態」と訳している。ヘーゲルの「形式」とマルクスの「形態」は、ドイツ語では同語である。

 

形式 Form の展開は、現実や認識の発展の内容 Inhalt を反映する。このヘーゲルの見方を受けついで、マルクスは価値形態の説明に Forminhalt (形式内容・形態内容)という概念を用いた(『資本論』初版。上記『ヘーゲル用語辞典』109頁の指摘による)。

 

上記のようにヘーゲルの Form 概念が「弁証法とほぼ同義」だとすれば、Forminhalt という概念をつかったマルクスの価値形態論も、弁証法的な形式と内容をもっているはずである。

 

もちろん、マルクスの価値形態論がヘーゲルの弁証法とまったく同じということはない。むしろマルクスにおいては、ヘーゲルの弁証法は洗練の末に解消され、別の次元に入ったのかもしれない。

 

ヘーゲルからマルクスへの弁証法の継承・洗練・解消の問題は、学問的検討の対象になってしかるべきだろう。しかし思想史の専門家も、この問題に解決を与えていないようにみえる。

 

誰か正面から取り組んでくれないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
近江神宮 私のベストショット

滋賀県大津の近江神宮(おうみじんぐう)。

 

大津は天智時代に都とされたところ。

 

近江神宮の創建は日中戦争中の1940年(紀元2600年)と新しく、朱が鮮やか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近江神宮 滋賀・大津

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
dia- と trans- 弁証法は自己超越

「弁証法」は、英語で dialectic とか dialectics という。

 

研究社新英和大辞典の dialectic の項には、語源となったギリシャ語の語義として "the art of debate"  とあり、同辞典の dialectics の項には、”対立する考えを並置しつつ、それらの対立を巧みに解決する説明の仕方” といった説明もある。

 

英英辞典をみても、dialectic  とは、"a method of discovering the truth of ideas by discussion and logical argument and by considering ideas that are opposed to each other."  と、同趣旨が書いてある(OALD)。

 

「弁証法」という邦訳は、複数の異なる立場から論をたたかわせることを通して、ある明を共有する技術・方、といった原意を表そうとしたものだろう。

 

注目したいのは、dialectic の元になっている dialect (会話・方言)のギリシャ語原意は、dia- (横切って)+lect(話す)だということである(ジーニアス大英和辞典)。

 

他方、trans- は translate などラテン語系語彙の接頭辞として現在も造語力があり、原意は"on the other side of "(ものの裏側に)(Wiktionary)である。そこから、trans- は、 "across, beyond, into another place or state" といった概念を表す(OALD)。

 

ラテン語系の trans-(超越)は、ギリシャ語系の dia- (横切って)と語義が共通している部分がある。trans- も dia- も、自己超越(それ自身の構造=矛盾によって変化する)という存在のあり方を人間が洞察しようとした、古代以来の痕跡なのだ。

 

直接的同一、直接的統一、媒介的統一、過程的統一という古典的な弁証法 dia- 的関係は、トランス trans という<主体ー客体ー転体>の三項関係に包摂できると私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
湯島聖堂 私のベストショット

儒教の魅力は、<努力次第でおまえも聖人になれる>という自己修養の教義にあったと私は思う。

 

写真は、御茶ノ水駅からすぐの湯島聖堂に陳列されている木像の顔。

 

儒教の背骨にある、強烈な向上心、それを見つめる厳しさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御茶ノ水 湯島聖堂

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
弁証法的な関係にはどんなものがあるか

従来、弁証法的な関係といわれるものには、次のようなものがあった(例として、マルクス『経済学批判』岩波文庫版、301-302頁に記された一連のロジックがある)。

 

 

 

直接的同一(一つのものにふたつの側面がある。例:表と裏)

 

 

直接的統一(二つのものが媒介なしに一つの関係をなす)

 反映(相手が先に存在し、その模造として自分が存在する関係。例:知覚)

 変革(自分が先に存在し、その影響として相手が存在する関係。例:師弟)

 

 

媒介的統一(二つのものが互いを媒介として一つの関係をなす)

 相互移行(互いの立場が入れ替わることで発展する関係。例:スポーツ)

 相互浸透(互いが互いの媒介となって発展する関係。例:親友)

 

 

過程的統一(三つ以上のものが順次媒介しあってひとつの関係をなす。例:時計)

 

 

これらの弁証法的関係は、矛盾(違うものが同時に関係しあって存在していること)を含んでいて、この矛盾が原動力となって次の段階へと発展していく。

 

こうした矛盾とその発展は、<主体ー客体ー転体>という自己超越=トランスの関係に含まれている(トランスじたいは三項関係なので、上記のパターンのなかでは過程的統一にあたる)。

 

トランスは、マルクス『資本論』の価値形態論から私が抽出した論理の細胞のようなもの。

 

これらの弁証法的関係は、現代的に「トランス trans」(私の造語)と呼んだらどうかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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